閑話 筋肉親方
タルティカ王国・東部国境砦。早朝警備。
「はぁ〜」
巨大な砦の上から見る朝日は、今日も相変わらず綺麗だった。
「だけど私の心は、あいにくの雨模様かぁ」
「何言ってんだ、お前?」
不意に背後から声が掛かる。それはこの春からほぼ毎日のように聞いている、低いが張りのある男性の声だった。
「はぁ〜、また“あの人”に会えないかな〜」
振り向かなくても誰なのかは一発でわかったので、私はひとまず「相手にしない」という選択肢を選んでおく。
「おいコラ、朝の挨拶ぐらいしろや」
「そういう口うるさい上司は職場でモテませんよ、隊長殿」
私が砦の石堀に頬杖をつきながらそんなことを言うと、
「まずモテるモテねえ以前に、俺の職場にいる女っつったら、半分男みてーなお前しかいねえじゃねぇか」
「むぅ」
見事に揚げ足を取られた。これだから男所帯の職場は。口が汚い生物が多くて困る。
「あーあ、ホントあの人とは大違いだなー」
「おい新米。テメェ今、何かすげー失礼なこと言ったろ」
「そのお言葉、そっくりそのまま隊長殿にお返しします。それと私の名前は新米じゃありません。イレーユです、イレーユ」
とりあえずそれだけは突っ込んでおく。
「ま、確かにお前のその態度だけは、入隊一年目の新米のもんじゃねえな」
「可愛い部下の名前も覚えられないパワハラ&セクハラ隊長殿にはこれで十分です」
「誰が可愛い部下だよ。お前の取り柄なんざそのでかいケツぐらいなもんだろ?」
「それがセクハラだって言ってるんですぅ」
私がこれでもかと唇を尖らせていると、
「……まあ、あと強いて言うなら、装備だけはいっぱしか」
無精髭のセクハラ上司ことタルティカ王国守備隊の相澤ジョージ隊長は、私のすぐ隣に立って、同じく曙色の朝日に顔を向けた。
「ったく、分不相応にもほどがあるぜ」
「……はい」
ひどく複雑そうな顔で吐き出された隊長の言葉に、私は素直に頷いておく。この話はたった今まで行われていた職場でのフレンドリートークは少々毛色が異なるのだ。
「しっかし、Bランクの魔石ってのはとんでもねーな」
「というか凄すぎです」
微妙な空気を変えるためだろう。隊長は肩をすくめながら口調をおちゃらけたものに戻した。こういう所は見習うべきだと思い、私も即座に乗っかる。
「私のレベルで《Lv3魔技》を一気に三つも覚えるなんて、普通ありえませんよ」
「それを言ったら、俺なんかエルフ種でもねぇのに《Lv4魔技》を使えるようになっちまった。まぁ、まだ日に一発分しか生成できねーけどよ」
「たった五パーセントなのに、こんな劇的に変わるものなんですね」
「『ハイオークの魔石《状態 最良》1/10』の時も十分驚かされたがな」
「それでも、あの『オークキングの魔石《状態 最良》1/20』を使ったあとの変化を目の当たりにしちゃうと、どうも……」
「まぁな。実際に俺もまさかここまで変わるとは思わなかった。我ながら随分重てえもん貰っちまったもんだ」
無精髭を生やした男っぽい口元に苦笑を浮かべながら、隊長は【シルバーランク】までバージョンアップした自分のドバイザーを懐から取り出した。これでもし私が事情を知らなかったら、「このセクハラおやじ自慢かコノヤロー!」と上下関係を無視して掴みかかっていたところだろう。
だけど私は事情を知っている。
だから今の隊長の複雑な心境も分かる。というより、私自身も少なからず隊長と同じ気持ちを共有している。そしてそれは今この場にはいない――といっても砦の中にはいるが――他の十八名の守備隊の隊員達にしてみてもそうだと思う。
これは『あの人』から与えられた力だ。
あの夜。私達は『あの人』に命を助けてもらった。高ランクモンスターの群れから守ってもらった。本来ならば、こちらのほうが砦を守るべき守備隊なのに……
◇◇◇
「いいかよく聞け、テメェら」
先日。タルティカの王都から帰還した隊長は、すぐさま私を含めた守備隊の面々を砦の演習場に集め、そのことを伝えたのだ。
「俺達は光栄にも偉大なる戦友に留守を任された。なに、やることは単純だ。テメェらのそのむさくるしい図体を盾にしてこの砦を死守する、つまりいつも通りだ」
王宮から戻った相澤隊長は妙にテンションが高かった。というか妙なテンションになっていた。
「さしあたり偉大なる戦友から激励の言葉と共に、素晴らしい贈り物をいただいた。ああそうだよ。テメェらもよくご存知のあの怪物どもの成れの果てだ。これについては我が王もすでに承知している。つーわけで文句がある奴はそっちに言え」
あーうちの隊長また王様にいいように使われてきたんだ、と私を含めた大半の隊員が相澤隊長に哀れみの視線を送った。ちなみにそのうちの数名は、「俺一人にあんな役を押し付けやがって!」と個別で隊長にぶん殴られていた。
「なお、この名誉の報酬は年功序列関係なしに、我が隊総員二十名で均等に分配させてもらう。全員泣いて喜べ。でなければ非力な自分を呪え。とにかく我々にはもう後がない。タルティカ王国守備隊の名のもとに、今度こそ我が王とかの偉大なる戦友の期待に応えねばならん。安いプライドは捨てろ。代わりに命の恩人からの施しを笑顔で受け入れろ。そして我々は、一刻も早く役立たずのウジ虫を卒業する! ――分かったかテメェら!」
そして。
『オークキングの魔石・最良』を一つ。
『ハイオークの魔石・最良』を二つ。
以上三つ魔石が、きっちり二十等分にされて相澤隊の隊員達に配られた。
その結果。
「スゲェ。新スキルが五つも増えてるよ!」
「俺なんか魔技が全属性Lv3までいったぞ」
「いや『MP』一気に上がりすぎだろ……」
「1/20とはいえ、流石は国宝級の魔石だ」
「あーダメだ。俺もう来世でもあの人に足を向けて寝れねえよ」
守備隊全員のドバイザーがグレードアップした。それに伴い、全隊員がLv3ないしはLv4の武技や魔技を覚えた。そのビフォーアフターぶりといったら、もはや強化というよりも進化である。
「すごい……命を助けてくれたばかりか、こんな力を与えてくれるなんて……」
守備隊最弱のこの私ですら、今ならCランクモンスターの〔ハイオーク〕を一人で相手できる。まぁだからと言って勝てるかどうかはまた別問題だけど……と、とにかく私達はそれぐらい劇的にパワーアップしてしまったのだ。
だから私は誓った。あの人から受けた多大な恩に必ず報いると。
「私、絶対にあなたのお役に立って見せますから‼︎」
◇◇◇
「隊長殿」
「あん?」
「私、今まで男の価値って、顔と総資産で決まると思ってました」
「なんだよ、藪から棒に。いきなりそんなぶっちゃけトークされても、お前ってそういう女だったんだな、って密かに好感度をダウンさせるくらいしか俺にはできねーぞ?」
「それ全然密かにじゃない! 面と向かって本人に言っちゃってるから⁉︎」
と、私は上下関係を完全に無視してデリカシーゼロ隊長に食ってかかる。
「いま私、今までって言いましたよね⁉︎ 今までって!」
「じゃあ、これからは何を基準に男の価値を決めんだよ?」
見るからに鬱陶しそうな顔で息を吐くおっさん隊長に、
「そんなの決まってます!」
私は胸を張って言ってやった。
「一番は強さ、そして二番は筋肉です!」
「……いや、まぁなんつーか、何でもいいんだけどよ……」
明らかに関心がないという顔をされた。
あれ、まさかの不発?
なんとなく隊長の反応に納得できなかった私は、さらに熱心にこの真理について語ろうと身を乗り出した。そのときだ。
「ぷっぷ〜。そいつは違うのだ、お嬢さん」
不意に掛けられたその声は、まるで聞き覚えのない可愛らしい少女の声だった。
「なかなか見所があるみたいだけど、僕ちんから言わせればまだまだなのだ」
隊長と一緒にそちらを振り返ると、案の定というか、十代前半にしか見えない紫髪の少女がそこに立っていた。
…………誰?
私と隊長が揃ってぽかんとした顔をしていると。その、お人形さんみたいという形容がぴったりくる美少女は、小さな指をチッチッチと振りながら私に言った。
「それじゃあ順番が逆なのだ、お嬢さん」
「順番が、逆?」
どう見ても向こうのほうが『お嬢さん』なのだが、私は得体の知れない衝動に駆られるまま、思わず少女に訊き返してしまう。すると少女は、優しく私を迎え入れるように「ようこそ」と微笑んだ。
そして力強く、こう答えたのだ。
「つまり、筋肉が一番ってこと!」
それが『魔技英展』と謳われる最年少Aランク冒険士――
Lv33
名前 サズナ
種族 英雄種
性別 女
年齢 14歳
職業 Aランク冒険士(94人/冒険士人口)
最大HP 305
最大MP 9000
力 58
魔 190
耐 82
敏 114
知 97
美 222
特性・全属性攻撃力アップ(中)
架空スキル・筋肉ソムリエ
《戦命力1129》
――筋肉親方、サズナとの出会いだった。
「キミとは友達になれそうなのだ!」
「親方……ッ!」
◇◇◇
サズナとイレーユが光の速さで意気投合していた、その傍らでは。
「……ねえ、ミンリィ」
「……なんだ」
「筋肉が一番ってどういう意味なのかな?」
「私が知るか」
サズナと同じく冒険士協会から派遣されてきたCランク冒険士の二人組。六条スガルとミンリィは、異様な熱気に包まれた派遣先の砦の上で、早くも「帰りたい」という思いで意見が一致した。
「何が何だかさっぱり分からねぇが、とにかく嫌な予感しかしねー……」
余談だが、この日よりタルティカ東部国境砦の警備責任者、相澤ジョージの気苦労が倍になったという。




