終ワリト始マリ
皇族ドルガとアルガがシンの屋敷を来訪した日の夜——……。
お互い風呂に入った後に、居間で茶を飲むことにしたシンとマリはまだ放心中。ただ、シンはどちらかというと別のことで緊張している。
「なぁ、マリ」
「本当に、この義足は何で出来ているのでしょうか」
声を掛けたが、シンの緊張で小さくなった声はマリの疑問の声にかき消された。彼女はドルガから与えられた義足の入った箱を眺めて、しげしげと眺めている。
それは鉛銀色の素材で作られたもので、その素材の材料は皇族の秘密の品と言われた。この義足は本来、皇族やその忠臣が国の為に足を失った場合に作られる代物。
鎧のような厳つい義足には、龍神王像が二頭彫られており、最後は頭を向かい合わせている。
「何で出来ているって、秘密だと言われただろう」
「ええ。ただ……あのヤドカリさんに似ている気がするのです」
そうマリが告げた時に、シンの脳裏にチラリと雷雨の海岸で見た海の巨大生物が過った。あれは夢か現か幻か、未だに分からない。
シン・ナガエ改めシン・アルガは永劫、海へ入るどころか海岸へ立つことすら許されない。
「龍神王様の加護があるから皇族と言われているから、何かあるのだろう」
「このように重厚なのに軽くて歩きやすかったです」
「整備士が定期的に来るらしいから、使えよ。不敬罪で死罪なんて御免だ。猛虎将軍ドルガといえば破天荒の極みで、何をするか分からない天災と言うだろう」
「えて、全ての才能に秀でた天才だそうですね」
会話が噛み合わなかったけど、まあ良いかとシンは唾を飲んだ。皇族二人が「二人は夫婦」と命じたのだから、とドキドキしながら彼は「マリ、そろそろ寝るか?」と問いかけた。
「私は興奮してしまって、まるで眠くありません。シンさん、お休みなさいませ」
新妻にニコッと笑いかけられてシンは悟った。この女の頭に今夜が初夜になったという頭はないと。
そもそもマリはわりと変な女だ。姉の代わりに売られそうになったら、変態小説家に買われ、変態調教されるはずが惚れられたから溺愛され、死病に襲われて可哀想な女から一転、たまたま皇族の目に留まってこのような宝物を賜って、一代で成り上がった自分の妻である。
「おい。今夜は初夜だぞ。ありがたくも皇族殿下が二人の仲を認めてくれた特別な夜。なにがお休みなさいませだ」
シンは素直に正直に言うことにした。
「……。そんな気はしていましたが、さそ、誘うなら、シンさんがご自身で書いた小説のように……」
ぷくっと頬を膨らませたマリは拗ね顔でそっぽを向いた。マリが読んだ自分の本は二冊しかないので察する。
シンは生まれてこの方女知らずではないが、商売人を相手にしたことしかなくて、そういうことをするぞと店へ行き、騙されるかとそそくさとするか、酒を飲んで会話をして資料集めをした後に雑に押し倒すという経験しかない。
「えっと……。いや、待て。そろそろ寝るか? は別に悪くない。なのに君は嫌だ、一人で寝ろって俺をあしらった。なのになぜその君が不服そうなんだ」
「……。まだ眠くないなら一緒にいると、言われたかったです……。ずっと離れていますし……。親子の縁が切れたばかりでお辛いかと……」
「親子の縁って、ろくに話してもいない、殺さなかった事くらいにしか感謝の念を抱けない相手と縁が切れたら祝うものだ」
近寄って欲しかったとは可愛らしいな、とシンはマリににじり寄った。すると、マリはじりじり後退り。
「……おい。なぜ逃げる」
「その、そのような色っぽい顔で近寄らないで下さいませ」
「はぁ?」
掌を自分へ向けて両手で顔を隠したマリに対して、シンはさらに彼女へ近寄った。マリはますます逃げて、襖にぶつかって停止。
「突然のことで、心の、心の準備が出来ておりません」
「あのなぁ。大事にしたい女を無理矢理ひんむいたり突っ込んだりしない」
シンは「ここまで怯えられると傷つくとか、君は本当は俺のことなんて何とも思っていないのではないか?」という言葉は飲み込んだ。
不安をぶつけて喧嘩をしたい訳ではないし、正直者の彼女に「そうでございます」みたいに言われたら立ち直れない。このまま夢を見ておきたいと。
マリは掌を自分の顔側へ向けて、顔を覆い、少し下へずらして首を横に振った。
「このような、特別な日は……もっと特別にしたいと思うのです……。ご、ご、強引な方が……身を任せられると……」
「……」
マリという女性は素直かつ、わりと口に出す性格である。シンは彼女のそんなところに惚れたのだが、上目遣いで「好きにされたいの♡」という台詞は彼の心臓と理性を強襲。
「それなら……行くぞ」
シンはマリを抱っこして歩き出した。自室は以前よりもマシになったがまだまだ荒れていて布団も新調していないので迷わずマリの部屋。
彼女は無言でギュッと抱きついているので、これは更に可愛いなとシンも腕に力を入れる。
布団を敷いていなかったので、マリを畳に下ろして頭を撫でて、押し入れの襖を開いた。
そこでふと気がつく。
「マリ、なんだあれは」
あれ、とは部屋の隅にいる掌くらいの大きさの奇妙な生物のこと。三角形のような形のそれは、尾のようなところに針がついていて、目がいくつもある。昆虫の一種のようだがシンは初めて見た。胴体部分に布が巻かれている。
「お風呂に入っていたら落ちてきました。見たことのない昆虫で気持ちが悪いけど、大人しいし、緑色の血が出ていて可哀想だったので手当てしたのです」
「へぇ……。それは今日の風呂中ってことか?」
「はい」
「そんな話は聞いてない」
「緊張で言い忘れていました」
ムカデの変種か自分達が知らないだけの生物はジッとしているので、死にかけていると判断。近寄ってみても動かないので、シンは手拭いを胴体から尾に掛けた。
震えて見えたし、前なら化物となじられてきた自分を投影して、お前も嫌な目に合えと蹴り飛ばしていたところたが、今は逆に「自分は辛かったので君には幸運や奇跡が起こりますように」と祈りや願いを込めて。
そうすることで、謎のヤドカリを蹴っただけでとんでもないことになったのとは逆で、副神伝承のような良いことが、マリに対してあるかもしれないと。
死んだら墓くらい作ってやるか、と考えながらシンは押し入れへ向かった。
「マリ。君は再来週元服だよな?」
布団を出しながら、シンはマリに問いかけた。
「十五の嫁ってことだから珍しいな……」
「そうでございますね。上流の方々が、お家とお家を繋ぎたい場合に親同士が婚姻契約書を提出するという話があるとかないとか」
布団を敷き終わったシンはマリを手招きしたが、彼女は恥ずかしがって来ない。それならと近寄ったらまたしても逃げていく。
「強姦魔の気分になるんだが」
「ち、違います。これは同意の上での、ふ、夫婦のことです……」
襖までマリを追い詰めたものの、彼女が縮こまっているので萎えた。
「そもそも間を飛ばすのは勿体無い。寝る」
「……えっ?」
シンはマリの布団に横になると、畳んである掛け布団を体にかけて彼女に背を向けた。
彼女の香りがするなとソワソワし、これは眠れそうにないけど、記憶にある限りではこの世に生まれ落ちてから一番安心すると目を閉じる。
「……シンさん。あの、シンさん」
奇想天外生物はどういう行動に出るのかと待ってみると、マリは布団に潜ってシンの背中をつんつんと指でつついた。
「シンさーん。シンさん……」
おねだりされているようで可愛いな、と欲情しつつもシンは睡魔に飲まれた。昼間の緊張と酒による疲労と、自分は「家族」を手に入れたのだという幸福が混じって、眠くて仕方がなくて。
蚊に喰われたと足首を少し掻いて爆睡であるが、それが蚊ではないと彼が知ることは永遠に無い。
☆★
私が何度シンの背中をつついても反応は無くて、そのうちすーすーと寝息が聞こえてきたので諦め。
新婚初夜は一生に一度しかないのに、と憤りつつ、原因は自分が照れて逃げたからなので諦め。
せめてこちらを向いて欲しいと考えていたら、ガラゴロゴロン、ガラゴロゴロンという鈍い玄関の呼び鐘が鳴り響いた。
無視してもあまりにも続くので、うるさい! こんなにぐっすり寝ているシンが起きてしまう! と私は体を起こした。それでもシンは寝ている。
二十二時を告げる刻告げの鐘が鳴った後という、こんな深夜に誰だろう。我が家を約束なしで訪れるのは、今日来たような衝撃的な人物達以外では七地蔵竹林長屋の住人かテオくらい。あと、可能性があるのは息子のところへ一時帰宅したアザミくらい。
知り合いなら安心だし、玄関扉には小窓がついていて扉を開かなくても相手が分かる。
なので私は玄関へ向かった。杖を使って廊下を歩く間も玄関の鐘は鳴り響き、その錆びついた鐘の音は昼間でもビクッとするのに夜だと更に嫌な響き。
玄関まで到着すると鐘の音は止み、鍵が掛かっているのに扉が勝手に開いた。
強風が吹きつけて目を閉じて、少しずつ開くと、暗闇の中に浮かぶ人らしき輪郭とバサバサと布が翻る音。
「予言しよう」
聴いたことのない男性の声に私は悲鳴を上げた。夜中に知らない男性が勝手に扉を開いたなんて押し入り強盗の可能性。
しかし左足に突然痛みが走って声を失い、よろめき、腰が抜けてその場に座り込んだ。予言って何?
「この土地屋敷はいずれ社になる」
コツ、コツ、と下駄ではない謎の足跡が近寄ってくるのに、体が震えて動けない。
「怯えるではない人の子よ」
気がついたら私は押し入り強盗の男性に組み敷かれて口を手で覆われていた。闇夜に光る彼岸花のような瞳に見据えられて驚愕する。
一番驚いたのは彼の背後左右に緑目の大きな蛇らしき影があって、こちらを向いていること。
「新郎に伝えろ。この地には定期的に古物書が降る。それをこの世に蘇らせて、人々に読ませ、心に刻むのがお前の役目で、役目を果たさねば宝を失うと。お休み、罪と愛の混ざりし新婦……」
瞬間、マリの体から男性が離れて二匹の蛇のような生物に締め付けられた。首と肩を噛まれて、全身が炎に包まれたように熱く、痛くなり、彼女は叫んだが、それはつもりで彼女の喉から声は出ず。
まるで足を切断された時のように全身に痛みと熱感が襲撃してきたので意識が遠のく。
暗闇に引き込まれながら、私は二度目の死を覚悟した。
ハッと目を覚ますとシンの隣にいて、彼に抱きしめられていたので全て夢だったと安堵。
しかし、首も肩も熱くて痛いので手で触れたらブヨブヨしていた。他に悪いところは無いけれど、夢が夢では無かった気がして飛び起きて、部屋の灯りに覆いをしていなかったのに覆いがされているとか、部屋の襖や障子が全て開かれていることと、紅葉の葉っぱが散乱していることにも気がついた。
そこに紙も混じっていたので思わず拾う。
【牙には牙。罪は贖え。好奇心旺盛な友の子を助けてくれた礼は返す。この世は因縁因果。真の見返りは命に還る。その血を我等は忘れない】
同じ紙が数枚、そこにはドルガ皇子とアルガ皇子が「皇族の家紋印だ」と教えてくれたものが押印されている。しかし、彼ら二人の共有印とは紋様が微妙に異なる。
部屋の隅から、ムカデもどきが消えていたので、元気になって家に帰ったのかと、空になっている手拭い製の簡易布団に手を合わせた。
シンがあの生き物に掛けた手拭いは失くなっている。
シンはうなされているのにそれから三日も目覚めなくて、医者には「原因不明」と匙を投げられた。熱はなく、異常な発汗もなく、単にうなされていて起きないのだ。
私の肩と首には釘を打たれたような跡が二箇所ずつあり、蚊に刺された跡をもっと酷くしたように腫れているのだが、発見して一刻以降は痛くなくてこれも謎だと医者も薬師も頭を悩ませた。
三日が経過すると私の首と肩の怪我は、嘘のように綺麗さっぱり消えてしまい、シンは目を覚まして、何かに取り憑かれたように「忘れないうちに書かなくては……」と部屋にこもって執筆開始。
私は迷って、三日前の初夜にあったことを彼に話し、部屋にあった紅葉と紙を見せた。
「なんでそれを早く言わないんだ。大丈夫なのか? 他に何か変わったことは?」
「怪我は消えてしまいました」
「狐につままれたのか? ここまで来ると狐というより狐に化けた副神だな。古物書が降るか……。降ったら考えよう」
「シンさんはどのような夢を見たのですか? 読みたいです」
「君が買った人魚姫のような話だ。漁師に恋をした海蛇の姫が陸に上がる」
ミズキやアサヴに頼まれて書いた舞台脚本よりも、もっと良い気がする内容だから、小説として書き上げた後に舞台脚本も作る。
色々な夢を見たから、書きたいことが山程だとシンは笑った。
「君が奇跡のように助かったから、俺は今後書く小説はそういう前向きなものにしたい。この世は理不尽で残酷で醜い。しかし、確かに光はある。明けない夜は無いし、影は光で出来る」
「ギイチさんとして書いていたような本は書かないということですか?」
「ああ。目的が憂さ晴らしで金になるからだったから。でも、君を観察して調教して記録するのは楽しそうだ。お嬢様の閨本があるのにお坊ちゃんの閨本は無い。乙女の夢とやらと現実が乖離していては可哀想だ」
「ち、ちょ! そ、そのような言い方はやめて下さい!」
「アリアが手紙で、輝き屋で長くお世話になりそうだから新婚旅行へどうぞと書いてあった。初夜はその時にする。じっくり遊んでやる」
「……なぜ、なぜ出会った時のような意地悪顔で、そのような事を言うのですか!」
君の反応が愉快だから、とシンが楽しそうに笑ったけど、笑顔は嬉しいけど不服。でも私も笑う。彼が幸せそうな目をして笑ってくれると私も幸せ。
打算で始まった私達の関係が終わりを迎えて、本当の意味で交流が始まったと実感。私達は予定外のことにもう夫婦だけど、ここから恋人として積み上げて新婚旅行の日に名実共に夫婦になろうと笑い合った。
☆★
二年後、オケアヌス神社管轄の寺子屋で暮らすシンとマリの間には玉のように可愛い女の子が産まれた。父親の血を濃く継いだのか、彼女の左手は四本指。
父親が近づくことを禁じられているので、彼女もまた海へ行かないようにと言われて育つも、ある日我慢出来なくて屋敷を抜け出して海岸へ。
父親が作った舞台話の歌を歌い、踊り、彼女はたまに庭で見かけるヤドカリの変種を発見。
いつも見るヤドカリよりも大きく、鉛色の体をしているその生物は、こっちへ来いというように彼女を誘った。
ついていくと、岩場に人がいて、海から顔を出す鉛色の蛇と話していた。驚いたことに、彼女にも海蛇の声が少しばかり聞こえたので、独り言ではないと分かった。
後退りした彼女の足が石にぶつかり、その石が転がって大きな音が出る。
「っあの! 何も見ていません!」
「待て!」
彼女を追いかけてきたのは青年で、そこでようやく二人は顔見知りだと発覚。
「他言するなと言いたかったけど、アルガ家のお嬢さんか。こんにちは」
「こ、こ、こんにちは……。お久しぶりです……。巫様……」
「へぇ。君の片手は無いのではなくて、加護の手だったのか」
「お父様やお母様もそう言いますが、ジロジロ見られますし、石を投げられることもあったので片手が無いと言う方が楽で……隠しております……」
「人とは愚かで異質を恐れる。そのような心の先には不幸があるというのに。君の家は海へ近寄るのは禁止されているだろう」
「……申し訳ございません。つい……憧れていてつい……」
「内緒にするから君も僕の秘密は内緒で」
「巫様が海蛇と話せることでございますか?」
「君にはそう見えたのか。ぶつぶつ独り言を言う変人と呼ぶ者もいる。父上や母上の権力や名誉を恐れて陰口。俺は嘘まみれの人間に嫌気がさしているけど、君は昔から正直者で素直で優しい」
このようにして彼女とオケアヌス神社、最年少にして初の男性神職、そして皇族以外では初めて同じ血族から神職に任官任命された異例の青年、別名豊漁王子は恋に落ちた。
親同士が元々知り合いだった二人の恋の障害は特に無かったものの、密会していたことだけは咎められ、豊漁王子は両家の父親に鉄拳制裁を食らった。
嫁入りではあるが、勤め先のオケアヌス神社と海岸が近くて赤鹿も乗り回せると、夫は義両親と同居を希望。アルガ家はこうして一代でその名前を失った。
その二人の息子は、地方興行へ来た輝き屋の舞台に目を輝かせて、役者になるとせがみにせがんでコネで輝き屋へ。
華がなく、演技も平凡な彼は挫折したものの、祖父譲りの文才を脚本家として遺憾無く発揮して、憧れの舞台に出演ではなくて、憧れの舞台の世界を創造という別の夢を叶える。
そして、彼はその脚本で輝き屋の看板役者の娘の心を射止めた。
そのようにして、シンとマリの血は神職家系と花柳界家系へ分岐し、その血脈は千年後、煌国がベルセルグ皇国という巨大国家になっても途絶えておらず栄えているが、田舎街で始まった恋物語についての記録は全く残っていない。
龍神王様はこう告げた。人は四つの欲によって生かされる。
飲欲、色欲、財欲、名誉欲の四欲である。
生来持つ悪欲を善欲へ変えれば、我や我の副神が味方しよう——……。
このお話にお付き合いいただきありがとうございました。感想、誤字脱字修正して下さった方はさらにありがとうございます!
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