第25話 地獄の底まで
「此度のご無礼、伏してお詫び申し上げる次第であります!」
晴れわたった青い空の下。のどかな風景が続く街道に、凛とした大音声が響き渡る。
「ですがどうか、しばしの間この暁グラスに皆様のお時間をくださりませ!」
エクス帝国に向かう一行の前に現れたその人物とは、昨日ランド王城にて天に一対一の決闘を挑み敗れた因縁の相手。元ランド王国騎士団団長・暁グラスその人であった。
「……とりあえず、何から突っ込めばいいか分かんないの」
運転席の窓から顔を出したまま表情をひきつらせるリナ。さすがの天才娘も、この謎の状況についていけない様子だ。
「何卒、何卒お願い申し上げます!」
「要するに、俺に用があるんだろ?」
いよいよグラスが土道に額をこすりつけ始めたところで、平坦な声と共に助手席のドアが開かれた。黒い短髪をポリポリと掻きながら動力車から出てきたのは、言わずもがなこの男である。
「花村殿……!」
「察するに、情報源は親父殿あたりか?」
瞬間、グラスがギクリとした様子で顔を強張らせた。どうやら図星だったらしい。特に引っ掛けるつもりはなかったのだが。この男は見た目の印象通り隠し事が得意な方ではないようだ。と天は思った。
……俺が会長のことを『親父殿』と呼んでいると瞬時に理解したところを見るに、別段ニブいというわけでもないんだろうが。
頭の中でそんな毒にも薬にもならない分析を行いながら、天は道端の開けた草地を顎で差し示した。
「ここだと通行の邪魔になる。話は向こうで聞こう」
「こ、これは失礼しました」
ハッとしたように立ち上がるグラス。今のところ自分達以外に通行客はいない。しかしだからといって、長々と天下の往来を通行止めにするわけにもいかない。そういった分別はこの直情男にもあるようだ。
「それでは向こう、で……っ」
「……」
立ち上がった直後、グラスが一瞬バランスを崩す。その動きは一般人の目から見ればほぼ違和感のないレベルのもの。ではあるが。
よくて本調子の二割ってところか。
天は一目で見抜いた。グラスのそれが虚勢であることを。実際は立っているのもやっとの状態なのだろう。だがそれはある意味当然のこと。なぜなら彼はかの『格闘王』、花村天とつい昨日に死闘を繰り広げたばかりなのだから。
天は勝負の瞬間、グラスを確実に戦闘不能にするつもりで《闘技》を繰り出した。
無論全力は出していない。しかし天は確実に勝負を決める一撃をグラスに放った。それは間違っても、相手をなるべく殺さないように、などという甘っちょろい攻撃ではない。決死の覚悟で挑んできた者に対して手心を加えるなど、失礼にあたる。極論的な言い分ではあるが、それが天なりの誠意であり、敬意だ。その結果、たとえグラスが命を落としていたとしても、天はこれを一つの勝敗の行方として受け入れた。真剣勝負とはそういうものだ。
「お手間は、ぅ……と、とらせませぬゆえ」
「わかった」
それらを踏まえた上で、天は純粋に興味が湧いた。今自分の目の前にいる、この男に。
……そういや今までいたかな? 俺と何でもアリでやり合って、次の日にまた俺の前に顔を出した奴。
そんな奴は父親以外に記憶にない。そもそもこんな体であんなクルマの止め方を選んだのか。天はなんだか愉快になってきた。だからというわけではないが。
「すみませんマリーさん。少しの間だけ待っていてもらえませんか?」
「は、はい! まだ時間的にかなり余裕がありますから、大丈夫ですわ!」
「ありがとうございます」
天は助手席のドアを開け、後部座席で乱れた髪をセットし直していたマリーに一声かけると、迷いのない足取りでその騎士のもとへ向かった。
◇◇◇
「急な申し出を聞き入れていただき、心より感謝いたしますぞ!」
そう言ってグラスはもう一度深々と天に頭を下げる。例によって草地にじかに正座した状態で。いわゆる地べたに土下座だ。身につけている栗皮色の浴衣のような着衣が汚れようと一切お構いなし。彼の身なりとこのシチュエーションも相まってか、その姿は騎士というより武士を連想させる。城での甲冑姿と比べると私服はずいぶんと和風なんだな、と天は見当違いなほうに関心を抱いた。
「己の行いが非常識であることは百も承知。されど本日、花村殿が西大陸を離れるという話を耳に入れ、居ても立ってもおられず馳せ参じた次第ですぞ」
「前置きはいい」
天は言った。
「俺達は先を急いでいる。用件があるなら手短かに済ませてくれ」
「しょ、承知しました」
事務的な口調で発せられた天の催促に若干及び腰になりならがらも、グラスは再度声を張る。
「まず昨日の一件について――花村殿、誠に申し訳ございませぬ!!」
そしてグラスは土下座したまま、もう何度目かの謝罪を行う。
「花村殿は決闘の取り決めを守ってくだされた。なのに我々はっ」
「それはいい」
天はグラスの言葉をやや強引に遮った。
「あんたに落ち度はない。謝罪は不要だ」
「し、しかし」
「あの件はもう終わったことだ。少なくとも俺はそう思ってる」
「花村殿……」
「で?」
やや声に苛立ちをのせ、天は訊ねる。
「そんな事を言うために、わざわざこんな場所まで足を運んで、いつ来るかも分からん俺達を待っていたのか?」
「……」
グラスは神妙な顔で押し黙る。心なしかそれは覚悟を決める準備をしているようにも見えた。草原に心地良い風が流れる。すっかり肺の空気が新鮮さを取り戻した頃合いで、天はゆっくり口を開いた。
「あんたがあの後どう責任を取ったのか、俺も親父殿から聞いてる」
「!」
グラスの顔に狼狽の色が浮かぶ。だが天は気にしなかった。情報漏洩はお互いさまだ。
「あんたの取った行動は、国を守るという点では最適解だろう」
「……」
「ただし、俺には何か別の、個人的な事情もあるように思えたがな」
「! そ、それは」
グラスは思わずといった様子で視線を彷徨わせる。正に確信を突かれたという反応だ。
「俺は待つのも待たせるのも嫌いなんだ」
天は憮然と腕を組み、厳しい眼差しをグラスに向ける。その態度から導き出される相手へのメッセージはただひとつ。さっさと本当の用件を言え、だ。
「…………花村天殿ッ!」
数秒の沈黙の後。グラスは意を決したようにおもてを上げた。
「貴方様に惚れました!!!」
それはまるで、魂の砲弾を肉体という大砲で撃ち放ったかのような咆哮であった。
「どうか、小生を貴方様の『家来』にしてくださりませ!」
言いながらグラスは額で地面を殴るがごとき勢いで平伏した。眉目秀麗な青年騎士の言動には、そのすべてに灼熱の意思が込められていた。
「…………」
一方。天は固まった。腕を組んだまま。幸い――といえるかどうかは分からないが――常日頃から心がけている細目と無のポーカーフェイスのおかげで、表向きにはほぼ変化なし。現在進行形で「用件は?」のポーズを維持している。だがそれはあくまで表向きの話である。
まずい、完全に想定外だ。
こめかみを押さえたい衝動と懸命に戦いながら、天は内心で頭を抱える。と同時に、強烈なデジャヴが彼を襲った。実をいうと、天はこれに似た展開に覚えがあるのだ。
……これ、あの時と同じじゃね?
それは以前、天がSランク冒険士シャロンヌを零支部に誘った時のことだ――
――貴方様に私の全てを捧げます。
――これより先の人生は我が主のために。
天はシャロンヌに自分の仲間になってくれと頼んだ。しかしシャロンヌが望んだのは天との主従関係だった。結局、その時はシャロンヌとリナのタッグに押し切られる形で、天が折れた。とかく女が手を組むと手に負えない。その事を身をもって思い知らされた件のイベントは、いまもなお天の記憶に新しい。
「小生はようやく見つけることができたのですぞ! 己が仕えるべき真の主君を!」
「…………つまりあんたは、俺の侍従になるために俺を追いかけてきたと?」
「その通りでございますぞ!!」
ますますヒートアップするグラスを前に、天はふうっと太い息をついた。
『仲間にしてほしい』『零支部に入りたい』
グラスの頼み事はそんなところだろう。天はそう当たりをつけていた。
これに対し――
『ウチに入りたいならまずは冒険士になれ』
――と返事をするつもりでいた。
そしてこの場はお引き取り願うつもりだった。それから次にグラスと会った時、彼にその資格があり、なおかつ彼がまだそれを望んでいたなら、その時は零支部の仲間達と話し合って決めよう。これが天のプランだった。最初は。
「暁グラス殿」
天はグラスの目を真っ直ぐ見て。言った。
「悪いが、その頼みには応じられない」
「っ……!」
グラスの顔が瞬時に凍りつく。だが天はソレを言わねばならない。もう何かを理由に回答を先延ばしすることは許されない。目の前の騎士の望みが零支部への加入ではなく、あくまで自分との主従契約ならば。天はその問いに真摯に答えなくてはならなかった。
「俺には必ず果たすと決めた目的がある」
「目的……?」
呆然としながらもグラスは訊き返した。ただそれは問いかけというよりも天の言葉を無意識のうちに反芻した感じだ。そんな失意の騎士に、天は言った。
「その目的を達成する上で、あんたという看板、『暁グラス』という名声が障害になる恐れがある」
天はそう答えて、そしてこう続けた。
「だから、あんたを俺のそばに置くことはできない」
そこまで言って、天はくるりと背中を向ける。ランド王国宰相ゴズンドは、暁グラスを最上級の警戒対象者と認知している。そんな人物を今すぐ自陣営に引き込むわけにはいかない。こちらの準備が整うまでは、まだあちらに目をつけられるわけにはいかないのだ。
「ならば、小生が『暁グラス』でなくなれば良いのですな?」
話は終わりだ。そうして立ち去ろうとした天の思考に割り込んだその声は、決して折れることのない気高い意志を感じさせた。
「花村殿。どうか今しばらくお待ちを」
その言葉に導かれるまま振り返ると、そこには正座の姿勢で、右手に短剣を構えるグラスの姿があった。そして。
ジョリ、ジョリジョリジョリジョリ。
グラスはその見事な黄金色の長髪を、一片の躊躇いもなく短剣で剃り始めた。
「……」
天は眼前で繰り広げられる光景を、ただ黙って見ていた。もっと正確に言えば、まばたきひとつせずに。
「――お待たせいたしました」
ほどなくして。グラスは抜き身の短剣を鞘に収めた。そして今一度、これが最後の頼みですと言わぬばかりの顔つきで、天に深く深く頭を下げる。
「小生はこれより『暁グラス』を捨て、名もなき一介の騎士となりますぞ。もしお望みとあらば、その騎士としての矜持すら捨てましょう」
かの騎士は言った。その青々ときれいに剃り上げた坊主頭を、天に向けて。
「これが正真正銘最後の頼み。花村天様。どうかこの私を、貴方様のおそばに置いてはもらえませぬか」
「……プハッ」
一拍の空白をはさみ。
「あっはっはっはっはっはっはっはっ!」
天は笑った。声を上げて笑った。こんなに心から笑ったのは生まれて初めてかもしれない。天はなんとも心地よい気分になった。
「……あ〜、まいったな」
笑いの余韻に浸りながら、天は青く澄んだ空を仰いだ。もしかしたら心のどこかで期待していたのかもしれない。こんな結果が訪れることを。
「どうやら俺も、あんたに惚れちまったみたいだ」
「そ、それではっ⁉︎」
グラスが勢いよく顔を上げ、期待に満ちた目で天を見る。天はにやりと笑い、道の脇に停まっていた自分達の動力車をクイッと親指でさした。
「いいのか、行き先は地獄かもしれんぞ?」
「もとより望むところ!」
晴れやかな笑顔で、グラスは言った。
「もしそれが赦されるならば、地獄の底までお供しますぞ!」
「ああ、よろしくな」
こうして一行の旅路に、名と髪を捨てたひとりの騎士が加わった。
◇◇◇
「うっぷ……まさか女人が三人も乗っていようとは……!」
「ええっと、天さん。これは?」
「すみませんマリーさん……勢いで拾ってしまったんですが、どうやら残念属性のキャラだったみたいで」
「やっぱりツッコミどころ満載なのです、この人」
「マスター。このようなポンコツにマスターの従者が務まるとは到底思えません。ここはやはり考え直すべきかと愚考いたします」
「し、心配には及ばぬ……小生は地獄の底まで主君について行くと誓いを立てたのだ……こ、これしきのことで……おうっぷ!」
そこは確かに、グラスにとってある種の地獄であった。




