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第22話 引き受けた

「なるほど」


 わたしがこれまでの経緯を話し終えると、わたしの対面に座っていた黒髪の男性が、納得した様子で口を開きました。


「つまりランド王国宰相ゴズンドは、王国騎士団団長の暁グラスを城から追い出すためにあなたを利用しようとした。それをたまたま聞いてしまったあなたは、ひとりその大使館から逃げ出して来た。ここまではいいかな」


 黒髪の男性は、その若い見た目からはかけ離れたとても落ち着いた物腰で、わたしに話しかけてきました。


 この方のお名前は花村天さま。


 花村さまは、追っ手に捕らえられたわたしを助けてくださった、いわばわたしの命の恩人です。ちなみに花村さまのお仲間の皆さまは、お一人を除いて、わたしと花村さまのお話を少し離れた場所から聞かれております。


「……はい。それで間違いありません……」


 わたしは恐怖を押し殺して、花村さまの言葉に頷きました。当時のことを思い出すと今でも体が震えてきます……。


「大丈夫ですか?」


 わたしの隣で、わたしに寄り添うようにして座られていた青髪の女性が、気遣わしげにこちらを覗き込んできました。そのお顔があまりにもお美しかったので、わたしは場違いにも見惚れてしまいました。


「決して無理をしてはなりませんよ?」


「は、はい!」


 思わず声をうわずらせてしまいました。恥ずかしい。わたしが咄嗟に顔を伏せると、青髪の女性はわたしを安心させるように優しく頭を撫でてくれました。


 わたしには未だに信じられません。


 この女神さまのようなお方が、かの忌まわしき『呪いの姫君』だなんて……



 ◇◇◇



 ランド王国の第二王女アシェンダが彼女の存在を知ったのは、四歳の誕生日を迎えた時のことである。


 その日アシェンダは熱を出した。


 幸い幼い王女の熱は翌々日には引いた。だが当初予定されていた彼女の誕生パーティーは、当然ながら中止となった。王族絡みの大規模な催しであったため、最初はアシェンダの双子の兄であるアニクさえいれば、パーティーを中止する必要はない、という意見が相次いだ。


 だが、結果的に王族兄妹の誕生祝いのパーティーが開かれることはなかった。


「やだやだやだ! アシェンダと一緒じゃなきゃ絶対やだーッ!」


 パーティーの主役たる当のアニクが、病にうなされる妹から片時も離れようとしなかったのだ。アニクの母、第二王妃ジェーンがいくら説得しても、幼い王子はこれまで見たこともないほどの癇癪を起こし、いやだいやだと首を横に振り続けた。


 これはきっと『青髪の呪い』のせいだ。


 参列者たちは口々に言った。それはランド王国の王族や貴族らの間では有名な話で、城に勤める兵士や侍女なども必ず一度は話の種にする、王家にまつわる逸話である。


 ランド王家には青髪の呪いがかけられている。


 ランドの城に住む者たちは、城内や王国内でなにか不幸なことが起こると、決まってとある姫君のせいにした。


 元ランド王国第一王女アクリア。


 皆から『呪いの姫君』と揶揄されるその王女は、アシェンダが生まれる以前に王室から追放された、自分の腹違いの姉にあたるひとである。高熱で寝込んでいた最中、傍らにいた心配症の兄が、ひたすら城の医師や世話役の侍女たちを質問攻めにしていた――おそらく何らかの対策を立てるため――せいで、アシェンダ自身もその話についてすっかり詳しくなってしまった。というのが。


 アシェンダが腹違いの姉、アクリアの存在を知ったきっかけであった。



 ◇◇◇



「アシェンダ姫。あなたは『青髪の呪い』という話をご存知だろうか」


「っ‼︎」


 天と王女アシェンダが対面を果たし、対話を始めてから三十分。ようやくアシェンダの緊張がいくらか和らいできたところで、唐突にその質問は投げかけられた。


「正直に答えてほしい。キミはいま隣にいる女性がどういった人物か知っているか?」


「………はい」


 数秒の葛藤の末、アシェンダは素直に頷いた。恐らくこの男性に対しては、付け焼き刃の言い訳や嘘はまるで通用しない。それまでの柔らかな物腰を保ちつつ、巨大な山の如き迫力を身にまとった彼を見て、アシェンダは子供ながらにそう悟った。


「……、……」


 そして天の質問に答えた直後。アシェンダの体にかすかな振動が伝わってきた。すぐ隣からだった。


 これは震えてる? 怯えているの?


 思わずアシェンダがそちらに顔を向けようとしたその時、立て続けに前方から容赦ない質問が飛んできた。


「では単刀直入に訊ねるが、キミは彼女を間近で見て、彼女と直接触れ合って、まだそれらの話を信じるか?」


 頭で考えるよりも先に、


「信じません!!!」


 口が答えを発していた。


「アクリアお姉さまはとてもお綺麗で、とてもお優しくて……まるで女神さまのようなお方なんです!」


 気がつけば、アシェンダは自分でも驚くほど大きな声を出していた。


「こんな麗しいアクリアお姉さまが『呪いの姫君』だなんて、絶対何かの間違いです!」


「……!」


 腰を浮かせて天に食ってかかる腹違いの妹を見て、アクリアが大きく目を見開いた。


「それに青い髪が不吉の象徴というのも変です!」


 しかしそんな姉を置き去りにして、幼い王女はさらに言い募る。


「だって、晴れ渡った青空を見て不吉だと思う人は――世の中にいないですもん!!」


 それは実に子供らしい主張だった。


「あっ」


 王族の少女はハッと我に返る。同時に羞恥心と共に口を噤んだ。自分は命の恩人になんという口をきいてしまったのか。少女は顔を伏せずにいられなかった。


「あ、あ、あの!」


 アシェンダはとにかく謝ろうとした。

 だが。


「違いないな」


 力強い同意の声が、少女が謝罪の言葉を口にすることを容認しなかった。アシェンダは咄嗟に顔を上げる。天は笑っていた。少し変化が分かりづらかったが、彼はたしかに笑っていた。


 とそこで、ふいに手を握られた。


「まさか私のこの髪をそんな風に言ってくれる方が他にもいるなんて、思いもよりませんでした」


 アシェンダがそちらに顔を向けると、やはりそこにも笑顔があった。ただこちらは非常に分かりやすい、とても素敵な笑顔だった。


「ありがとう、アシェンダ。本当にありがとう」


「え、えっと、そそ、その、」


 いろんな感情が一気に押し寄せてきて、アシェンダは頭がパンクしそうだった。その中でも群を抜いていたのは『恥ずかしさ』だ。


 澄んだ青空が不吉の象徴なわけがない!


 我ながらなんと子供っぽいことを言ってしまったのか。王族としてもう少しマシな言い方があったんじゃないか。若干九歳のお姫様がそんなことで頭を悩ませていると。


「アシェンダ王女」


 思わず姿勢を正してしまうような呼びかけがあった。見れば、対面のソファーに座っていた天が、いつになく真剣な面持ちでアシェンダをまっすぐ見据えていた。


「キミはこれからどうしたい」


「わ、わたしは……」


 どこまでも真摯な天の問いかけに、しかしアシェンダはすぐに答えられなかった。


 否、答えだけならもう出ている。


 ただそれを口に出せなかった。とてもじゃないが言えなかった。なぜならアシェンダはすでに聞いてしまったから。天やアクリア達の最終目的を。


「キミが何を言おうと、キミのことを一切責めないと誓おう。無論この約束はこの場にいる全員に適用される」


 天がそう言うと、アクリアや周りにいた他の面々が目礼や頷くなどして肯定の意を示した。それはアシェンダを安心させるための配慮に他ならない。


「わたしは……」


 小さな国の小さな王女は覚悟を決め、ありったけの勇気を振り絞り、口を開いた。


「自分の国を、ランド王国を救いたいです」


 そう言ってソファーから立ち上がると、アシェンダは目の前にいる天に、そしてこの場にいる全員に向かって深々と頭を下げた。


「だから皆さまのお力をわたしにお貸しください。お願いします!」


 それがどれほど相手を困らせる頼みなのかアシェンダは分かっていた。彼女の母国はいわば彼等の敵なのだ。そんな相手に助力を求め、あまつさえ敵国を救ってくれなどと、非常識も甚だしい。


「どうかお願いします! お願いしますッ!」


 しかし。それを知った上で。なおもアシェンダは頭を下げ続けた。幼く無力な自分にできることは、もはやそれしかなかった。


「俺たちは冒険士だ」


 と。


「キミの依頼を受けるには、それに見合った報酬を貰わなければならない」


 必死に懇願する幼い王女に対し、天は平坦な声で言った。


「……っ」


 頭を下げたまま、アシェンダは思わず口を閉じる。天の言い分が冷たいとは思わなかった。むしろ当然だと思った。何かを求める際には相応の対価を支払う必要がある。経済大国ランドの王族であるアシェンダは、幼いながらもそういった社会の仕組みを理解していた。だが――


 ――お金なんて持ってない。


 寝巻きのまま命からがら逃げ出してきた。追っ手に探知されることを用心してドバイザーも置いてきた。もちろん複数の冒険士を雇うお金など持っていない。今のアシェンダの所持品など、身につけている衣服ぐらいだ。


「あ」


 アシェンダはそこである事を思い出し、慌てて寝巻きの腰ポケットに手を突っ込んだ。


 ……あった!


 ポケットをまさぐる右手に感触があった。


 それはあの日の夜、たまたま大使館のロビーでアニクと鉢合わせた時のことだ。


『凄いだろアシェンダ! このコインがあればこの魔導器で飲み物が買えるんだぞ!』


 その時は誇らしげに自販機の使い方をレクチャーする双子の兄に「だいぶ前から知ってました」とはとても言えなかったが。今は別の意味で、兄アニクに感謝したい。


「こ、これを……」


 ポケットから取り出した『それ』を両手で持つと、幼い姫君は献上するように天の前に差し出した。


「……今は手持ちがこれしかありません」


 それはピカピカの『五百円硬貨』だった。


「ああ、あのっ、た、足りない分はあとで必ずお支払い致します! ですから――」


「――」


 天は無言でソファーから立ち上がった。


「ッ……!」


 アシェンダは悲鳴をかみ殺した。不動の岩塊。がっしりとした堂々たる体躯がこちらを見下ろしてくる。きっと怒られる。あるいは断られる。恐怖と不安に押し潰されそうになりながら、それでもアシェンダは懸命に前を向いた。


 ――よく頑張りましたね。


 ふと声を掛けられた気がした。

 このとき少女は自分が姉の腕の中にいることに気づいた。幼い姫君はすでに勝ち取っていたのだ。自分が心から望んだものを――。



「依頼料は一人頭(ひとりあたま)100円といったところだ」



 この瞬間……破滅の運命を辿っていたとある王国の歯車が、大きく変わり始めた。


「アクリア」


 まず最初に名を呼ばれたのは彼女だった。


「姉が妹の頼みを受け入れるのは、至極当然のことでございます」


 幼い妹を抱きしめながら、彼女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、そう答えた。


「カイト」


 次いで話を振られたのは彼だ。


「俺にとってもその子は身内だからね。腰を上げないわけにはいかないな」


 入り口の壁に背を預けたまま、彼は爽やかな笑顔で返事をする。


「リナ」


 呼ばれた途端、彼女はにんまりと笑った。


「カイトさんとアクさんの身内なら、特別価格で仕事を受けるのもやぶさかじゃないの」


 それはまるであらかじめ回答を用意していたかのような、打てば響く返答だった。


「シャロンヌ」


 そして最後に声がかかったのは彼女。


「ときにはそのような依頼を受けるのも、また一興かと」


 そう答えると、彼女は穏やかな表情で恭しくお辞儀をした。


「どうやら、()()()()のようだ」


「あぁあ、ぅぅあぁぁぁぁ……」


 もはや言葉にならなかった。

 幼い王女は、感謝の涙を、感激の嗚咽を、止めることができなかった。


「プリンセス・アシェンダ」


 泣きじゃくる少女の頭にゴツゴツした大きな手をのせて、彼は言った。


「この依頼、俺たち零支部特異課が――確かに引き受けた」


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