第34話 正夢
「そういえば昨夜、夢を見ましたわ」
兄様のお体を拭き終わってからしばらくして、私は何となしにその話を始めました。
「……ゆめ?」
「はい」
ようやく口を開いてくれた兄様に頷きかけながら、私は昨夜見た夢を独り言のように語りました。
それはとてもありきたりで、どこまでも都合のいい夢。
一人の戦士が、塔に囚われた二人の姫君を助け出す物語。どこからか颯爽と現れた黒髪の戦士が、いつも悲しみに暮れる彼女達を塔の中から救い出してくれる、そんなどこにでもありそうな救出劇。少々おこがましいかもしれませんが、お姫様の一人は私です。そこは私の夢なので、やはりそうなってしまったのでしょう。それと夢の影響といえば、もう一人の姫君の方は、夢の中では私の兄ではなく、私の姉になっていました。これは兄様には言えませんわ。
そして最後に、二人の姫君を助けてくれた黒髪の戦士は――
――コンコン。
不意に部屋のドアがノックされました。
「……どうぞ」
一拍の間を置いてから、私は兄様の代わりに声を発しました。この時間帯ならきっと屋敷のメイドの誰か。それは間違いないはず。けれど私は、昨夜見た夢のこともあって、妙な期待感を膨らませ、自然と胸を高鳴らせていました。
「えっと、お邪魔します」
そしてドアを開けて顔を覗かせたその人物を見て、私は酷く落胆したのでした。
「ジュリさん……」
「二人とも、ご無沙汰なのだよ」
確かに予想外の人物には違いありませんでした。ですが彼女は、兄様はともかく、私にとっては招かざる客でした。
「同じ本邸に住んでいて、ご無沙汰もなにもないと思いますが」
「う、うん。それもそっか……あははは」
刺々しい態度をとる私を見て、ジュリさんはごまかし笑いを浮かべながら部屋の中に入ってきました。どうしてそんな風に笑えるのか、私には到底理解できません。この目の前に広がる惨憺たる光景は、他ならぬ彼女の軽率な行動が招いた結果だというのに。
何をしに来たんですか。
私がそんな酷くありきたりな皮肉を口にしようとした、その時でした。
「実はさ、今日は二人に会わせたい、というか淳と弥生にどうしても会いたいって奴を連れてきたのだよ」
え?
「――失礼する」
そのお声を聞いた瞬間、私の心臓がドクンと大きく脈打ちました。それに呼応するように、触れていた兄様の肩もビクンと震えました。きっと淳兄様も、私とまったく同じ予感を抱かれたに違いありませんわ。だってその声は、あの人の……
「……よお、淳」
ジュリさんに続いて部屋に入ってきたその殿方は、初めに寝たきりの兄様を見て、遠慮がちに手をあげました。
「まぁなんというか、元気そうで、とかそのへんの挨拶が完全にNGなのは理解できた」
「なんで、お前が、ここに……ッ⁉︎」
これまで人形のように変化に乏しかった兄様のお顔が、混乱と驚愕に彩られました。そしてそれは私も同じですわ。
「その、なんだ」
彼は兄様への挨拶を終えると、とても気まずそうに頬をかきながら、今度は私の方にお顔を向けました。
「弥生さんも、久しぶりだな」
「天さん……‼︎」
たった今この瞬間、私の見た夢は正夢になりました。
◇◇◇
一堂家本邸・表門。
時刻は正午ちょうど過ぎた頃。高級感あふれる白塗りの動力車が、聳え立つ朱塗りの門の前に停まった。
「おい」
「はっ」
最初に声を発したのは動力車の後部座席に座っていた銀髪の青年。次いで助手席にいた黒スーツ黒ネクタイの女性が、流れるような動きで動力車から降りて門に近づく。それから数秒と経たぬうちに、大門は開かれた。
「殿下。向かわれる先は、本日も中央館でよろしいでしょうか?」
「いや」
壮年の運転手の問いかけに、殿下と呼ばれた青年は短く否と答える。
「今日は東館に行ってくれ」
「東館、でございますか?」
「ああ」
青年は白い歯を見せて微笑む。
「偶にはこちらから出向くのも悪くない。妻のエスコートは夫の役目だからね」
「かしこまりました」
運転手が頷く。動力車が動き出した。
「いってらっしゃいませ、セイラン殿下!」
表門を開けたSPの女性は、そのまま道の脇に寄って気をつけの姿勢で主人を見送る。
今にも雨が降りそうな灰色の雲の中。
エクス帝国第二皇子セイランを乗せた白い動力車は、あたかも無人の野をゆくが如き勢いで、一堂家の私有地を直走る。
「あぁ弥生。我が麗しの姫君よ」
真紅の瞳が熱を帯びる。セイランはその口元に甘い微笑を浮かべ、両手を広げた。
「ふふふ、君の王子がいま逢いにいくよ!」




