二話
謝罪回りと執筆の合間をぬって、シンは私のお見舞いに来て、優しくしてくれる。
曖昧な記憶の中で、泣きながら私の手を握って励ましてくれていたから、そんな気はしていたけど、私は彼に嫌われていないみたい。
会いに来るたびに、花を持ってきて、義足作りが上手い職人を探しているとか、出版社の人に協力してもらって片足を失った人やその担当医から情報を仕入れているなど、勇気が出る言葉をくれる。
シンは来てくれるたびに私の手を握るから、彼は多分私に惚れていると思う。恥ずかしくて聞けないし、憧れもあるから何か言ってくれる時を待っている。
母が時々隠れてメソメソ泣くので、引きづられてしまうから、病院にいる間はお医者様や介護師がいるので平気で、それよりも長女姉の祝言準備や父の手伝いなどが大事で、親切なシンに経済的に寄りかかってはいられないと、あれこれ理由をつけて帰宅してもらった。
片足を失うくらいなら死んでしまいたかったとは思わない。けれども、救命の為とはいえ、意識が無い時に切断されてしまったので、気持ちが追いついていない。
他人の方が気が楽だから、世話は介護師とアリアとミズキにしてもらっている。
なぜ私だけ……という感情に支配されて辛くなる日もあるけれど、入院患者、それも若い人が突然亡くなったので、私は運が良いと受け入れられた。
ただ、再発兆候が見られたらまた足を切られる、次は死ぬかもしれないという恐怖に襲われる。
痛み止めは完全に痛みを取るものではないし、急に熱が出ることもあってしんどい日々。
家族友人からの手紙やお見舞いがあり、交代で私の世話に来てくれるアリアとミズキがいるし、なによりシンがいるから耐えられる。
シンのお屋敷で使用人を始めたアリアは、中々上手く家守りを出来ないらしい。シンはアリアのアの字も口にしないけど、彼女は「シンさんにまた怒られた」みたいに彼との会話を口にする。
それから、ちょこちょこ私とシンを揶揄う。今日も私の足を動かす手伝いをしながら「シンさんは今朝、珍しく早起きをして中庭のところの縁側でイノハを撫でていました。マリさんがそろそろ帰ってくるって笑いながら」と教えてくれた。
「それは嬉しい話です」
「椅子が必要だーとか、手すりが必要だーって毎日忙しそうです」
「そんなに色々準備をしてくれているのですか」
「愛されていますね」
「あ、あ、あい……」
愛という単語は胸の中に秘めておくべき、かなり恥ずかしい言葉なのにサラッと口にするなんて。
「あはは。マリさん、真っ赤」
「あつ、暑いですね」
私は近くの机にある扇子を手に取って開いて顔を扇いだ。
「可愛い〜」
ここに稽古終わりのミズキが来て、今日も慰安演奏をしますと私達を広間へ誘った。
体を動かさないと固まってしまうそうなので、無理をしてでも動かないといけないけど、元介護師見習いのアリアが手伝ってくれるし、ミズキはこのように動く機会をくれる。
広間へ移動すると、既に観客は沢山。病気や怪我で入院中の仲間やそのお見舞い客でいっぱい。
ミズキの慰安演奏は、最初は人が集まらなかったけれど、彼女の芸はどれも素晴らしいので今ではいつも満員御礼。
慰安演奏という名称ではあるけれど、彼女は一人芝居や楽語もする芸妓。琴門豪家のそれなりのお嬢様は、下街お嬢さんの私とは雰囲気も、有している技能もかなり異なる。
今日は何かな、とワクワクしていたら、三味線と歌を披露してくれた。よく知られた楽しい曲だから皆も歌う。私の隣でアリアが小さく歌い始めた。
彼女は海で溺れていたところをレイとユミトに助けられたという。その時に毒クラゲを飲みかけて、吐き出せたけど喉をやられてしまって、しばらく辛かったそうだ。
醜い掠れ声になってしまったし、しばらく定期的に焼かれるような痛みに襲われたけど、今は声が少しマシになって痛みもゼロ。だからマリさんも大丈夫。時間は薬だと励ましてくれたことがある。
演奏が終わると楽語で、それが終わるとミズキは私とアリアを散歩に誘った。
体力や筋力が落ちるのは良くないので、動かないといけないけど、一人だと閉じこもりそうなのですこぶる助かる。
ユリアの祖父が同僚達と作ってくれた、兎の意匠飾りがある杖を使って近くにお出掛け。
外を歩くと、否応なしに右足が無いと注目される。最初はかなり嫌だったけど、シンの顔のあざとお揃いだと気がついてからは平気。
私は、本当の意味で彼の気持ちが理解出来るようになったと思う。そんな二人は今まで以上に仲良くなれるはず。
早く二人で並んで歩いて、注目されて、私達はおしどり婚約者ですよーと見せびらかしたい気分。
「マリさん。またシンさんのことを考えていました?」
「……ま、また? なぜですか? ミズキさん」
「顔に書いてありますよ。私やアリアさんは夜には帰ってしまう、というような寂しい顔をするから教えておきました。多分、今夜会いに来ますよ」
「そうそう。ミズキが大袈裟に言ったから」
「愛されていますね〜」
煌国人のミズキまで、恥ずかしい単語を使うなんて!
「あっ」
「マリさん、どうしました?」
「アリアさんは異国の方か混血ですよね?」
「ええ。見ての通りよ」
アリアは髪の色も瞳の色も肌の色も私達煌国人と異なり、目鼻立ちも違うから、誰が見ても分かる。
「どちらの国の方なのですか? 今、気になりました。ようやく自分に余裕が出てきたようです」
「最後の記憶はドゥ国のコミナ村。その前はドゥ国の王都。どこかで介護師見習いになったけど、そこがどこなのか記憶にないの。お世話になった人達のことは覚えているけど」
「ドゥ国はどのあたりにある国ですか?」
「華国の南隣って教わったわ。だから華国の交易一団に参加していたかもって。でも介護師見習いのアリアって人は居なかったそうなの」
「華国でアリアといったら、歌姫アリアですね。アリアさんは同じ名前だからご存知ですか?」
「……歌姫?」
「アリアさんは最近の記憶がごっそり無いので、昨年来ていた歌姫のことも分からないかと」
昨年、歌姫アリアは煌国中の人々を熱狂させた。私も端席でなんとか彼女の公演を聞けたので少々自慢話。
アリアのお洒落をまとめた本を購入して……と言いかけて、あの本はどこへいったのかと思案。
「その本でしたら家にありますよ。シンさんの部屋に積んでありました」
「シンさんは持って帰ってくださったのですね」
「あの部屋、本当に汚いから掃除したいのに、分かりやすく積んであるんだからやめろとかうるさくて。あの部屋で読書をしていると埃の臭いが気になってきます。退院したらシンさんを叱って下さい」
ミズキのこの発言に違和感。
「ミズキさんはシンさんの部屋で読書しているのですか?」
「ええ。読むなら情報提供しろ、居候代の代わりだって言うので仕方なく。シンさんの部屋には貴重本もあるから我慢しています」
「ミズキは博識だから重宝されているわよね」
私には入るなと怒っていたのに、色っぽい女性相手なら部屋の中で読書をどうぞって何⁈
「コホンッ。ミズキさん。シンさんは一応私のこんにゃく者でして。若くて色っぽい、愛くるしいお嬢さんが……」
ふにっ、とミズキの人差し指が私の唇に触れた。黙りなさい、というように。彼女は実に妖艶な笑みで私の顔を覗き込んだ。
「こんにゃく者って愛くるしいわぁ〜」
「マリさんはまだ知らなかったのね。ミズキは男よ」
「……?」
「初日に話す予定がそれどころではなかったものね。その通りで、ミズキ・ムーシクスは男ですよ」
ミズキは私の唇から指を離すとトトンッと足を鳴らして距離を作り、後ろで手を組んで体を屈めて私を下から見上げた。実に悩ましい上目遣い。
夏の終わりに秋を先取りした紅葉柄の着物にあれこれ可愛い小物を合わせて、髪型も凝っていて、化粧もしているからどこからどう見ても女性。
「男性……なのですか?」
「再修行中の陽舞妓の女形でございます」
「い……いゃぁああああ! それなら破廉恥です! 唇に触った! 着替えも手伝った!」
ミズキは肩を竦めて愉快そうに笑い、体を起こして日傘を華麗に動かして決め立ち姿。
「この指でシンさんと遊ぼうと思って。マリさんとキッス♡って」
「ミズキは性格が悪いから、気をつけた方が良いわよ。最近、八百屋の次男を誑かして楽しんでいるし」
「本物の女性よりも女性らしくなるための修行中でーす♡」
ミズキはそのまま日傘を使って踊るように歩き出して歌も披露。行き交う人々が足を止めて見惚れ、聴き惚れる。
特に男性は鼻の下を伸ばしているように見える。アリアのような目立つ美人では無いけれど、妖艶さと気品のある動きに美声で天女みたい。
「ブサイク気味なのにあれだと絶世の美女みたい。なんで再修行しているのかしら。ミズキの実力は振り切れているのに」
ミズキは知らない歌を歌い始めた。女性にしては少し低い声だとは思っていたけど、今の完璧な女装姿だと女性の声にしか聴こえない。
「この歌……」
「アリアさんは知っていますか?」
「……ううん。でも少し頭が痛くなる歌。それで気持ち悪いかも……」
アリアの顔色がみるみる悪くなったので、慌ててミズキに向かって「その歌で具合が悪くなるようです!」と叫んだ。駆け寄ってきたミズキは「歌じゃなくて熱中症じゃないかしら。アリアさんは暑さに弱いのですよ」と彼女を支えて茶屋へ移動。
茶屋の中でお茶と塩昆布をとって休んだら、アリアはみるみる元気になった。
「ミズキの下手な歌で具合が悪くなったわ。責任を取って」
「仕方ないですわね。それでは責任を取りますね」
アリアはお品書きを手にして「マリさん。ミズキの奢りよ。何にする?」と笑ったけれど、ミズキはそのアリアに迫るように近寄って扇子で彼女の顎を上げた。
「睨んだって、前言撤回は許さないわよ」
「責任を取るのですよ」
「……ちょっ、ちょっと!」
どこからどう見てもキスしそうな勢いだったけど、ミズキは唇と唇の間にスッと開いた扇子を入れた。
茶屋にいる男性達が「おお……」と感嘆の声を出して、食い入るように注目している。美女と色気たっぷりの女性のキス場面もどきは確かに見惚れてしまう。
「だーれが貴女みたいな見た目だけの女に欲情するか」
「……なんですって!」
「二大銅貨までならご馳走します。マリさんだけに♡」
姿勢を正したミズキは両手を合わせて頬に添えた。実に可愛い仕草と笑顔である。でも、男性……。
「マリさんに注文してもらって半分分けてもらおう〜」
「図々しいわね」
「図々しいのはミズキじゃない。実家に帰る前に海辺街で暮らしたい〜、赤鹿に乗りたい〜、自分専用の脚本を書いて〜って我儘ばっかり」
「芸に生きる者は図太くてなんぼです」
アリアは無期限雇用で、ミズキは年末に実家に帰るそうなので、退院したら彼女達との新しい生活が待っている。楽しみ……のはず。そういえば、私はシンに帰って来いと言われていない。
椅子や手すりを準備してくれているなら、退院したらおかえりって迎えてくれるだろう。迎えにきてくれて、一緒に帰るはずだけど、急に心配になってきた。
ミズキが言ったように、シンは介護師さんに体を拭いてもらった少し後くらいに病院へ来てくれた。
「一人で寝れないって君は子どもか」
呆れ顔だけど、その手には白兎イノハが抱かれていた。
「うわぁ。連れてきてくれたのですか?」
「医者が良いって言うから」
「おいで、イノハ」
シンが私の腕にイノハを移そうとしたけどイノハは抵抗。
「イノハはシンさんの腕の中が良いのですね」
「なんか知らんが懐かれている。君が拾ったのにな」
「シンさんはイノハをとても大事にしていますからね」
「君もそうなのに」
私は首を横に振った。私は軽く世話をしていただけだけど、シンは毛並みを整えたり、毛が汚れているとすぐに拭いたり過保護気味。雨の日用に一部屋がイノハの部屋になり、中庭をイノハの為に整えさせ、中庭に作らせた小屋も豪華だ。
シンは大切だとうんと甘やかすのだなぁと思っていたけど、多分今の私も同じ。
「ふふっ」
「なんだ急に。一人で笑い出すなんて」
「シンさんは好きだと甘やかしますよね。私のことも……」
余計な事を口にした!
「……」
シンはそっぽを向いて不機嫌顔。私を好きかもなんて、自惚れだったのだろか。口は悪くても根は親切なシンは、可哀想な私に同情して優しくしてくれているだけ……ではないよね? とシンの手にそーっと手を重ねたら、握りしめてくれた。
「誰が見ても明らかだから君自身も分かるよな。なぜ逃げたり拒否しない」
「……」
俯いているシンの瞳はゆらゆら、ゆらゆら揺れている。これは期待して良いのだろうか。
待っても待ってもシンは何も言わないので焦れったい。自分の右足を見て、やはり何もないなと確認して、私はあの日運が悪いと死んでいたと身震い。
「寒いのか? 俺の羽織りを使え」
「シンさん……」
私は首を横に振って、彼の名前を呼んだ。
「……」
「退院したら帰っても良いですか?」
シンは息を飲んで、大きく目を見開いて、困り笑いを浮かべて「そうだよな」と小さな声を出した。
「心配するな。これまでのお礼に生活支援費を払うから」
「……その贈り物はありがたく受け取ります。シンさんの妻として、内助をしかと勤めますので」
「……ん? おい。今なんて言った」
「片足でも慣れれば普通に暮らせるそうなので、しかと働きますと申しました」
「そこもだけど、その前」
「その前? つ、妻として……。この体ですので……祝言は来年が良いです」
「……はぁああああ⁈ なんで君が俺と祝言するんだ! 実家に帰るって言って何が妻や内助だ! どうしたマリ。また熱が出たのか? 熱でうつけたのか? 支離滅裂だぞ。医者だ……医者を呼んでくる!」
シンは私のおでこに手を当てて、熱かったようで、部屋を飛び出した。止める暇が無くてお医者様が来てしまったので大丈夫ですと謝罪。
大病でこの怪我だから心配するのは当たり前だと、お医者様は笑って許してくれた。
「もうっ。シンさん。お医者様を驚かせてはいけません」
「君が変な事を言うからだ」
「言っていません。実家に帰るとも言っていません。私はシンさんのお屋敷に帰宅します」
「……帰っても良いかってそっちか」
私に帰ってきて欲しく無かったようなので胸が痛む。
「この病も、足の切断も、君はとても貴重な資料になった訳だけど、観察見学はしたいけど、俺はそこまで非道ではない。払いたくて払うだけだから自由にしろ。安心して実家に帰れ」
「帰って良いのですね」
「ああ」
「寂しくないですか?」
「寂しくなる訳が……あるけど……まぁ……。君の気持ちが最優先だ」
彼は仏頂面で俯いた。複雑そうな顔をしているので困惑。勇気を出して「シンさんのお屋敷で一生暮らしたいです」と告げたら、シンは目を見開いて瞬きをしなくなった。
「……」
「シンさん?」
「……やっぱり熱があるのか?」
またおでこを触られて「熱い気がする」と言われたが、体感でも自分で触れても熱くない。
「熱はありません。正気です」
「……」
「お金が欲しくて言っているのではありませんよ? 働けというなら働きます。座って働ける仕事を探します。お側にいたいです……」
「……」
顔を上げたシンは不安そうに私を見つめて、しばらくそのままで、不意に頬に手を当てられた。顔が近寄ってくるので驚いて両手で押し返してしまった。
「初めては人のいない景色の良いところでお願いします!」
「……」
結構力を入れたのに、シンの体は全然離れず。しかし、顔をそれ以上近づけるのはやめてくれた。
「人がいない、景色の良いところなら良いのか?」
「……はい。その前に、お気持ちを伝えていただけたら最高です。欲張りなので手紙も言葉も欲しいです」
「……それはつまり、君は同じものを返すってことだな?」
「……は」
い、と口にする前に私達の唇が重なった。嬉しいけど文通しないでキスなんてと文句を言おうとしたら、抱きしめられて「明日があるか分からないと知ったから」と囁かれた。
「好きだ。大事にするから一緒になってくれ……」
順調だから油断してしまうけど、明日何かが起こるかも知らないので、私も「好きです」と言おうとした。
しかし、羞恥心で声が震えてなかなか言えず、抱きしめるのをやめようとしたシンに向かって離さないでと頼むだけで精一杯。告白するまで、小一時間掛かってしまった。
☆
傷の悪化も再発もなく順調ということで退院決定。こうして、私達の裏契約は終わり、結納契約書は二人の家柄としてはありふれた契約内容に書き換えられた。




