おまけ 二度目の春と新婚さん
春がやってきた。
街角を花が彩り、穏やかな空気が取り巻く王都は道行く人々の表情も明るい。そして家路を辿る俺の足取りもまた、信じられないくらい軽かった。
フレヤと結婚式を挙げたのはつい一週間前のことだ。俺たちは都会の喧騒から微かに逸れた住宅街に家を買って、二人で暮らしている。
いきなり家を買うなんてとフレヤは困り顔をしていたけど、俺はこう見えて高給取りだし特別報奨金だって貰っている。君に不自由をさせるつもりは毛頭ないと伝えたら、ちょっと恥ずかしそうにしつつも頷いてくれた。
あーもう、本当ダメだ、顔が緩む。ありとあらゆる出来事を思い出すだけで、俺はどこまでだって舞い上がれるんだ。
早くフレヤに会いたくて自然と歩く速度が速くなる。お互いに今日から出勤だったんだが、俺には直帰以外に選択肢なんてない。そろそろ夕飯時という時間帯、フレヤはもう帰っているだろうか。
この一週間は新婚旅行に出かけていたから、今日こそは料理をしてみるって言ってたんだよな。
こんな幸せってあるか? もう本当に早く会いたい。朝会ったばかりなのにもう会いたい。
俺はデレッデレに溶けているであろう顔を引き締めもしないまま玄関をくぐった。扉を開けてただいまと言えば、奥から聞こえてくる軽い足音。
「おかえりなさい、ウルリク。お仕事お疲れさま」
薄手のセーターにスカートという出で立ちの上に、紺色のエプロンを身に纏ったフレヤが出迎えてくれた。
いつものごとく無表情だけど、俺が帰ってきたのを喜んでいるのが伝わってくる。料理に邪魔だったのか綺麗な銀髪をポニーテールにしているし、しかも極め付けは。
エ、エプロン……!
「ううっ!」
「……どうしたの?」
口元を押さえて背を丸くした俺に、フレヤは不思議そうに首をひねった。体調でも悪いのかと聞かれたのでそんなことはないと答えておいたが、実際のところある意味病気かもしれない。
恋の病だ。ようやくを以て結婚まで漕ぎ着けたというのに、一向に完治する気配がなく、むしろ悪化すらしているような気がする。
だってさ、これはまずいだろ。可愛すぎる。可愛すぎるよ……!
「……あのね、ウルリク」
浮かれきっていた俺は、フレヤが言いにくそうに俯いたことによってようやく気付いた。
何だろう……落ち込んでいるのか? どうして。
頭が一気に冷えていく。彼女が何をいうのか、考えただけで心臓が止まりそうだ。
「ごめんなさい。夕御飯、できなかったの。お肉を焦がしてしまって」
「焦がした? 何だ、そんなことか」
良かった、びっくりした。仕事で何かあったとか、ご近所トラブルとか、俺と結婚したことを後悔し始めたとか、瞬時にそんなところまで想像を働かせたからだいぶドキドキしてしまった。
俺は安堵のままに笑って、フレヤを促してダイニングへと歩き始めた。
「大丈夫だよ。フレヤが作ったものなら、焦げた肉だろうがパンだろうがなんでも食べるさ」
「いいえ、でも。本当に黒焦げだから」
「そんなこと言って、表面を削れば何とでも」
しかしフライパンを覗き込んだ俺は、思わず言葉を失った。
フレヤの言った通り、二枚の肉は黒焦げになっていた。ビーフステーキ、だったのだろうか。原型を留めないほど縮んだ肉の塊だったものは、今は炭と化してしまっている。
「うん、確かに中々の焦げっぷりだな! 怪我はないか?」
「それは大丈夫。油に火がついてしまったのだけど、魔法で消したから」
「流石フレヤだ、頼もしいよ」
よく見ると台所には所々雪が積もっていて、俺は声を上げて笑った。
こんなに愛しい相手だから、本当なら全ての危険から遠ざけてやりたいところだけど、フレヤになら色々と信じて任せることができる。
物凄い力を持った魔術師で、信じられないくらい可愛いのに男前な所のある人だ。何より子供の頃は得ることができなかった自由を、今のフレヤは全身で謳歌している。
だから俺はそんな彼女と共に生きていきたい。楽しそうに輝く瞳を見つめていたいと思うのだ。
「……怒らないの?」
「怒るはずないだろ。フレヤが俺に料理をしてくれたってだけで嬉しいんだ」
「でも、私。ウルリクに美味しいものを食べて欲しかったのに。ごめんなさい……」
ああもう、だから何でそんなに可愛いことばっかり言うんだよ。
フレヤ、君はまだまだわかってない。
俺は愛する君が作ったものなら、たとえ泥の塊だろうが平らげて見せる。
「大丈夫だ、美味しいと思う! 俺が二つとも食べるから安心してくれ。フレヤにはソーセージでも焼くか?」
「……⁉︎ 何言ってるの⁉︎ 駄目!」
それなのに俺が手を伸ばした寸前、フライパンはフレヤによって奪い去られてしまった。
珍しく焦った顔をしたフレヤは……うん、どんな表情でも可愛いなあ。
「こんなものを食べたらお腹を壊してしまうわ! 勿体無いけど、流石に捨てるから!」
「そんな、せっかくフレヤが初めて俺に作ってくれた料理なのに」
「そんな理由で炭を食べようとしないで⁉︎ とにかく、これは絶対に駄目!」
結局のところ断固拒否されてしまって、ステーキは食べることができなかった。
俺たちは一緒に買い置きのソーセージを焼いて、一緒に食卓に着いた。フレヤは野菜スープを作ってくれていて、あまりの美味しさに感涙しそうになりながら絶賛したら、大げさよと言って笑っていたのだった。
風呂から出るとソファーに座ったフレヤが手招きをしていた。無表情だけど、これは楽しい時の顔だ。
「どうしたんだ?」
「ここに座って」
言われるまま隣に腰掛ける。先に風呂に入ったフレヤはシンプルな白いワンピースタイプの寝間着を着ていて、見るからに可憐で可愛い。
白く細い手が伸びてきて俺の頭にかざされた。すると暖かい風の渦が生み出されて、髪が吸い込んだ水を乾かしていくではないか。
「おお、凄い!」
「最近は氷以外の魔法も練習していて、ようやく成果が上がってきたの」
淡々と告げるフレヤは俺から見ればとても誇らしげで、こちらまで嬉しくなってくる。
本当に頑張っているんだな。凄いなあ。
「熱くない?」
「全然。めちゃくちゃ気持ちいい」
「そう、良かった」
何度でも思うよ。こんな幸せってあるか? 愛する人が側にいてくれる、俺は世界一の果報者だ。
プロポーズした時にフレヤが言った通り、この人は俺を真実幸せにしてくれている。俺はフレヤを幸せにすることができているんだろうか。何か返すことができたら良いのに。
そんなことを考えていたら、不意に頭上の風が止まった。どうやらいつのまにか乾かし終わっていたらしい。
髪が短いと一瞬だな。もう少しだけでいいから、この気持ち良さを味わっていたかった……って、ん?
「フレヤ、顔が赤いぞ。どうしたんだ」
「……だって。ウルリクが、幸せだとか、色んなこと言うから」
……え。あれ?
俺、声に出してた⁉︎
「そんなに気に入ってくれたなら、これからは毎晩乾かしてあげるわ」
「本当か⁉︎ やった!」
っと、いかん。普通に喜んでしまった。ついさっきまで何かお返しをしないとと考えていたのに、これじゃまたフレヤから貰ってばかりになってしまう。
「あと私、すごく幸せだから。貴方が私にどれほどのものをくれたのかなんて、自分ではわからないのかもしれないけど。何か返さないとだとか、そんなこと考えないで」
そう言ったフレヤが心から幸せそうに微笑んでくれたから、俺はしばしの間固まってしまった。
愛おしさで胸が詰まる。何か言わなければと思うのに、先に手が勝手に動いて、柔らかな体を引き寄せていた。
頬に手を添えて薄紅色の唇を奪い、細い背中を掻き抱く。最初こそ驚いたように硬くなった体はすぐに委ねられて、少々躊躇いがちながらも背中に腕を回してくれる。
小さな唇はいつも甘い。同じ石鹸を使っているはずなのに、フレヤからは堪らないほど良い匂いがするのはどうしてなんだろうか。
「……あのさ、フレヤ」
ようやく顔を離して、至近距離でアイスグレーの瞳を覗き込む。上気した頬が可愛い妻がどこかぼんやりとしたまま見上げてくるので、俺はだらしなく溶けきった顔で笑った。
「大好きだ。愛してる」
私も、と返ってきたのを許しだと解釈してもう一度口付ける。頬と額と鼻先、そして首筋にも触れて、どこもかしこも甘いのだからどうしようもなかった。
……その後は少々調子に乗ってしまったのだけど、新婚なので許してもらいたい。




