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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
料理ノ章

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三話

 警兵ユミトも七地蔵竹林長屋で暮らしていて、私とシンが初めて長屋へ行った日は剣術稽古などで夜遅くに帰宅したからすれ違いだったけど、今夜は彼と会った。

 でも、ユミトはレイからお弁当を購入すると、用事があるからと言って、赤鹿に乗ってどこかへ去った。

 私はまた赤鹿に乗りたい。ご近所さんな上に、今後は毎日ここへ通うから、そのうち頼めるかもしれないと胸が躍る。


 今夜は今年最後のたけのこ堪能会で、シンはこんなに美味しいたけのこ料理三昧は初だと今夜もご機嫌。

 毎日お酒は体に悪いと指摘したレイと若干口論したり、洗い物をアザミに押し付けようとしてレイに怒られて少し口喧嘩していたけど、それさえも楽しそうに見えた。


 帰り道は今夜もシンと二人きり。


「シンさんは他の方とは全然話さないけど、レイさんとは一気に親しくなりましたね」

「親しい? まさか。彼が一番変わっているから気になっているだけだ」

「レイさんは親切で気さくな方で、私は彼が変わっているとは思いませんけど、シンさんから見ると変わっていますか?」

「チビだし声も高いから万人受けはしないが、あの整った見た目と性格で、老舗旅館の分店で副料理長を任されているのに独身で長屋暮らし。どう考えても変人だろう」


 軽く仕入れた情報でそう推測して、昨夜聞き込みをしたり本人に確認したら、レイには結婚願望が無いらしい。

 子育ては大変で仕事に支障が出るし責任重大。自分には甥っ子と姪っ子がうんと沢山いるから、たまに遊ぶくらいで十分。

 仲良しの家族親戚が沢山いるから、一人で孤独な老後生活はまずあり得ない。

 なので、なぜ結婚しないといけないのかが分からないという。


「女は花街で足りるってことだ。一人の女と深い関係になるのは嫌だってことは、昔痛い目に遭ったんだろう。長屋住まいなのも貢いだ結果で金が無いとかかもな」

「それは失礼な考察ですよ」

「鶴屋という旅館で料理人を週に四日。残りは本店へ行ったり保護所で勤務。仕事が趣味だから、休みは特に要らないらしい。休めと言われても、時間があればどこかで料理をする料理バカだってさ」

「レイさんは私に料理を教えてくれることになりました」

「ふーん。レイに対して、君の羞恥心が発動しないのはなぜだ?」

「そういえば、そうですね。なぜでしょう」


 深く考えて教えろ、と言われたので帰り道は延々とそのことを思案。


「うーん。自分よりも背が低い男性で声も高めなので子どもと誤認するからな気がします」

「それもそうだな。あれで三十手前なんて詐欺だ詐欺」


 シンが今日まで仕入れた情報だと、レイの経歴はこうらしい。

 十二才、奉公可能な年齢になった時に家族親戚のコネで南三区六番地にある老舗旅館かめ屋で料理人見習いになる。

 かめ屋には何度か家族で行ったことがある。なにせ、両親の命の恩人、ルーベル副隊長が良く出没するという噂があるお店なので、両親が好んで使っていたから。


 十六才、元服を迎えて料理人に昇格。十七才手前で、お店の意向と個人的な理由で提携先の老舗お菓子屋へ出向してお菓子職人として修行。

 前々から武者修行したいと考えていたので、十八才手前にあの噂の桃源郷、北地区エドゥアール温泉街にある老舗旅館へ転職。その旅館は雇い主の実家で、人手が減ったと聞いて、これは好機だと考えたらしい。

 数年して、家族親戚が恋しいと考えていたら、かめ屋が海辺街へ分店を出店するからとレイを引き抜き。

 以後、彼は鶴屋でお菓子部門の副料理長として勤務しているそうだ。


「ただ、それだけじゃなくて、保護所で講師もしているらしい。それは本人からではなくて、あの長屋の住人達から聞いた」


 あの長屋はレイがこの街に来た頃はオンボロで、生活困難者が住んでいるようなところだったそうだ。

 レイはそこにわざわざ住んで、十部屋中八部屋の住人にお節介を焼いて新しい生活に送り出し、空いた部屋に年齢的に保護所から出ないとならなくなった者達を住まわせてあれこれ世話焼きして現在に至るという。


「あの長屋に住む夫婦はあの長屋で出会った身寄りなしの男女。残りの男五人と女二人も同じく身寄りなし。ユミトも家族親戚はゼロだそうだ。残りは一部屋で住んでいるのはレイ。レイには親しい家族親戚が沢山いるそうだ」

「あの長屋は私設保護所のようなものなのですか」

「ここまでの偽善者は初めてだ。最近も、良く行く保護所の子を店の奉公人にしたり、海で拾った記憶があいまいな異国人を、実家に預けて奉公人になれるように教育したりだってさ」


 この話は全てレイ以外から聞いたそうだ。ユミト以外は全員レイが恩人で、ユミトにも世話になっているという。


「そのユミトはレイの兄に支援されてここまで来たそうだ。レイの裏の顔を知りたくなった」

「裏の顔ですか?」

「慈善事業に熱心なのは犯罪を隠すため、という話は文学であるあるだし、現実の話だろう。アザミ君は実に良い資料のある長屋で暮らし始めた」

「そのように疑うとは失礼ですよ」

「人と書いて醜悪と読む」


 人間嫌いの引きこもりが気の合う友人候補を見つけたのかと考えたのに、こんな考察をしていたとはとガッカリ。

 昨夜の嬉しそうな、楽しそうな満面の笑みは演技だったのだろうか。


「マリさん! 忘れていました!」


 名前を呼ばれたので足を止めて振り返ると、レイが走ってきていた。彼は私の前まで来ると、体を折って息を整えて、私を手招き。


「シンさん。マリさんに秘密の話があるので少しだけお借りします。親が勝手に寄越しただけの面倒な女なら、別に良いですよね? そんなに離れませんし、見える位置で話します」

「勝手にしろ」


 若い男性が秘密の話とはドキドキする。レイと二人でシンから少し離れると、レイはシンに背中を向けるような位置に移動。


「マリさん。私はユリア・ルーベルの叔母です」


 ん? と私は首を傾げた。


「ユミトさんに聞いたんですよ。マリさんはユリアの学友だって。女って分かる格好だとぷらぷら出来ないから、こうやって男装しているんです。女性だってことは、周りの人達にあまり教えていません」

「……⁈」


 女性なの⁈ と私は上から下までレイを眺めた。実年齢のわりに声が高いし、背も低い男性なので違和感だけど、女性だとしっくりくる。


「シンさんにも内緒。私、男の人ってあんまり信用していないし、美人で優しいから惚れられやすいんで面倒だから秘密」


 バレてもそこまで困らないけどお願い。マリさんは、ユリアと会ったり手紙をやり取りしたら知ることになるだろうから先に話した。レイはそう口にして悪戯っぽく笑った。


 レイは確かに美形だけと自分で言うんだ。しかも自分は優しいと自ら言うとは。


「ユリアさんの叔母ってことは……ルーベル副隊長さんはレイさんのお兄さんですか? それともそれは別家系ですか?」

「ネビーは長男。ユリアの母親は次女。私は四女。南三区六番地の屯所に七地蔵竹林長屋のレイって名前でお兄さんに手紙を送ると、本当か分かりますよ」


 それじゃあ、とレイは私とシンに手を振って来た道を戻っていった。ほぼ同時にシンが私の隣に移動。


「盗み聞きしようにも、小声で聞こえなかった。話せ。君に拒否権はないぞ」

「……」


 シンは嘘をついたと知ったら怒るだろうけど、私を殴りはしないだろう。レイの秘密は「男性からの自己防衛」が目的のようなので、とりあえず嘘をついてみることにする。


「ユリアさんには双子の兄がいます」

「誰だ、ユリアって」

「同じ女学校の憧れのお姉様。剣術小町のユリアさんです。休学する直前に同じ趣味会になれたので少し親しくなれました」

「ああ。女学校の話も聞き取りしないと。そのユリアのことではなくて、レイのことだ。話を逸らすな」

「レイさんはそのユリアさんとレイスさんの叔父だそうです。ユミトさんに私はユリアさんの友人だと聞いたから、言おうと思って忘れていたと」

「ふーん」


 前を歩けと言われたので歩き出したら、シンは半歩後ろの位置を保ってついてくる。横に並びたくなくなったのか、斜め後方から私の何かを観察だろう。


「なんで今の話に関係無いレイスって男が出てきた」

「ユミトさんからレイスさん、レイスさんからユリアさんとレイさんへ、という話の流れだそうです」

「へぇ」

「なんと、レイさんはあのルーベル副隊長の弟さんだそうです」

「誰だ、そのルーベル副隊長って」

「えっ。あー、彼は南三区六番地では有名ですが、この街では違うのですね」

「副隊長で南三区六番地の有名人ってことは六番隊副隊長か」

「はい。大狼襲撃事件で大狼から区民を守った英傑さんです」

「……あの一閃兵官か! でかしたマリ。それだけ有名な人気兵官は情報の山だ。男向けと違って、女向けの艶本で冴えない男が相手役だと嫌がられるとアザミ君がうるさい。標本の一つになるかもしれない」


 兵官、それも番隊幹部と会うなんて嫌だから、ユリアやレイスという人物から聞き取り出来るように手配しろと言われた。


「レイスさんとはご挨拶くらいしか面識がありませんが、ユリアさんになら手紙を書けます。誘えるような仲ではないので、まず文通で仲良くなります」

「そのやり取りを全部読ませろ。お嬢様同士の文も貴重品だ」


 私に個人の秘密を守る権利は存在しないってこと。それが大金を得る対価だから仕方ない。


「かしこまりました」


 帰宅すると昨夜のようにシンの部屋へ招かれた。今夜はどんな辱めを受けるのかと身構えていたら、単に女学校はどんなところで、乙女達はどのような会話を交わすのかという聴取。

 それならいくらでも話せるので、問われるまま答えていたら、女の園と手習という世界の中で、どうやって初恋の穴へ落下したのか、と返答し辛い問いかけが襲来。


「……それはその、その方はふと目に入りました」

「豪家の三男でどこかの下っ端役人だったよな? どこかに書きつけてある」


 シンは手にしている筆記帳を机に置いて、別の筆記帳を取り出した。


「それで? なぜ目に入った」

「ユリアさんがいつものように華麗な剣術で悪人を捕まえたのです。何回見てもあれは格好良いです。その日は確かお触り魔でした」

「剣術小町はかなり気になってきた。お触り魔?」

「女学生を突然触る大悪党です」

「強姦は危険過ぎると判断して、触って逃げるとは小物過ぎる。小悪党だろう」

「服ならともかく胸やお尻のこともあるのですよ!」

「……」


 同じ学校の女学生が被害に遭って泣いているのを見たことがあるからつい叫んだら、シンはニヤニヤ笑いをやめて同情的な目に変化。


「頬に指が触れただけで大事件っていうのが国立女学校のお嬢様達のようだからな。それでどうした」

「その際に、捕まった大悪党への罵声が周りの方々から飛び交って、驚いて泣いた男の子をあやしていたのが彼でした。それから朝、目につくようになりまして……」


 元々、視界の端に捉えていて、今年の一月から見かけるようになったから新人役人さんだろうと時々眺めていた。

 その時は単に景色や人物観察だったけど、あの日から彼の姿は特別な光を帯びたように変化。

 彼はゴミを拾ったり、足の悪そうなお爺さんに話しかけたりなど、出勤前の忙しい時間に他人に親切だからどんどん気になる存在へ。

 それを友人が「熱烈な目ですよ」と揶揄って指摘したから自覚した。きっと、これが噂の恋だと。

 友人達の初恋話を知っているだけ話せと言われたので、覚えている話を全て伝えたら、シンは右手で頭を押さえて深いため息。実に不機嫌そうな表情である。


「はぁああああ……」

「資料になりませんか?」

「いや。アザミ君がどれもこれも没にする訳だ。試しに書いた草案数種類の全部に現実感がないと。俺にこんな世界を書けるかバカ野郎……」

「こんな世界とはなんですか?」

「うるさい。頭が痛くなってきたから今夜はこれで終わりだ」


 頭が痛いなんて心配なのに、邪魔だから出て行けと部屋から追い出された。仕方がないからお風呂に入って就寝。

 目を閉じた時に「こんな世界を書けるかバカ野郎……」と無意識に呟いた。


 広くても古くて汚いお屋敷に、たった十八才の青年が赤の他人とと二人暮らし。

 ナガエ財閥の御曹司なら知っていそうな事を知らない世間知らず。おまけに、家事も珍しいという勢い。

 口も態度も行儀も悪いけど、どことなく品があるから、親から教育を与えられたり学校へ通ったはず。

 しかし、今夜の聞き取り中にシンは「学校とはそうなっているのか」と口にしたから通学していない可能性の方が高い。


 翌朝、朝食時に「シンさんのご両親やお兄様はここへ来ることはありますか?」と尋ねてみた。


「化物を捨てたところに来るわけがないだろう。俺からしたらあの家の人間こそが化物だけどな」

「シンさんは化物ではありません!」

「良かったですね、ギイチ先生。マリさんがいると和みます」

「和むか。この味噌汁はマシだけどな。アザミ君の十倍マシ。この変な草は美味い」


 変な草って今が旬ってレイがくれたあおさ。

 猫のような形の瞳が、これまで私が見たことのある色から変化。真冬の……と感じた時に、初見ではないと気がついた。


「なんだその、急に何か見つけたというような顔は」

「ユミトさん……」

「はぁ? いきなりなんだ。あの男がどうした」

「優しくて親切で格好良い爽やかな方なのに……」


 突如立ち上がったシンが鼻を鳴らして「寝てないから寝る」と居間から去った。


「マリさん。いきなりユミトさんを褒めてどうしたんですか?」

「褒めた? いえ、あの。ユミトさんはそういう方なのに、真冬の井戸の底を覗いた時のような、恐ろしい目をしていた時がありました。先程のシンさんのように。それでふと、二人は似たところがあるのかなぁと」

「ユミトさんが? さっきの先生の目は嫉妬ですよ嫉妬。お気に入りのマリさんがユミトさんを褒めたから怒っただけ。あのギイチ先生が実に人間らしい。良いことだ」


 あのギイチ先生とは何かと尋ねたら、アザミは首を横に振った。


「マリさんならきっと、先生の固い防御壁を突破すると思います。あのギイチ先生が他人と朝食とか、外に出て皆と食事なんて天変地異が起こりそう」


 遅刻は許されるけど遅刻したくない、とアザミは残りの朝食をかきこんで、先に洗濯をするから片付けをよろしくと私に頼んだ。

 アザミの答えはきっと間違っている。シンにはユミトに嫉妬する理由がないし、私が指摘した目はそれより前のもの。


 シンは明らかに他人という存在を嫌っているけれど、あの明るいユミトもそうなのだろうか。

 今夜、彼に会えたらそれとなく尋ねてみたい。そこにシンの氷のような心が溶ける方法があるかもしれないので。

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