第26話 再会
「し――失礼しましたっ‼︎」
言うやいなや、見るからにお堅そうな軍服姿の女性が、駆け足で道の端に寄って、背筋を伸ばし敬礼する。国道として整備された天下の大道の先には、赤々とそびえる巨大な門が見える。
「どうぞお通りくださいませ!」
エクス帝国への入国審査は驚くほどすんなり済んだ。それこそ動力車から降りることもなく。ものの数分もしないうちに。拍子抜けするほどあっさりと。実際のところ、天のような初入国者が帝国領土に入るためにはそれなりの審査が必要となる、はずなのだが。
「ふふふ。あれが本来の対応です」
動力車の後部座席にいたメイド姿のシャロンヌが、こちらを敬礼で見送る軍服女性のかしこまった態度を見て、満足げな微笑とともにひとつ頷く。
「我が帝国は皆様方を歓迎します! どうぞ良い旅を!」
まさに一発である。シャロンヌが自らの素性を明かした途端、いかにも手強そうな入国審査官のお姉さんが、一も二もなく道を開けた。いわゆる顔パスである。流石は『常夜の女帝』の異名を持つSランク冒険士。その名が持つ力と知名度は伊達ではない。
「シャロンヌさんは先日の『ヘルケルベロス討伐』の際に活躍なさった英雄の一人でもありますから。あちらとしては余計に緊張する相手でしょうね」
「くくく。流石の帝国軍人も、国の恩人には頭が上がらないみたいなのです」
「それを言えば、そこでへばっている軟弱者も、一応はその中の一人なのですがね」
「小生と、うっ……その者はもはや別人。今の小生は、うっぷ……名もなき一介の騎士、ですぞ……ううっぷ」
首から上の部位を全て真っ青にして、グラスは後部座席の窓にぐったりともたれ掛かっていた。本人は騎士と言っているが、その服装と髪型から、どう見てもお寺に勤めている人にしか見えない。ちなみに彼の隣の席、リアシートの真ん中に座っているのは成人女性のマリーである。これについては男性の天をそこに座らせた方がいいんじゃないか、という意見もあったのだが――。
『その位置だと奇襲に対応できない』
両側に人を置いてしまうと、もしもの時に行動が遅れる。そのように述べて、天が当然のように却下したのだ。
「……おうっぷ!」
とまあ、車酔いならぬ女酔いで新メンバーがダウンするなどの小事もあったが。一行の旅路はすこぶる順調だった。
「これが帝国か……」
鋼の都。天がその街並みを見て最初に抱いた印象はそれだった。赤と灰色の建築物が覆い尽くす市街。その一つ一つが、こちらの世界よりもやや近代化が進んだ異世界からやって来た天の目から見ても、高水準と言っていい代物だった。そしてあらゆる建物がとにかくでかい。そんな街を行き交う人々はどこか厳格な雰囲気を帯びていた。この都市からは一種の威圧感さえ覚える。窓に流れる風景に目を奪われながら、天はそう思った。
「帝都はこの比じゃありませんよ、天さん」
「はい。エクス帝国の『首都サリバー』はこんなものではございません」
「!」
天はつい反射的にそちらを向いてしまう。
「天さん。もしよろしければ、私が帝都を案内いたしますわ」
「それならば私にもお任せください、マスター。仕事でもプライベートでも、かの土地には幾度となく訪れておりますので」
見れば、後部座席のマリーとシャロンヌがニコニコ顔でこちらを見ていた。
「もちろん、諸々の用事を済ませたあとですけど」
「及ばずながら、不肖この私が現地でのガイド役を務めさせていただきます」
心なしか彼女達の目はどこかあたたかい。
「……機会があれば」
素っ気なく言って、天は前を向く。見た目だけは十代のおっさん格闘家はそれでこの話を切り上げるつもりだった。のだが。
「でも、あたしもこないだの会議で初めて帝都に行ったけど、アレは確かに一度見といて損はないかもなのです。伊達に世界最大の都市を謳ってないっていうか」
「……」
リナの絶妙なサポートにより、話題転換はあえなく失敗に終わった。何というかバレバレだった。実は帝都に興味津々なのが。それを女性陣に見透かされ、気を使われているのが。
……まいったな。
天は心の内で嘆息する。恐らく顔に出ていたのだろう。昔からこういった未知の領域には、どうしても心が踊ってしまう。それは事実だ。しかし、天は観光旅行に来たわけではない。確かに行ってみたいは行ってみたい。だが今の自分には帰りを待っている仲間がいるのだ。特に用事もないのにそうやすやすと寄り道の予約を入れるわけにはいかない。女性陣のそれは百パーセント善意だろうが、天としては安易に頷けなかった。
「うっぷ……帝都など、ろくなものではございませぬぞ……っ!」
天が少しばかり居心地の悪さ――とかなりの気恥ずかしさ――を感じていると、思わぬところから助け舟があった。
「あの都はまさしく魔都にございますぞ! おうっぷ……」
その声に合わせて車内の時間が止まった。
「おえっぷ……あのような場所に出向くぐらいなら……危険区域にでもまかりこした方がまだマシというもの……!」
しかしグラスはそんな事などお構いなしとばかりに、『空気って何それ?』な発言を連発する。嘔吐きながらのくせに、この坊さん騎士はやけに強気である。
「「「……」」」
そして案の定というか、女性陣トリオからじとっとした雰囲気が伝わってきた。しかしグラスの方は、一向に気にかけていない風であった。相変わらず顔色自体は最悪なままだが、そのふてぶてしい態度はいっそ清々しいほどである。
――やはりこの男は面白い。
天は喉の奥でくつくつと笑う。グラスの発言は女性陣に真っ向から喧嘩を売るものであった。だがその実、彼の言葉からは皮肉や嫌味といったものが一切感じられなかった。これはグラスの生来の気風なのだろう。この男はただただ正直なのだ。相手に対しても、自分に対しても。だからグラスはこんな空気の中でも、平然と言ってのける。
「主君。悪いことは申しませぬ。あそこだけはお止めになられた方がいいですぞ! ……うぇえっぷ」
「わかった」
天は頷きながら、ほんのわずかに口元に笑みを浮かべる。
「お前のその意見、参考の一つとして頭に留めておこう」
「ははっ!有難き幸せに存じますぞ!」
「〜〜ッッ」
この時、バックミラーに映った二人の従者の表情はまるで正反対のものであったが。さしあたって、彼等の主人はそれを見なかったことにした。
◇◇◇
「リナさん」
不意にマリーが口を開いた。その表情は真剣そのものだ。最初の都市を出てから小一時間ほど走っただろうか。一行を乗せた動力車は市街地の賑やかな街道を抜け、やや寂しい農道を走っていた。
「そこの道を右に入ってください。あとは道なりに進めば、十五分ほどで目的地に到着しますわ」
「了解なのです」
リナは言われるがままハンドルを切る。入った先は来た道よりさらに人気のない、雑木林に囲まれた細道だった。
「…………」
ふとリナが天の顔を横目で見ると、その横顔はマリーと同じかそれ以上に、真剣なものへと変わっていた。
◇◇◇
「あぁ、憂鬱なのだよ」
動力車の窓に頬杖をつきながら、ボクは無気力に外の景色を眺めてた。子供の頃からその場所が嫌いだった。十六になった今でもそれは変わらない。きっとこの先もそうなのだろう。根拠はないがはっきりと言い切れる。ボクはその場所が大嫌いだ。
「はぁ、何であんなところに行かなきゃならないのだよ。しかも家族揃って」
「不本意ながら、アタシもお姉に賛成」
当て付けがましく父親の不可解な行動にブーたれていると、まるでやる気の感じられない合いの手が入った。発信源は同じく後部の反対端の座席から。毎度のごとく一言多いボクの妹だ。
「不本意ってどういう意味よ、ミリー」
「そのまんまの意味」
「ぐっ」
この二つ下の妹は、つくづく可愛げのかけらもない。
「でもお父様。そこのバカ姉の肩を持つわけじゃないけど、急にどうしたの?」
「誰がバカ姉なのだよ、誰がっ!」
「今日ってその……面会日じゃないよね?」
「……」
ミリーが隣の席に座る父に怪訝な、それでいてどこか期待するような目を向ける。毎度のごとくボクのことをガン無視して。このガキいつかそのツインテールを真っ黒なボンバーヘッドにしてやる、とボクはこのとき密かに心に誓った。
「いきなりアポなしで行っても、お屋敷の中には入れないと思うけど?」
「面会の許可はマリーさんが取ってくれた」
妹の問いかけに、父は淡々とそう答えた。
「なんだ、そういうウラがあったんだ……」
途端にミリーはつまらなそうな顔をしてプイッと窓の方を向いた。その横顔は落胆の色を隠そうともしてなかった。
……まあ、この堅物男が『お家』の決めたルールを破るわけないわよね。
ボクは横目でちらりと父を見た。父はいつも通りむっつりした表情でボクと妹の間に座っていた。この父から「今からミレーナのところへ行く」と誘われときは、妹と一緒に目を点にして驚いたが。成る程それなら納得ができる。さっきから何やら父が難しい顔をしているのも、おおかた義理の妹にいらぬ世話を焼かれて機嫌が悪いのだろう。ミリーではないが、カラクリが分かれば『それ』はひどく期待外れのものだった。ボクはこれ見よがしにため息をつく。
「はーあ、またあの人は余計なことをしてくれたのだよ」
「そういう言い方はやめなさい」
「ほんと、お姉って子供だよね」
肉親二人にあうんの呼吸で嘆息された。
……え、なに⁉︎ 今のボクが悪いの⁉︎
釈然としないものを感じながら、ボクは何となしに道の先に目を向けた。
次の瞬間。
「…………………………………………ぇ」
ボクは頭が真っ白になった。
「あ、マリー叔母様もう来てたんだ」
ミリーが言った。そう。前方に見えたのは先に到着していたであろうマリーと数名の男女の姿。ただ――その集団の中には、マリー以外にも自分がよく見知った顔があった。
「うそよ……こんなところに“あいつ”がいるわけない……」
「お姉?」
「う――運転手さんっ!!」
ボクは思わず身を乗り出して、大声で運転手に言った。
「どこでもいいから、停めて!」
「え? あ、はい!」
黒塗りの動力車はその場で急停止する。
「むぅ」
「ちょっ、急にどうしたのよ、お姉⁉︎」
「うるさい!」
今にも叫び出したい衝動に駆られ、乱暴にドアを開けると、ボクは父と妹を置き去りにして外に飛び出した。
まさか……まさかまさかまさかまさか!!
ボクは無我夢中でそいつに駆け寄った。そしたら向こうもボクに気づいたみたいで、軽く手を上げられた。この明らかなテンションの違い、自分だけが空回りしているこの感覚に、ボクは嫌というほど身に覚えがあった。
「よお。久しぶりだな、ジュリさん」
「て、て、て……天っっ‼︎⁉︎」
夕焼けに染まった空の中。
ボクはこの世で一番嫌いな場所で、多分この世で一番会いたかった人物と……再会を果たしたのだった。




