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第10話 地図の上から消えると思え

「……以上が、昨夜私をはじめとした国境守備隊の皆が目撃した現場の状況と、今回起こった高ランクモンスターの大量発生、その解決に至るまでの全てです」


 城内はしんと静まり返っていた。

 まるで周囲の音が消えたように。


「「「………………」」」


 タルティカ王宮、玉座の間に集められた王族貴族達は、あまりの話の内容に言葉を失っていた。彼等が反応を示すまで、ジョージが話を終えてから少しばかりの時間が必要だった。


「魔技や武技を使わず、素手で準災害級のモンスターを倒しただと?」


 誰かが絞り出すように声を発した。それを皮切りに静止していた場内の時が動き出す。


「そのうえ、魔物の群れを殲滅するのに五分とかからなかったと……」

「いくらなんでもそれはデタラメだろう」

「私も、そのような話は幻覚の類としか」

「いやしかし、それならばあそこにある魔石はどう説明するのだ」


 ざわめく大広間。


「……少し前に、シスト王が言っていたことなんだが」


 そんな中。

 タルティカ国王マクドルフが、神妙な面持ちで口を開いた。


『彼を敵に回すぐらいなら、他の五大勢力すべてを敵に回した方がまだマシなのだよ』


 シストの言葉を借りた国主の声に、再び玉座の間に静寂が訪れる。


「あんときは、さすがに話を盛りすぎだろうとも思ったが」


「陛下。僭越ながら申し上げます」


 ジョージは畏まった態度で、しかし自信をもって主に進言する。


「シスト王が仰られたことは、紛れもない真実でございます」


「……そうか」


 と、マクドルフはぽつりと呟いてから。


「くふふ……うはははは!こりゃあ、是が非でもあのアンちゃんと繋がりを深めるしかねーぞおい!」


 大興奮した子供のように、壮年の王は声を弾ませて言った。


「ジョージ!」


「はっ!」


「ああ、そういうのはもういいから。それよりもテメェのマジな意見を聞かせやがれ!」


「は、はぁ……」


 だからその場のノリでころころ変わるんじゃねえよ! ジョージは心の中で叫びながら気分屋な主人の次の言葉を待った。


「ジョージ。あのアンちゃんは『色』でつれると思うか?」


 マクドルフがジョージにそのことを訊ねると、彼の両脇に控えていた王妃のひとり、三人いるうちの最も年若いエルフ族のお妃が明らかな嫌悪感を表情に宿した。一方で他の二人の王妃たちは、それが政治だと言わんばかりに不動の姿勢を保っている。ここらへんは王族としての年季の違いだろう。ジョージとしても、そういった手段に抵抗を覚える時期はとうに過ぎている。ただ。だからといってその案を支持するかどうかは別の話だ。


「率直に言って、やめた方がいいですね」


「その心は?」


「有効かどうかは別として、失敗した時のリスクが大きすぎます」


「なるほどな」


 マクドルフは納得したように顎をさすりながら、続けろとジョージに目配せする。ジョージは言った。


「その言動を見る限り、彼はとても男気のある人物だと思います」


「ああ。そいつは俺も同感だ。ついでに言えば物欲とは縁遠い人種だな、こいつは」


「はい」


 それは間違いないとジョージも思った。なにせ相手は、大豪邸を建てられるほどの魔石を気前よく振る舞う豪傑だ。そんな人物が金や物でなびくとは考え難い。であるならば女を使う。そのマクドルフの考えは実際間違いではないだろう。だが万が一そういったことを毛嫌いするタイプだった場合、もしくはこちらの思惑が相手にバレてしまった場合。そこからの挽回は困難を極める。それがジョージの見解だった。


「こういうタイプは一度不信感を与えてしまうと、信用を取り戻すのは至難でしょうね」


「ふむ」


「仮に自分なら、二度とその国を信用しないと思います」


 ジョージはきっぱり断言する。あの御仁と自分は似ている。その自覚がジョージにはあった。だからマクドルフもジョージに忌憚のない意見を求めたのだ。ジョージはそのあたりをきちんと理解していた。


「やはり愚策か」


 ぽつりと漏らし、マクドルフは苦笑する。

 

「なんなら、俺の自慢の娘どもをくれてやっても良かったんだが」


「本気でございますか、陛下?」


 正気でございますか、とも取れる声を発したのは、マクドルフの四人いるうちの上から二番目の娘。


 タルティカ王国第二王女アイーシャ。


 艶やかな黒髪と、父とは正反対の色白な肌を持つ、目つきの鋭い美姫。美男美女揃いと評判のタルティカ王家の中でも一際光彩を放つのが彼女だ。アイーシャは反抗的な目で父親を見ながら言った。


「失礼ながら、陛下。あの者はどう見ても平民にしか見えませんでしたが」


「え、嘘⁉︎ 平民っ⁉︎」


「うん。私もこないだ来たときにちらっと見たけど、あれは絶対に平民」


「……」


 高飛車な次女に続いて、長女、三女と次々と遠回しに『ありえない宣言』をする。まだ幼い四女は発言こそしなかったものの、その表情はやはり姉の姫達と似たり寄ったりだ。


 ……まだまだ若いねぇ。


 ジョージは心の中で嘆息する。事ここに至ってまだ身分云々の話を持ち出す。その時点でジョージから言わせれば、アイーシャ達はどうしようもなく世間知らずのお子さまプリンセスだ。そんなジョージの心情を代弁するかのように、マクドルフは一言。


「だからなんだ?」


「「「「!」」」」


 まさに王の一声。四人の姫は否応無しに沈黙する。マクドルフの声には反論を許さぬ迫力があった。


「こいつも先日の会談の折にシスト王から聞いた話だが、つい最近この世界に新たな『英雄』が誕生したらしい」


「なるほど」


 ジョージはマクドルフの言わんとするところを一瞬で理解し、それをすんなり受け入れた。


「それが彼というわけですね?」


「俺はそう睨んでる」


 マクドルフは自信たっぷりに頷いた。

 再び王族貴族らの間に動揺が広がる。


「で、ですが陛下! 英雄は例外なく毛髪が銀系色のはず! しかしあの者は、私や陛下と同じく黒髪でしたわ⁉︎」


「そういうとこも引っくるめて、あのアンちゃんは特別ってこったろ」


 ヒステリックに抗議の声を上げるアイーシャを飄々とあしらい、マクドルフは試すような視線をジョージに向けた。


「さて、こんな規格外の怪物を、我が国きっての兵隊サマならどう落とす?」


「当然、ここは正攻法でいくべきでしょ」


 にやりと、ジョージは即答した。


「難しく考える必要なんてない。俺達はこれまで通りソシストとタルティカの国境を守備する。そしていつかまた現場で彼と会うことがあったら、そんときゃ戦友として酒でも酌み交わせば一発ですよ」


「なんだ、よーく分かってんじゃねえか」


 マクドルフは、悪戯っぽくニカッと笑う。


「ああそうそう、そういやあの兄ちゃんからもう一つ伝言を預かってたんだ」


「……へ?」


 突然の話にジョージは思わず目をパチクリさせる。マクドルフはそんなジョージの反応を見て、渾身のしたり顔を披露した。


「『俺は明日からしばらくここを離れる。こちらは戦友諸君に任せた』――だってよ」


「!!」


 そのマクドルフの言葉が頭の中に流れ込んだ瞬間、ジョージの胸にたぎるような昂揚感が飛来した。


 ――あれほどの人物に頼りにされる。


 これで火がつかないわけがない。戦士としても、男としても。なにより彼は上辺だけでなく、しっかり自分達のことを意識してくれていた。それがジョージにはたまらなく嬉しかった。だが……


 ……このオヤジ、また俺をダシに使いやがったな!


 ジョージは主従関係などお構いなしに、己の王にジト目を向ける。自分がこの場に呼ばれた本当の理由がようやく理解できた。一方のマクドルフは、相変わらずどこ吹く風とばかりの太々しさを見せていた。


「ま、要するに留守を任せるにしても今のテメェらじゃ頼りねえから、その魔石使ってちったぁマシになれってこったろ」


「……」


「うははははは! なかなかどうして食えねーアンちゃんだな。ええ、おい!」


「それはあなたもでしょ」


 ジョージはため息をついた。結局またこの人の手の平の上でいいように踊らされた。つまりはいつも通りである。


「そう目くじら立てんなって」


 とくに悪びれた様子もなく、むしろしてやったりという顔で、マクドルフは言った。


「んじゃ、もうテメェに用はねえから、さっさと貰うもん貰って自分の持ち場に戻りやがれ」


「へーへー、それは心からありがたい話で」


 せめてもの皮肉を返しつつ、ジョージは床に転がった三つの魔石を皮袋に戻し、立ち上がった。


「でも、本当にいいんですか? うちの隊がこれ全部もらっちまっても」


「仕方ねえだろ。タルティカは魔石に税金とってねーんだから」


 マクドルフは一瞬本気で残念そうな顔をしたが、すぐにいつもの調子を取り戻す。


「ま、その代わり、貰った分はしっかり働けよ」


「もちろんです。帰ったら隊員全員に発破をかけねえと」


 そこだけは素直に頷いておく。マクドルフは満足気に玉座からジョージを見下ろした。


「ジョージよ。これからも部下ともども日々の務めを果たし、かの者との繋がりを存分に太らせよ」


「はっ!」


 守備隊式の敬礼をすると、歴戦の兵隊は回れ右して速やかに玉座の間から出ていく。軽快でいてどこか生き急ぐような足取りが、男が一秒でも早く持ち場へ戻りたいという気持ちを代弁していた。



 ◇◇◇



「……さて」


 遠ざかる足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、マクドルフはおもむろに口を開いた。


「これで分かったろう、お前ら?」


 無機質な声を発し虚空を見つめながら、マクドルフは彼等を呼びつけた本題に入る。


「昨晩、我が国で起きたことは全て嘘偽りのない事実である。これらを踏まえた上で、お前達に言っておく」


 勲章授与式などという口実を作り、現場にいた証人の兵士と国の有力者の大半を緊急招集したのは、すべてこのためだ。


「これより我がタルティカ王国は、ありとあらゆる手を尽くし、花村天と友誼を結ぶ」


 厳格な王の言葉が、玉座の間に響き渡る。


「無論、先に兵士長が述べたように、あちらに不信感を与えるような手段は極力除外するつもりだ。だが逆を言えば、それ以外のことはすべて行う。そして出来うる限り、かの者への我が国に対する心証を良くするよう努めるのだ」


「へ、陛下は私たちに、平民の機嫌を取れとおっしゃるのですか⁉︎」


 真っ先に非難の声を上げたのは第二王女のアイーシャ。彼女はその華奢な体ごと食ってかかるような剣幕で、父王マクドルフを睨みつける。


「父上は、この私に王族としての誇りを捨てろと⁉︎」


「なにか問題でもあるのか?」


「〜〜‼︎」


 訊き返しつつ切り捨てるような父からの返答に、アイーシャは癇癪を起こしかける、そこで。


「これ以上はダメ。陛下でも庇いきれない」


「アイーシャ。あなたの悪い所が出てるわ」


「お姉様。どうか落ち着いてくださいませ」


 そばにいた三人の姉妹姫が、一斉にアイーシャに制止をかける。いかに王族といえどこれより先は不敬罪だ。先ほどのジョージのそれとはわけが違う。


「アイーシャよ。お前も王族の端くれならば覚えておけ。誇りなどでは『国』は守れん」


「……っ!」


 物分かりの悪い娘に一瞥すら与えず、マクドルフは歴代随一と評される王の風格をその身に纏い、公然と言い放った。


「近い将来、この世界に未曾有の災厄が訪れる。いいや。先日起こったエクス帝国でのヘルケルベロス騒動、そして昨夜に起きた我が国での一件――大いなる闇はすぐそこまで来ているのだ!」


 カッと目を見開き、マクドルフは玉座から立ち上がる。


「我が国のような小国家がこれからの時代を生き残るためには、なんとしても花村天を味方に引き入れなくてはならぬ!」


 そしてマクドルフは重く低い声で、こう続けた。


「もし万が一にもかの者と敵対しようものなら……その時は、我がタルティカ王国が地図の上から消えると思え」



 ◇◇◇



 ランド王国・王城。謁見の間。


 ザワザワザワザワ……


 剣呑な空気が城内に渦巻く。団長のグラスを除く大半の騎士達、そして謁見の間に居合わせた城の兵士らが、皆殺気立った顔で武器を構え、国の恩人達を取り囲んでいる。


「…………何故このようなことに……」


 目の前の惨憺たる状況に血の気を失いながら、グラスは呻くような声を洩らした。


「……おい」


 それはぞっとするような冷たい声だった。


「これはいったい何の真似だ?」


 シャロンヌはその絶世の美貌に強者たる畏ろしさを付け加え、全身から隠しようのない怒気を漲らせる。


「俺と俺の仲間にこんな真似をして、無事で済むと思っているのか?」


「黙れ! 貴様ら全員、ただでは帰さん‼︎」


 烈火の怒声と共に鞘から剣を抜き放ち、紅色の両眼を憤怒の色に染め上げ、玉座を蹴り倒さん勢いで立ち上がる若き乱心者。


「お、おやめなさいアレックス! み、皆の者もただちに矛を収めるのです!」


 この場で唯一、必死に場を収めようと皆に呼びかける王国の英雄。しかし彼女の声は誰の耳にも届いていなかった。


「あ〜この感じ、昔を思い出すの」


 この期に及んでもなお平常運転のまま、犬娘はコキコキと首を回す。だがその瞳に宿った獰猛な輝きをグラスは見逃さなかった。それはまさしく猛獣の眼光。グラスは直感的に悟った。彼女もまた、自分と同等かそれ以上の強者であると。


「……ふう」


 そして遂に、この空間の絶対者が動いた。


「断っておくが、先に()いたのはお前らの方だからな?」


 そこんとこ間違えるなよ、と長く重たい吐息をついて、彼は着ていた礼服のネクタイを緩めた。


 ――もはや後戻りはできない。


 グラスは、ランド王国を守護する聖騎士として、ひとつの決断を迫られた。

 

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