戦いの舞踏会
──舞踏会当日になった。
空がオレンジに染まる頃、私は家で舞踏会へ行くための身支度をしていた。
きちんと化粧をした私は、鏡台前の椅子に大人しく座っている。身に付けているパステルグリーンのドレスは、師匠がこの日ために手配してくれたものだ。
ドレスのデコルテには小花の刺繍があしらわれ、胸の下と背中に大きめのリボンが付いている。そこからふわりと広がるスカートは、艶のある生地の上に透け素材が重ねられていて、柔らかく優雅な雰囲気を作り出していた。
……ただ、ドレスの下はコルセットでぎゅうぎゅうに締められていて、地獄だ。これじゃあ舞踏会で用意されると聞いたお菓子も、全然食べられそうにない。
「はあ……。王宮のクッキー、食べたかったなぁ」
「ん?ヒスイ、何か言った?」
「いえ。独り言です」
後ろに立つ師匠は首をかしげて、そう、と呟いた。彼女はシンプルで動きやすそうな薄紫のドレスに身を包み、私の髪をセットしてくれている。ふわりと鼻をくすぐるラベンダーの香り。そういえば、うさぎに何度も変身させられているせいか、最近やたらと匂いに敏感だ。
師匠は私の左右の横髪をすくい取って編み込み、後ろ髪と一緒に後頭部でまとめ上げると、鏡越しに目を合わせた。
「いよいよね、ヒスイ。どう?緊張してる?」
「ええ、少しだけ」
「心配しなくても大丈夫よ。練習通りにやれば」
「そうですね。頑張ります」
「今日の舞踏会に、『王子の恋人が隣国からお忍びで来る』と噂を流しておいたわ。これで依頼者とヌーマイトが動く」
「ほんとに私を狙いに来るでしょうか?」
「来るわよ。何しろターゲットは素性の分からない相手だからね。今日を逃せばお目にかかれないとなれば、確実に仕留めにくるわ」
「うー。怖いですね」
不安げに言うと、師匠は真剣な顔をしてより強く私を見つめた。
「ヒスイ。高等魔術は火や水を出す魔術と違って、複雑で使うのに時間もかかる。だからヌーマイトは必ず周到に準備をしてくるはずよ。奴は魔術で姿を変え、あなたに近付くかもしれない。だからわたくしは、依頼者とヌーマイトに気付かれないよう、影からあなたを見守ることにするわね」
「……はい。分かりました。よろしくお願いします」
覚悟を決めうなずくと、師匠は微笑み私にパールのネックレスを付けた。
「これは、とっておきの魔術を込めたお守りよ。大丈夫。きっと上手くいくわ」
ちょうど準備を終えた時、迎えの馬車が家の前に到着する気配がした。私は手袋をきちっとはめ、師匠と一緒に馬車へ乗り込んだ。
エルージュ城の大広間の前に着くと、師匠は王様に頼んで書いてもらったという招待状を従者に渡し、重々しく開かれたドアをくぐった。連れ添う私は部屋に入るなり目を丸くした。
なんてだだっ広い部屋なの!
大人が千人、いや、もっとたくさんの人が、余裕で入れそうだ。部屋の両端には白い円柱がずらりと並んでいる。天井には神様の絵が見事に描かれており、そこから吊り下がっているたくさんのシャンデリアが、大広間にキラキラと光を落としていた。
師匠と私は磨き抜かれた床を歩き、入口からほど近い壁際に立ってジェイドを待った。慣れない場所に緊張が高まる。
そろりと周囲を見渡せば、私と同じか少し年上の男女が目についた。彼らは華美なタキシードやドレスを着て、楽しそうにお喋りをしている。
何だかチラチラ見られてる感じがするけど、気のせいかしら。
落ち着かない私は、気を紛らわそうと師匠に小声で話しかけた。
「舞踏会って若い人も多いんですね」
「そりゃそうよ。舞踏会は政治的な話もするけど、王族や貴族たちが結婚相手を見つけるための場でもあるから」
「集団お見合いみたいなものですか?」
「まあそんなところね。ほら、あそこを見て」
師匠がさりげなく指で差した方に目をやると、四人の令嬢に囲まれている男が居た。耳元まであるくすんだ緑の髪と、蜂蜜色の瞳を持つ美男子。恐らく私と同い年くらいだろう。一段と派手なタキシードを着ている。
「誰ですか、あれ」
「サルファーよ。現国王陛下の弟の子供。つまりジェイドのいとこね」
「ああ。王族ですか」
「ええ。彼はジェイドの次に王位に近い人物と言われているの。ジェイドの弟妹はまだ小さいからね。だからサルファーを狙っている令嬢も多いのよ」
「女の戦いですか。怖いこわい」
「あら。ヒスイはその激戦区に居るのよ?ジェイドはこの中で一番高位だからね。年ごろの令嬢はみんな彼と結婚したがってるの。だからくれぐれも、嫉妬の炎に焼かれないよう気を付けて」
「どう気を付けろと」
突っ込もうとした時、若い男数人が緊張した面持ちでこちらへやって来た。師匠とは顔見知りらしく挨拶を交わしている。
ははーん。この人たちみんな、ラズリ様を狙ってるのね?
モテる人は大変だなーなんて思いながら、師匠たちをぼんやり眺める。しばらくして、男の一人が手のひらで私を差した。
「ところでラズリ殿。そちらの美しいご令嬢は、どこの家の方なのですか?」
「あら、この子に興味がおありなのですか?」
「ええ、まあ。出来れば、ぼくにご紹介いただきたいのですが」
は?え!?私!?
まさかこちらに話が振られるとは思ってもいなくて、戸惑っていると、急に入口のドア付近がざわざわと騒がしくなった。
「失礼。通してください」と涼しげな声が響いている。
ジェイドだ。彼は銀の刺繍の入ったタキシードに、襟飾りと緑のブローチ。艶々した黒い革靴を履いている。真っ直ぐな藍色の髪はうなじのあたりで一纏めにされていて、より洗練された印象をうけた。
ジェイドはみんなの注目を一身に集めながら、こちらに歩いてくる。その姿が誰よりも輝いて見えて、私の目も釘付けになった。
近くに立つ男たちがジェイドに挨拶し、うやうやしく頭を下げる。ジェイドは礼を返して少し話をしてから、笑顔で尋ねた。
「ところで君たちは、ここで何をしているのですか?」
「はい。こちらの素敵なご令嬢を、ダンスに誘おうかと思いまして」
「おや、そうでしたか。しかしそちらの方は、私の大事なパートナーなのです。彼女が魅力的なのは重々承知していますが、口説くのはどうかご遠慮ください」
うわああああああ!パートナーだって!魅力的だって!恥ずかしいいいいいいいっ!!
ジェイドの言葉にいちいち心臓が反応して、頭が爆発しそうになる。必死に平気な振りをしていたら、男たちの顔がさっと青くなった。
「で、殿下のお相手でございましたか!」
「いや、そうとは知らず、まことに失礼いたしました!では、ぼくたちはこれで!」
彼らは会釈し、あっという間に私たちの前から去っていった。
「ラズリ殿。ヒスイ嬢。ようこそおいでくださいました」
彼らを見送ってから、ジェイドが笑顔で私たちに一礼する。
「ジェイド殿下。このような素晴らしい舞踏会に参加出来ること、心より嬉しく思います」
私は深呼吸をしてから、スカートの裾を両手でつまんで、丁寧にお辞儀した。続けて師匠が一歩前に出てジェイドに声をかける。
「殿下。わたくしは少しやることがありますので、一旦ここを離れます。どうかヒスイをよろしくお願いします」
「はい。心得ました。私にお任せください」
師匠はジェイドの返事に満足そうにうなずいて、皆の視線をさらいながら大広間を出ていく。彼女が立ち去ってから、改めてジェイドに目をやると、彼はやけに私の顔を見つめていた。
「どうしたの、ジェイド?」
こっそり聞けば、彼は首をふるふる振ってから、小さく返事をした。
「いや、何でもない。しかし見違えたな。どこをどう見ても、本物の貴族だ」
「でしょ?ラズリ様のおかげよ。言葉遣いやドレスでの立ち振舞い、ダンスも練習したのよ」
「そうか。では、さっそくその成果を見せてもらおう。私と踊ってくれるか?」
ジェイドはひざまずいて、白い手袋をはめた手を差し出す。
「ええ。もちろん」
彼の手のひらに自分の手を重ねた。バイオリンやオルガンによる演奏が始まる。みんなパートナーと手を繋ぎ、踊り始めた。
私たちは緩やかな音楽に乗り、くるくるとステップを踏んだ。ジェイドがリードしてくれるおかげで、なかなか上手く踊れている。
ただ、周りの視線が恐ろしく痛い。ダンスを踊らずに座っている人たちが、怖い顔で内緒話をしている。時折、殺気のようなものも感じた。
「ヒスイ。気にするな。私だけを見るのだ」
ひそひそと声をかけてくるジェイド。私は言われるまま銀色の瞳を見た。
情熱的な眼差しにすぐさま引き込まれる。心音が高鳴ってしまうのを止められない。
だめだめ!これは演技よ!ドキドキしちゃいけないわ!!
頬を染めながら、まるで本物の恋人同士のように踊る。次々と二曲が終わり、私はホッと息を吐いた。
「ヒスイ嬢。素晴らしいダンスでした」
「恐縮ですわ。ジェイド殿下」
「一度、休憩をいたしましょう。あちらでゆっくり話すのはどうですか?」
ジェイドが長い指で、部屋の左側の大きな窓を差す。
「はい。喜んで、ご一緒させていただきます」
笑顔で答えると、ジェイドは優しく微笑み、私の手をぎゅっと握った。私は熱くなる顔を伏せたまま、彼に連れられテラスへ出た。




