最終話 雪と太陽
私は今、寮の談話室にて新聞を広げている。そこには大きな見出しでこう書かれていた。
『元戦術魔術部長バーリ氏の裁判始まる』
後処理で慌ただしくしているうちに時が流れた。
父上は脱税容疑が立件されたものの、罰金刑が確定して侯爵位も剥奪され、現在は細々とした暮らしを営んでいるらしい。
らしいというのは私は今のところ会えていないため、兄上からもたらされた情報だからだ。
彼によれば母上は父上と離れて案外ほっとした様子で、貧しいながらも慎ましく暮らしておられるのだとか。
ウルリクが爵位の拝命を断って、代わりに町の復興に尽力するよう国王陛下に上申したという出来事もあった。周囲の人々は勿体ないと惜しんでいたけれど、私はそうは思わない。身分など、欲しい者だけが追い求めればいいのだから。
いつのまにか私の周辺の謎の盛り上がりも落ち着き、街は元の姿を取り戻しつつある。
麗らかな春が過ぎ去り、現在この国にはごく短い夏が到来していた。
窓の外を見ると、太陽が燦々と降り注いでいるのが見て取れた。しかし時計の指し示す時刻は午後7時50分。そう、昼夜通して太陽が昇り続ける、白夜の季節がやってきたのだ。
私は新聞を折りたたんでラックにしまうと、ワンピースの上に日よけのストールを巻いて、白い帽子を被った。そしてハンドバッグを手に取って玄関から外へ出る。
白夜の日差しは強すぎるということはなく、部屋にこもることが多い私を心地よく照らした。柔らかな風を受けながら歩いていくと、そこには待ち人の姿があった。
ウルリクはちょうど歩いてきたところで、私を見るなり笑みを浮かべて手を上げて見せた。
「こんばんは、ウルリク」
今日のウルリクはグレーのスラックスにベージュのジャケットという夏らしい装いだった。爽やかな色合いが彼によく似合っている。
「ああ、こんばんは。今日のフレヤも可愛いな。そのワンピース、よく似合ってるよ」
素直な褒め言葉に頬が熱を持つ。好きな人に褒められるのはとても嬉しい事なのだと、私は最近になって初めて知った。
「ヒルダさんが選んでくれたの」
「そうか、相変わらず仲が良いんだな」
「そうよ。初めての友達だもの」
ヒルダさんと買い物に出かけた時のこと、彼女は私の服選びに真剣になり過ぎて、最後には店ごと買い取りかねない勢いだった。ちなみに彼女は豪商の娘らしい。
思い出し笑いをする私に、ウルリクも随分嬉しそうに微笑んでいる。
「さあ、そろそろ行くか。夜は長いが、行きたいところはたくさんある」
「どこへ行くの?」
「それは行ってのお楽しみだ。何せ明日は君の誕生日だからな」
そう、私は明日二十歳になる。あれ以来私達はお互い忙しく、会っても一緒に帰ったりご飯を食べるくらいだったので、今回は初めてのお出掛けなのだ。
そして今日と明日は街をあげて白夜を楽しむ「太陽祭」である。太陽祭とは夜通し観光施設や店がオープンするいわば「夜遊びの日」で、私は自分の誕生日にそんなものが催されているとは知らずにいた。去年は普通に寝て過ごしてしまったのもあって、私はこのデートをとても楽しみにしていたのだ。
一通り観光を楽しんだ私達は、カフェのテラス席に腰を落ち着けていた。本来なら夜で営業を終える店でも、太陽祭の間だけは終日オープンしている。
「しかし街を歩いたことがなかったとはな。疲れたんじゃないか?」
「平気よ。すごく新鮮で、楽しいわ」
二人して街を歩きながら、あれは何なのか、これが素敵だ、と言い合う時間は予想以上に楽しいものだった。
首都で一番大きな教会も、世界的に有名な美術館も、子供達が遠足で必ず訪れるという公園も、私にとっては初めての場所ばかり。
しかしワクワクしているというのに、私は表情にあまり変化が出ない。ウルリクに気分を害した様子はないものの、ふと不安になって尋ねてみることにした。
「私は反応が薄いでしょう。ウルリクは、つまらなくはない?」
賑わう店内を見渡すと、離れた席では若い女の子が笑顔で恋人にもたれかかっていた。こんな無表情な女といて、彼はうんざりしていないだろうか。
「君の反応が薄いって? 俺にはすごく楽しんでくれているように見えるけど、違ったのか?」
「いいえ。違わないけど」
「それなら良かった。フレヤは感情豊かな思いやりある女性だってこと、俺はよく知ってる。君は何一つとして引け目を感じることなんか無いんだよ」
まったく、感情豊かで思いやりがあるのはそちらだと思う。私はまた一つ救われた心を大事に抱えて、自然と笑みをこぼしていた。
「ええ、ありがとう。ウルリク」
すると、彼は赤くなって目をそらしてしまった。
「……その笑顔は反則だろう。参ったな」
何か呟いているようだが、小声すぎて聞き取れない。そんなに妙なことを言っただろうか。
カフェを出て歩いていると、いつしか魔術省の近くへと差し掛かっていた。通りに面した花屋が開店しているのを見つけて、私は思わず時計を確認する。
「もう0時近くなのね。太陽祭だとお花屋さんも開店しているんだわ」
「ああ、賑やかになって良いよな……って、あの店は」
そこでウルリクが何かに気づいたように目を見張る。私は彼を見つめて言葉の先を待った。
「例のプロポーズの時、花束を買った店だ。あの時の事は緊張していて記憶が曖昧なんだが、多分そうだと思う」
「あなたも緊張なんてするのね」
「当たり前だろう? よし、何か買ってくるよ。待ってて」
ウルリクは私の返事も待たずに走り出してしまった。本当に猪突猛進を絵に描いたような人だ。そんなにお金を使わなくても良いのに。
しばらくして、彼は花束を手に走って帰ってきた。
「待たせた! どうぞ、フレヤ」
差し出された花束は、いつかのそれとよく似ていた。季節が移り変わったから花の種類は違うが、水色と白で構成されているところがそっくりだ。
「きれい……雪みたいな花ね」
私はその花束を受け取りながらしげしげと眺める。ふわふわとした花弁が愛らしく、白色の花が目を引いた。
「お、解ってくれるか! 君のイメージを店員さんに話したら、こうなったんだよ」
「何て言ったの?」
「雪みたいに可憐で、静かで優しい人だって言ったんだ」
これには流石の私も赤面せざるを得なかった。ウルリクの中で私のイメージはどうなっているのだ。街一つ雪で埋めることのできる私が、可憐ということもないと思うのだけど。
でも、嬉しい。私のために花を贈ってくれたことが嬉しい。
実のところ、あの花束はそのままドライフラワーにしてあるのだ。この花束も同じようにしてとっておくことにしよう。
「ありがとう。嬉しい」
「……だから、その笑顔は反則なんだって!」
ウルリクはまたしても小声で何か呟いていたが、今度の彼は復活するのが少しばかり早かった。やけに真剣な瞳と視線を交わらせた私は、彼の思うところが読み取れずに目を瞬かせる。
「俺ばっかり幸せを貰ってどうする。君の誕生日なのに」
「むしろ私が貰ってばかりでしょう。こんなに幸せな誕生日、初めてよ」
「本当か? それなら良かった……じゃなくて! もう一箇所だけ付き合ってくれ!」
言うや否や、ウルリクは私の手を取って歩き出した。手を繋ぐのは初めてでどぎまぎしてしまったのだが、彼は硬い視線を前へと向けていて、私の緊張に気付く様子はない。
緊張しているのだろうか。手を繋いでいるからと言うよりは、もっと大きな原因のような気がする。どうしたのだろう。
疑問は解決しないまま、私達はいつのまにか魔術省の門の前に到着していた。時刻は丁度零時を過ぎたところで、当然ながら人の気配は無く、辺りは静まり返っていた。
歩いている間合うことのなかった新緑の瞳が、私を正面から見据えている。どうやら彼の瞳は夏の日差しを受けると一際綺麗に輝くらしい。
「誕生日おめでとう、フレヤ。それで、プレゼントなんだが。勝手ながら仕切り直しをさせてもらうことにした」
「仕切り直し?」
「そうだ。なあフレヤ、俺は君に優しくできているかな」
「……? ええ。これ以上ない程優しいと思うわ」
どうしてわざわざそんなことを聞くのか解らなかったけれど、私は迷わず頷いた。
ウルリクは嬉しそうに顔を輝かせて、尚もよくわからない問いかけをする。
「あと、身分は一緒だから……大丈夫だよな?」
「そうね、同じ平民だわ」
「それなら! それなら、さ。強さはどうかな。俺は君を守れるくらいに強くなっただろうか」
真剣な色を帯びた新緑色を見つめていた私は、ようやく彼が言いたい事を察して息を呑んだ。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。いや、そんな事があるだろうか。私は彼に迷惑をかけてばっかりで、何もしてあげられなくて。可愛げがなくても良いとは言ってくれたけど、可愛げがある方がいいに決まってる。だから。
「もし、強くなったと思ってくれるなら……フレヤ。俺と結婚して欲しい」
ああ、この人は、なんてまっすぐなのだろう。
そしてどこまでも愚直なのだ。あんな昔に並べ立てた結婚の条件を未だに覚えていて、しかも果たそうとしてくれていたなんて。
私が言えた義理ではないけれど、どうしてわからないのだろう。そんな条件満たしてなくたって、あなたがあなただから、私は好きになったんだってこと。いいえもちろん、すごく強くて頼り甲斐があるとは思っているけれど。
「はい。喜んで」
素直な返事が口から溢れ落ちていた。
そして精悍な顔が歓喜に彩られていくのを見届けた私は、次の瞬間、ウルリクによって抱え上げられていたのだった。
「や……やったあああ!!!」
驚きで声も出ない私を抱えたまま、ウルリクは雄叫びを上げつつくるくると回転した。私は目まぐるしく変わる景色を眺める事になり、ようやく降ろしてもらえたと思ったら、抱きしめられたまま顔を覗き込まれてしまった。
「フレヤ、愛してるよ! 必ず幸せにする!」
「いいえ、私が幸せにするのよ」
「俺は無表情で男前なことを言ってのける君が大好きだ!」
ウルリクはようやく私を解放すると、何やら懐を探って小さな箱を取り出してきた。私はその中から出てきたものを見て、幻かもしれないと自分の目を疑うことになった。
「左手、貸してもらえるか」
差し出した左手は微かに震えていた。そうして薬指に収まった指輪にはルビーがあしらわれていて、白夜の日差しに照らされて輝きを隠そうともしていなかった。
「俺は一応だけど炎属性だろう。一つぐらい俺にちなんだものを持っていてくれたらなと思って、図々しいかと思ったけどルビーにしたんだ。どうかな……?」
どうしよう、本当に言葉が出てこない。何か言わないと、ウルリクが不安そうな顔をしてる。けど、何か言ったら泣いてしまいそうで。
私は喉の奥に力を入れると、胸の前で左手を右手で握り込むようにした。そうすれば何とか喋れるような気がしたから。
「すごく素敵。ありがとうウルリク。絶対に、一生、大事にするわ」
彼の反応を確認する間もなかった。強い力で抱き寄せられて、私は息を詰めた。
そのまま温かい体温を感じていたのだけれど、あまりの怪力に息苦しさを感じ始めて、彼の分厚い胸を叩いて抗議をする。
ウルリクは「ああ、すまない」などと言いながら力を緩めてくれた。
そして見上げた彼の瞳は、何だか熱を帯びているように見えた。初めて見るその色に釘付けになっているうちに、何か柔らかいものが唇に触れる。
唇を奪われたことを理解したのは、彼のそれが離れて行ってからのことだった。
私はそれ以上何も言えずに口をパクパクさせた。
顔に身体中の血液が集中しているような気がする。動悸がうるさすぎてめまいがしてきた。ああ、まだ抱きしめられたままなのに、この心臓の音が伝わってしまう。駄目、聴かないで。
「ああ、くそっ! 可愛い!」
そう零したウルリクに顔を胸に押し付けられた。すると同じぐらいにうるさい鼓動が聞こえてきて、私は言いようのない安堵を覚える。そうか、彼もドキドキしていたのか。
恥ずかしくてたまらないけれど、幸せだわ。
私が今どれ程幸せか、きっと解らないだろう。
せめてウルリクも私と同じくらい幸せだと思ってくれたらいいのに。私たちは全く正反対の人間だけれど、こうして心を寄せ合う事ができたのだから。
「……なあ、もう一度してもいいか?」
そんな申し出が頭上から降ってきたので、意を決して再び彼の新緑の瞳を見つめた。彼が心底幸せそうに微笑んでいるのを見て取って、私も自然と笑みを浮かべる。
「馬鹿ね。そんな事、いちいち聞かなくたっていいわ」
後で彼に聞いたところによれば、それは気持ちを確かめ合った時よりも優しく、今までで一番幸せそうな笑みだったらしい。
氷の魔女への求婚 終




