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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
料理ノ章

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五話

 一回指導してもらっただけでも私の料理の手際は変化。女学校の授業や趣味会での経験や知識はしっかり私の土台となっているので、あとは慣れと落ち着きと事前準備というレイの教えが好影響。


 失敗せずに作れた朝食を、シンは「出来るなら最初からこうしろ」と褒めてくれた。

 普通に聞いたらこれは嫌な気分になる言葉だけど、シンという人間の人となりは分かってきたから嫌な気分にはならないし、褒めだと思える。


 片付けをしていたらシンが見学に来て、布団くらい買ってやると口にした。


「この家にあるのは旅館だった頃のものばかりだから、今部屋にあるものは古いだろう?」

「必要経費として認めて下さるのですか?」

「俺は部屋を片付ける気がない。そうなると初夜は君の部屋だ。体が痛くなるような古い布団は御免だ。古いということは臭そうだし」

「……それでもありがとうございます」


 これは二人で寝る布団を買うという宣言なので、恥ずかしくてならない。


「君はいなり寿司を作れるのか?」

「作れるはずです。実習で作りましたので筆記帳に書き付けがあります」

「それなら布団を買いに行った帰りに材料を買ってくる。教えてくれ」

「夕食は七地蔵竹林長屋でですよ」

「だからもう行かないと言っただろう」

「レイさんと喧嘩したのなら仲直りしましょう」

「誰があんな男とまた会うか」


 せっかくシンが外に出たというのにレイが台無しにした。このへそ曲げの理由を知りたいので、レイに会いに行けるなら行きたいけど、彼女は夕方帰宅するらしいので、その時間帯からは危なくて一人で出歩けない。


 布団を買いに行って、ついでに景色観察をすると言うシンをお見送り。そうしたら入れ違いでユミトが来訪。


「ギイチさん……じゃなくてシンさんは部屋ですか?」

「買い物と散歩に行きました」

「えっ? そうなんですか。あのギイチさんがまた家から出たんですね」

「はい」

「マリさんは凄いな。俺やアザミさんがまるで出来なかったことをあっという間にするなんて。これはこの間割った夫婦茶碗の代わりです。この間とは別物だけど、夫婦茶碗を再購入。結納祝いです。もっとええ品にしたかったけど、貧乏人ですみません」

「とんでもありません。祝福して下さり、ありがとうございます」


 前回同様に剥き出しのまま二つ重ねて紐で括ってあるお茶碗を渡されたので受け取ると、彼は会釈をして去っていった。門前で見送り時に赤鹿をまた見られたので嬉しい。


 朝食の片付けの続き、洗濯、掃除、中庭でイノハと遊んで休憩、掃除、夕食の下準備。酢飯用の材料を揃えてお米を洗って水に浸したところでシンが帰宅。


「お帰りなさいませ」


 玄関でお出迎えしたら、かなり驚き顔をされた。


「……お嬢様だと、男をそうやって出迎えるのか?」

「ええ。シンさんが知りたい世界の殿方はこのように出迎えられるかと」


 普通に三つ指ついて「お帰りなさいませ」と言っただけで驚愕されるとは。


「使用人がこのようにする場合もあるでしょう。私は時間が合えばお父様にこうしていました」

「お帰りなさいか……」


 何か荷物を持とうかと両手を軽く差し出したけど、シンは無視してスタスタ廊下を進んだ。今の「お帰りなさいか」は独り言のようだった。

 布団は明日、店員が届けてくれるという。いなり寿司はもう作れるのかと聞かれたので、今からおあげを煮るところだと伝えたら、包むところになったら部屋に呼びに来いという命令が返ってきた。

 おあげを煮つつ、お吸い物を作る。鍋をかまどから下ろして、おあげに味を染み込ませる間に洗濯物を取り込んでお片付け。先にお風呂に入ってしまおうと考えてお風呂。

 お風呂前に、おあげの味染みの様子と熱さを確認して、問題無さそうなので包む直前まで用意。お風呂後にシンに声を掛ければ良いと考えていたら、レイが来訪した。


 ☆

 

 昨夜、シンはレイと喧嘩したようなので心配だったけど、彼女が来たことを告げたら勝手にしろと言われた。


「勝手にって、レイさんはシンさんに会いに来たそうです」

「俺は二度とあの化け猫男の顔を見たくない」

「化け猫なんて酷い言葉はおやめ下さい」

「それなら怪物猫だな」

「シンさん。喧嘩をしたら仲直りをするものです」


 そこまで大きい声では無かったけれど、部屋から出て行けと怒鳴られた。玄関へ戻って、レイに「シンさんは具合いがあまり」と謝ったら、彼女はにこやかな笑顔。


「具合いではなくてご機嫌ななめってことですよね? それならお邪魔します」

「それならって……あの」


 家に勝手に上がるのは良くないことなのに、レイは図々しい。私の静止を振り切って、下駄を脱いで家の中へ。


「シン君の部屋はどっちですか?」

「レイさん。その、あの、これでは不法侵入です」

「そうですね。なんとなくこっちな気がする」


 ずんずん廊下を進むレイを追いかけていたらシン登場。


「おい、マリ! なんでこいつを家に上げているんだ!」

「どこかの間抜けがこんな時間にかわゆい婚約者さんに来客対応をさせたから不法侵入〜。押し入り強盗だぞ、ガオー」


 手を引っ掻くような形にしたレイがシンに向かっていーっと歯を見せる。とても三十才手前には見えない子どもっぽさ。


「……マリ。この男は勝手に入ってきたのか?」

「その……」

「その通り。なんで昨日知り合って嫌いになった自分よりも、婚約者さんのせいにするんだ。危機感が無さすぎる」


 レイがシンを睨み、彼も応戦というようにレイを睨みつけた。


「この説教ジジイ。レイさん、レイさんってチヤホヤされる巣穴へ帰れ」

「あんこ嫌いのシン君。これは嫌いか?」


 吠えそうなくらい自分を睨んでいるシンに、ニコニコしながらレイは風呂敷包みを差し出した。


「中身がなんだか知らないがいるか」

「マリさんとは仲良し喧嘩会話をするって聞いたから、真似した結果シン君はへそ曲がり。だからこれはお詫びの印。そんなに怒らないで?」


 両手を顔の前で合わせて困り笑いを浮かべたレイを、シンはなおも睨み続けている。


「中身はなんだ」

「興味ある?」

「食べ物を粗末にすると呪われるからな。料理人だと食べ物の可能性が高い」


 今回、気がついた。天罰を信じていない、龍神王様も副神様もこの世に存在しないと豪語するシンは、食べ物の副神様は信仰しているということに。


「レイさん特製練り切り。あんこが嫌いなシン君のために抹茶餡と黄身餡」

「……練り切りってなんだ」


 ナガエ財閥の御曹司なら、定期的に茶会があったはずだけど、練り切りを知らないということは、参加していなかったということである。


「重菓子とも言う。せっかくだから抹茶も点てようか?」

「……抹茶?」


 シンは飲食物で釣られる性格なのだろうか。レイを睨むのをやめている。


「食後の甘味はこの特製練り切りで、茶箱でおもてなしするからマリさんに料理を教えても良い?」

「茶箱はなんだ」

「抹茶を点てる道具が入った箱」

「……昨日みたいにあまりに失礼だったら追い出すからな。マリ、さっさといなり寿司を包め。レイ、君は手伝うな。俺は下手な女の観察がしたい」

「はいはーい!」


 自分も失礼なのにこの言い方。レイに「シン君は素直なところもあるからかわゆいですね」と囁かれた。


「なに、ヒソヒソしている」

「今日の夕飯は何? って聞いていた」

「今日はいなり寿司だ」

「そうなんだ」

「あとは包むだけで、シンさんと二人で包みます」

「ふーん、お邪魔虫そうだから噂の温泉を借りよう。シン君、お風呂はどっち?」

「図々しい男だな」

「そう、自分の取り柄!」


 ぶつぶつ文句を言いつつも、シンはレイをお風呂場へ連れて行った。私は先に台所にいると声を掛けて、シンといなり寿司を包む準備。

 他はお吸い物は温め直すだけで、魚の干物を焼くだけ。シンが来たので「始めましょう」と声を掛けて匙を差し出した。


「なんだこれは」

「おあげに酢飯を入れる為の匙です」

「俺はしない。君がするんだ」

「一緒にという意味では無かったのですね」

「観察するだけだ。君とマホ達では動きが違うだろうから比較する」


 シンは板間に腰掛けて、筆記帳を出して、鉛筆を握った。それなら、と私はいなり寿司作りを開始。


「マホさん達と動きが違うだろうとはどういう意味ですか?」

「君はそう育てられて上品だから。腹が減っているからさっさ作れ」


 無表情でサラッと告げられた台詞に少し照れる。今のは褒められたと考えて良いだろう。

 横柄な物言いや命令口調をやめてくれたら、もっと親しくなれる気がするのに。私は黙々といなり寿司を作り続けた。


 ☆


 レイは見習いの作った練習料理を食べてきたと告げて、私が作った夕食を口にせず。彼女は丁寧な形のいなり寿司だと褒めてくれた。


 食事後は火鉢と薬缶を使って、レイが茶箱の点前をしてくれて、シンは人生初の練り切りに夢中。

 雨上がりの紫陽花あじさいのような、食べるのが非常に勿体無い美しい練り切り。これまでの茶会で私が食べてきた練り切りとは明らかに格が違う。


「そちらのお菓子の銘はよひらの露で自家製です」


 よひらの露とは紫陽花の露ということなので、この練り切りは雨上がりの紫陽花ということだ。


「夏の夜の月は一際美しくも儚い。昼間の熱気や喧騒はどこへやら。雨が降った夜の後に、明け方の紫陽花を眺めると、またあのような夏が来ると胸が騒めく」


 シンは寂しそうな顔で練り切りを見つめた後に、紫陽花部分を避けて菓子切りで練り切りを切った。白い生地から黄身餡が現れる。その黄身あんは三日月の形をしていた。


「露からこの月を覗いていたのか。川で顔を洗おうとした猫の爪のような三日月だ……。また明日も雨かもしれない」


 穏やかに、優しく微笑んだシンの姿に私の視線は吸い込まれていった。なぜ、彼はここでこんなに幸せそうに、切なそうに笑ったのだろう。


「シン君、このお屋敷に猫が遊びに来ていたことがあった?」

「ああ。縁側で雨宿りしては柱で爪を研ぐ邪魔な猫がいた。ある日来なくなった。餌をくれる家に移動したのだろう」


 この台詞だけで、シンがその猫を気に入っていたと伝わってくる。そしてこれまでの会話で、その猫が去ったことが悲しいということも。


「シン君は私が今育てている見習い達よりも感性豊か。彼らはきっと、勉強嫌いだった自分と同じく遠回りする。君の作品はどんな分野であれ、きっと売れているんだろう」

「なんだ急に。君は勉強嫌いだったのか。頭の悪そうな顔をしているもんな」

「その通りで頭は悪い。でも今の龍歌が載っている古典は読破済みで、こうして作品に反映させられている」


 ここから二人は文学話で盛り上がった。私は手習に追われてあまり読書していないので、聞いていることしか出来ない。なんだか仲間外れの気分。


 見た目だけではなくて、味もこんなに美味しい練り切りは人生初なのに、美味しいはずの大好きなお菓子なのに、砂がじゃりじゃりのアサリを食べた時のような感覚。

 砂なんて入っていないのに。なぜこんな嫌な気分になるのだろう。

 私はお風呂に入って寝ますと二人告げて、茶室から逃げるように脱出。もやもや、もやもやしながらお風呂に入ったけど、温泉は極楽なのであっという間に気分は良くなった。


 ☆


 こうして、私達は翌日からまた夕食を七地蔵竹林長屋でいただくようになった。

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