九話
シンのお屋敷に住み込み使用人が雇用されることになった。彼女アリアは身寄りがなくてレイが保護したそうだ。
色々出来ないので、自立に必要な最低限の家事をレイの実家で彼女の母親や叔母から教わって、今回の雇用で半自立。
年齢は二十一才で、家事は本格使用人にはなれないくらいの半人前で、鶴屋で週二日奉公もする。
私の家事禁止令は解かれて、アリアの成長の為にも長屋で炊事ではなくてシンのお屋敷で炊事に変更。半人前が二人で、一人の家守りとしてどうにかなるだろうとシンに言われた。
レイに頼まれたかららしく、あの美味しい食事が無くなるとシンは不機嫌。手紙で母も「娘に花嫁修行をさせて下さい」と頼まれたことも聞いた。
母に尋ねたら、私が家守りをクビにされたと大変不満げだったから頼んでくれたそうだ。
私はモヤモヤして、両親に「祝言は無しになり年末に帰ることになった」と伝えられていないし、シンにも「ありがとうございます」と言えていない。
私が去ったらシンはまた自堕落生活かもしれないし、少しくらいは寂しいだろう。
年始からは初恋の君と文通出来る! と喜べないで、帰りたくないなぁと思う理由は、多分私はシンを気にしているから。これを人は淡い恋と呼ぶのだろうか。
そうだとしても、シンは私をどんどん嫌っていく勢いなので、本格的に好きになったら失恋決定で辛いから、私はこの気持ちを無視することにする。
アリアと一緒に、ルーベル副隊長の妻ウィオラの弟子が、東地区へ帰る前に海辺街で暮らしてみたいので、アリアの手伝いがてら一緒に住みたいと希望を出した。
彼女、ミズキ・ムーシクスは私立女学校出身のお嬢様で、幼少期から大舞台に立っている芸妓でもあるからシンは良い資料だと大歓迎。彼の口振りだと、アリアを雇うのはミズキのおまけのようだ。
☆
七月になったので毎日暑くなってきた。シンとアザミは彼女達と面談したけど、私はアリアとミズキに今日初めて会うので非常に楽しみ。
彼女達の荷物を運ぶ為に、ユリアが親戚数名と一緒に来るのでユリアと会えるのも喜ばしい。
アリア達は昼間前に到着。アザミと二人で応対したら、制服姿のユミトも一緒で、赤鹿が小さめの荷車を引いていて、そこに荷物が乗っていた。
レイから知らされていたように、来たのはアリアとミズキ、ユリア、ユリアの母の姉夫婦、それからミズキの師匠ウィオラとユミトの七人。
挨拶を交わして、手伝わなくて良いと言うので部屋まで案内と荷運びを見学。
アリアは予想外のことに異国人だった。異国人が煌国で身寄り無しはおかしいので、混血なのかもしれない。
すこぶる美人で、ほりが深めで目鼻立ちがはっきりしていて、目が大きくてまつ毛も長い。その大きな目には若草色の、煌国では見ない色。
昨年、華国から来ていた歌姫アリアも同じ髪の色と瞳だったはずで、名前も同じなので、飛行船墜落事故で亡くなった悲劇の歌姫は、近くで見ると彼女のようだったのかな? と思案。
アリアは背も高めで手足も長く、腰の位置が高い。横流しにした落ち葉色の髪をゆるい三つ編みにしている。
一方、ミズキは私と同じ煌国人らしい容姿で、親戚だからかウィオラとわりと似ている。丸顔で垂れ眉で垂れ目で、少し唇が厚いので色っぽい。私の二つ年上にしては、本当に大人っぽい。
アザミとお茶を淹れて居間に用意して、片付けが終わった人達が徐々に集合したけど、弟子をよろしくお願いしますと頭を下げたウィオラは「仕事があるので失礼します」と去った。
その時に、ユミトが「神社まで送って、そこから勤務なので」と彼も一緒に出発。
引っ越しが全て終わると、家の中の案内は後でにしてもらって、まずは昼食をご馳走しますとユリアの叔父ジンが告げて、残りの人達でお出掛け。
アザミがシンに声を掛けたけど、集中していて全然気が付かれず、肩を叩いて声を掛けたら、良いところなのに邪魔をするなと怒られたそうだ。
戻ってきたアザミに「マリさん、お願いします」と頼まれて、私でも無駄だろうなぁと思いつつシンのところへ。
案の定障子越しに声を掛けても無駄だったので、部屋に入って肩叩き。和むかなぁと、人差し指を伸ばしてつっかえ棒。シンは見事に引っかかった。
単に、シンの頬をつるつるして見えるので少し触ってみたかっただけ。
「シンさんも鶴屋さんへ行きましょう? お腹が減っては頑張れませんよ」
「この指はなんだ」
ギロっと睨まれて意気消沈。
「つい、その。ふざけです」
「はぁあああ……。君は子どもか。いや、まだ子どもか。秋にようやく成人だもんな」
深いため息を吐くとシンはゆっくりと立ち上がった。
「着替える。着物と帯」
「かしこまりました」
出て行けではなくて着替えを手伝いなさいは予想していなかった。洗濯屋から返却された衣服を片付けるのは私の仕事なので、シンの箪笥の中身は私が整えている。
引きこもり人間のシンはあまり着物を持っていなくて、浴衣はそこそこ持っている。
「どの着物にしますか?」
「任せる」
それなら私が買った着物が良いなぁと選ぼうとして手を止める。出掛けないから着物を着なくて、アザミに日の光を浴びるようにと渋々少し散歩する時は浴衣姿。
だから着物を入れている引き出しを、私は全然開いていない。着物はあまり洗わないもので、シンが着ないから尚更。
その引き出しの着物の隣に紫色の小さな帛紗に半分包まれた黒塗りに赤白桃色の椿が描かれた、半扇型の髪飾りがあったので困惑。
「……」
うんと高くはなさそうだけど、私達国立女学生が売ったり買ったりする安物小物ではない。
上品なこの髪飾りをシンは誰に贈るつもりなのだろう。
モヤモヤしながらシンに着物を運んだら、着付けられる着付け場面が上手く書けないから着せてくれと頼まれた。
父親や亡き祖父以外の肌着姿を見るのは初で照れるけど、なんとか着付けたら「どうも」だけ。
「お役に立ちますか?」
「どこが触れるとか、上からの眺めなど分かって助かった。逆も知りたいから脱げ」
「……えっ?」
「君の長襦袢姿なら前に見た。浴衣と似たようなものだから平気だろう。脱げ」
「今ですか? お客様がお待ちです」
「俺は今煮詰まっていて、解決しないと落ち着かない。脱げ。俺の命令は絶対のはずだが? 金を出さないぞ」
「……はい」
命令されるのは久しぶり。契約関係だということを忘れかけていた。仕方がないので半幅帯と腰紐や胸紐を解いて着物を抜いだ。
「茹でたカニみたいになっているぞ」
「あた、当たり前ではありませんか!」
「色気のいの字もない、そんな重装備の浴衣並みの長襦袢姿なのに何が恥ずかしいんだか」
呆れ顔をされたけど、こっちこそ不満!
私の着物を手に取ったシンが私に着付けを開始。彼に着付けた時はそこまでだったのに、逆だと羞恥心が強い。
「女の衣服は脱がすものなのに、なぜ俺は着せているんだ。なんでそんな場面が出てきたんだっけ……。ああ……」
シンはぶつぶつ独り言を言っていて、私と距離が近いことによる照れはないようだ。女性の帯の締め方までなぜ分かる。
「シンさんは女性の半幅帯も結べるのですね」
「脱がす時の逆だし、何度も着替えを観察したことがあるから分かるに決まっている」
「……」
そうだった。彼は「女は知っている」と口にするような、私と三才違いとは思えない男性だった。
こうして支度を終えて、お客様と合流して鶴屋へ出発。シンは想像していたよりは丁寧な、きちんとした挨拶をした。それでアザミと何やら打ち合わせを開始。
気になるアリアはミズキと話しているので、私はユリアと並んで歩くことにした。
☆
ユリアとひそひそ話で、ついにテオと手を繋いで歩けて、それはもう嬉しかったと教えてくれた。
「マリさんはシンさんと手を繋ぎました? 一つ屋根の下でも中々先へ進まないようですけれど」
「シンさんと私は家関係の縁結びで相愛結納とは異なりますので」
ユリアに顔を覗き込まれたけど、何も言われず。
「いきなり本番で平気ですか?」
「本番……ってなんのですか?」
「祝言の夜のことです」
「……」
その夜に何が起こるのか私は知識不足継続中。ただ、以前想像していたキスをうんとされて、男性が好きな女性の体をあれこれ触られるというものとは異なることは知っている。
少し迷って、シンは私と結婚したくないから、半年くらい交流したけど気に食わなかったと婚約破棄する予定だと教えた。その場合、シンの父親が我が家に払ったお金は返すことになるけど、同情して親切にしてくれるシンが全額無利子で貸してくれることも説明。
これは真実では無いけど、表向きの話に合わせると私達の別れ話はこうなる。
「婚約破棄すると二人で決めたのですか」
「いえ。シンさんがそう申しました」
「……それなら、まだ時間はあるので励めますね」
「……励める?」
「とてもお辛そうな顔をしています」
このように指摘されるということは、蓋をして無視する私の気持ちは全然蓋を出来ていなくて、シンへ向かっているってこと。
「……。ユリアさんはテオさんにどう、その……自分の存在を主張しました?」
「お役に立たず、すみません。幼馴染ですので全然です」
「そうですか」
あっ、と小さく叫んだユリアは前を歩いている叔母を連れてきた。ユリアの母親の唯一の姉叔母ルカはどことなくレイと似た顔立ちをしているけれど、そっくりではないし、他人と言われたら納得する程度。
「ユリア、どうしたの?」
「叔母様は叔父様とどのように縁結びしました?」
「いきなりどうしたの。知らないんだっけ? 普通に職場お見合いだけど。お父さんがジンに娘はどうですか〜って聞いて、悪く無いですね〜ってことでお見合い」
「……参考になりません」
「なーんの参考にしたかったのかな?」
「……私はツンツンして見えるので、どうテオさんに気持ちを主張するのか悩んでいます」
ユリアはチラリと私を見たので、これは私の為の嘘だと分かる。
「テオなら、俺のこと好き? とか言ってそうだから頷いておけば問題無いでしょう」
「……そのような質問はされません」
「そうなんだ。顔も中身もイオ君似のようでミユさんの成分も入っているからかな。母親似のツンツン女に惚れるって笑えるよね」
「叔母様はもう良いです」
「えっ?」
ユリアは次に叔父を呼んできた。ルカは追い払われた。
「ユリア、どうしたんだ?」
「昔々、若かりし頃。叔母様に何をされたら嬉しかったですか? あとどんなところが可愛かったですか?」
「昔々? ルカさんはずっと常にかわゆいし、今も何をされても嬉しいけど」
「……常に?」
「常に」
「四六時中?」
「そうだけど」
「最初からですか?」
「いや。最初は……どうだっけ。いや、可愛かったな。かわゆい女は皆同じように見えていたけど」
「そこです! 特別かわゆいになったのはなぜですか?」
「ははーん。テオに褒められたいってことか。ん? あいつはイオそっくりで褒めまくりの口説きまくりだろう。何が不満なんだ?」
「不満はありません」
「ルカさんが何か怒っているってことか。さっきコソコソ話していたから。なんか誤解かなぁ。ルカさーん」
貴重な男性という情報源が遠ざかってしまった。
「おいマリ。止まれ」
少し離れた後方からシンに呼びかけられたので足を止める。シンとアザミは近寄ってくるかと思ったら、二人はむしろ遠ざかり、日用品店らしきお店へ寄っていった。シンに手招きされたのでついていく。
「君だけ日傘が無いとは不憫だから買ってやる」
言われてみると、確かに今いる女性の中で私だけ日傘を持っていない。
「……えっ?」
「アザミ君に、肌が白い女は日焼けで黒くならずに赤くなって火傷のようになると言われた」
「そうでございますね」
「その感じだと君は黒焦げになるのか?」
「いえ。赤くなり痛くなります」
「それなら安いから選べ。今日はもう暑いし、今日からまた買い物などへ行くだろう?」
アザミが昼食の予約に遅れると良く無いので、皆で先に行きますと告げて、私のそばにいたユリアにも声を掛けて私とシンを置いていった。
「あの。ありがとうございます」
「見回り兵官に日傘くらい買えないのかと非難後に職質なんて嫌だからってだけだ」
「それでもありがとうございます」
あの大人っぽくも愛くるしい髪飾りと、目の前の安い日傘では雲泥の差だけど、私にとってはこの贈り物はうんと嬉しい。そういえば、椿といえば初春の代名詞なのになぜ夏に椿。
君との春——恋——が始まりますように、という意味だと今気がつく。
「安売りしているので、この椿柄の傘にします」
「ふーん。椿を好むのか?」
私はいくつもある傘の中から、黒地で縁が赤くて、椿の花の絵が三つ描かれている傘を選んだ。
「大人っぽいなぁと」
「まぁ、容姿がそれでこの傘なら、会話しない相手は見てくれに騙されるかもな」
口を開けば嫌味ばっかり。なんなのもう。どこかの誰かにはあの素敵な髪飾りを贈るくせに。その時はきっと、嫌味は言わないだろう。
買ってくれた日傘を差して二人で歩き出したら、少しして「俺の頭に刺さりそうだから寄越せ」と日傘を奪われた。気をつけていたし距離もあったのに、と感じたけど近くを歩くようになったので文句は言わず。
シンは喋らなくて、私は切なさと嬉しさで胸が締め付けられて声が出ず。
恋は落ちるという話なのに、初恋はわりとそうだったというのに、私はシン・ナガエのどこにいつ惹かれたのだろうか。




