食べ物を恐る猫
嗚呼、恐ろしい恐ろしい。
人は誰しも、その様な故以って夜を明かした事があるものと思われます。幼児のすすり泣く声、一つ目の坊主、首の無い女。或いは、蟲や猛獣の類い。誰しもが何かに怯え、誰しもが何かを恐れるので御座います。
はてさて、いつもの通り猫にしてもそれは変わりません。本日は、恐れるものについての話に御座います。
其処は、都の社。最も高貴な者の住む、都一番の建物に御座います。その日の昼間には一年で最も大きな催事があったばかりでありまして、人間も猫も疲れ切っておりました。
「いやぁ、今年は一段と騒がしかったね」
社に仕える猫の内の一匹。呼金がその様に申しました。
「輝姫様にも困ったものだ」
社に仕える猫の内の一匹。大吉がその様に申しました。
実のところ申しませば、確かに今年の祭事は大変騒がしゅう御座いました。無論いつも大変な盛況ではありますが、それでも今年の半分も騒ぎません。と言いますのも、大吉の言う通り、輝姫という社の主人の猫がその原因でありました。
「輝姫様には、ここで一つ落ち着きというものを知って頂きたい」
「いや、それは確かにそうだがね。大吉、言って聞く方ではないだろう」
「然り、然らば、なんとする」
実の所申ませば、その相談をする為に呼金を呼び付けたのでした。
ただ、どうにも妙案は浮かばぬようでした。
「それが分かれば苦労はない」
「だろうか。だろうな」
二匹は頭を抱える。ついでに前脚を舐め、毛並みを整えた。
「何故外になんて行きたがる。おっかないだろう外なんて」
「それについては同意しかねるがね」
呼金は、普段から社の外と中を行き来する自由猫でありました。屋敷猫の大吉とは、話が噛み合わぬ事もままあります。
「呼金ならばそうかもしれんが、輝姫様はあれでいて怖がりだ。あんなに怖がるのなら、外など行かなければ良いだろう」
「むう、確かに一理ある。事実、今日は怖がって奥の部屋から出てきやしなかったと言うじゃあないか」
「そうだ。輝姫様がいらっしゃらないという事で、社中がそれはそれは大騒ぎだった」
「道理で。表に出ていた私にも聞こえるくらいの大騒ぎだった訳だ」
呼金は一日一般客を相手にごろにゃんとしておりましたが、それでも社の中の騒ぎは聞きつけておりました。それ程の大騒ぎで、大慌てでありました。
「一体、輝姫様は何に怯えていたのだろう」
「ふぅむ、見当も付かないな。しかし、それが分かるのなら、此度の様な事は避けられるかもしれないな」
さて、此処からの御話は、輝姫の怖い物は何かという点に終始致します。それ自体は何一つ問題になるようなものではありませんが、しかし今回は間が悪う御座いました。
なんと、輝姫が屋根の裏に潜んでいたのであります。屋敷の中を隠れ回っていた輝姫が、偶然にもこの場へと鉢合わせたのでありました。
なにやら、自分の嫌いな物について話している。そう思った輝姫は、しばらく二匹の話を聞く事と致しました。
「輝姫様は水が苦手であろう。猫は皆そうだが、輝姫様は殊更に嫌っておられる」
「成程、然り。私もそう思う」
一体何の話だろうか。自分の苦手を聞いてどうするというのか。輝姫は、どうにも不安でなりません。
「輝姫様は虫も苦手だぞ。外によく出られる割に、外を飛ぶ蝶々から逃げている所を御見掛けした」
「おお! それは誠か!」
ああ!! 何故それを知っておるのか!?
「ヒラヒラと舞う様が捉え所がなく恐ろしかったようだ」
「およそ猫のそれではないな」
黙れ大吉!
輝姫はとうとう我慢できなくなり、二匹の会話に入る事としました。
「これ、其方等よ。こんな所で何を話しておる」
「おや、これは輝姫様」
屋根裏より音も無く這い出た輝姫は、何食わぬ顔で大吉達へと話し掛けました。
「恐ろしい物の話をしておりました。お恥ずかしながら、我らにも恐ろしくて仕方のない物があります故」
「然り、然り」
二匹はそう言って頷き合います。輝姫の恐れている物を詮索していたなどと言うのは、流石に憚られました。
二匹は輝姫をどうこうしようとなど考えてはおりませんが、本猫のいない場所で話されているのは不愉快だろうと思っての方便であります。
しかし、そうとは知らぬ輝姫。彼女の愛らしい瞳から見れば、二匹は悪事を働こうとしている不敬者でありました。
「ほう、ほう、私も怖い物がある」
輝姫は、敢えて自らそう言います。
「私は、鰹節が恐ろしうて敵わん」
恐らくは自らの行動を咎める算段をしていたのだろうと考えました輝姫は、二匹に対して先手を打つ事としたのであります。
つまり、本当ならば恐ろしくはない物を恐ろしいと騙り、二匹の策を挫こうと思い至りました。
輝姫の言葉を聞いた大吉と呼金は大層驚き、猫の目を望月の様にまんまるにしました。
それもその筈。鰹節は、二匹の大好物でありますれば。
「鰹節が御嫌いでしたか!」
「これは意外!」
実の所、輝姫は鰹節が大好物であります。なので、もしも二匹が鰹節を持って来たならば儲け、という風に考えておりました。
いやしかし、世とはそう上手くいかぬもの。それは、この猫の本においても変わりません。
「今度から、輝姫様の食事からは鰹節を外す様手配致そう」
「それが良い、それが良い」
「え?」
まさか、二匹が何の裏もなく話しているとは思わなかったのであります。
こんなわけですから、輝姫は本当ならば大好物の鰹節を食べる事ができなくなりました。しかし仕方ありますまい。こう言ってはなんですが、自業自得でありますから。




