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第23話 一堂家当主

 一堂家当主・一堂真冬(いちどうまふゆ)


 一堂家の現当主にして、お家繁栄の礎を築いた立役者。一堂家がかの大国、エクス帝国の名門としての地位を確立できたのは、ひとえに彼女の功績である。


 もともと一堂家は商人の家だった。


 それも帝国の中では弱小の部類に入る、片田舎の小商人の家だ。そんなうだつの上がらない商人の家に、あるとき一人の特異者が生まれた。


 雪の降りしきる夜に生まれたその娘は――真冬と名付けられた。


 真冬は幼い頃から、ありとあらゆる面で他の者より優れていた。容姿、頭脳、魔力……中でも商才は異常の一言で、彼女が商いを行えば、それがどのようなことでも例外なく成功を収めた。


 真冬の父は、彼女が十三歳の誕生日を迎えると、早々に家督を娘に譲った。


 あまりにも早い跡目相続であったが、反対の声は上がらなかった。真冬はその若さで、すでに周囲を納得させるだけの実績を上げていたからだ。そして彼女の輝かしい栄光の歴史は、ここから始まったのだ。


 真冬が最初に行ったことは婿取りだった。


 当時はまだ十三になったばかりのあどけない少女、とは思えない行動力で、真冬は町のあるひとりの大工職人に強烈なアプローチをかけた。相手の男は真冬よりも二回り近く年上だったが、ここでもまた周囲から反対の声は上がらなかった。良くも悪くも真冬が周りの者達の意表をつくのはいつものことだ。なにより真冬のやる事に口を挟める者など、彼女の両親も含めて、彼女の周りに一人もいなかった。


 真冬が家督を継ぎ結婚して子を産み、そして大帝国の女大商人として名声を馳せるまでの時間は驚くほど早かった。その功績を認められ、一堂家が国から正式に貴族の地位を与えられたのも、真冬がまだハタチになる前の話である。これは余談だが、真冬の夫である元大工職の男は、英雄王シストの親友であった。後にエクス帝国の名門と呼ばれる一堂家と、冒険士協会の長となる男の縁は、そこから生まれた。


 生前、真冬の夫が完璧すぎる妻によく訊ねたことがある。


 ――なぜ君は、自分のような大した取り柄もない年の離れた男を選んだんだい?


 どう考えてもおかしいと主張する夫に、真冬はいつも、こんな答えを返した。


「そんなの貴方のことを好きになったからに決まってるじゃない」


 人間離れした妻の、あっけらかんとした笑顔が、その都度不安にかられる夫の心に清涼な風を吹かせた。



 ◇◇◇



「心外だわ」


 豪奢な飾りなどは少なく、家具や事務用品が機能的にまとめられた書斎。部屋の奥には黒塗りの机が置いてある。この書斎のイメージにぴったりの重厚な机だ。


「あの人は本気で思っていたのかしら」


 と、その机の向こうで何やら嘆いているドレス姿の女性。彼女は深く椅子に身を沈めながら、こんな事をぼやいた。


「この一堂真冬が、シスト様と繋がりを持つためだけにあの人に近づいたって」


 自分のプライベートルームの書斎で、今日も真冬は亡き夫への思慕を唄う。


「そう、とても心外だわ」


 大仰な身振りを交えて虚空に語りかける真冬のそのさまは、さながら一流の舞台役者を思わせる。艶やかな長い黒髪と雪のように白い肌。その白くしなやかな肉体にぴったりとフィットした紺色のドレスは、彼女の張りのある大きな胸を一段と際立たせる。率直に言って真冬は美しい。それこそ息を呑むほど。真冬はすでに五十歳を過ぎているが、その見た目から想像する年齢は二十代後半か、どんなに多く見積っても三十代前半にしか見えないだろう。


「ねえ、あなたはこの件についてはどう思うの、瀬川(せがわ)さん?」


「恐れながら、そのような言い回しをされてしまうと、私は奥様と旦那様、どちらの味方をすればいいのか困ってしまいます」


「だって仕方ないじゃない」


 真冬はとくに悪びれもせず、背後に控える初老の執事、瀬川に言った。


「いくら取り繕ったところで、最初に私があの人に興味を持った理由は、確かにソレだったんだもの」


「そして奥様は旦那様に直接会いに行き、そこで旦那様に一目惚れなされたのでしたね」


「そうよ!」


 瞬間、真冬は人を引き込むような黒い瞳を子供のように輝かせる。


「あの時の衝撃は、今でも忘れないわ!」


「ほっほっほ、まさしく運命の出会いというわけでございますな」


 瀬川は柄にもなく好々爺の顔を作る。真冬の執事を務めて三十年以上。突拍子もなく振られた惚気話の相手も慣れたものだ。


「ところで瀬川さん」


「はい、奥様」


 真冬が抑揚の乏しい口調で彼を呼ぶと、瀬川は瞬時に普段どおりの調子に戻り、主人の声に応えた。


「あの子の式はいつだったかしら?」


「弥生お嬢様とセイラン殿下の挙式は六日後となっております、奥様」


 突拍子もない主人からの問いかけに、瀬川は答えるまでの思案を一秒も挟まなかった。


「そっか、これであの子達もとうとう年貢の納め時なのね」


「……」


 瀬川からの相槌はなかった。だが真冬は構わず言葉を続ける。


「あの子達にはそれなりに期待していたのだけれど、本当に残念だわ」


「……はっ」


 と、そこでようやく瀬川が相槌を打つ。ただそれは曖昧で事務的なものだ。長年の付き合いから、瀬川は真冬の言葉に嘘偽りがないことを知っている。彼女は本気で思っているのだ。夢が潰えた自分の孫達に対し、もっと楽しませてくれると期待していたのに、と。


「うふふふ」


 背後で人知れず背筋を凍らせる執事の心境を知ってか知らでか、真冬は嗜虐的な笑みを浮かべる。


「そうなると、また調子に乗っちゃうのかしらね、あの夫婦は」


「……奥様」


「なあに?」


「無礼を承知であえてうかがいますが、奥様は御長男の和臣(かずおみ)様に家督を譲られる気はお有りなのですか?」


「まさか」


 真冬は「ご冗談を」と言わんばかりの顔で口元に手を当てる。妖艶な雰囲気と芝居がかった態度がやけに絵になっていた。


「あんな無能な子に家を継がせたら、それこそ我が一堂家が貴族の仮面をつけた豚の仲間入りをしてしまうわ」


「それを聞いて安心いたしました」


 瀬川は恭しく頭を下げる。


「うふふ。本当にあの夫婦は似た者同士というか、夫婦揃って愚かというか。自分の娘と皇族との婚姻なんて結ばせたら、私が長生きできちゃうじゃない」


「左様でございますな。セイラン殿下は『英知の英雄』であるローレイファ様の実子。その殿下が弥生お嬢様と婚礼の儀を行えば、一堂家は確実に英雄の親類となりましょう」


「ええ。そうなれば私は晴れて『英雄種(エンシェント)』になれるわ」


 真冬はクスクスと笑いながら。


「まあ、ローレイファ様はこれ以上、私に力をつけて欲しくはないでしょうけれど」


「そこはご子息の我儘を制御しきれなかったあちらの責任ですので、致し方ないかと思われます」


「そうね。その通りだわ」


 皇族の批判とも取れる瀬川の意見を、真冬は全面的に支持した。


「……しかし、この度の一件で私は改めて実感いたしました」


 と、瀬川は少し躊躇いがちに言葉を継ぐ。


「やはり、人が持って生まれた役割というものは、どれほど足掻こうと変えることはできぬのでしょうな」


「それは違うわ」


 先刻とは違い、真冬は瀬川の考えを一言で斬って捨てた。


「今回の結果は、単にあの子達に自分の運命を覆すだけの力がなかった、ただそれだけのことだわ」


「……」


 瀬川の声は一瞬で取り上げられた。ぞくりとするほど冷たい口調で紡がれた真冬の言葉には、反論を許さぬ迫力があった。


「あぁ、どこかにいないかしら」


 そして彼女は憂いを帯びた唇から、ふたたび唄を奏でる。


「この一堂真冬を、魂の底から震わせてくれる人は」



 ◇◇◇



「――という訳で、このたびランド王国を救うことになりました」


 雲がゆるやかに流れる青空の下。移動中の車内でそんなことを言い出したのは、動力車の助手席に座っていた零支部特異課の殲滅担当、花村天である。


「といっても当面の間は当初の予定通り、表向きは『ランド王国を地図の上から消す』方向で話を進めますが」


「は、はあ……」


 冒険士協会会長秘書マリーは、助手席の真後ろのリアシートで、何とか曖昧な返事をするのが精一杯だった。


「でもよくよく考えてみると、滅ぼすより救う方がよっぽど難易度が高いのです」


「当然です。壊すより直すほうが困難というのは物事の道理。さらにそれが邪教徒に汚染された国ともなれば、これ以上厄介極まりないものは他にないと言えます」


 マリーの右隣に座っていたシャロンヌと動力車を運転席中のリナが、気安い調子で会話に入ってくる。


「いずれにしろ、今回の依頼は零支部始まって以来の大仕事になる。それだけはまず間違いないだろう」


「くー、想像するだけで体中がゾクゾクしてくるの!」


「不謹慎と知りなさい。まあ、多少やりがいがあるという点は私も否定しませんが」


「……」


 天、リナ、シャロンヌはあくまで自然体で話している。色々と一杯一杯なのはマリーひとりだけだ。


 ……これ、どう考えても旅先の移動中にする会話じゃないわよね。


 マリーは人知れず頭を抱える。言ってみれば一国の運命を左右するほどの案件を、まるで談笑でもするかのように話されるのだ。最近やたらと超常現象に巻き込まれる彼女ではあるが、だからといってこの超人集団特有のノリについていけるかと言えば、まだまだハードルが高いというのが正直なところだ。


「そ、そういえば」


 マリーはなんとか話題を変えようと、ある議題を取り上げる。


「今朝のお見送りの時、シロナさんの姿だけなかったような……」


「「「…………」」」


 その瞬間、車内の会話がピタリとやんだ。


 ……え? なにこの空気?


 結果からいえば、それはある意味マリーの思惑通りの展開と言えなくもなかった。が。


「結局アイツ、昨日帰ってこなかったな」


「どうせまたわざと悪酔いしてお店の男に介抱してもらいつつ、気に入った獲物を安宿にでも連れ込んだのです」


「はぁ、実にありそうな話ですね」


 国を相手に平気で喧嘩を始める規格外の超人たちが、揃いも揃って全身から負のオーラを漂わせ始めた。


「せめて『アーシェ』のことだけでも伝えておきたかったんだが、ドバイザーもつながらんしな」


「おおかた久々に獲物をゲットしたから、宿で一晩中……いやそれはいいや」


「出来ればそのままどこかへ蒸発してくれるとありがたいのですが――ああ、これは失礼いたしました。私としたことがうっかり心の声が漏れていたようです」


「……」


 あっという間に車内の空気がカラカラになった。詰まるところ、この案件はマリーにとっても諸刃の剣だったようだ。


 ……国家の命運よりも重たい話題ってどんなのッ⁉︎


 それからしばらくの間、車内は談話タイムから風景を眺める時間へと切り替わる。そのご多分にもれず、マリーも窓の外に目線を避難させながら、「もう決して彼女のことには触れまい」と固く心に誓うのであった。



 かくして一行は西大陸にほんのしばしの別れを告げる。目指すは東大陸一の大国、エクス帝国。そして――。


「一堂家か。向こうのトップが話の分かる奴だと助かるんだがな」


 助手席の窓から遠くの空に目をやり、天はそんなことを呟くのだった。


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