狂った愛情
先ほどとは違う従者の声だ。マディラは焦った顔をした。
「大変!もういらしたの?」
彼女は私の首根っこを掴んだまま早歩きして、クローゼットの重い戸を開く。
「こんなことやめて!離してよ!」
うさぎだから言葉は通じない。分かっていても大声を出した。空中で力いっぱいジタバタする。
「きゃっ!暴れないでください!悪いうさぎちゃんですわね!」
マディラは怒り口調で言い、私をクローゼットの中に勢いよく投げ入れた。
頭と身体を強く打ちつけて、しばらく動けなくなる。やっと意識がハッキリしたところで、白やらクリーム色のものが大量に頭の上に押し込まれた。重い。身動きが取れない。
これ、私の着ていたコルセットとドレスだわ!ジェイドが来るから隠したのね!
そんなことを考えているうちに、クローゼットの戸は閉められてしまった。視界が真っ暗になる。
「開けて!ここから出してっ!!」と一心不乱に叫んだ。しかし声はクローゼットに反響して消える。たぶん外には聞こえていない。
どうしよう、と困っていたら、ドアの開く音と話し声がした。
「ジェイド殿下!ずいぶん早かったのですね!」
「わっ!ヒスイ!いきなり何をするのだ!」
「あっ!申し訳ありません!嬉しくて、つい抱き締めてしまいました」
「ちょっと!私の姿で何してくれてんのよ!私はそんなキャラじゃないのよ!恥ずかしいじゃないの!」
二人の姿を想像し、私はドレスの中で悶える。叫びすぎて酸欠になった。頭がくらくらする。早くここから出ないと、息が出来なくなっちゃうかもしれない。
落ち着け私。冷静になれ、と自分に言い聞かせていると、ドアの閉まる音がして、ジェイドの神妙な声が耳に届いた。
「……ところで、マディラ嬢はどこだ?少し聞きたいことがあったのだが」
「マディラ様ですか?それが、急にどこかへ行かれてしまって、まだ戻られていないのです」
「む?どうしたのだ、ヒスイ。やけにかしこまっているな。ここには私たち以外、誰も居ないのだから、敬語など使わなくていいのだぞ?」
ジェイドが不思議そうに尋ねる。
お願い、ジェイド!そいつは偽者なの!気付いて!
「ああ。そうだったわね。ごめんなさい。それより、気になることって何?」
マディラは明るく話題を変える。ジェイドは異変に気付いていないのか、落ち着いた口調で説明を始めた。
「大広間に戻ってから、一つ不可解なことを思い出したのだ。あの大きなシャンデリアが落ちて来た時。ヒスイの所へ向かおうとする私を、マディラ嬢は止めたのだ」
「それのどこがおかしいの?危ないなら止めるのが普通でしょ?」
「その時、彼女は後ろを歩くヒスイを一切見ていなかったのだ。おかしいと思わないか?シャンデリアが落ちる所を見ていないのに、彼女はなぜ私を止めたのだろう?」
「確かに変ね」
「もしかしたらマディラ嬢は、ヒスイが狙われるのを、あらかじめ知っていたのかもしれない。サルファーやヌーマイトと、何かしらの協力関係にあった可能性もある。そう感じたから、急いでお前を迎えに来たのだ」
すごい。ジェイドってば頭いいわ。それで心配して来てくれたのね。
私は感心し、ジェイドの優しさにキュンとした。
彼の意見に対して、マディラはどう答えるのだろう?
「わたしも実は、気付いたことがあったの。あそこのワゴンにビンが置いてあるでしょ?あれはヌーマイトの家に置いてあったものと全く同じだったの」
それ、さっき私が言ったセリフじゃない。どういうつもり?
「何?では、マディラ嬢とヌーマイトはやはり繋がっていたのか?」
「恐らくね」
コツコツと音が近づいてくる。うさぎの私には、それがジェイドの靴音だとすぐに解った。私は彼に助けてもらおうと、クローゼットの戸を探した。布をかき分けて進むと、縦に一本、細い隙間を発見する。目を凝らして覗くと、そこからわずかにジェイドの姿が確認出来た。彼は飾り棚の近くに立っている。
「どうしてだ?マディラ嬢は私を慕ってくれていたはず。なのになぜ、私を苦しめるような真似をしたのだ?」
ジェイドが悲しそうに眉をひそめる。彼はマディラとの付き合いが長い。受けたショックは私なんかよりずっと大きいだろう。
ジェイドの心境を考え、胸を痛めていると、偽ヒスイが彼の隣にやって来て、切なそうに言った。
「わたしの予想だけど。マディラ様は、ジェイドを愛しすぎていたんじゃないかしら。だからあなたに令嬢を近づけないようにした」
「馬鹿な。そんなことで皆を殺そうとしたというのか?自分勝手すぎるだろう」
「ええ。悲しいけど、マディラ様はそういう人だったのよ。とても可哀想な人だわ。そこまでしても、結局、愛する人には振り向いてもらえないのだから」
ジェイドが複雑な表情を浮かべている。偽ヒスイは可愛い笑みを作り、慰めるように言った。
「でもわたしは違う。わたしはあなたを苦しませるようなことは絶対しないわ。あなたを大切にする。これからも、ずっとね」
「ヒスイ……」
見つめ合う二人。ちょっといい雰囲気かも。
私は笑顔で嘘を並べ続けるマディラに、寒気がしていた。この子はもう、マディラに戻る気はない。何もかも捨てて、完全に私へなり代わろうとしている。
怖い。私はここに居るのに、あの子に全部、取られちゃう。そんなの、絶対にいやだ!
汗が全身に吹き出し、動悸がする。私は戸を開けようと、懸命に前足で押した。重くてびくともしない。
私は少し助走をつけて、何度も体当たりした。そのたびに、ドンッという鈍い音がして、分厚い戸に跳ね返される。全力の突進に毛皮の意味はなかった。身体中が痛い。息が苦しい。
「ん?今、そっちの方から音がしなかったか?」
ふいにジェイドの尋ねる声がした。気付いてくれたのだ!
「さあ。気のせいじゃない?そろそろ、ここを出ましょうか。マディラ様を探さなきゃいけないし」
偽ヒスイはさらりと促した。私の存在に気付かれる前に、ジェイドをここから追い出すつもりだ。
待って!ジェイド!行かないで!!
叫ぼうとするけど、お腹が痛くて力が入らない。
「そういえば、ヒスイ。ラズリ殿からもらったお守りはどうした?さっきまで身に付けていただろう?」
「お守り?ええと、どこへやったかしら?」
「着替えた時に外したのではないか?部屋の中を確認させてもらったらどうだ?」
「いえ!他人の部屋を探し回るなんてダメよ!お守りなんかどうでもいいわ!早く帰りましょう!」
「……やはり貴様、ヒスイではないな?」
ジェイドの低い声が聞こえた。続いて偽ヒスイの止める声もする。次の瞬間、クローゼットの戸が大きく開け放たれた。
視界が一気に明るくなり、私は身体を丸めて目をつむる。
「おい!大丈夫か!?」
ふわりと身体が浮いた感じがした。目を開けると、すぐ側にジェイドの心配そうな顔がある。抱き上げられているのだ。
私は嬉しくてホッとして、涙が溢れた。
「ジェイド!怖かった!怖かったよぉ!!」
私は恥ずかしさも忘れ、彼にしがみついて泣いた。両目からポロポロと涙が流れて、ジェイドの肩に落ちていく。
震える私を、彼はぎゅっと抱き締めてくれた。
「どうしてクローゼットからうさぎが?マディラ様が閉じ込めたのかしら?誰かに手当てを頼みましょう」
偽ヒスイはまだ私の振りをして、指輪をはめた右手を差し出してくる。ジェイドは私を抱っこしたまま、彼女を睨んだ。
「黙れ!ヒスイに触るな!!」
「何を言ってるの?ヒスイは私よ?」
「衛兵!この者を捕らえるのだ!今すぐに!!」
ジェイドの声を聞きつけ、衛兵二人が部屋に踏み込む。
彼らは偽ヒスイの腕を拘束した。ジェイドは間髪入れずに命令する。
「その者の指輪を外せ!」
「え?だめよ!それだけはやめて!嫌!いやぁあああ!」
偽ヒスイは逃げようとするが、衛兵に指輪を外されてしまった。すると彼女の姿は、一瞬のうちにマディラへ戻った。衛兵たちは驚きの声を上げる。
「マディラ=ウォーリア。貴様が全ての元凶だったのだな」
ジェイドは厳しい視線をマディラに投げた。
「わたしは何もしておりませんわ!誤解です!」
「だったらなぜ貴様はヒスイに化けていた?言い訳など聞きたくもない。貴様はただ自分の望みを叶えたいがために、罪のない女性たちを陥れた。立派な犯罪者だ」
「わたしたちの仲を邪魔した、彼女たちがいけないのですわ!わたしはジェイド殿下を誰よりも愛しています。あなたが望むなら、わたしは別の誰かにでもなります。見た目が同じなら、何の問題もないでしょう?」
ジェイドは身動きせずじっと黙っている。でも私にはすぐ解った。彼が心の底から怒っているということを。
「私はこれほどまでに自分勝手な人間を、今まで見たことがない」
ジェイドは氷のような瞳をして、マディラを見据えた。ピリピリとした威圧感が部屋中に広がる。衛兵とマディラは怖じけづいたのか後ずさりをしていた。
「マディラ。ヒスイと貴様では天と地ほどの差がある。例え見た目が同じになっても、中身は変えられない。心が腐り切っていたら意味はないのだ」
「腐り切っているだなんて。ジェイド殿下、あんまりでございます」
「私の名を口にするな!貴様は私の大切な人を殺そうとした!!何よりも許しがたい存在だ!!」
ジェイドが鋭く言い放ったので、マディラは血の気の引いた顔をした。唇がカタカタと震えている。
「ハッキリ言おう。私は貴様のことが死ぬほど嫌いだ。顔も見たくない。金輪際、その醜い姿を私に見せるな。二度と私に関わるな。永遠に私の前から消えてくれ」
「う、嘘よ!嫌ですわ!そんな言葉、わたしは信じません!ジェイド殿下はわたしの運命のお方なのです!わたしはジェイド殿下と結ばれるために生まれてきたのですわ!」
「貴様は死罪だ。反省も弁明も聞かぬ。私の決定が覆る余地はない。……連れて行け」
淡々とした口調でジェイドは命じた。衛兵に引きづられながら、マディラは恐ろしい形相で私を睨み付けた。
「ヒスイ!あなたのせいよ!ネフィリティスといい、あなたといい、わたしの邪魔ばかりする!あの子みたいに、あなたも死ねばいいのだわ!絶対に許さない!殺してやる!呪ってやるうううう!」
マディラは髪を振り乱し、叫び声を上げ、手足をバタつかせる。ジェイドは私の長い両耳を手のひらでそっと押さえた。
暴れるマディラの足がテーブルにぶつかり、花瓶が倒れて床に落ちた。ガシャーンッと音がして、たくさんのバラが散らばる。彼女はその上で散々抵抗してから、衛兵たちに連れて行かれた。
マディラの部屋に暗い沈黙が降りる。私の耳から手を離したジェイドは、まつげを伏せ、重々しく呟いた。
「どれだけ言葉を尽くしても、相手に届かぬことがある。私はあの者とは一生、分かり合えはしない」
胸の奥に、激しい怒りと悲しみが込み上げてきた。マディラはきっとこの先も、自分が間違っているなんて、夢にも思わないのだろう。
床に落ちた綺麗なバラが、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされている。私はそれを、ジェイドの腕の中から、やるせない気持ちで眺めたのだった。




