109.別視点の宮原旅館
観光地へ赴き、ホテルや旅館に泊まる。
当然自分にも、そんな思い出の1つや2つは存在している。
見慣れない風景に非日常感が溢れ、部屋に運ばれてくるその土地の名産物達。
物凄く楽しかったなぁ。
その裏側が……
「料理おっけー! 日南くん! とりあえず大宴会場持って行って!」
「はっ、はい!」
こんなにも忙しいとは思ってませんでしたけどっ!
すっかり日が暮れた時間帯。
朝の静けさはどこへ行ったのか、宮原旅館は騒々しさに溢れていた。
それもそのはずで、ノブさん達が話していた映画関係者の人が昼過ぎに到着。話には聞いていたもののその人数には驚いた。
まぁ、出演する俳優さん達を生で見れた事には感動したけどさ? この忙しさは想像以上だ。
「ノブさん! 料理ここ置きます!」
「はいよっ! 日南くん、ビール持ってきて頂戴!」
「了解です」
大宴会場は2階の奥。
厨房は1階の大宴会場とは真逆の位置。
距離にして……あぁ考えたくはない。とにかくやるしかない。
「コウさん、ビール持って行きます! ケースごと持って行っちゃダメですか?」
「ケースごと!? 大丈夫かい?」
「大丈夫です! それに皆さんお酒のペースが尋常じゃないんですよ! 宴会場横の冷蔵庫に入ってたの無くなっちゃって!」
「カァー、なんかこの忙しい感じ思い出してきたよ。転ばないように気をつけな?」
「分かりました!」
俺の仕事は、とにかく宴会場まで料理やお酒にジュース等々を運ぶ事だ。入り口辺りまで持って行くと、そこからは千那や真白さん達が配膳してくれる。
何往復するんだろう。いや、そんなの考えてる暇はない。
とにかく動かないと!
「ビール持ってきました。そこの冷蔵庫に入れときますね!」
……あぁ、疲れた。
天井を眺めながら、俺はしみじみそう感じていた。
あれから何度も往復し、宴会も半ばになったあたりでお役御免。
『このあと風呂掃除もあるってのに、流石若いだけあるなぁ。けど、とりあえず飯食って時間まで休憩しててくれ』
透也さんの言葉に気を失いかけたよね。すっかり忘れてたんだから。
そんな疲労困憊の体に、料理長の源さんが作ってくれた美味しいご飯が入ってきたら……もうこうなるしかない。
大体、俺一人にこんな広い部屋良いのか? 軽く10畳はあるし、テレビにエアコンまで完備してる。
「……やばい眠くなってきた」
コンコン
「太陽く~ん? ちょっと良いかな?」
眠気と格闘していると、扉の先から聞こえてきたのは千那の声だった。
本当ならちゃんと開けて対応しなきゃいけないんだろうけど、今日だけは許してほしい。
「はいよ~どうぞ」
「失礼しま~す。あっ、倒れてる。ふふっ」
そんな笑みを浮かべながら、俺を見下ろす千那。その姿はさっきまでの着物じゃなくて、白いTシャツにジャージ姿というある意味新鮮なものだった。
おぉ……ジャージ姿。バスケの練習でハーフパンツ姿は見るけど、ジャージを履いてるのは初めてかも。それに高校のジャージかな? 家着って感じがまた良い。
「お疲れの所、申し訳ないのですが~」
そう言いながら、しゃがみ込む千那。俺としてはその後に続く言葉がなんとなく予想出来てしまう。
「お風呂掃除の時間ですっ」
やっぱりか。
「りょっ、了解~」
「滅茶苦茶動いてたもんねぇ。皆助かったって言ってたよ?」
「明日は期待しないでくれよ?」
「えぇ~ふふっ。でも本当に今日は助かったよ? だからお風呂掃除、私も手伝うよ?」
……まじで女神様か?
透也さんに案内された時に、大浴場の掃除のやり方自体は概ね教えてもらっていた。
宮原旅館の温泉は、基本的に源泉かけ流し。毎日お湯を抜いて、浴槽も掃除するんだそうだ。まぁ俺はそのお湯抜きの事さえ頭から消えていたんだけど、その点は透也さんがやってくれていた。
内風呂が2つと露天風呂。結構な広さとあって、掃除も大変らしい。
実際、初日に張り切りすぎた体には、こうしてモップで浴槽を擦る作業はかなり効く。洗浄剤を使っているとはいえ、男女合わせて残り5つもあるとは……気が遠くなりそうだ。
とはいえ、今日は千那が居る分チャラなのかもしれない。
「大丈夫~?」
「もちろんだよ」
それにしてもお湯がないとはいえ、お風呂場は湯気で溢れている。水蒸気で暑さを感じ、汗が止まらない。これは体力が必要だ。
キツイなぁ。千那は大丈夫なの……はっ!
それは一種のご褒美のようだった。
何気なく千那の様子を見た瞬間、それは目の前に現れる。
さっきも言ったように、お湯はなくても湯気が溢れていて、水蒸気が顔や服なんかにまとわりつく。それは千那も同じで、更にはそして千那は白いTシャツを着ていた。
シャツに浮かぶ白い型。それはまさしく……あれだった。
「ん? どうかしたの~?」
「えっ、なんでもないよ?」
危ない! ジロジロ見てるのバレるところだった。
「嘘だ~絶対何か隠してるでしょ~?」
そう言いながら、早足でこちらに向かって来る千那。それに合わせて白い型が大きく揺れる。それは圧巻と言わざるを得ない状態だった。
ちょっ、どこがとは言わないけど千那ってこんなに? いや大きい方ではあると思ってたけど……
「こら~白状し……きゃっ」
その時だった。
少し怒った表情の千那の顔が変わったかと思うと、こちらへ向いていた体のバランスが崩れる。
浴槽内にまだ付いている洗浄剤が原因なのかは分からない。ただ、今はそれ所じゃなかった。
掃除中と言うことは、浴槽にお湯はない。つまりこのままだと……体が石のタイルへ一直線だ。頭でも打ったら、やばいっ!
それは一瞬の判断だった。
斜め後ろに倒れそうな千那に向かって必死に手を伸ばし、そこからは良く覚えてない。
どうにかして千那の体を引き寄せたい。
いや、俺がクッションの役目になれたらいい。
違う。千那が無事ならそれでいい。
視界が揺れる。
体の向きが分からない。
ただ、背中への痛みと、腹部の上に誰かの柔らかさを感じた途端、視界が鮮明に映った。
艷やかな髪の毛、少し濡れてる白いTシャツ。
どうやら俺は無事にクッションの役割を担ったらしい。
あっ……ぶなかった。
仰向けの俺の上に、仰向けで寝ている千那というおかしな状況とはいえ、しっかりと抱きかかえる事が出来た自分を褒めたい。
千那の向きが逆なら、無意識とはいえ堂々と抱き締められたのでは? そう考えると、少し残念ではあった。
って、違う違う。千那?
「ちっ、千那……大丈夫か? どこか痛めてないか?」
「うっ、うん。大丈夫。ごめんね太陽君」
「全然だって」
いやぁ……マジでびっくりしたよ。
「あの……たっ、太陽君?」
「うん?」
「そのひっ、左手が……」
左……? 右手は腹部辺りをがっちりホールドしてるし、左手は……あれ? なんか……めちゃくちゃ柔らかい……
「ん……あっ、あの……その……」
あれ? ちょっとまってこの位置……あっ!
俺は恐る恐る、首を上げ……自分の左手に視線を向ける。違っていたら良い、むしろ違っていて欲しいと心から願ったけど、現実は非常だ。
そう、俺はガッツリ揉んでいた。千那の左胸を。
やっべぇ!
すかさず左手を上げたものの、湯気から来る汗とは全く違う、冷たい汗が吹き出る。
もう終わった。軽蔑される……その心配でうまく言葉が出なかった。
雰囲気が変わったのを感じる。
それは千那も同様みたいで、ゆっくりと体を起き上がらせたものの無言だった。
絶対嫌われた。
向かい合う千那を前に後悔が滲む。取り返しのつかない事をしでかした。
けど、とりあえず謝らないと……
「ちっ、千那。ご……」
「太陽君。ありがとう」
えっ?
それまで伏目だった俺が、思い切って千那の目を見た途端……飛び込んできたのは笑顔の千那だった。
「重かったでしょ? 私のせいで本当にごめんね? 背中痛かったでしょ?」
かと思えば、心配そうな表情を見せる千那。
内心、さっきの行動について問い詰めないの……? なんて思ってしまった。でも、
「全然大丈夫」
「嘘でしょ? 絶対痛いよ? ほんっとにごめんなさい! このお礼は絶対するから」
気が付けばそれはいつもの千那だった。
えっと、とりあえず許されたのかな? 大丈夫なのかな?
「いいってそんな事。とりあえず千那が無事で良かったんだから」
「私が納得いかないのぉ~!」
まぁ無事だったんなら……
「分かったよ。楽しみにしてる」
「了解ですっ! っと、それはそうと……太陽君?」
「うん?」
「シャツ脱いでくれる?」
「はい?」
「傷が出来てないか見ないと!」
「いいって大丈夫だって!」
「ダメです見せなさい。背中見せなさ~い」
細かい事はいいか。
次話は火曜日になります。宜しくお願いします<(_ _)>




