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最大のサプライズで始まったパーティーは盛大に盛り上がり、アディは予想通りあちこちから引っ張りだこであった。従者の立場からアルバート家に婿入りしたのだから当然と言えば当然であり、その慌ただしさといったらメアリ以上である。
というより、アディにばかり人が集まっているせいかメアリはパーティーの最中も比較的ゆっくりと過ごし、それどころか中庭でくつろぐ時間まであった。結局のところ、メアリは昔も今も、そして結婚したこれからも変わらずメアリ・アルバートなのだ。今更媚を売っても仕方ないと誰だって分かっているのだろう。
「思ってた以上に楽だわぁ」
「メアリ様ってば、アディさん大変なことになってますよ」
「あら大丈夫よ、お兄様とパトリックがフォローしてくれてるみたいだし」
中庭のベンチに腰掛けのんびりと話すメアリに、隣に座るアリシアが「もう」と頬を膨らませる。もっとも、ちゃっかりとケーキを乗せた皿を手にしているあたり、彼女も咎めこそするがアディやパトリックのフォローに行く気はないのだろう。
そうして二人で慌ただしい夫と恋人を見守っていると、「あの、メアリ様…」と声がかかった。
見れば、控えめに声をかける二人の令嬢。薄いピンクのふわりとしたドレスに身を包み小振りな花飾りを風に揺らすパルフェットと、対して紺色のシックなドレスに身を包んだカリーナ。対極的な二人のドレスは、愛らしさと美しさという各々の魅力を最大限に引き立たせていた。
二人とも王女を前にして――カリーナにとっては前作ヒロインを前にして――緊張した表情を浮かべ、とりわけパルフェットは小動物のように震えている。
「パルフェットさん、カリーナさん。来てくださったのね」
「メアリ様、こ、このたびは、おめでとうございます! メアリ様がとてもお綺麗で幸せそうで、感動して、私まで嬉しくて、嬉しくてぇ……」
思いだし泣きというものか、感動で瞳を滲ませるパルフェットに、メアリが慌てて「喜怒哀楽の全てで泣くのはやめなさい!」とフォローに入る。
次いでわざとらしくパルフェットの背後にいる人物を見て「あら」と声をあげたのは、言わずもがなガイナス・エルドランドが居るからだ。体躯の良い彼の正装は様になっており、パルフェットの髪飾りと揃いの花が胸元に飾られている。
エスコート相手なのだろう。それを見て悪戯気にメアリが笑えば、言わんとしていることを察してパルフェットが慌てて首を横に振った。
「そう、結局エスコートを頼んだのね」
「ち、違います! ガイナス様は、ど、どうしてもパーティーに来たいって、メアリ様に挨拶したいって言うから!」
「そうなの? でもおかしいわねぇ、エルドランド家には招待状を出したから、別にエスコートじゃなくても来られたのに」
「ひゃっ! そ、それは……その、彼は、あの……喫茶店を、私の行きたい喫茶店を知ってたから、その案内をさせていたんです!」
パルフェットが真っ赤になって必死に言い訳をすれば、それを聞いたメアリが「そうだったのね」と返しつつニヤリと笑みをこぼした。
ガイナスに対して露骨にそっぽを向くパルフェットは見ていて面白く、それでいて意地悪したくなる可愛らしさなのだ。
「つまり、彼は喫茶店までの案内役ってことね」
「そ、そうです! それで、パーティーの時間になったから、その……どうしてもって言うから、一緒に来て上げたんです! エスコートなんかじゃありません!」
「それなら良かった。待っててちょうだい、今お兄様達を連れてくるから」
「えっ!? あ、あの、ちょっと待ってください! それは、その……!」
会場内に戻ろうとするメアリを、パルフェットが慌てて引き留める。その分かりやすい反応にメアリがクツクツと笑みをこぼせば、アリシアとカリーナが揃えたように肩を竦めた。
「まったく素直じゃない」と、そう言いたげな二人の表情は、勿論メアリにもパルフェットにも向けられたものだ。
「まだ少し早かったみたいね。それなら後で時間を作ってちょうだい」
「……は、はい。そのうち……」
視線を泳がせるパルフェットの返事は随分としどろもどろで、心にもないことが聞いただけでわかる。それに対してメアリが「少し苛めすぎたかしら」とフォローを入れようとし……ガッ!と背後から肩を掴まれた。
「メアリ様、おめでとうございます。ところで私はいつでも時間が空いておりますが」
「絶対に来ると思ってたわ……」
獲物をねらう狩人のごとく瞳を輝かせ、熱意的に早口に捲くしたてるのは言わずもがな野心家令嬢である。真っ赤なドレスは彼女の美しさを引き立たせているが、どういうわけかメアリには戦闘服にしか見えない。赤か、あの燃えさかる野心を如実に表した赤がそう見せるのか。
その圧倒的な威圧感に流石のメアリも気圧されていると、「メアリ様……」と再び恐る恐るといった控えめな声が聞こえてきた。
といっても今回はパルフェットとカリーナではなく――なにせパルフェットは「ガイナス様か、エルドランド家も大きいのよね」と呟く野心家令嬢に頬を膨らませて威嚇するのに必死で、カリーナはそんな二人を呆れたと言わんばかりに溜息をついて眺めている――見れば数人の令嬢達が気まずそうにメアリを見ていた。
彼女たちに見覚えがある……とメアリが記憶をひっくり返せば、今まで幾度となく出席していたパーティーで背中に突き刺さった嫉妬の視線を思い出した。冷ややかで、それでいて炎のように熱い視線。パトリックを独り占めしていると、いつも妬ましそうにこちらを眺めていた面々だ。
もっとも、彼女達とて今はその瞳に嫉妬の色はなく、それどころか困惑の色を浮かべていた。散々自分達の王子様を奪うと危惧していたメアリがよりによってあの結婚発表なのだから、信じられないと困惑するのも仕方あるまい。
だからこそメアリは彼女達の視線に対して余裕の笑みを浮かべ、祝いの言葉に頭を下げた。
「ありがとう」と返す言葉の裏に「もう見当違いの嫉妬も疑いも終わりにしてちょうだい」という皮肉じみた気持ちも込めておく。
そんなメアリに対し、令嬢達は気まずそうに顔を見合わせた後、ポツリと「どうして」と呟いた。
「あの、どうか怒らないで聞いていただきたいのですが……その、どうして彼なんでしょうか?」
不思議そうに尋ねられ、メアリがキョトンと目を丸くした。
彼、とは言わずもがなアディのことである。人が選んだ相手に対して、それも結婚披露パーティーの真っ最中に「どうして」とは失礼にも程があるが、彼女達はメアリと同じように政略結婚が常のこの世界に生きる令嬢だからこそ、純粋な疑問を抱いているのだろう。
あのアルバート家の令嬢が、美貌と才能と権威の全てを持ち合わせ、どんな男でも手に入れられるアルバート家の令嬢が、いったいどうして従者を相手に……と。
流石にそこまで直接的には尋ねてこないが、彼女達の視線はそう訴えている。おまけに、次々と「私はてっきり、メアリ様は……」「私はあの方と結婚されたのかと……」と明後日な男の名前をあげてくるのだ。
その殆どがメアリにとって認識のない人物なのだが、彼女達にとって『最高の王子様を独り占めできるメアリ・アルバートが選びかねない人物』であり、彼女達にとっての王子様なのだろう。
つまり、彼女達は今度こそメアリに愛しい王子様を奪われるのだと覚悟してパーティーに挑み、まったく予想しなかった人物に唖然とした……と。
それを察したメアリが苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「どうしてって言われても、そんなの決まってるじゃない」
「……え?」
「だって、アディ以上の良い男なんていないんだもの」
そう笑ってメアリが答えれば、令嬢達が目を丸くする。
あのメアリ・アルバートがここまで素直に、正直に、なにより嬉しそうに笑うのを見たことがないのだ。いつだってメアリは誰もが羨むパトリックの手を取り、それでいて頬を染めることも嬉しそうにはにかむこともなく、淡々と令嬢の役割をこなしていた。悠然とさえ感じられるその態度に嫉妬し、逆立ちしても敵わぬアルバート家の権威を見せつけられていると涙を流す者さえいたのだ。
だが今のメアリはその真逆、嬉しそうに頬を染めて最愛の人を語っている。
「メアリ様、私達もしかしたら貴女を誤解していたのかもしれません」
「そう、誤解が解けたのなら良かったわ。それで貴女達はどうなさるの?」
「どう、とは?」
疑問符を頭上に浮かべて首を傾げる令嬢達に、メアリがチラと横目で会場内に視線を向けた。
今日のパーティーは流石アルバート家と言える程の人数が集まっている。国内はおろか諸外国からも来客があり、もちろん彼女達が先程あげた『メアリに奪われるかと思った王子様』も出席しているのだろう。
「それで、また貴女達は何もしないで指をくわえて待っているのかしら?」
「それは……」
「黙って待っているだけじゃ根性だけが売りの田舎娘に掻っ攫われるって、パトリックの時に学んだでしょ?」
そうニヤリとメアリが笑うと、誰もが小さく息を飲んだ。
だがそれでも困惑の表情を浮かべるだけで動こうとはせず、変わらぬその奥手さにメアリが小さく溜息をついた。
「世の中には、言われてようやく相手のことをどれだけ愛していたか自覚するような、そんな呆れちゃうくらい鈍い人もいるのよ」
誰とは言わないけど、とわざとらしく付け足せば、それを聞いたアリシアが小さく笑う。
そんなアリシアの反応を咎めるようにメアリがコホンと咳払いをしたのは、言うまでもなく『呆れちゃうくらい鈍い人』がメアリ自身だからである。
アディに愛していると言われ、アリシアに諭され、そうしてようやく自分の心がずっと彼にあったことを自覚したのだ。その鈍さを考えれば、恥ずかしくて名前など明かせるわけがない。
だからこそメアリが改めて「誰とは言わないけど」と念を押して話し始めた。
「世の中にはそういう鈍い人もいるんだから、相手がいつか気付いてくれる……なんて夢を抱いて待つのは時間の無駄じゃないかしら? 動いたもの勝ちとは言わないけど、現に今、私達の前には動いて勝ち取った方がいらっしゃるのよ」
チラとメアリが横目で視線を向ければ、言いたいことを察してアリシアが照れくさそうに苦笑をもらした。
彼女はパトリックに振り向いてもらうために動き、相手が誰もが焦がれる王子であっても臆することも退くこともなく追いかけ続けた。そうしてついには彼の心を射抜いたのだ。身分の差、生まれの違い、数多の恋敵、それら全てを想い一つで乗り越えた。
それに……と次いでメアリが屋敷内にいるアディに視線を向ける。彼が動いてくれたからこそ、鈍い自分は胸を痺れさせるこの感情の名前を知ることができたのだ。
もっとも、想いのままに動いたからと言って必ず相手が振り向いてくれるとは限らない。リリアンヌのように術を間違えたり、カリーナのように既に遅いときもある。下手をすれば、傷つくだけで終わることだってある。
それでも……と、諭すような落ち着きのある声色でメアリが告げた。
「動くのはとても勇気がいることよ、相手に嫌われてしまうかも知れない、はしたないと思われるかも知れない、そんな不安があるのも分かるわ。それでも……私は、そうやって動ける人をとても素敵だと思う」
まるで愛おしむようなその声に、中庭が一瞬シンと静かになる。
そんな静けさを破ったのは、会場から聞こえてくる軽やかな音楽。曲調が変わったあたり、ダンスでも始まったのか。
「せっかくだし、皆さんどなたかダンスに誘ってみたらいかが?」
名案だと言わんばかりのメアリの発言に、それを聞いた令嬢達が驚いたように目を丸くさせた。
女からダンスに誘うなどと考えたこともなかったのだ。いつだって最初の一曲はエスコート相手と踊り、その後は男性からの誘いを求めるように只ジッと見つめるだけ。良くて親や知人のツテを使うぐらいだ。
だからこそ、そんな非常識な……と訴えかねない令嬢達の表情に、メアリが悪戯気に笑って見せた。
「あら、今日はアルバート家の変わり者の令嬢が従者との結婚を披露した日なのよ? 女が男をダンスに誘うなんて、驚くようなものじゃないわ」
ニヤリと笑いながらメアリが告げれば、誰もが目を丸くさせて顔を見合わせた。相変わらずの変わり者ぶりだとでも言いたいのだろう。
だが徐々にではあるがその表情が変わっていくあたり、彼女達なりに思うところがあるのだろう。今度こそ愛しい王子様を誰にも奪われたくないと、胸に秘めているだけではまた奪われてしまうと、そんな焦るような想いがあるのか。それでも今までの待つだけの習慣が楔のように足を絡め、互いに困惑を浮かべて顔を見合わせる。
会場と中庭をつなぐ通路からアリシアを呼ぶ声が聞こえてきたのは、ちょうどその時である。
相変わらずグイグイくる野心家令嬢、番外編として彼女の短編を一本用意しているので、感想で好意的な意見を頂けて安心しています。
ちなみに、彼女の名前に関しての感想も頂きましたが実は既に出ております。
この作品は極力メインキャラクター以外の名前を出さないように書いていますが(キャラクターの名前を覚えるのが苦手で、読む側としても書く側としても名前がいっぱい出てくると混乱するんです……)一箇所だけ、今まで出てきていないキャラクターの名前が出ています。実はそれが彼女の名前です。笑




