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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
交流ノ章

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一話

 私は土曜にユリアと会うのを楽しみにしていたけど、朝ユミトが来て今日は中止と告げたらしい。

 一昨日、レイが勝手に家に上がったから、私は来客があっても応対しなくて良いとなったので、ユミトに会ったのはシンだ。


「中止ですか……。なぜですか?」

「君の友人が婚約者を骨折させたらしい。お詫びの手紙だ」


 シンに手紙を渡されたので受け取り、ここで読んで自分にも見せろと言われたので渋々居間で拝見。

 ユリアからの手紙には、叔母やユミトから元気だと聞いているけど自分の目で見て安心したかったこと、恥ずかしくて婚約者を突き飛ばしたら骨折させてしまったということが書いてあった。


「手を繋がれて照れて突き飛ばした結果、婚約者が骨折って、そんな話あるか?」

「この話はユリアさんの嘘だと言いたいのですか?」

「骨折はそうだな。前なら手を繋ぐ程度で照れるなんて大嘘だと思ったところだが、今は君という存在を通してお嬢様達の価値観を知ったから信じられる」


 ユリアからの手紙は、来週の土曜にうかがいますという文で締めくくられていた。ユミトは次の土曜日は仕事だから赤鹿乗り会はまた別の機会に、だそうだ。


 ★ 六日後 ★


 シン・ナガエこと小説家ギイチは物心ついた時には暗い部屋で暮らしており、食事は日に二回で内容は粗末なものだった。

 なので、彼は腹が減ることが苦手である。しかし、嫌いな外出をするくらいなら食べなくても良いと考えるし、食べなくても我慢出来る忍耐力も身に付いてしまっている。


 奇形の息子など恥、この息子は妻を奪った、この弟は母を殺したと肉親に憎まれて育ったというのに、ナガエ本家の者だからと礼儀作法は厳しく躾けられた。

 家庭教師が親にそう育てられ、茶碗に米粒一つ残すと「このように呪われる」と古典話をして叩くので、ギイチは根本的な信仰心は有していないのに、食べ物に関してだけは副神や呪いという存在を、無意識無自覚に信じている。


 そういう生い立ちのギイチは、朝目が覚めて腹が減ったと居間へ顔を出すと、お膳に朝食が準備されているという生活にすっかり喜びを感じている。

 自分の中で勝手に湧いてくる歓喜を否定するのは疲れるので、ギイチはこのことに関しては抵抗をやめた。マリという女は使用人、と思うことにして、使用人がいると朝から腹が満たされて嬉しいと考えるようにしている。


 さて、今日は打ち合わせの日。ギイチは基本的に出版社の担当編集と会うことを拒否してアザミを通すようにしていたのだが、マリが来てそこそこの人数の者達と接して、顔のあざや変わった瞳の形についてあまり言われないので、別に担当と会っても良いかと考えた。

 アザミがギイチにダメ元で「担当編集のケンジさんが、新作に関しては俺を通してではなくて、先生と直接話したいと言っています」と伝えたら、家でなら会っても良いという返答。

 この際、アザミは驚きつつも、ギイチの世界が変わろうとしていると唇の端を綻ばせた。


 十四時の鐘が鳴ってしばらくすると、ギイチの担当編集ケンジが屋敷へ到着。一緒に来たアザミは鍵を持っているので上司を居間へ案内。

 アザミが呼びに行く前に、白兎イノハを右腕に抱いたギイチが居間へ来た。


「マリ。買い物だったのか? 小腹が減って……」


 マリではなくて、アザミとケンジだったと知ったギイチはそのまま唇を結んだ。


「お久しぶりですギイチ先生。マリさんとはどなたですか?」

「ケンジさん。言うて無かったんですが、先生のお父上がお嫁さん候補を寄越したんです。傘下にしたい家に頼んで、三女さんを息子の嫁にするなら事業提携するという、商家だとあるある縁談です」

「へぇ、そうなのか。ギイチ先生、祝言する際は、あれこれお手伝いしますので頼って下さい」


 シンは無言で腰を下ろして、白兎イノハを床に降ろした。拾ってきたのはマリなのに、ギイチに懐いているイノハはシンのあぐらの上に乗って大人しくなった。


「新作はなぜ、アザミ君を通して原稿の往復ではなくて、このように君との対面打ち合わせが必要なんだ?」

「ギイチ先生、連載話が持ち上がっているんです。ご興味ありますか?」

「連載でもなんでも構わない。俺は自由に書くから売れるように采配してくれ。金はあるだけ良い。話はわりと勝手に湧いてくる。それが枯渇するまで書く」

「契約書の案をお持ちしたので、ご意見をいただきたいです。三日後に取りにきますので、修正希望やご意見をこちらの契約書に記載または別紙を用意しておいて下さい」

「分かった」

「よろしくお願いします。では作品の方なのですが、表文学の草案をいくつかいただきましたが、そのうち二つがかなり良いです」


 小説家ギイチは裏文学家なので、表文学方面では全く知名度がない。本を出して店頭に並べてもらおうにも置いてもらえないだろうし、国が管理するロストテクノロジーの印刷所へ依頼しても申請は通らないだろう。

 既に印刷許可が出ている、社が一番力を入れている月刊誌で連載して人気が出たら、数を売れない写本作品ではなくて、印刷本として販売出来る可能性がかなり高くなる。


「来年一月から連載したいので、二つのうちどちらにするのか決めて、ある程度書き溜めていただきたいです。これまでのように修正や助言もしていきたいです」

「案が増えているが二つのうちのどちらかで良いか? 前に言ったように、俺にこだわりはない」

「拝見したいです」


 シンは席を立って、筆記帳を数冊持って戻ってきて、ケンジにそのうちの一冊を差し出した。


「社に戻ってゆっくり拝見します。連載をどれにするか、もっと吟味します」

「こっちは裏だ。草案三つと短編数本とアザミ君や君達がボロクソに言ったところを直した中編を修正加筆したもの」

「ギイチ先生は相変わらず筆が早いです」

「書いているか寝ているか、食っているかという生活だから——……」


 ここへ、マリがただいま帰りましたと帰宅。編集が来ること、をアザミが昼間に帰ってくるだと思い込んでいたマリは、お客が来るとは聞いていなかったと驚いて静止。


「ケンジさん。こちらが先生の婚約者になってくれたマリさんです」

「こんにちは、暁光(ぎょうこう)出版第二小説部の副主任ケンジと申します」


 ケンジに身分証明書を提示されたマリは、挨拶をして同じように身分証明書を見せた。


「そそっかしくて帰宅が遅くなり申し訳ありません。お客様を待たせてしまうなんて。今、お茶を……お時間をいただければ、一服いかがですか? 茶室がありまして、丁度美味しいお菓子もございます」

「まだ打ち合わせに時間がかかるので、お言葉に甘えたいです」


 遠慮しないのかこの担当は、とギイチは無言でマリとケンジのやり取りを眺めた。

 アザミが昼過ぎに来るからお茶菓子を買ってくる、茶室で軽いお茶会をしましょうと張り切っていたマリが、かなり焦った顔をしているので、ギイチは彼女が「アザミしか来ない」と考えていたと推測。


「マリ。頼む」

「はい。かしこまりました」


 居間からマリが去ると、ケンジはギイチに軽口を叩いた。


「先生、可愛らしいお嬢さんですね。前なら美女と幽霊でしたけど、今の姿だとお似合いですよ」

「先生はマリさんに釣り合いたいからついにあのお化け姿をやめました。視界が明るい、着物は面倒とうるさいですけどこのように」

「黙れ」


 ケンジもアザミも、ギイチの拠り所が小説が売れることだということは薄々感じているので、あまりへりくだったりヨイショしたりしない。

 むしろ、引きこもってあらゆる世界を拒絶している、成人したとはいえまだ若い青年を心配している。そんな青年に優しげな美少女の登場となれば、当然彼の幸福を期待する。


「連載話は聞いたし、草案や資料はもう渡した。これだけの為に来るのは変だから、他に何かあるのか?」

「先生は昨年、(フラァ)国からの興行団体が来煌していたのはご存知ですか?」

「新聞くらいは読むからまぁ」

「それなら、その興行団体が帰国する際の飛行船が南西農村区の田んぼに墜落した大事件も知っていますよね?」

「ああ、年明けにそんなこともあったな」

「歌姫エリナの死体は見つかったのに、歌姫アリアの死体は未だに見つからないそうです。それで、大怪我をして昏睡していた生存者が目を覚ましたんです」


 奇跡的に助かったのは六才程の少女で、アリアお姉様は空に逃げたと証言したそうだ。

 残っている緊急脱出装置が大人のもの一つしかなくて、子ども達と共に逃げて火に囲まれて逃げ場を失った歌姫アリアは子ども達とその場に留まっていた。

 舞台装置係の老人が、生き残れる確率のあるから緊急脱出装置を使って逃げろ、自分ではなくてまだ若いアリアが逃げろと促したものの、彼女は共に育った姉妹同然の子ども達を置いていくなら死ぬとそれを拒絶。


「その老人は、歌姫アリアに無理矢理脱出装置を付けてを空に放ったそうです」


 燃えながら墜落していく飛行船の中にいては助からない。地面に叩きうけられて死ぬくらいなら、一か八か飛び降りる。

 老人は積荷から使えるものを探して、子ども達を投げる際に体が保護されるように工夫して、その結果十数人いた女の子達の中でたった一人だけが生き残った。


「来国一覧と生存者の証言で、煌護省や外務省は死亡者をもう把握しています。歌姫アリアはずっと死体が見つかっていなくて、亡くなったという証言もなかったんですが、逆に生きている可能性話もありませんでした」

「しかし、そこに生存者の証言か。未だに死体が見つからないとなると……歌姫も生存している可能性があるのか?」

「そういう噂話が出始めた途端に、歌姫アリアが生きていて、記憶が曖昧なら……という作品が出回り始めたんです!」

「ああ、その流行りに乗って俺にも歌姫アリアとやらを題材にして書けと」


 ケンジは大きく頷いた。


「その流行りの中で、歌姫アリアのこれまでの軌跡を書く方が売れそうではないか? 強気で自信家でわがままな発言をするも、圧倒的な実力で周囲の心を鷲掴みだっけか? そんな女が、子どもと死ぬことを選んだとは。そういう美談に人は食いつく」

「それはそうですね。生存者の証言は公になっていなくて、歌姫アリアは生きているかもしれないという情報しか持っていない者も多いようです」

「それなら尚更使える。最後は歌姫アリアを殺せば良い。子ども達を安心させるために歌って、天の原へ行きました。彼女は龍神王様に副神の地位を与えられたとかなんとか。死んでいたら事実のようなもので、生きていたら彼女への賞賛になる」


 事実はともかく、自分が書いた小説を信じた者達が歌姫アリアを讃える。そうすればアリア側からの不満も出ないだろう。上手くいくと販売に協力してすれる、ギイチはそう続けた。


「……先生には、記憶が曖昧な歌が上手い美少女とねんごろになり、記憶を取り戻した美少女は歌姫で去ってしまったというような俗物裏文学を頼む気でした」

「老人を美男子にして恋人に変えて、来煌前も後もあっちこっちでヤリまくっていたってことにしたら、美男美女の艶本になる。最後は歌姫を逃すために恋人が死ぬ美しい悲恋ものだ。二人がデートしたと俺達が勝手に決めた場所が観光地になるぞ。商家とつるんで大儲けしたらどうだ」

「ギイチ先生のそういうところを尊敬しています。自分達に本を売って欲しいから、そういう商売も考えてくれるところ。もう思いついたのなら草案をお願いします!」

華国(フラァコク)の資料と歌姫アリアに関する噂話や資料を持ってこれるだけ持ってこい」

「少しは用意してきましたが華国(フラァコク)の資料は全然。来週には持ってきます!」


 消えた歌姫か……と、ギイチは足の上で寝ているイノハを撫でた。

 

「こちらはこちらで書いていただきます。連載よりも一巻をバンッと出したいです。ギイチを一気に世に売り出した時のように、表文学でも一気に売りますよ。だから数作品同時販売したいので頼みます」

「分かりました。俺は書くだけなので任せます」


 普段は横柄なギイチだが、心からそうするべきだと考えた時は頭を下げる。最初にそのことを感じたからこそ契約したケンジは、今日も「これなら付き合いを続けたい」と心の中で微笑んだ。彼もアザミと同様に、彼の人生を気にかけている。


「先生、そういえば表文学の筆名は決めました?」

「アザミ君が本名のシンにギイチを合わせてシンイチはどうかと言うのでそれでいこうかと。漢字は任せます」

「先生に身につけて欲しいのは慎みなのでその漢字に、一番を目指して一にしましょう」

「はいはい。それならそれで。アザミ君には世話になっているから命名権を与える」


 この発言はアザミの涙腺を緩ませたのだが、ギイチは気がつかなかった。

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