狩りをする猫
復讐は何も産まないなどという言葉は、人の世に於いて一つの真理と言えましょう。或いは反論もありましょうが、少なくとも産み出すという点においては間違いがないものと思われます。しかし、産み出す事ばかりが有意義なのかと言われれば、それもまた異なるものでしょう。この言葉遊びの様な問答は、古くから永く親しまれているものと存じます。
皆様方が親しまれている童話にも、やはりそんなものは多く存在します。
其処は、とある山麓。一人の老父が畑の隅で罠をこさえていました。木や石等がぶつけられる音は小気味良いものの、周りには獣を生け捕る様々な猟具が散らばっております。老父はつい先日に妻を亡くしたばかりであり、頬には涙の跡があるのでした。
「御老体、どうかしたかい」
猫が一匹現れて、老父に問い掛けました。猫は鬼青と言って、自由気ままな旅猫であります。
「山の狸に婆様がやられちまった。狸を獲る為の罠を仕掛けているんだ」
「ふぅ〜ん」
そう言ったきり、鬼青は通り過ぎてしまいました。特に興味はない様であります。なにせ、猫でありますから。老父は作業を続けまして、やがて猫に話しかけられた事も忘れてしまいました。それ程に、罠作りに必死だったのです。
そして、老父の畑を後にした鬼青も、早速老父の事など忘れてしまいました。やはり猫でありますから。興味のないものなど覚え置く筈もありません。猫であるのなら、食べ物、お昼寝、静かな場所。それ以外にはありませんから。
鬼青はお昼寝場所を求めて、山の木々を眺めて周ります。美しい木々、生い茂る緑、薫る花。その全てが鬼青にとってどうでも良い事であります。
しばらくして鬼青が最上と見定めたのは、とある大きな木の根元。太い根の窪みが、鬼青の身体を見事に収めたのであります。くるりと丸まり、御日様も当たる。鬼青が旅を始めてから最上の寝床でありました。
その眠りはなんとも心地良いものでしたから、鬼青は久方振りにぐっすりと眠りました。一日の殆どを眠って過ごすというのは、猫にしては珍しくもない暮らしであります。
しかし、眠りが妨げられるというのも、やはり珍しいものではありません。
この日の邪魔は、狸でありました。野生の獣である事を勘定に入れても更に品の無い、狸の中でも殊更に悪辣な輩で御座います。実の所、この狸こそが山麓の老婆を手に掛けた悪辣であり、老父が獲ろうとしているそれなのでありました。
無論、鬼青はそんな事は知りませんが、昼寝の邪魔をされたとあっては黙っている訳にもいきません。でっぷり太った腹を揺らす悪辣漢を前にして、一つ追っ払ってやろうと思い至ったのであります。
先日、老婆を謀って命を取った事が余程嬉しい狸は、随分と上機嫌で獣道を行きます。野生にしては警戒心の足りない様子ですが、鬼青にとっては幸いでありましょう。一歩近付き、二歩近付き、しかし足音は鳴りません。柔らかな肉球が消してしまうので御座います。なにせ猫でありますから。
太っちょ狸が通り掛かると、鬼青は木の陰から俄かに飛び出します。鬼青は猫にしては随分と大柄でしたので、狸はすっかり驚いてしまいました。
鬼青は狩が苦手でしたので流石に仕留めるまでには参りませんでしたが、慌てた狸は一目散に逃げ出してしまいました。狸ではありますが、脱兎の如く。
さて、これで困りましたのは、山麓の老父であります。狸の為に仕掛けた罠でありましたが、老父は狸がいなくなった事を知らないのでありますから。
獣が罠にかかった音がすれば忽ち現れ、老婆を手に掛けた狸がいないかと探します。しかし狸がいる筈はありません。なので、老父はどんどんと罠を増やしていくのでした。
カチカチと、カチカチと、どんどん罠を増やします。
そんな訳でして、山麓は罠だらけの危険だらけという有様でした。一度足を踏み入れて、無事で帰った獣はおりません。丁度鬼青がその山を後にした直後から、その山は猫も逃げ出す忌地として獣達に知れ渡る事となりました。
勝手気ままな猫といえど、こんな恐ろしい場所には近付きもしません。
今日もカチカチと、老父が罠を作る音が致します。
カチカチと、カチカチと。
そんな音が聞こえたならば、踵を返す事をお勧め致します。この場は猫の本。その中でも、唯一猫がいない所でありますれば。
音を印に、帰るのが宜しいでしょう。特に狸は、一目散に。




