第20話 破滅の足音
「これ以上は限界だ!」
「お、お待ちください」
灯りの消えた長い通路を足早に歩く、二つの人影。
「もはや一刻の猶予も残されておらぬ。今こそ決断の時なのだ!」
「し、しかし……っ」
聞こえてくる声の質から、その二人が男女のペアだということが分かる。
「このままでは遅かれ早かれ我が国は破滅する。それが分からぬおぬしではないだろ⁉︎」
「それは……」
追いかける形で後ろをついていた女性の人影が、ふいに言葉を詰まらせる。すると前を行く男性の人影が、女性の方を振り返り、このように述べた。
「暁殿はその身を賭して『国』を守った。次は我らの番だ!」
「っ……」
暗がりの中でも分かるほど、女性の表情が悲痛に歪む。
「私とて妻と娘の命は惜しい……」
そしてそれは男性の方も同じだ。
ただ。
「だがそれ以上に、私にはこの国の貴族として果たさねばならぬ責務がある!」
彼の目には、絶望に抗う光が宿っていた。
「私はもう覚悟を決めた。おぬしも今ここで覚悟を決めるのだ――ユウナよ!」
「…………申し訳ございません、ケンイ様」
次の瞬間、ケンイの喉元に冷たい刃が突きつけられた。
「御剣ユウナ……おぬし、そこまで……!」
「私が協力できるのは、監視の目をすり抜けて情報を偽るのがせいぜいです」
そして冷たい静寂がすぎた後。微かな月明かりに照らし出された女騎士の顔に表情はなく、人形のような暗い瞳だけが、ただじっと地に倒れ伏したケンイを見つめていた。
「わかってください。家族は私のすべてなのです」
◇◇◇
小さなシャンデリアの明かりに照らされた室内。淡いオレンジ色の光が高級感あふれる家具たちと見事に調和した優雅な空間。そこはこの豪奢な建物の中でも、王族や有力貴族などにあてがわれる最上級の部屋。そんな華麗な部屋の片隅に、ぽつんと置かれた一人掛けのソファー。そこには艶やかなドレスを着た紫髪の女性が座っていた。
「…………」
彼女はランド王国の第二王妃ジェーン。
「…………」
その派手な装いとは裏腹に、ジェーンは幽鬼のような生気のない顔をして、まるで生ける屍のようにソファーに座っていた。
「えっと、あ、あの」
ジェーン王妃の膝下には幼い少年がいた。
ランド王国第二王子アニク。
先月九歳になったばかりのジェーンの実子である。
「は、母上」
「…………」
幼い我が子の呼びかけに、しかし母は応えなかった。
「その、大丈夫でございますか、母上?」
「…………」
いくら息子が話しかけても、ジェーンはまったく返事をしない。
「母上……」
「…………」
やはりジェーンは黙ったままだ。
ここ数日、アニクはジェーンと母子のコミニケーションはおろか、まともに目すら合わせていない。
「あ、あのっ」
しかしながら、アニクはその原因に心当たりがあった。
「ア――アシェンダのことなのですが!」
「……ッ‼︎‼︎」
その名を出した瞬間のジェーンの反応は劇的であった。
「やっぱり、アシェンダに何かあったのですね⁉︎ 」
そしてアニクもまた、今まで抑えつけていた不安が一気に押し寄せてくる。
「あいつ、ちょっと前からどこにも姿が見えなくて! ち、父上のところにも全然来てないって!」
王族の礼儀作法などかなぐり捨てて、小さな王子は母にすがりつく。
「あいつは、アシェンダは無事なんですよね母上⁉︎」
「………………ごめんなさい」
「え?」
それは久方ぶりに聞いた、母の声だった。
だがそれ以上にアニクを困惑させたのは。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ジェーンは突然アニクに抱きつくと、悲鳴のような嗚咽を漏らし始めた。
「ごめん、なさい……アシェ、ンダ……っ」
「母……上……」
息子を抱いているにも拘らず、そのとき母が呼んだのは、紛れもなく「娘」の名前であった。
ああ、そうなんだ。
それが答えなんだ。
このとき、アニクは幼いながらにすべてを悟ったのである。
「……アシェンダ……」
つぶらな翡翠色の瞳からポロポロと涙がこぼれる。自分はもう二度と、あの心優しい妹に会うことはできないのだ。
その日を境に、幼い王族の少年は一切笑わなくなった。




