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昼食を食べ、アディと二人でのんびりと庭を散歩する。
ちなみにアリシアは既に王宮に戻っており、昼食のデザートにはメアリにだけ特別にクッキーが添えられていた。それと『またお泊り会をしましょうね』という可愛らしい文字で書かれたメッセージカード。もちろんこれはアリシアの置き土産である。なんとも素朴で、そして彼女らしい。
微笑ましく見つめてくる家族の手前どうしていいのか分からず、メアリは気恥ずかしさを感じつつ「宿代がクッキーだなんて、アルバート家も安く見られたものね」と文句を言いつつ普段より幾分大口でクッキーを齧った。
「クッキーの置き土産なんて、アリシアちゃんも可愛い事しますね」
「クッキー程度で許して貰おうなんて、田舎娘はずうずうしいのよ! 次はクッキーだろうとマフィンだろうと追い出すんだから!」
「コロッケなら?」
「ふむ……。だ、駄目よ、追いだすわ!」
一瞬絆されかけ、メアリが慌てて首を横に振る。ひらひらと水色のリボンを揺らし、次いで改めるようにふぅと深く息を吐いた。
そうして何事もなかったかのように周囲を見回す。
アルバート家の庭園は今日も美しく、花々が咲き誇り、食後の軽い運動には最適だ。
だが先程の騒々しさを忘れさせてくれる長閑さ……とまでは残念ながらいかない。
なにせ散歩の最中にも来客の姿があり、父はどこか兄はどこかと聞いてくるのだ。果てにはメアリにまで媚を売ってくる始末。挨拶どころかやたらと話を広げようと食い下がる客をなんとか躱したのはもう何度目か。
「みんなしつこいわね。そろそろ『私学生なので難しいことは分かりませんの』って無関係を装うのも潮時かしら」
「流石にここまでくるとお嬢も無関係は貫けませんからね。それどころか、お嬢こそが跡継ぎではと考える方もいますし」
「だから何度も言うけど、私が跡を継ぐ可能性なんてありえないのよ」
メアリがうんざりだと訴える。
アルバート家には優れた嫡男が二人もいるのだ。なのに娘に後を継がせるなど、馬鹿げた話もいいところである。それを何度も訴え、宣言し、国中に張り紙をして回ったっていいくらいに伝えてきた。
だがいかにメアリが「あり得ない」と断言しても、周囲は簡単には引いてくれない。『誰が継ぐか分からないなら、いっそメアリ様に賭けてみようか』等と考える者もいるのだ
なんとも欲深く打算的な話ではないか。おまけにギャンブル感覚ときた。
その渦中に居るのだと考えれば、思わずメアリも溜息すら出ず額を押さえてしまう。
「息子の居ない家ならまだしも、なんでそこで娘の私が出てくるのよ」
「お嬢はご自身で思うより有力候補なんですよ。アリシアちゃんとも親しいし」
「あんな鶏時計で猪のように突っ込んでくる王女様となんて親しくないわ!」
冗談じゃない! とメアリが喚けば、アディが白々しく「そうでしたね」と答えた。
どことなく歯切れの悪い声で「親しくなんてありませんでしたね」と言い直す彼のなんとわざとらしい事か。
「所かまわず抱き着いて喚いて、あんな品の無い子と親しいなんて思われたら、こっちの品位まで疑われるわ! 昨日の夜だって無理やり私の布団に入ってきて、一睡も出来なかったんだから!」
「その割には、お嬢が起きてきたのは昼だったように思えますが」
「ほ、本当に一睡も出来なかったのよ! ちょっとうとうとして、たまにあの子の金の髪を弄って、うとうとしてただけなんだから! うとうとして、気付けばお昼前だったのよ!」
喚くように訴え、メアリは銀の髪を手でふわりと掻き上げ……ようとして、編み上げていたことを忘れてスカッと空振りした。片手がむなしく空を掻く。
そんなメアリをアディが愛でるように苦笑を浮かべて見つめるが、次いで聞こえてきた声に二人揃って振り返った。
メイドに案内され、庭を歩いて来るのはパトリックだ。風に藍色の髪を揺らす、その姿は咲き誇る花さえも霞むほどに麗しい。整った顔付きは勇ましさと知性を感じさせ、スラリとした高身長はまさに王子様……。
なのだが、その王子様も今日は顔をひきつらせていた。
パトリックらしからぬ表情だが、背後にぴったりと一人の青年に張り付かれていれば仕方有るまい。さすがのパトリックも、背後から漂う鬱々とした空気には表情を取り繕いきれないらしい。
「やぁメアリ、アディ。探したよ。昨夜はアリシアが邪魔をしたそうだな」
「ご機嫌ようパトリック。文句を言ってやりたい気分だけど、ここはお互い様って事にしない?」
「そうだな、痛み分けにしようか。ところでルシアン、そろそろ離れてくれないだろうか」
パトリックが諭すように声を掛ければ、ルシアンと呼ばれた青年がそっと彼から離れた。
ついでスススとメアリの隣に並ぶ。銀の髪に青い瞳、幼さの残る整った顔つき、並べば誰だって兄妹だと分かるだろう。
彼こそルシアン・アルバート、メアリの兄の片割れである。先程のラングとは双子なのだが、纏う空気は真逆である。陰と陽といっても差し支えないほどだ。
おかげで、瓜二つのはずなのに二人並んでも誰も間違えることは無い。
陰気なルシアン、陽気なラング。
この陰陽の間に挟まれているメアリは常々「足して三で割りたい」とぼやいていた。二で割るのはなく三である。
「ルシアンお兄様は中庭に逃げてきたのね」
「あぁ、朝からひっきりなしに客が来て、おべっかばっかでうんざりしてたんだ……。はてにはダイス家の王子様まで我が物顔でうちを歩き回ってる……アルバート家が乗っ取られる日もそう遠くない……」
「お兄様ってば、そんなこと言わないでちょうだい」
ルシアンの恨みがましい言い草に、メアリが呆れを込めて彼を咎める。こちらの兄は何かと言うと悪い方に捉えてしまうのだ。
だがメアリが咎めても彼の恨みは晴れないようで、忌々しげにパトリックを睨みつけた。じっとりとした瞳は随分と恨みがましげだ。
ちなみに見上げる体勢になっているのは、アディとラングの時と同様、パトリックとルシアンの身長差ゆえである。
「アルバート家とダイス家は昔から懇意にしていて、パトリックには何度もメアリのエスコートを頼んでいた。それなのに、まさか俺達の可愛いメアリとの婚約を蹴るなんて……」
「ルシアン、その件に関してはメアリときちんと話し合ったうえなんだ」
「巷じゃメアリは自ら身を引いたなんて言われているが、詳しく話を聞けば振られたと言うじゃないか。幾度と無く俺達の可愛いメアリの手を取りながら、いざ結婚となると別の女性……。そのうえ十一歳で俺達の身長に並び、十二歳になると悠々と身長を抜かして、今じゃ比べるまでもない……」
「まだそのことを言ってるのか」
「さっきだって背後から縮めと念じても一ミリも縮みやしない……」
「縮んでたまるか」
パトリックが呆れた声で肩を落とす。
それを聞き、かつデジャブを覚え、メアリが盛大に溜息を吐いた。
先程のラングといい、ルシアンといい、兄達は身長に拘りすぎである。むしろ拘っているのは身長だけで、これにはメアリも「そんなこと気にしている場合じゃないでしょ」と訴えたくなってしまう。
当主はまったく跡継ぎを決める様子なく、当の二人の子息に至ってはこれなのだから、なるほどアルバート家の跡継ぎ問題で皆が奔走するわけだ。
「ルシアンお兄様、今は身長の事を気にしている場合じゃないでしょ。お父様達と話して、さっさと跡継ぎを決めてちょうだいよ。何だったらもうくじ引きにしましょ」
これ以上振り回されるのはたまったものじゃないとメアリがルシアンを急かす。――さり気なくクジ引きを進めておくのも忘れない――
それに対してルシアンはじっとりとした瞳でメアリを見つめ、そっと肩に触れてきた。陽気なラングと比べると鋭気の欠片も無いが、メアリを見つめる瞳の奥にはいつだって優しさがある。
「クジ引き……?」
「えぇ、当主の証である懐中時計と同じものを作って、箱に入れるの。お兄様達が同時に引いて、本物を引いた方が当主よ!」
名案でしょ! と瞳を輝かせながらメアリが説明する。
これに対して溜息を吐いたのはパトリックだ。「クジ引きなんて、何を馬鹿な話を……」と呟かれた彼の言葉に、アディも頷いて同意を示している。
もっとも、熱意的に語るメアリを前にするルシアンはと言えば……。
「さすが可愛いメアリ、なんて斬新な発想なんだ……!」
と、感動を露わに妹の提案を褒め称えだした。
「そうでしょ! ラングお兄様も褒めてくれたのよ!」
「クジ引きなんて考えもしなかった。自分の平凡な考えが嫌になる……。メアリは天才だ、きっと社交界に革命を起こすに違いない……!」
「嫌だわ、そんなに褒めないで」
ラングに続いてルシアンにも褒められ、メアリの瞳がパッと輝く。
やはりクジ引きは名案だったのだ。思わず「パーティーを開いて皆の前でクジ引きよ!」と提案すれば、ルシアンがどんよりとした顔つきながらに拍手と共に頷いてくれた。
その際の「クジで余生の運を使い果たすのも良いな」という言葉は些か不穏な空気が漂っているが、彼なりの賛同である。
このやりとりに、見守っていたパトリックが今日一番の盛大な溜息を吐いた。
「ルシアン、昔から言ってるが、何から何までメアリを肯定するのは止めた方が良い。彼女の奇行の原因は君達兄弟にあるぞ」
「……上からの声は聞こえない」
「そうか、それは残念だ」
ルシアンにあしらわれ、パトリックが溜息交じりに肩を落とす。
そうして呆れ果てた声色で「クジ引きパーティーには是非呼んでくれ」と告げるのは、忠告こそしたものの、ルシアンのメアリ贔屓が今更直るわけが無いと分かっていたからだ。
アルバート家とダイス家の付き合いは長く、パトリックはメアリ同様にルシアン達とも幼少時から付き合いがある。それこそ互いの身長と成長ぶりを把握するほどに。
そして幼少時からアルバート家の二人の子息はたった一人の妹を溺愛し、何をするにも絶賛し、蝶よ花よと誉めそやしてきたのだ。
メアリが自転車に乗れば「さすがメアリ、素晴らしい運動神経」と拍手を送り、市街地のベンチでコロッケを食べれば「道端でも品の良さが漂っている」と褒め称える。
陰陽で真逆な双子ではあるものの、メアリ溺愛は一貫しているのだ。
その結果メアリは兄達の後押しを受けてのびのびと奇行に走り今に至る。
今もクジ引き案に瞳を輝かせ「外れの懐中時計も宝石を使って豪華にしましょう。入れる箱は大理石で作って、引くタイミングは楽団の演奏に合わせるのよ!」と無駄に豪華さを演出しようとしている。
これはもう止まらないな……とパトリックが藍色の瞳を細めた。――真面目なパトリックは昔から彼等の暴走を止めようとしていたが、年々諦めが早くなっている――
「確かにどっちが継いでも良いのなら、いっそクジ引きでも良いのかもしれないな」
「あぁ、ついにパトリック様までクジ引き派に……。諦めないでください、俺じゃルシアン様とお嬢を止められませんよ」
「俺だって止められない。二人を止められるのなんて……」
言いかけ、パトリックがふと視線を他所へと向ける。
次いで「ようやく回収が来た」とほっと安堵の息を吐いた。




