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「お会いできて光栄です」
そう話すルークに、メアリもまた上品に礼を返した。
居るだけで威圧感を与えかねないほどの大柄な男だ。強面で声も低い。だが根は紳士的な性格なのだろう、口調は丁寧で、向かい合う女性を怖がらせまいとしているのが分かる。
対して彼の隣に立つベルティナは相変わらずで、メアリに挨拶こそするが視線はアディに向けられたままだ。それどころか、挨拶が終わるやアディと踊りたいと言い出した。
「ベルティナ、失礼な事を言うんじゃない」
「あら、アルバート家では、メアリ様達が様々にパートナーを替えて踊ると聞きましたわ。アディ様も、アリシア様やパルフェット様、それどころかパトリック様とも踊ったことがあると。それなら私と踊ってくださってもよろしいでしょう?」
じっとアディを見上げつつ強請るベルティナに、アディが困惑の色を見せる。
参ったと言いたげな表情は断りたそうだが、断って今よりメアリに敵意が向くのではとも考えているのだろう。とりわけ今夜のパーティーはバルテーズ家が主催、その親族にあたるベルティナを無下には出来ない。
これにはメアリもどうしたものかと考えを巡らせ、
「そうね、アディ。一曲付き合ってあげて」
と肩を竦めた。
両者の立場を考えれば、一曲譲って穏便に済ませるのが得策だろう。
「畏まりました。ですがお嬢……いえ、メアリ様、その後は」
「分かってる。私と踊ってちょうだいね」
「じゃぁその後は私とですね! メアリ様!」
「では行ってまいります。ベルティナ様、どうぞこちらへ。……アリシアちゃん、さらっと入ってきたけど俺は譲らないからね! パトリック様、俺と踊りたくなければちゃんとアリシアちゃんを捕まえておいてくださいよ!」
パトリックに念押しし――それに対するパトリックの「善処する。というかいつだって善処してるんだがな」という返事は彼らしからぬ切なさが漂っている――アディがベルティナへと手を差し出す。その手に己の手を重ねるベルティナの嬉しそうな表情と言ったら無く、対してメアリに向ける表情は得意気だ。
まるで奪ってやったと言わんばかりではないか。
そんな二人を見届ければ、ルークがまったくと言いたげに溜息を吐いた。
彼からしてみれば、婚約者が自分の目の前で他所の男を誘ったのだ。無礼どころか侮辱と取り、今すぐに婚約を破談にしてもおかしくない。
だが今のルークには怒りの色もベルティナを咎めようとする様子もない。それどころか、メアリに対して申し訳なさそうに頭を下げ、少し話がしたいと場所の移動を促してきた。
ルークに連れられ、屋敷を出て庭園へと向かう。
当然のようにアリシアとパトリックがついてくることにメアリが文句を言おうとし……やめた。アディがベルティナと踊っている、そんな最中にメアリとルークが二人で話していれば、余計な噂を立てられかねない。
複数いれば、まだ雑談と取られるだろう。……それに、胃もたれが悪化し不快感に苛立ちまで混ざり始めているのだ。二人きりでもしメアリの意にそぐわない話でもされたら、ルークに八つ当たりしてしまいそうだ。
そんなことを考えつつメアリが彼に視線を向ければ、盛大に溜息を吐くと共に改めて今回の件を謝罪してきた。
「ベルティナのバルテーズ家と我が家は昔から懇意にしており、両家に男女が生まれたら結婚させようと昔から決めていたようです。なのでベルティナは、生まれる前から俺と婚約することを決められていました。十以上も年齢の離れた俺と……」
「まぁ、そうでしたの」
「そのせいか、ベルティナの両親も自分の両親も彼女を可愛がり、甘やかしてしまい……」
「それであの我儘娘なのね」
納得したとメアリが頷く。
政略結婚が珍しくない世の中、ベルティナのように生まれる前から嫁ぐ相手が決まっている令嬢も少なくない。
そして世の親は子息令嬢の婚約相手を勝手に決めておきながら、若干の後ろめたさから彼等を甘やかしてしまう。「婚約者も決まっているんだから」という考えもあるのだろうか、多少の我が儘や甘えに目を瞑ってしまうのだ。
とりわけベルティナとルークの歳の差は十以上離れており、彼等の親にはその負い目もあったのかもしれない。
メアリとて、一時は自分の意思など全く考慮されずにパトリックと婚約させられたのだ。破談になり両親は自由にさせてくれたが、下手したらアルバート家繁栄のためにと一回り以上年齢の離れた相手に嫁がされていた可能性もある。
それを思えば、ベルティナが我儘娘になり、そのうえメアリに対して敵対視してくるのも納得である。
彼女の前世がドラ学のアディを好きだったのなら尚の事。
ルークは強面で体躯が良く、威圧感のある男だ。アディとは系統が違う。とりわけベルティナが惚れていたのが『ドラ学のアディ』ならば、きっと彼女は繊細で苦難に生きるような青年が好みなのだろう。残念ながらルークは当てはまりそうにない。――繊細で苦難云々に関して言えば、アディ本人も全く当てはまらないのだが――
恋は叶わず、そのうえまったく好みではない年の離れた男に嫁がされる……。その結果がメアリへの嫌がらせ、つまり八つ当たりだ。
よりいっそう憎めなくなるわ……とメアリが溜息を吐いた。
「自分もベルティナを妹のように思い、結婚するまでは出来るだけ自由にと甘やかしていました。ですがまさか、メアリ様の前であんなことを……」
「私は構わないけど、貴方も大変ね」
年下の我が儘な令嬢と婚約させられ、そのうえ彼女は名家令嬢に喧嘩を売り、目の前でその夫をダンスに誘ったのだ。
周囲はベルティナを『政略結婚のため年の離れた男に嫁ぐ令嬢』として甘やかしていたのかもしれないが、メアリからしてみたらルークこそ『厄介な令嬢を押し付けられた子息』と憐れみたいところだ。
それが顔に出てしまっていたのか、ルークが苦笑と共に肩を竦めた。
「ベルティナの事は可愛いと思っていますし、この婚約に文句はありません。……だからこそ、妬いてしまうんです」
「妬く?」
「えぇ。さっきも、本来ならば婚約者としてベルティナを止めるべきなのに、アディ様に妬いてしまった」
恥ずかしい話だとルークが頭を掻く。
パトリックがぽんと彼の胸元を叩くのは、同じ男として慰めるべきだと判断したのだろうか。そんなやりとりを、メアリはパチンと瞬きしながら見つめていた。
妬いてしまう……とは、やきもち、つまり嫉妬だ。ルークは、アディにその気が一切無いと分かっていても、そんな場合ではないと理解していても、ベルティナに求められるアディに嫉妬したのだという。
「でもベルティナさんとは婚約しているんだから、嫉妬する必要なんて無いじゃない」
「そうもいかないものなんです。お恥ずかしい話ですが、頭では分かっていても、心が追い付いてくれない」
「……心が」
ルークの話を聞き、メアリが自分の胸元に視線を落とす。赤色の花が飾られている。アディと揃いで飾った花だ。
だが今その花は、彼と踊るベルティナの視界にある。もしかしたらダンスに乗じて、ベルティナはアディに抱き着いているかもしれない。足を踏み外したふりさえすれば、相手が誰であれアディは支えるはずだ。
それを考えれば、花を飾っている胸元が妙にもどかしく感じる。
言いようの無い焦りが、まるで花から融け込んで胸を苦しめているようではないか。思わず胸元を押さえるも、それで楽になどなってくれない。
「……まさか、花を食べ物だと勘違いして胃もたれをしてるの? 誤認識にも程があるわ。……でも生花を飾った料理はいいわね。渡り鳥丼屋のデザートに提案してみようかしら」
そんな事をメアリが呟けば、どうしたのかとルークが名前を呼んできた。
心配そうな彼の声にメアリがはたと我に返り、軽く首を振って頭の中の雑念――という名のメニュー案――を掻き消した。




