111.人生の先輩
肌に感じる柔らかい風。
体に染み渡る温かい温泉。
月夜に照らされながら見下ろす景色は心を溶かし、思わず声が零れてしまう。
「はぁぁぁ~」
いやぁ、バイト終わりのお風呂は最高だなぁ。
今の時刻は午前0時。本来ならお風呂の掃除をしている時間にも関わらず、俺は今こうして一人露天風呂を楽しんでいる。
その理由は、映画監督さんらの要望が関係していた。
なんでも明日からの撮影は朝が早いそうで、起きてから朝風呂に入りたいという要望が多かったらしい。
いつもだとこの時間に掃除して、朝にお湯入れ。温泉に入れるようになるのはお昼過ぎ。だからこそ、その時間をずらして欲しい……だそうだ。
そもそも現在旅館は貸し切り状態で、映画関係者以外の一般のお客さんは泊まっていない。更にはご贔屓にしてもらっているという事もあって、一定の期間お風呂の時間を変更する事になった。
朝に掃除して夕方に温泉が入れるようにする。
おかげで様でバイト終わりの時間帯に、こうして露天風呂に入れる訳だ。
いや、部屋に併設されてるお風呂でも全然ありがたいよ? でも、やっぱり大浴場は全然違う。
「あぁ……最高だ」
まだバイトをして3日。仕事の要領も大分分かってきた。けど、満足は出来ないし、今度は大学もスタートする。住み込みのバイトと大学生活の両立が出来なければ本末転倒だ。期間が決められているとはいえ、そこは妥協できない。
……とはいえ、やっぱり俺は運が良い。
住み込みのバイトはもちろん、旅館の皆さんも良い人ばかり。それに透也さんや千那は大学まで車で乗せて行くなんて言ってくれてる。特に千那は、
『同じ講義受けてるから全然良いよ?』
なんて言ってくれて正直ありがたいけど、甘えるのは絶対に良くない。
けど、あの笑顔で言われるとな……あっ。
その時、記憶に蘇るバイト初日の出来事。不可抗力とはいえ、ガッツリ千那の胸を揉んでしまった。
あれから千那は意外にも普通な感じだけど……心の中で何を思っているかは分からない。
その上、背中の傷が心配だと言われて、無理やり上半身を晒してしまった恥ずかしさも残る。
けど、柔らかかった……
「あれ? どうもこんばんは~」
なんておそらく気持ち悪い顔をしていただろう瞬間に、突然聞こえてきた声。焦るように振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。
びっ、びっくりしたぁ。あれ? この人って確か……
「あっ、こんばんは。えっと、君島さん……でしたよね?」
「おぉ! 覚えてくれて光栄だよ」
元から監督さんらの名前とかは憶えていたけど、皆さんと接している内に……案外スタッフさん達の名前と顔も自然と一致するようになった。
それにこの人は、大手芸能プロダクションでもあるサンセットプロダクションさんのマネージャー君島さん。てか、普通に出演者に負けないくらいのダンディなイケメンだから印象に残ってる。
うおっ。体もヤバいな? 鍛えてるのか? それに……そっちも立派すぎるんですけど!?
「えっと、旅館の日南君だよね? いや、いつもありがとう」
しかも俺の名前まで知ってる? なんだ? パーフェクト大人かよ。
「そんな事ないですよ。皆さんも映画の撮影で大変でしょう」
「まぁねぇ。でも、それが仕事だからさ。ははっ。どうせだし、隣良いかな?」
「はっ、はい」
どうしてこうなったのかは分からない。けど、なぜか俺はダンディイケメンと一緒に露天風呂を堪能する事になった。
正直、最初は恐れ多くて話なんかしてもいいものかと思ったものの、意外や意外。君島さんは結構話題を振ってくれてた。
いつからバイトを? 大学は? 出身地は?
そんな話題に答えている内に、君島さんの話易さから俺の口数も多くなった気がする。
「ははっ。でも分からないもんだな。青森出身の俺が東京で仕事」
「東京出身の俺が、青森の大学に居るんですもんね」
「人生分からないもんだな」
「ですね。けど、俺は結構恵まれてるんですよ。こうして、宮原旅館って場所で働ける事も、大学で出会った人のおかげですし、大学ではそれこそ良い友人も出来ました。けど、そんな状況に甘えてもいいのかなって思う事もあるんです」
「甘え?」
「はい。自分の力では何もできない人間になるんじゃないか、努力が出来ない人間になるんじゃないかって」
「なぁ日南君?」
「はい?」
「俺が言うのもあれだけど、その甘えられる状況ってのは……自分が作ったんじゃないか?」
自分が作った状況? そんなたいそうな事した覚えなんてないぞ?
「いやいやそれは……」
「そのキッカケは自分で理解してるもんでもないぞ? それに、今の君が甘える甘えないなんて言ってるんなら……俺なんかズバリ強運と人様達の恩恵で生きて来たって言っても過言じゃない」
「えっ?」
それから俺は君島さんの話に夢中だった。
それこそ、嘘だと言いたいぐらいの内容で半信半疑だったけど……君島さんがそんな事を言う気はしない。事実は小説より奇なりとは、まさにこの事だと思った。
えっ? 高校生の時に虐待されてた子どもを救った?
十数年後、仕事やプライベートでズタボロになっていた時に、その虐待されていた女の子と再会?
しかもその子の紹介でサンセットプロダクションの社員に?
更にその子と結婚だと?
「えぇ!? 君島さんの奥さんって! あのモデルさんなんですか?」
「まぁそういう事かな? てか、結婚出来た時点で恵まれてるだろ?」
そっ、そういえば去年会見の様子テレビで映ってたかも。俺自身その頃は色々と忙しくて全然それどころじゃなかったけど……確かにワイドショーなんかでもとりあげられてた。
「あの、君島さんがご結婚されてるの忘れててすいません」
「全然だって。てか、普通はそうだろ? 有名なのは奥さんで俺なんかは会見終わって一時騒がれるだけ。時期が過ぎたら忘れ去られる……それがマネージャーだっての。けど、俺は今充実してるんだよ。仕事もプライベートもさ? 夏頃には子どもも生まれる」
「マジですか? おめでとうございます!」
「ありがとう。こんな俺もさ? 君みたいに悩んだよ。甘えるように彼女の世話になって、甘えるように彼女の紹介で大手芸能プロダクションで働いていいのかって。そうして悩んでた時に、彼女に言われたんだ。あなたに救われたから、今の私が居る。これは甘えとかじゃなくて、あなたがしてきた事への当然のご褒美なんだよ? ってさ」
当然のご褒美……
「だからさ、甘えるとか甘えないとかじゃなくて……ご厚意を受けてるのはいいと思う。それには必ず意味がある。自分が何かした結果だと思ってさ? けど下手に頼るんじゃなくて、今度は自分がその人の為になるって信念持つんだ。そうしていたらいずれ分かるかもしれないよ? 俺みたいにさ」
「信念ですか……」
その厚意には必ず意味がある。自分が何かした結果だと思って受け止めて、今度はその人の為になろうって信念を持つ……か。
それを経験してきた君島さんの言葉は、俺の胸に……響いた。
「ちなみに、俺って1度死にかけてるんだよ?」
「そっ、そうなんですか?」
「そうそう。コンクリート片で殴られてさ? けど、偶然通りかかった人達のおかげで命拾いしたんだよ」
「コッ、コンクリート片って!けど、それもまた凄いですね。まるで奇跡です 」
「だろ? しかもさ、その人達って姉妹だったんだけど……名字が日南なんだ」
「えっ、えぇ?」
「そして今俺の前に居るのも日南君。こんな奇跡も現実にあるんだよ」
まっ、マジかよ……日南で姉妹って……
「たっ、確かに……実は俺にも姉さん2人いるんですよ」
「本当かい? ほらっ、こうして色々と起こっていく。人生って何があるか分からないもんだよ? 日南君」
まじでこの人の言う事……説得力がありすぎるんですけど。
人生は何があるか分からない。まさにその通りで、俺がここに居る事もその一端なのかもしれない。
だったら俺がするべき事は何か。
ご厚意に申し訳なさを感じるんじゃなく、その人達の為に努力する。
今はそれだけだ。
「それにしても、日南君のお姉さん達にも会ってみたいなぁ」
「そうですね。俺も君島さんに会わせてみたいです」
「あっはは。これは楽しみが増えたよ。なんか日南君と話してると、どんどん話したくなってくるよ。君はそういう不思議な雰囲気持ってるんだろうね」
「初めて言われましたよ」
「そうかい? まぁ機会があれば……妻にも会って欲しいよ。きっと俺と同じ気分になるだろうしね」
まっ、マジか? これこそ恵まれ……あっ!
危ない危ない。きっと君島さんと出会った事も何か意味がある。だからこういう事も……
「本当ですか? 俺も楽しみが……増えました」
前向きに捉えろ太陽。
次話も宜しくお願いします<(_ _)>




