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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
終ワリト始マリの章

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一話

 マリは一刻を争う、と医者や薬師の到着を待つことなく、オケアヌス神社の中庭で、参拝客の男性達数人とユミトに押さえつけられた。

 四人いる奉巫女全員、参拝に来ただけという事情を飲み込めていない男性達に、たまたま妻を迎えに来たルーベル副隊長などが中庭に集合。

 その場で一番力が強くて、斧の扱いにも刃物にも慣れているという理由で、ルーベル副隊長がマリの右足首を切断。熱湯で茹でた後にやっつけ酒で濡らした斧で一刀両断である。


 切り離されたのはふくらはぎの中央よりやや抹消側。そこより下は、既に薄灰色から濃い灰色に変化しており、指と指近くはまるで火傷跡のように(ただ)れていて、異臭を放ち始めていた。その臭いはカビ臭い腐敗臭。

 切断された右足は神社の井戸水が入った桶に入れられて清められ、白い布に包まれ、塩を撒かれ、焼かれることになった。


 舌を噛まないように布を口に入れられたマリは、足を切断された時は大粒の涙を流して布越しでも分かるくらい大絶叫。

 鼠径部を縛り、切断部よりやや中枢側の足を縛ってはいるものの、切った足からの出血はある。

 このまま出血が続くと死ぬし、ずっと鼠径部と足を縛っておけないと、駆けつけた医師に鎮痛剤を処方され、止血の為に切断面に火で熱した鉄の棒を当てられた。

 鎮痛剤を使っても全ての痛みを消せる訳ではないので、マリはついに意識消失。

 止血が終わると、彼女は神社内へ移動となり、そこで火傷に対する処置が始まった。肉が焼けた臭いに耐えながら、ギイチはマリの右手を両手で強く握りしめながら、ひたすら彼女の名前を呼び続けている。


「彼女はもう大丈夫そうですので、貴方は早く海岸へ行きなさい」


 ウィオラがギイチをマリから引き剥がすように腕を掴んで引っ張った。彼女と同じ服装の年配女性も「君は早く海の大副神様に謝りなさい」と低い声を出す。


「大副神だなんてどういうことだ! 芝居で本当に足を切り落とすなんて狂ってる!」

「何をおっしゃっているのですか。必要も無いのにこのような残酷な真似は致しません」


 ウィオラにキッと睨みつけられたギイチは、憔悴しきった青白い顔で彼女を睨み返した。


「これは赤鹿病なのか? 赤鹿がマリの着物を噛んだ後にこうなった! ユミト! つまりお前のせいってことだろう!」


 ギイチは青白い顔のユミトのことも睨みつけた。ユミトは一連の流れの中でマリを押さえつける役を担っていた。彼の顔はギイチ同様に血の気が引いている。


「うっ、おぇぇええええ」


 突然ユミトが吐くと、ルーベル副隊長が彼に近寄って背中をさすり始めた。


「だから他の手伝いをしろって言うたのに。君は血とか無理なんだから。安心して吐く気持ちは分かるけど、もう少し我慢するか一人で厠へ駆け込め。ったく」

「い、いえ……。俺は福祉班……だけじゃ……。俺も兵官で……うっ」

「苦手なことは得意な誰かに任せれば良い。皆さん、掃除は俺がするので彼はこのまま放置して下さい。シンさんは奉巫女さん達の忠告通りにすること」


 ルーベル副隊長は制服の羽織りを脱いで吐瀉物にかけるとユミトに肩を貸して彼を運び始めた。


「待てユミト! お前のせいでマリは足を失ったんだぞ!」


 転びそうになりながら立ち上がったギイチをルーベル副隊長が足払い。ギイチは畳の上に転がった。


「赤鹿は君の婚約者を救ったのになんて言い草だ。誰かのせいにしたい気持ちは分かるが病は運。君のせいで海の大副神様がお怒りだ。奉巫女様達にそう言われているんだから、さっさと謝りに行け!」

「海の生物に? どういうことだ!」


 ギイチの脳裏によぎったのはヤドカリを蹴飛ばしたことである。


「知らん! さっき妻にそう聞いた。奉巫女に指示されたんだから素直に従え!」


 ギイチはユミトを支えながら近寄ってきたルーベル副隊長に胸ぐらを掴まれて廊下に向かって投げ飛ばされた。手すりと柱に体がぶつかった衝撃で呻く。


「この国で生きていれば知っているはずだ。龍神王様や副神様に反目すると恐ろしい」

「い、いきなり何をするんだ!」


 ギイチはよろめきながら立ち上がった。


「君が何をしたか分からないが、罰は理不尽な程効き目がある。大事な婚約者の次はこの家や近所、この街と波及するぞ! さっさと行け!」


 出て行くように、といようにルーベル副隊長は腕を動かした。

 信仰心の無いギイチは龍神王も副神も信じていない。しかし、海岸で奇妙なヤドカリを蹴ったことが脳裏によぎった。あの後、マリは急に体を悪くした。


「引きずって行く事に価値はない。謝罪は自ら進んでする事に意味がある。このままだと君の婚約者はせっかく助かったというのに、一番最初に死ぬからな!!!」


 ルーベル副隊長の怒鳴り声は落雷の如し。ギイチは不貞腐れつつも、意識が混濁しているマリの呻き声を耳にして、せっかく助かったのに最初に死ぬという脅しに対する恐怖に掻き立てられて、転びそうになりながら走り出した。

 

 ぱらぱらと雨が降ってきていて、その雨は次第に強くなり、ギイチが海岸に到着すると雷が鳴り始めた。

 海は荒れ狂っていて、高波が海岸だったはずのところを半分程度侵食している。


「う、嘘……だろう?」


 落雷の強烈な光とほぼ同時にギイチの目に、明らかに大きな蛇のような生物が飛び込んできた。それは海面から姿を現して、半円を描いて海へ沈み、それきり。

 しかし、彼の瞳は確かにその鉛色の体をした蛇のような生物を捉えた。それはまるで幼少期から何度も目にしている龍神王、というような姿であった。


 十数年前、皇帝陛下が暗殺されかけた時にこの国からは大勢の失踪者が出て、龍神王様が姿を現したという記事が新聞を賑わせた。

 ギイチはその時はまだ半元服前だったけれど、必要な知識なのでと数年後に家庭教師から教わった事件。

 その内容を無神論者の彼は鼻で笑って、創作話だと決めつけた。この国の区民に広がっている信仰そのものをバカにしてきたというのに……。


「……。あのヤドカリ……。まさか今の生き物の子か?」


 それならマリは、自分が今の生物の子どもに悪さをしたから呪われたということなのだろうか。

 何が謝れだと毒づきつつも、ルーベル副隊長の「君の婚約者はせっかく助かったというのに、一番最初に死ぬからな」という怒声が脳裏によぎり、怯え、震え、小さな声で「悪かった」と呟いた。


 恐怖で高波が生き物に見えただけかもしれない。全ては誤解や勘違いや思い込みで、医者に診せることなく切られたマリの右足は、本当は切らなくて済んだのかもしれない。


 そもそも時系列がおかしい。妙なヤドカリを蹴ったのはついさっきで、マリの痣は本人曰く四日前にはあったもの。


 様々な思考がギイチの脳内を巡るものの、もしも本当ならマリを失うと怖れて、ギイチは次第に心から謝罪するようになった。

 大雨でびしょ濡れになりながら、悪かったとすみませんを繰り返し、やがてその近くでオケアヌス神社の奉巫女達による海鎮(かいちん)の義が開始。

 なぜか、奉巫女達の頭上だけ雲が去っていき、演奏や舞と歌を行う彼女達はあまり濡れず。


 一刻もせずに雷雨は去った。


 その光景を、ギイチは一生忘れることはないだろう。


 ★


 今日はきっともう大丈夫だろうから着替えを、と奉巫女達の従者に促されて神社へ戻ったギイチは、意識を少し取り戻したマリと再会した。

 目を開いても、半分しか開いていないし、意識が不明瞭なマリは何も話さない。話せない。ただ、ギイチが取った手を力無く握り返した。

 

「マ、マリ! マリ……。俺のせいらしい。化物に呪われたんだ。いや、そもそも足を切る必要なんてあったのか?」


 マリの近くに滑るように座り込んだギイチは、近くにいる医者に問いかけた。


「灰疹病はあっという間に身体中に広がって死ぬ病です。私を待っていたら彼女は死んでいましたよ」

「は、はいしん……病……というんですか……」

「ええ。何の前触れもなく発症することが多いですが、急激に進行する一週間くらい前から兆候が出ます。こちらのお嬢さんは四日前に変な痣があると気がついたそうですね」

「四日前……」


 やはり、化物の子疑惑のヤドカリを自分が蹴ったからマリが呪われたとは考え難い。


「発症の原因は不明ですが、人から人へ感染る例は知りません。病巣起点が切り取れない部分だと、手の施しようが無いです。このように全身へ広がる前に切り離せたのは不幸中の幸いですよ」

「不幸中の幸い……」

「七十年生きていて、この病を診たのは十二人です。救えたのは二人で、そのうちの一人は三年前にこの神社で倒れた青年でした」


 極めて稀な死病に侵されたのはあまりにも不幸であるが、目の前の医者が関与した者のうち、半分以上が死に至ったのなら、マリがこのように救助されたのは確かに幸運である。


「彼が失ったのは左手でした。この病のことや処置について、奉巫女様が覚えていて良かったですね。急激に増悪するので、呼ばれた時には手遅ればかりなんですよ」


 医者はギイチに説明を続けた。急いで足を切り離したけれど、もしかしたら残りの体に病が侵食しているかもしれない。

 しばらくは右足の切断部を見張って、兆候が出たらまたそこを切断しないとならない。

 それとは別に、血を流したことことによる体の弱りや、止血を火で無理矢理行ったので、火傷後病にも気をつけないといけない。


「入院するのが一番安全です」

「……します! 金はあるので、無くても作るので、彼女が助かる為に出来ることは何でもして下さい!」


 こうして、マリはオケアヌス神社で病気平癒祈願をしてもらった後に病院へ運ばれて入院。彼女の両親が呼ばれて、母親は海辺街に残ることになった。


 ★


 ギイチは毎日オケアヌス神社へ通って彼女の無事を祈り、どんな天候でも帰りに海岸へ行って謝罪した。

 時系列的に、謎のヤドカリを蹴ったからマリが呪われたとは考えにくいけれど、生死の境にいる彼女が、謝罪しなかった程度で黄泉へ連れて行かれたら後悔すると、彼は毎日欠かさずオケアヌス神社と海岸へ通った。

 一度快晴になったものの、二週間程海辺街の天候は荒れ、晴れたと思えば一気に雷雨になったり、突風が吹きつけて被害が出たり。


 誰のせいでこんなに海が荒れ狂っていると、漁師達が農林水省に苦情と調査依頼をしたので、その結果役人達はシン・ナガエが原因らしいという情報を入手。

 事情聴取をされたギイチは、心当たりは海岸で見かけた奇妙なヤドカリを蹴ったことだと答え、役人達はそのくらいのことは日常茶飯事なのにと首を捻りながら帰った。

 しかし、海の生物で虹のように光るのは姿かたちは変われど海の大副神様の遣いだ、という話を役人達は漁師達から聴取。


「よって、貴方が海へ近寄ることを一生禁じます。現在、自主的に続けている謝罪は海の様子が落ち着くまで無期限強制とします」

「……かしこまりました」 


 ギイチの心はマリへの心配で満たされていて、誰が来て何を告げても関心を抱かず。

 彼はもう理解している。マリの病は誰にでも起こり得る不運で、海の大副神の怒りとかいうものは別件であると。

 謝罪以外は仕事と、調べ物の日々を過ごしていて、彼は龍神王や副神に関する書物を読み漁った。

 家庭教師から浅いところしか習わなかったので、世論操作の為に作り出された創作物と鼻で笑っていたけれど、理屈では無くて感情が「神であっても違くても何かは存在している」と警告しているで真剣に学んだ。


 天罰は理不尽に思える形で現れる話ばかり。それに、何もしていないような者を救うような話もなかった。龍神王や副神は、相当な善人やかなり信心深い者にしか加護を与えない。

 自身の気持ちに蓋をしても、嘘をついても、得体の知れない存在は自分のマリへの気持ちを見抜くかもしれない。そうなると、自分への罰は常に彼女へ下される。

 ギイチは調べれば調べる程、そう信じるようになった。妻が神職だから信心深いルーベル副隊長が「君の婚約者はせっかく助かったというのに、一番最初に死ぬ」と発言した理由も、自国の宗教を学んだのでもう理解出来る。


「何でもします……。マリが……呪われない為ならなんでもします……」

「それから、全財産の半分を没収します」

「……は、半分?」

「漁師達が俺達の豊漁姫を罵倒した、疑ったと怒り心頭です。あと、一閃兵官の愛弟子を責めたと。君のせいで商家も役人達も大変です。豊漁姫様と一閃兵官さん当人が間に入ってくれたからこれで済みましたけど、君の実家や婚約者さんの実家の事業停止や王都街追放もありましたよ」

「はぁ……。身に覚えはありますが、咄嗟のことで……すみません」


 ウィオラ・ルーベルは数十年振りの奉巫女で、まだ次の世代の豊漁姫は見つかっていない。

 その夫ネビー・ルーベルには兵官としての功績が数多あり、とにかく味方が大勢いて、その中の最大勢力はこの南地区海辺街の漁師達。彼らが背後にいるので、彼は神職との縁結びを許された。

 この街に住んでいて、なぜその二人に対して罵倒や非難をしようとした。それも婚約者を助けてくれたというのに、とギイチはしばらく叱責され続けた。


「二人にも謝罪しに行きます。そのやり取りを全て記録して、漁師達に報告しないと騒動は終わりません」

「騒動……どうなっているんですか?」

「君は引きこもりの病人で、幽霊屋敷だと呼ばれる家で暮らしていたから、捻じ曲がった人間に育った。管轄していた福祉班を出せ。屯所そのものの責任だ。家族は何をしている。仕事をしていたようだからその関係者も全員責任者だと、とにかく各方面に苦情が殺到しています」

「……」


 たかが、奇妙なヤドカリを蹴っただけでこの事態。ギイチは素直に農林水省の役人達の指示に従い、謝罪回りを行った。

 誰に何度頭を下げても、ギイチには怒りは湧かなかった。こんなことでマリが助かるなら何でもすると、心の底から謝った。

 彼のそのような真摯な姿は相手に伝わり、財産を半分没収すると借金のある婚約者の家は娘を治療出来なくなる、と同情されてその罰は無くなった。

 

 入院費に治療薬代、それから義足を作る金が必要だと、とにかく自分に出来ることは金を稼ぐことしかないと、ギイチは仕事に打ち込み、予定していた作品を早く売り出して欲しいと出版社に頭を下げに下げた。

 迷惑をかけたことを謝罪して、どんな仕事も引き受けるので依頼して欲しいと頼み、さらにこう告げた。


「彼女を襲った病は、兆候に気がついた時に処置すれば命は助かります。ほぼ完成している長編の一つを大幅改訂したいです」


 その作品は、シンイチという小説家が話題になってから遅れて出版して欲しい。そうして多くの者が手に取り、灰疹病という存在とその病からの救助方法を知れば、助かる命が増える。

 ギイチは別に他人を助けたい訳ではないが、そうした善行に見える行動が、いつかマリへの手助けになると考えた。

 誰かに何か問われたら、必ずこう話せば良い。一人でも救われて欲しいので、私を襲った病を使って、沢山の人に警鐘を鳴らして欲しいと「マリ・フユツキ」が告げた、彼女に頼まれたと。

 そうすれば彼女の名誉は高まり、彼女を恩人と呼ぶ者が現れて、困った時にマリを助けてくれるだろう。


 なので、ギイチは担当編集ケンジにもアザミにも「マリがそう言うのでお願いします」と、土下座の勢いで頭を下げた。


 その一連の騒動で、ギイチは己の言動を反省して、気をつけて暮らしていこうと決意。

 人は変わる。良くも悪くも壁にぶつかると変化する。シン・ナガエはこうして「自分は怪物では無い」と叫ぶための筆名「偽異魑(ギイチ)」を捨てた。

 勝手に看板を貼る相手が悪い、自分は人間だと主張するのではなくて、それは自らの言動で証明することだとついに気がついたのである。


 それに伴って、これまでの作風も捨てた。


 ★


 どうか彼女を黄泉の国へ連れて行かないで欲しいというギイチの切実な願いは叶い、マリは多少の熱発を繰り返したものの、二ヶ月程で「もう安心でしょう」と退院した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつもどの作品も想定外なことが多くて、あやぺんさんの世界に引き込まれます。 [気になる点] マリにこのまま死ぬか切断するかを選ばせる描写が無かったこと。ヤドカリの持ってた金平糖を食べていた…
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