134.井上撫子という女性
井上撫子。
そう名乗った女性は、見れば見る程本名なのかと疑いたくなる容姿だった。
金髪に青い瞳。傍から見れば外国の方そのもの。
とはいえ、手渡された名刺には確かに企業名と肩書、そして名前が記載されており、そのギャップに溢れた人の来訪に少なからず動揺はした。
とはいえ、わざわざ足を運んでくれた方をぞんざいに扱えば、いくらバイトと言えど批判の矛先は宮原旅館に向けられる。
「えっと、その……ちょっと待っててくださいね?」
「すみません」
井上さんにそう告げ、俺は一目散に旅館の中へと駆け出した。
それから数分。
結局の所、井上さんの対応をしてくれたのは千那だった。
いつも受付には誰かが居るのだが、今日に限って誰もおらず、かといって宮原家の方へ行く訳にもにもいかずにオロオロしていた所に千那が現れてくれた。
こうして現在2人はロビーの椅子に座り談笑をしている。
タイプは違えど、互いの容姿は1級品。遠目から見ても絵になるのだが、場所が旅館という事も相まって、なんとも不思議な光景だ。
なんかこうしてみると、世の中本当に何でも起こりそうだよな。
そんな事を感じながら、俺はせっせと玄関掃除の続きに取り掛かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふふっ。日南君? 私のはどうかしら?」
「えっと……すごく良いです」
「良かったわ。柔らかさには自信があるの」
「なんか独特ですもんね」
宮原旅館の一室。
「こっちはどうかしら?」
「うおっ、温かい……」
「程よい締め付けには自信があるのよ?」
「さっ、流石です」
顔を赤らめる井上さんを前に、俺は……
「よしよし。とりあえず好評かな? ありがとう日南君」
「全然ですよ」
井上さんの手掛ける下着肌着のモニターとして、お部屋にお邪魔している。
何やら嬉しそうにノートパソコンに向かう井上さん。
少しだろうと人の役に立てるのは嬉しい限りだ。
「っと~! 報告書おっけ~。それにしても、まさに至れり尽くせりだなぁ」
徳利から注いだ日本酒を飲みながら、そう話す井上さん。
それに関しては、宮原家の面々のお陰としか言い様がない。
どうやら千那が井上さんと話している内に、このまま帰ってもらうのは忍びないと思ったそうで、帰って来た厳さんと透也さんに報告。
事情を知った両名+巴さんと真白さんの協議の結果、昼食とお風呂だけでもどうかという事になったそうだ。
それだけでも井上さんは嬉しかったそうで、意気揚々と昼食とお風呂を満喫。
想像以上の満足感に、これでもかと言わんばかりのお礼を口にした。
するとその光景が、巌さんを始め宮原家の面々の心に火をつけたらしい。
貸し切り状態で通常とは違う状況だが、井上さんさえよければ1部屋を用意出来るという話に発展。
井上さんは二つ返事で宿泊を希望し、今に至る。
ちなみに、俺がふと声を掛けられたのは昼辺り。モニターを頼まれた時は焦ったが、別に断る理由もなかった。
手渡されたパンツと肌着を着用し、配膳諸々の仕事をこなした後にこうして井上さんの部屋を訪れた訳だ。
それにしても、最初の印象とだいぶ変わったな。
井上さんの第一印象は、どちらかと言うとお堅い雰囲気。
ただお客として接した限り、口数も多く言葉も柔らかく、一言で言うと非常に話しやすい。
東京に住んでいるという事もあってなのか、そんな印象を受けた。
とはいえ、十分羽根を伸ばしていると思いきや、こうした報告といった仕事に関しては、ものすごいスピードでパソコンに打ち込んでいる辺り、総合部長の肩書は伊達ではないのだろう。
「そう言えば、日南くん。今更だけどKARASUMAってアパレルブランド知ってる?」
「そりゃ知ってますよ? 誰でも耳にした事はあると思いますけど?」
アパレルブランドKARASUMA。カジュアルからスーツまで幅広い分野を提供しており、アパレル業界でも有名所だろう。服にそこまでこだわりがない俺でも1度は耳にした事がある。
「そっかそっか。いや、認知度調査が染み込んじゃってね?」
「いえいえ」
「それにしても、まさか映画関係者の完全貸し切り状態とは驚いたよ。って、注いでくれてありがとね」
「とんでもない。俺も最近バイト始めたんですけど、前からこっちで撮影の時は貸し切りだったみたいです。人数の都合で数部屋空きが出ても、本来とは違う雰囲気を感じてもらうのはダメだって事で、その期間は予約ストップだそうです」
「マジか~? じゃあ私ってば、かなりレアって事よね?」
「まぁ井上さんのお礼が凄かったんじゃないですか? 宮原家の面々、なんか気合入ってましたもん」
「うそ~? 本音を言ったまでなんだけどね?」
「だからこそ、余計に嬉しかったんじゃないですかね?」
俺はもう1度井上さんのお猪口に日本酒を注ぐ。
慣れたように一口で飲み干す井上さんの顔は、さっきよりも赤みを帯びている気がした。
ここへ来てもらったからには、是非とも日頃の疲れを忘れて癒されて欲しい。
そんな宮原家の面々の言葉が、どことなく分かる気がした。
そういえば、そもそも井上さんって娘さんの話聞いてきたんだよな? いつ頃来たんだろ?
「そういえば井上さん? 娘さんから宮原旅館の話を聞いたって言ってましたけど、いつ頃来られたんですかね?」
「えっと、ゴールデンウィークの後半くらいかな?」
「えっ? てことは、娘さんも映画の関係者とかですか?」
「芸能プロダクションで働いてるんだけど、所属してる子の様子を見に来たって言ってたなぁ。井上彩華って名前なんでけど」
芸能プロダクションと聞いて真っ先に思い出したのは君島さんだった。
確サンセットプロダクションのマネージャーとしてここを訪れていて、共に背中を洗い合った間柄でもある。
ただ、君島さんはまだこの旅館に宿泊している。となれば、先に戻ったという事だろうか。
サンセットプロダクション……井上……彩華……女の人……あっ!
必死に思い出していると、確かに君島さん達と話をしていた女性の記憶が蘇る。
ただ、その人の姿を見たのは1日のみで、夜の食事の時だけだった。
次の日撮影から帰って来た時には居なかったことを考えると、本当に様子を見に来ただけだったのだろう。
「あれ? もしかして髪の毛肩ぐらいですかね? でも髪色が……」
「旦那似だから地毛は黒いのよ~。今は少しブラウン系に染めてるけどね?」
その言葉に、自分の記憶力も馬鹿にできないと少しだけ誇らしげに思った。
見覚えがないという事と、整った顔立ちが印象的だったのを思い出す。
それも母親の容姿を見れば納得だった。
「娘さんも井上さんに似て、整った美しい顔立ちだったのでなんとなく記憶にありました」
「そう? 日南くんって……色んな意味で女の子泣かせかもしれないわね?」
女の子泣かせ? むしろ泣かされた記憶しか残ってないのですが?
「いやいや」
「ふふっ。そういえば娘が言ってたんだけど、本当に旅館の女将さんを始め、宮原家の面々ってルックスが異常に良いよね?」
「あっ、確かにそうですね」
「娘は特に、女将の娘さんを推してたんだけど……」
ん? 千那を?
「千那ちゃんって、娘の言葉通りにザ・大和撫子みたいな艶のある長い黒髪で、着物が異常に似合っててびっくりしちゃった」
井上さんはそう呟くと、残っていた日本酒を口にする。
飲み込んだ後の吐息がどこか妖艶に感じたものの、千那が褒められた事が自分の事の様に嬉しかった。
「ですよね。千那は……」
「すごく可愛い?」
「もちろんですよ!」
……はっ! やばっ! 思わず本音が!
「いやっ、その!」
「ふふ。大丈夫よ? でもね~? 娘が言ってたのは千那ちゃんだけじゃなかったのよ?」
何が大丈夫なのかは気になったが、とりあえず今は話を逸らす事で精一杯だった。
俺は井上さんに少し食い気味に聞いていた。
「えっ? 誰なんですか?」
「えっとね、その子と同じ大学に通ってて……」
「ほうほう」
「住み込みのバイトしてる……」
「ん?」
「東京出身の男の子も格好良かったって言ってた」
……すいません井上さん。娘さん男の見る目ないっす。
「いや、誰なんですかね~?」
「やだな。日南くんに決まってるじゃない? てか、話聞いてたらそうとしか思えないんだけど?」
「いやいや、井上さん流石に日本酒の飲み過ぎですって。俺なんて良くて下の中ぐらいなんですから」
「そう? 私はそうとは思わないけど? こうしてまじまじ見ると、顔の容姿だけが一丁前な私の息子よりも断然イケてる」
こちらを見ながら首を傾げる井上さん。
もはやお姉さんが年下の男の子をイジっているかのシチュエーションに変な意味でドキッとしてしまった。
ただ、寸でのところで我に返る。
って、バカ。つまりは冗談だって事だろ? 危ない危ない
「からかわないでくださいよ~? これで日本酒最後にしましょ?」
「えぇ~? これが最後か……じゃあ、今の内に言っちゃおうかな?」
「はいはい、なんですか~?」
「ねぇ日南君?」
ゴクリ
井上さんの喉を日本酒が通る音がやけにはっきり聞こえた。
そして真っすぐに俺を見る井上さんは、またもや妖艶な笑みを浮かべてながらこう口にした。
「千那ちゃんと一緒に、KARASUMAのファッションモデルやってみない?」
「…………はい?」
次話も宜しくお願いします<(_ _)>




