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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
交流ノ章

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十話

 アリアとミズキと同居初日、鶴屋で昼食後にアリアはユリアの叔母夫婦と鶴屋奉公における挨拶や最初の勤務日についての説明会などがあるので、ギイチ達は応接室で待つことになった。


「先生。そういえばあの場面、太陽は沈まないの、最初の煌国デート場面」

「なんだ?」


 視界の端で、マリが楽しそうに笑ってユリアとミズキと話している。ギイチの集中は部屋を出た時にきれたので、アザミが仕事の話をしてもあまり。


「面白味も臨場感も無いので変更して下さい」

「はぁ? あれで良いって言ったのはケンジだぞ。ひよこ編集の君の意見は聞かない」

「いえ、ケンジさん達からの要望です。忘れていました」

「また、そんな前まで戻るのか。いくら俺の筆が早くても、何作も同時変更なんだから終わらないぞ」

「信じています先生!」


 ギイチはアザミに「先生には出掛けるという経験が圧倒的に不足しているから、この待ち時間で周辺観光をして来い」と言われた。

 マリさんにだけ日傘が無いなんて虐待だ、と強く押した時のようにわりと命令口調で。


 髪飾りを買えなかった日、こっそり家を出て、閉店間際のお店に駆け込んで手に入れた椿柄の髪飾りを渡せるかもしれないと思えた。贈る為の言い訳は色々用意してあるので、あと必要なのは口にする勇気だけ。

 しかし、ギイチのその勇気は毎日長屋でへし折られる。人当たりの良いマリは誰にでも可愛い笑顔を向ける。そして彼女はユミトの隣にいることが多いからだ。


「分かった、分かった。そのまま家に帰って良いよな?」

「もちろんです。長く出掛けたり、飲んで帰っても良いですよ」


 気を許している相手に程、押しに弱いギイチは不本意ながら立ち上がった。こんなに暑い中、屋外で取材なんて最悪だと。


「マリさん。先生が取材に行きます。せっかく繁華街へ来たので。しかし、左手が不自由なので心配です。それに引きこもり過ぎて体力も無さそう。同伴してもらって良いですか?」


 目を見開いたギイチはアザミを睨むように見下ろしたけれど、アザミは予想していたというようにそっぽを向いてしたり顔。


「まぁ、シンさん。シンさんが外へ出掛けるのは一ヶ月振りくらいですし、鶴屋以外へも行こうと考えたなんて素晴らしいです」


 このマリの発言に対し、ギイチは「引きこもりを心配する親か!」と怒鳴りたくなったが、今日から同居するミズキの前でいきなり本性を見せるものではないので、ぐっと耐えた。


「強めに言ったら行っても良いと。マリさん、先生を頼みます」

「さすがアザミさんです」


 アザミが手招きしたのでマリが寄ってきた。アザミは「新作長編小説のデート場面が没を食らいました。先生はほら、引きこもりだし女とデートもしないから想像で書いて、面白味も臨場感も現実感もなくて」と彼女に告げた。


「デートもしない……。今はそうでも昔は違うのでは? シンさんには、初恋の人と過ごした日々があります」

「昔? 先生に恋人がいたことはありません。遊女にたらし込まれて金をむしり取られたくらいですよ。遊女はあまりデートしてくれません。それで花街外へ行くのは無理」


 余計な話をするなとギイチはアザミを睨んだが無視された。マリが、彼女が座っている位置からだとごく自然にそうなる上目遣いでギイチを見上げたので、胸がじくじくし始める。

 純粋培養されたお嬢様は「遊女なんて……」と嫌悪感を抱くだろう。


「そういう訳で、マリさん。先生とデートして来て下さい。この辺りをぷらぷらして、お店を見て回って、海岸散策とか。でないと先生の作品の質が悪いままです」

「おい。質が悪いってなんだ」


 さぁさぁ、と促されてギイチとマリは応接室を追い出された。


「……まぁ、付き合ってくれ。俺は仕事はきちんとしたい」

「毎日、励んでおられますものね」


 マリは少し沈んだ顔なので、ギイチはアザミを恨んだ。無理矢理連れ回しても何の取材にもならないし、ただでさえ親しくないのに溝が深くなると。


 ★


 マリのような女性の初デートは普通、簡易お見合いなので仲人や親同士が話をつけて、付き添い人を用意して茶屋で待ち合わせが最初。

 既に同居結納中の男女に付き添い人は必要ないので、今回のギイチとマリのお出掛けに付き添い人は無しでも問題ないが、この時点であまり資料にならない。


 蝉の不快な鳴き声に、湿気と暑さで更に不愉快。扇子を使って顔を仰ぎながら、道行く者達の一部が自分の顔を見て表情を曇らせたり眉根を寄せるので苛立ちがつのる。

 マリが口を開かないので無言で歩いていて、話しかけてこない彼女にも、何も喋れないくらい緊張している自分にも、行き交う人々の視線や暑さにも腹を立てて、苛々が臨界点を突破というまさにその時、ギイチに対して「シンさん」とマリが声を掛けた。


「暑くないですか?」

「暑い」

「日傘の下は暑さが軽減されます。その……」


 マリは傘の柄に少し触れて角度を変化させて、ギイチへ近寄ってきた。


「……」

「どうですか?」

「……初夏の気温でも、俺は暑さが苦手だから……助かった」


 調子に乗って近寄るな! という照れ隠しの叫びは、マリの不安げな眼差しで引っ込んだ。なにせ彼女は少し涙目に見えるので、本心でも無い罵倒をしたら泣き出しそうだ。

 ギイチは「そんなに俺と二人で街中を歩くのは嫌か」とため息混じりに道の小石を蹴った。


「昔、祖父母がまだ生きていた頃にこの辺りを家族で観光しました。新しいお店も出来ています」


 マリはふっと笑顔になり、楽しげに目を輝かして、あらゆるお店に視線を移動させ始めた。

 一方、ギイチはそれらの店に興味を示さずに、これが一般的に天真爛漫と呼ぶ女性かとマリを観察。マリという女は相手への嫌悪感を隠すのが上手いのか、それとも思考の切り替えが早いのか、どちらだろうか。


「引っ越してきてまだ来ていませんでした。色々な物が売っていますね。本屋、本屋へ行きましょう。参考になる資料があるかもしれませんし、新しい本も気になります」

「本はアザミ君に出版社から持ってこさせているが、たまには本屋も良いか」


 あの貧乏臭い男と視線を集めるのは良いけれど、つい左手を使ってそれを見られると大体面倒なことになるのでギイチは外出嫌い。

 昔と異なり前髪を切ったので、わざわざ醜い顔を晒しているのもかなり心理的に負担。

 しかし、今日はそうでもないなとマリを見て、彼女の涙はもう引っ込んでいたので胸を撫で下ろす。


 繁華街なので見回り兵官がうろうろしている分、どのお店もわりと無防備で、軒先にも商品を並べている。

 商品をくすねて兵官に見つかって、捕物になったら資料になるのにとギイチは周囲を見渡した。


「どなたか知り合いの方がいました?」

「いや。想像でしか書いたことがないから、盗人が出て捕まらないかと」

「犯罪を望んではいけません」


 こらっ、と叱るような表情になったマリに袖を引っ張られてドキリと心臓が跳ねる。

 触るな! という衝動よりもこのままにしてくれないかという気持ちが勝った。しかし、マリの手はすぐに袖から離れた。


 拒絶の態度を示せば笑顔が消えるのは当たり前。

 テオからの手紙に「自業自得でフラれる程バカらしいことはないからな」と書いてあったことが頭の隅に引っかかっている。その言葉がギイチの天邪鬼さを少し牽制しているものの、励んで羞恥心に耐えても良いことはなさそうだと、再びため息。


 本屋に到着して店内に入ると、盗難防止なのか店番が全体を見渡せるような配置になっていた。

 本格的な推理小説や純文学、大衆娯楽作品や自費出版短編集などなど、ギイチは気になった題名の本の最初の(ページ)を次々と確認。

 彼は部屋にこもって執筆ばかりしているのではなくて、あらゆる文学も貪り食っている。偏食ではあるけれど。


「面白そうな本はありました?」


 集中していてマリと出掛けていたと忘れていたギイチは、若い女性の声が近くでしたので驚愕して後退り。


「なんだ。君か」

「格好良い方ですね、とナンパされたと思いました?」

「この顔の男に女が声を掛けたら金目当てだ。まぁ、俺なら金を払って色々資料にするけどな」

「……花街外でそれをしたら死罪ですよ」

「金のやり取りをして手を出すなら、近くの花街まで行くに決まっているだろう」

「……」


 笑顔だったマリは眉間にシワを作って下膨れ顔に変化。ぷっくりして潤いのある唇も尖らせている。


「どうした。急に不細工顔になって」

「別になんでもありません」

「本を買うのか? 君みたいな下街お嬢さんはどういう本を買うのか見せろ」


 ギイチが手を差し出すと、マリは両手で抱えていた三冊の本を彼に渡した。

 一冊目は「家庭でも簡単煌風の異国料理」というもので、最初の方の(ページ)を確認したら、結婚してから独自に考案した家でも簡単に作れる、煌国の家庭料理と異国料理を組み合わせた献立と書いてあった。

  

「こちらは手軽に買える物を中心とした、異国料理の味が苦手な方でも、少々いつもと異なる料理を食べたい方々へおすすめだそうです」

「ふーん。本にそう書いてあるのは当たり前だ。自分の本には売れて欲しい」

「南地区やこの街中心の本のようで、お店の場所が書いてありますし、いくつか見ましたが作れそうな献立で、分かりやすく絵も添えられています」

「その選択に問題無さそうだからこれは俺が買う。作らなかったら返金しろ」

「それはありがとうございます」


 外食したくないし、異国料理は両手を使って食べるものもあるとアザミに教わったギイチは口にしたことがないので、この本に興味を抱いた。

 二冊目は「華国(フラァコク)の歌姫アリアの煌国風お洒落」という本。

 内容を確認して、歌姫アリアを題材にしているのに、彼女の髪型や服の表現などに興味が無かったので、これはあまりにも必要な本。編集が持ってきていないので、文句を言おうと決意。


「服や髪型の描写に使える。なのでこれは俺の資料と兼用だ。だから俺が買う」

「まぁ。そうですか。ありがとうございます」


 三冊目は「人魚姫」という題名の本で、軽く内容を確認したら架空の生物を主人公にした小説のようだった。


「これは自分で買え」

「はい」

「なるべく色々読むようにしているから、読み終わったら貸してくれ」

「シンさんの部屋には本が山積みです。読書家ですよね。代わりに私にも何か貸して下さい」

「それなら……アザミ君が持ってきた若い女性向けという古典万葉短編集がある」

「ありがとうございます」

「これで買って来い」


 ギイチは財布から銀貨を取り出してマリへ差し出した。彼女が銀貨を受け取るとすぐに店の外へ出て、店前の長椅子で待機。そこまで身なりが良くない子どもが二人が熱心に読書中。

 買えなそうなのに読むなと店員が怒らないということは、貧しめの子どもが読書をする機会は少ないからどうぞということなのかもしれない。

 親切心なのか、商売に役立つ理由があるのか……と考察していたらマリが目の前に立った。


「お待たせしました」


 ギイチはゆっくりと立ち上がった。それで、悩んだものの、どうせ年末には居なくなって永遠に会わない相手なので、何もしないのは損するだけだと決意。


「文通が先なら手繋ぎも先だろう? 祝言はやめたが、婚約範囲のことは取材としてする」


 ギイチは左手を袖から出して、ほら、偽善者でないなら忌まわしい手に触れてみろとマリを試すように奇形の手をマリへ伸ばした。

 強がったけれど、人目に晒した左手は自然と震える。ギイチの想像とは異なり、マリがぼぼぼぼぼぼっと火がついたようにみるみる赤くなった。


「しつ、失礼しましゅ」とマリはギイチの手に右手をそっと置いた。その手はギイチの左手以上に震えていて、彼は「怯えるよな」と落胆。

 しかし、マリが困り笑いを浮かべて、自分を見上げたり、地面を見たりしながらギュッと手に力を込めたので戸惑う。


「そうですよね……。婚約者ですもの……。日傘は難しいので、日陰を歩きましょう。あつ、あつ、暑いですね……」


 マリがへにゃへにゃ、ふにゃふにゃ笑い始めたのでギイチの戸惑いはさらに増した。これは嫌悪感とは異なると期待してしまう自分がいる。


「ふーん……。男に全然触ったことのない女はこういう反応をするのか」


 こうして、ギイチはマリと手を繋いで散策を再開。デートの定番らしいので、人がいるのか確かめたり、マリがどのくらい動揺するのか知りたいと、ギイチは小神社を探した。

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