悪人との駆け引き
こいつ、最悪だ……!
私は軽蔑を込めてヌーマイトを見つめる。ヌーマイトは、怒りに震える師匠へいやらしい笑みを向けた。
「ちなみに、だ。俺が運んだ食い物にも、ちょっとした仕掛けを施しておいた。それを食った奴らを早く診てやった方がいいぞ?手遅れになる前にな」
それを聞いた人たちが、「毒でも入っていたのか?」とざわつき始める。一度は収まった混乱がまた大広間で起こりかけていた。
「皆様、冷静になってください!この男の言うことに惑わされてはいけませんわ!」
師匠が必死に呼びかける。けれど騒ぎは収まらない。中には怒鳴り出す貴族や、泣き出す令嬢も居た。恐らくヌーマイトの運んだ物を口にした人たちだろう。
そうこうしている間に、ヌーマイトはマディラを連れ、大広間を出て広い廊下をじりじり歩いていく。ふらついているのは、身体がまだ痛いからかもしれない。
まずいわ!このままじゃ逃げられちゃう!何とかしてヌーマイトを捕まえなきゃ!
私は頭をフル回転させた。下手に動くと、マディラが傷付けられてしまう。彼女を無傷で解放させるには──!
「さあ!道を開けろ!早く!!」
ヌーマイトがナイフをマディラの首元に突きつけたまま命令する。
近くに居た貴族と従者は、急いで廊下の端に寄った。
「よし!それでいい!そこでじっとしていろ!」
「お待ちください!」
ヌーマイトが私をギロリと睨む。
「何だ?」
鋭い眼光に気圧され、冷や汗が出てくる。私は出来るだけおしとやかに頼んだ。
「マディラ様は何の関係もないのでしょう?だったら、代わりに私を連れて行ってくださいませ」
「何を言うのだ、ヒスイ!そんなこと、絶対にだめだ!!」
ジェイドは私の右腕をぎゅっと掴んだ。ヌーマイトは興味深そうに片眉を跳ね上げた。
「ほほう?お前、この娘の身代わりになると言うのか?」
「そうです」
ヌーマイトは眉間にシワを寄せ、ジロジロと私を眺めた。どうするのか思案しているらしい。少し沈黙があってから、ヌーマイトはニヤリと笑った。
「……まあ、悪くない話だ。俺はお前を必ず始末するよう、頼まれているしなあ。そっちからやって来てくれるなら、余計な手間が省けていい」
「じゃあ、交渉成立ですね?」
「ああ、いいだろう。ゆっくりこっちに来い」
ヌーマイトが顎で指示する。私は腹をくくり彼に歩み寄ろうとした。けれどジェイドが腕をきつく握って放してくれない。
「やめろ、ヒスイ!!奴に殺されてしまうぞ!!」
「ジェイド殿下。離してください。私はあの方を助けたいんです」
「だが!」
「お願いします!私の思うままにさせてください!」
私はジェイドを真剣に見つめた。
マディラを助けたい。でもそれ以上に、ジェイドを救いたい。今ここでヌーマイトを捕まえなければ、ジェイドはきっとこれからも、苦しい想いをし続ける。そんなの私には我慢ならないのだ。
ジェイドが戸惑いの表情を見せる。その力が一瞬だけ緩んだ時、私は彼の手を振り払って歩いた。
「ヒスイ!!」
「王子は動くな!ラズリもだ!!この娘二人を、今すぐ殺しても構わないんだぞ?」
「くっ……!」
「ヒスイに手を出したら絶対に許さないわよ!」
後ろから師匠の脅す声がした。周囲の空気がさらに緊迫する。
「うるさい!俺のやることに口を出すな!……さあ娘!早くこっちに来るんだ!」
ヌーマイトは師匠を一睨みしてから、大声で急かす。私がすぐ側まで来ると、彼はマディラの背中を思い切り突き飛ばした。勢いよく私の横を通過するマディラ。そしてこちらに伸びてくる、ヌーマイトの左手。思ったより遅い。
よし!隙あり!
私はそれをかわし、ナイフを持つ右手に蹴りを食らわせた。
「せいやぁ!!」
「う!」
カシャーンとナイフが床に落ちた。スカートの破れる音がしたけど気にしない。ヌーマイトが驚き怯んだ隙に、みぞおちへ一発パンチをお見舞いした。
「おりゃあああ!!」
「ぐっあ……!」
苦しそうに身体を丸めるヌーマイト。そこへすかさずジェイドが走って来て、長い足で彼の背中にかかと落としを食らわせる。その後すぐに私の腕を引いて、ヌーマイトから離した。
うつ伏せに倒れたヌーマイトは、顔を上げ私を憎らしげに見た。
「……娘っ……お前、何故そんなに強い?」
「ラズリ様に教えてもらった護身術ですわ!女だからって弱いと思ってもらっては困ります!」
「ぐうう、あの女め……!俺よりも劣っているくせに!くそ!捕まってたまるかぁあああ……!!」
ヌーマイトは床を這いずって逃げようとする。その行く手に師匠がやって来て、彼の胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「よくもわたくしの可愛いヒスイを、危ない目に遭わせたわね?地獄に堕ちる覚悟はよろしくて?」
どす黒いオーラを放ちながら、師匠は冷酷な瞳で問いかけた。ゆるりと吐き出された言葉に、怒りと殺意が溢れている。ヌーマイトは顔を引きつらせ震え声で言った。
「す、すまん。俺が間違っていた。ラズリ。許してく……」
「お黙りなさい!この!嘘つきの!極悪非道の!下衆野郎が!」
言いながら、師匠はヌーマイトに往復ビンタを繰り返した。バチンバチンと派手な音が鳴っている。あまりの恐ろしさに私はドン引きした。横に居るジェイドもぽかんとしている。
「あの、ラズリ様!」
「ん?なあに、ヒスイ?」
師匠は振り向き、にっこり笑う。私は恐る恐る言った。
「その人、たぶんもう気絶してます」
「あら、本当。意外と打たれ弱いわね。情けない男」
師匠は蔑むように吐き捨て、パッと手を離し、ヌーマイトを床へ落とした。ゴンッと鈍い音がして、私は眉をひそめた。
「ええと。魔術師は他人を傷付けたらダメなんじゃ……」
「ああ。魔術は使ってないから、大丈夫よ」
何が大丈夫なんだろう、と疑問が浮かんだが、怖いので黙っておいた。ヌーマイトの様子を確認すると、顔がパンパンに腫れている。ざまあみろと思ったけど、わずかに気の毒な感じもした。
「さて。魔術のかかった道具を持ってるかもしれないから、この男の身ぐるみを剥いで、牢屋にぶちこみましょう。わたくしがたっぷり拷問するわ」
師匠が縄を拾ってきて、良い笑顔でヌーマイトをぎゅうぎゅうに縛り上げる。
すると、長い時間、空気と化していたサルファーが、急にバタバタと師匠に近づいてきた。
「待て!ラズリ殿!その男は非常に危険だ!目を覚ます前に、早く始末するんだ!」
「あら、サルファー殿下。残念ながらそれは出来ませんわ。この男は、我が国と隣国で様々な罪を犯しています。ですからそれらを全て、自白させなければなりません」
「それならば、僕がその仕事を引き受けよう。美しい女性に下劣な犯罪者の相手をさせるには忍びないからね。ラズリ殿は、食事をした者たちの診察を頼む」
「これだけ時間が経っていて異常がなければ、大丈夫です。わたくしには始めから解っておりました。先ほどこの男は、皆を動揺させ、逃げる隙を作ろうとしたのです。それでとっさに、あのような嘘をついたのですよ」
「ふーん。そうなのか。なかなか頭の回る男だな、ヌーマイトは」
「……あら?サルファー殿下。どうして、その人の名前を知っているのですか?」
私は違和感を覚えて聞いた。サルファーはせわしくまばたきをし、口角を引き上げた。
「何を言うんだ、ヒスイ嬢。さっきラズリ殿も言っていたじゃないか」
「……いいえ。わたくしは貴方の前で、この男の名を一度も口にしていません。おかしいですわね。どうしてご存知なのかしら?」
「衛兵!サルファーを取り押さえろ!」
師匠の言わんとしていることに気付いたジェイドが、側で待機していた衛兵に素早く命じる。サルファーは衛兵二人に両脇を掴まれた。
「何!?ジェイド!貴様、この僕が何をしたと言うんだ!!」
「分からないのか、サルファー。貴様には失望した」
「わたくしが説明して差し上げましょう。二国を暗躍していた魔術師『ヌーマイト』。その名を知る者は、わたくしとヒスイ、ジェイド殿下の三名のみ。……あとは汚いお仕事を命じた依頼者だけです」
「あ……」
「ご自分の罪が明るみになると思って、冷静さを欠きましたわね?貴方もわたくしが、直接ゆっくりとお話をうかがいますわ。堅く冷たい牢屋の中で、ね」
サルファーは真っ青になって首を横にブンブン振った。
「僕は何も頼んでない!あいつが勝手にここに来たんだ!僕はヒスイ嬢を殺せなんて頼んでない!誰か!信じてくれ!」
「騒がしいわね。早く連れて行きましょう。じゃあヒスイ。また後でね」
師匠は私にウインクをして、衛兵とサルファーに続いた。延びているヌーマイトを、ずるずると引きずりながら。
……終わった。無事に事件は解決したのね。
私とジェイドは師匠たちをぼんやり見送った。みんなもホッとした顔で、大広間へ戻っていく。
「ヒスイ様!」
後ろからマディラが走ってきて、私の手を強く握った。
「助けてくださりありがとうございます!」
「ええ。マディラ様、おけがはありませんでしたか?」
「はい!少し転んだくらいですわ!ヒスイ様は?」
「私も大丈夫ですわ」
「そう。安心いたしました。他の方のように、大ケガをされなくて」
ん?大ケガ?誰かシャンデリアに当たった人が居たんだろうか……?
不思議に思っていると、マディラは口元を両手で押さえ、驚いた顔をした。
「まあ、大変!ヒスイ様のお召し物が、裂けておりますわ!」
「あ」
ヌーマイトに蹴りを食らわせた時、スカートの裾に靴が引っ掛かって、破れてしまったのだ。
やばい。忘れてた。ラズリ様に怒られるわ……。
「わたしのドレス、サイズが合うか分かりませんが、お貸ししましょう。一緒にわたしの部屋へいらしてくださいませ」
「いえ。私はもう少ししたら、帰りますから」
「遠慮なさらないでください。助けていただいたお礼ですので」
「ヒスイ嬢。そうさせてもらうといい。ラズリ殿が戻るまで、そのままの格好では居られないだろう」
確かに。結構、思い切り破いちゃったから、目立つわね。
「分かりました、マディラ様。ではお言葉に甘えて、ご一緒させていただきます」
「私はここの客人たち全員に、事情を説明してくる。用が済み次第、すぐ迎えに行くから、マディラ嬢と共に待っていてくれ」
ジェイドは私の肩に手を置き、いつにも増して柔らかく微笑んでいる。彼も犯人たちが捕まって、安堵したのだろう。
怖かったけど、頑張って良かった。
私はジェイドに満面の笑みを送ってから、マディラの居住塔へ向かったのだった。




