第33話 どうかお許しください
一堂家本邸。広大な土地に囲まれたこの屋敷は、帝国でも有数の敷地面積を誇る貴族邸の一つだという。その馬鹿げた広さは、庭だけでもフラワー村の面積を大きく上回っていた。金のあり余ってる奴はどの世界でも似たようなことをするな、と天は無駄に広い敷地内を歩きながらそんなことを思った。なお一堂家の本邸は、西館、東館、中央館の三つに分かれており、ジュリとミリーは西館、淳と弥生は東館で、普段はそれぞれ暮らしているのだそうだ。
「え⁉︎ じゃあ、あのシャロンヌさんが張った結界って偽物だったの⁉︎」
「ま、そういうことになるな」
「そういうことになるなって」
天の右隣を歩いていたジュリが、呆れた顔で呟く。
「実はマリーさんから事前に相談されてな」
天は歩く歩調を変えることなく、前を向いたまま、どうという事はないとネタばらしをする。
「あの条件だと絶対に文句を言うであろう困った奴がいると言われた。俺もそれは容易に想像できた。そんな訳で、前もっていくつか対策を考えておいた。それだけだ」
「それだけって……」
「何事にもリアリティは大切だ」
「だからって現役のSランク冒険士まで使うとか、普通そこまでしないのだよ!」
「だからこそやった意味があっただろ?」
天はこれ見よがしに肩をすくめる。
ジュリは額を押さえながら溜息をついた。
「はぁ、キミって相変わらず狡猾だよねー」
「まあどっかのワガママ娘が駄々をこねなかったら、わざわざあんな茶番をする必要もなかったんだがな」
「うぐっ」
「ほんとそれ。マジそれ」
天の左隣からひょっこりと顔を出したのはジュリの二つ下の妹、ミリー。
「お姉って昔からそうだよね。後先考えずに暴走していつもアタシら家族を困らせる」
「ううっ」
言葉を詰まらせるジュリに、名家の令嬢は容赦なく追い討ちをかける。
「ほんと、たまにはとばっちりを受けるこっちの身にもなってほしいよね。正直いい迷惑だから」
「ちょ、ボクだけが悪いの⁉︎」
「当然でしょ」
「なあ、妹さん」
ひとしきり姉にダメ出しをして、すっきりした顔で隣を歩くミリーに、天はあることを訊ねる。
「本当にこの格好でよかったのか?」
「はい。大丈夫ですよ」
にこやかな笑顔で即答するミリー。天がただいま着ている上下は、黒のTシャツに紺のジーンズというもの。つまりは普段通りの格好である。
「いちおう正装も用意してたんだがな」
天はシャツの胸元をつかみながら小声でぼやいた。昨夜は首輪を回収するエンジニアとして一堂家の別邸に招かれていた為、特に格好は気にしなかった。しかし本日は、いわば完全なるプライベート。こちらから知人に会いにいく形で貴族の屋敷に訪問するのだ。ならば正装は必要だという天の見解は、この世界でも比較的まともな部類の人種の考え方だろう。なにより自分を連れてきたマリーに恥をかかせてしまうんじゃないか、ジュリの方はどうでもいいが。などなど、天が歩きながら頭を悩ませていると。
「全然その格好で問題ありませんから♪」
ミリーはどこか含みのある笑みを口元に浮かべ、こう続けた。
「それに、そっちの方があとあと都合がいいと思うので」
「なるほどな」
ようやく腑に落ちた。どうやらこのツインテールの小悪魔は何か企んでいるようだ。実際のところ、天はミリーが自分に気があるとはこれっぽっちも思っていなかった。おおかた何か思惑があって探りでも入れているのだろう。そんな天の予想は、案の定であったようだ。
「どうなされますか、花村様?」
「……」
こちらの反応を見て腹の内を悟られたことに気づいたのだろう。ミリーが小声で問うてきた。天は自問する。昨日知り合ったばかりのこの娘の口車に乗って、果たして自分にとってプラスになるかどうか。そして答えを出した。
「いいだろう。乗ってやる」
「ありがとうございますわ」
「え、なになに?」とジュリが会話に入ってくる。当然二人はそれを無視した。というより――
「――あ、見えました花村様」
あそこです、と指をさすミリー。見えてきたのはミレーナが住む別邸など比べものにならぬ大豪邸。一堂家本邸の東館だ。あれではジュリとミリーが母親の住まいにケチをつけるのも頷ける。城のような屋敷を見て、天は妙に納得してしまった。
「ちょっと待ってて、ボクが話を通してくるから」
そう言ってジュリは小走りで前方に見える巨大な建物に向かった。金色のポニーテールを揺らし駆けて行くその後ろ姿は、真剣そのものである。
「いつもああなら、ほんのちょっとは尊敬できるのに」
ふいとミリーがそんなことを口走る。ほんの少し素直な一面を垣間見せた少女につられて、天もこんなことを口走っていた。
「アイツ、俺の顔を見たら毛を逆立てて怒鳴り散らすんだろうな」
「それは自業自得というものですよ」
と、今まで被っていた猫の皮を脱ぎ捨ててミリーは言った。
「だって花村様は、そういう事をお二人になされたんですから」
「違いない」
ミリーの遠慮のない指摘に、天は素直に頷いた。自分はともかく、この娘が淳と弥生のマイナスになるようなことをするとは思えない。それが天の出した答えであった。
「て〜ん、ミリ〜!」
ジュリがこちらに向かって大きく手を振っている。東館の大扉は既に開かれていた。天はミリーと共に、止めていた歩みを再開させる。
「今の花村様の心境は、さしずめ鬼が出るか蛇じゃが出るかってところですか?」
「出てくるのが鬼と蛇なら気も楽なんだが」
ぼやきながら、天はぽりぽりと後ろ頭を掻いた。ひどく憂鬱であるが、今さら尻込みするつもりもない。遠回りならもう十分した。
「やっとここまで来たな」
天は悠然とした足取りで館の中へ入った。
◇◇◇
「失礼致しますわ」
ノックして部屋のドアを開けると、今日も変わらぬ悪夢のような現実が、私の胸をしめつける。
「おはようございます、兄様」
「……」
私が少し遅めの朝の挨拶をしても、兄様はお返事をしてくれませんでした。最近はいつもこうですわ。兄様は起きていても、ほとんど何も話さず、ただベッドの上で死人のように横たわっているばかり。そのような兄の姿を見て、私は今日も深い哀しみと、やり場のない憤りを覚えるのです。
「兄様。お気持ちは分かりますが……」
そこまで言って、私はグッと口を閉じました。その先を言ってはいけない。それを言う資格は、少なくとも自分にはないのだ。私は兄様の枕元に置いてある丸椅子に腰掛け、ドバイザーからタオルを取り出し、黙って兄様の体を拭き始めました。
辛いのは淳兄様だけではありません。
そんなセリフを私などが口にしていいわけがない。何故なら兄様がこのようなお姿になってしまったのは、チームの仲間を、そして妹の私を命がけで逃がしてくれたのが原因なのですから。
「どこか痒いところはございませんか?」
「……」
あの日、兄様は身をていして、私達を準災害級モンスターの〔リザードキング〕から守ってくださいました。なればこそ、今度は私が兄様のお力にならなければ。セイラン殿下と婚姻を結び、皇族になって、今度は私が兄様をお守りするのです。
「こうして兄様のお世話ができるのも、あと少しなのですね」
「……っ」
兄様の体を拭きながら、思わず口をついて出てしまった言葉。その一瞬だけ、人形のようだった兄の顔が悲痛に歪みました。
――ごめんなさい。
たとえ兄様ご自身がそれを望んでいなくても、これは私個人の贖罪なのです。兄様と同じく大切なもののためにその身を犠牲にすれば、少しはこの罪の意識から逃れられる……
こんなあさましい妹を、どうかお許しください。




