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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第三章 魔招雷
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第十八話 忍士であるということ

 宿場街の夜は、現世から隔絶されてしまったかのように、静謐な雰囲気に満たされていた。時折、思い出したように虫のさざめきが聞こえるだけで、後には何もなかった。ただ、不気味に青白く光る月と、煌めく星々と、深淵の果てを思わせる夜天だけが広がっている。


 二階建ての旅籠屋。その二階部分の一番広い部屋に、電七郎は運び込まれた。


 高熱にうなされる彼の介抱に、軒猿達は全力を尽くした。幸い、忍は薬学の知に聡いのが相場。直ぐにあり合わせの薬草を混ぜ合わせ、即効性の解熱剤を調合して服用させた。


 そればかりでなく、発熱の直接的要因となった左脇腹部の傷の縫合も行った。彼らの力もあり、今の電七郎は薄い敷布団の上で静かに寝息を立てるに留まっている。


 その傍らに、部屋を照らす行灯と同じように、置物のようにして微動だにせず、彩姫は座り込んでいた。時折、濡れた手拭で電七郎の額を拭い、なんとも言えぬ表情で、此処までの道中を命懸けで守り抜いてくれた恩人の顔を覗き込む。


 つい先刻、旅の疲れをどうか癒して欲しいと〈(よく)〉の者に湯治を進められたが、丁重に断りを入れた。自分だけ、汚れを落とす訳にはいかなかった。そんなずうずうしいことは、できない。何よりも、今は少しの間でも良いから電七郎の傍にいてやりたかったというのが本音だ。


 かなりの深手でございます――左脇腹の傷を見た際に発した軒猿の言葉が、忘れられなかった。


 間違いない。左脇腹の傷。あの、思い出すだけでも恐ろしい魔忍・肉蝮現生との一戦で負った傷だ。掠り傷だと本人は強がっていたが、蓋を開けてみればどうだ。軒猿の話では、傷口が化膿しかけていたらしい。あと少しで、手遅れになるところだった。


 下手な強がり。だがそれは、電七郎の優しさの現れとも言えた。父を殺され、逆臣に命を狙われ、肉体のみならず精神的にも疲労困憊している彩姫を気遣っただけのことだ。自分の負った怪我のことで余計な心配はかけさせたくないと、そう思っての発言だったに違いない。


 そこまで気を遣っておいて、ならば、なぜあのようなことを唐突に? 護衛の任を降りる、などと言い出したのだ?


 彩姫は自問自答を繰り返すが、答えは出てこなかった。電七郎の考えが読めなかった。それが溜まらなく情けなくて、悔しくて、もどかしかった。電七郎との肉体的な距離はこんなにも近いのに、心は遠く離れてしまっている。それが切なくて、胸を掻き毟りたい衝動に駆られた。


 つまるところ、自分はこの男の事を何も知らないのだと痛感させられた。穴倉での一件を経て、彼の人となりをそれとなく知ったつもりになっていたが、本質は何も分かっていなかったのだ。


 そうだ。何も知らないくせに、都合よく守り続けて貰っている。電七郎がいる限り、自分は何とかなる――心の何処かに、そんな甘えがあったのを自覚して、姫は益々の自己嫌悪に陥った。


「私が、もっと強ければ……」


 自責の呟きが漏れてしまうのも、不思議ではなかった。


「姫様のせいではございませぬ」


 何時の間にか、姫の懐から顔を覗かせていた栗介が、落ち着かせるように慰みの言葉を発した。だが、それも今の彩姫には効果が薄い。いやいやをするように首を横に振るだけだ。拍子に、彩姫の麗しい眼から暖かな滴が散って、畳に小さな染みをつくった。


「私のせいじゃ……私が、もっとしっかりしていれば、電七郎様は……」


 なおも己を責める彩姫を心配そうに見上げ続けていた栗介だったが、ふと、視線を電七郎への寝顔へと向ける。


「一人であんな化け物共と戦おうなど、無茶が過ぎる」


 だが思えば、予兆はあったのだ。


 肉蝮現生を撃退したその日の夜の出来事。川べりで語り合った、つい昨日の晩の事を思い出す。


 あの時に電七郎が垣間見せた、慚魔衆への凄絶な怨みの気迫。復讐を果たさなば、この身も心もどうにかなりそうだと言わんばかりの壮絶な覚悟。あの日の事を思い出せば、如何様な感情に自らを食わせて彼が動いていたのかが、ありありと分かった。


 電七郎は元々、慚魔衆を徹底的に潰す為に各地を放浪していたのだ。それが、たまたま慚魔衆に追われていた自分達と出会い手を貸す事になっただけで、彼が抱える『本来の目的』は、最初から変わっていなかったのではないか。栗介はそんなことを考えた。


 つまり、電七郎の中での優先順位で言えば、姫を守ることよりも、慚魔衆への復讐の方が上だったという事に過ぎない。彼が彩姫の護衛を降りて、一人復讐の道をひた走る覚悟を決めたのも、当然と言えば当然だ。幾度も刃を交わすうちに、ついに抑えがきかなくなったのだろう。そう考えれば、理解できる。


 理解はできるが、しかし納得や共感はできなかった。


 上手く言葉に言い表せないが、電七郎に悪鬼羅刹の道を歩んでほしくないという思いが、栗介の中に生まれていた。復讐を果たしたくなる気持ちも分からぬではない。しかしそれだけに固執して限りある人生を消費していくことが、果たしてこの男にとって真に良き事であるとは、どうしても思えなかった。


 各々が、もつれる感情と思考の檻に囚われている最中、思い出したように部屋の襖が開いた。軒猿であった。


「電七郎様のお体の具合は、いかほどでございましょうか」


 軒猿は心配そうな表情を崩さず、彩姫の下まで近寄ると、正座になりながら電七郎の状態の経過について問いかけた。


「お薬が効いているのか、先ほどからよく眠っております」


「そうでございますか……おや? そこな獣は……」


「これはどうも」


 人外たる栗介が明らかに人の言葉を喋ったことに、軒猿があからさまにぎょっとした顔をした。「ひぃ」と小さく叫んで仰け反り、目の前で起こった事が現実であるかどうかを確かめようと、目をしばしばと瞬かせる。


「な、け、獣が……」


「そう驚くこともあるまい。拙者、名を栗介と申す。彩姫様の忠実な家臣にして、生まれは茶渡ヶ島(さどがしま)の妖獣じゃ。特技は分身変化と思念の読み取り、と言ったところかの」


「あ、はぁ……妖獣、でございますか」


 あまり、妖獣と接する機会が無かったせいか。それとも、妖獣が人語を口にすることを知識として知ってはいても、いざその場面に出くわしたことで頭が混乱しているのか。軒猿は驚愕しつつも、小さき獣の姿を興味深げに眺めるしかなかった。


「なんじゃお主。姫様のことについて調べていたのなら、儂の事も知っていて普通ではないのか?」


「いえ、偵察に向かわせた者からの話では、彩姫様が妖獣を連れているなどという話は聞いておりませんで……」


「ふむ。まぁ良いわ……あぁ、そうだ、軒猿殿」


「なんでございますか?」


「一つ、聞きたいことがあったのだ。電七郎が先ほど、俺は銀色の忍装束を着れぬとかなんとか口にしておったじゃろう」


「……はい。確かに」


「あれは一体、どういう意味じゃ?」


 軒猿が、目を伏せて押し黙った。余所者が踏み込んではいけない話だったのだろうか。そう思い、慌てて彩姫が臣下の非礼を詫びようと頭を下げかけた時だった。


「分かりました。お話致しましょう」


 足を崩して胡坐になり、軒猿は白鳳忍軍が抱えていた数多の秘中の中でも、特に秘中の事柄について話しだした。


「銀色の忍装束。それは、白鳳忍軍に属する者なら誰しもが憧れる、一人前の証たる装束でございます」


「そうなのか? 儂らはこの数日、電七郎と行動を共にし続けていたが、奴がそんな装束を身に着けているところは見たことがないが」


「あれは、普通の衣服とはちょっと異なりましてな。忍士として高みに上り詰めた者だけが扱える特殊な印を結ばなんだ、身に纏うことが出来ぬのです。私はその、お恥ずかしながら忍士として未熟であったが為に、扱えぬのですが」


「印を結ぶのですか? 装束を着るのに?」


 余りにも突飛な話に、思わず彩姫が身を乗り出して尋ねた。


「不思議に思われるでしょうが、しかし事実です」


「つまり、銀色の忍装束とやらは、常に(うつつ)にあるのではなく、忍の心の中にあるということか。しかしまぁ、銀色とは珍しい。大層目立ちそうだが。潜入の際などは苦労するじゃろうて」


 栗介の尤もな意見を受け、軒猿は苦笑した。


「確かに。うっかり月の光でも浴びたりすれば反射が起こり、己の居場所がたちどころに敵方へ伝わります。故に、実力のある忍士しか、着用が許されておらぬのです。裏を返せば、真の力を備えた忍士なれば、たとえ銀色に輝く装束を身に着けていても、一瞬たりとも敵方に気づかれることなく、情報を持ち帰ることも容易なのでございます」


「つまり、正真正銘、銀色の忍装束は一人前の忍であることの『証』という位置づけにあるのですね?」


「ええ。ですから誰もが、銀色の忍装束を手に入れる為に、上忍頭たる雷牙様に認めて貰おうと、必死で修練に励んでおりました。銀色の忍装束着用の印は雷牙様がご考案されたもので、あのお方のお許しがなければ、ご教授頂けなかったのでございます」


「雷牙様……電七郎様から聞いております。確か、実のお兄様であると」


「はい。電七郎様と雷牙様は、それはもう、我々〈(よく)〉の者らからすれば、憧れも憧れのご兄弟でございました」


 懐かしむように、軒猿は目を細めた。


「己にも他人にも厳しかった雷牙様よりも、私はどちらかというと、何処か子供っぽい性格をした電七郎様の方に惹かれまして。良く、無理を言って手合わせをお願いしていたものです。この頬の傷も、その時に負ったものなのです。名誉の負傷でございます」


 そう言って、軒猿は自慢げに己の頬に刻まれた刀傷を指さした。だが、直ぐにその笑みが消え、暗い影を孕んだ。


「それゆえに……衝撃でございました。電七郎様が、銀色の忍装束の着用を拒んでいるとは。いや、それ以上に、あのお方の口から、まさか己のことを『(しのび)』と揶揄する日が来ようとは……」


「いや、あやつは忍で間違ってはおらぬと思うが」


「いいえ、いいえ! 全くそんなことは、あってはならないのです」


 栗介の意見がまるで見当はずれだとでも言いたげに、軒猿は激しく被りを振った。


「白鳳忍軍には幾つかの掟が存在します。決して破ってはならぬ掟。その中の一つに、白鳳忍軍に属する者は、自らを(しのび)ではなく、忍士(しのびざむらい)と名乗るべしというものがございます」


「忍と忍士……何が違うのでございますか?」


「大きく異なります。我々の認識では、忍とは忍法を操る者を指す言葉。ただそれだけでございます」


 しかし、忍士は違うと、軒猿は断言した。


「一つ、死に時を見誤るなかれ。一つ、悪しき将の下に集うなかれ。一つ、和を尊び、平和の伝承者たることを怠るなかれ。一つ、汝の力を汝の為に振るうなかれ――白鳳忍軍絶対の訓戒たる四つの宣誓を常に心に留めてこそ、忍は忍士への高みを昇ることが出来るのです。忍士を忍士たらしめるは、この訓戒からも明らかなように、心構えなのでございます」


 一息に言い終えると、軒猿は未だ目覚めぬ電七郎へ、それはもう言葉に出来ぬほどの哀しみに満ちた視線を送った。かつての英雄であり、今はただ、己の為だけに復讐を果たさんとする男の姿を、じっと眺めた。


「電七郎様はもう……忍士ではない。ですが、それはこのお方の心が堕落したからでは、決してございませぬ。全ては、電七郎様の優しさゆえに起こった悲劇」


「どういうことでございますか?」


「電七郎様は、本当にお優しいお方。それ故、許せぬのでしょう。慚魔衆そのものだけではない。慚魔衆の横暴を止められない自分をも、許せないでいる。だからこそ、たった一人で戦おうとされておられるのではないでしょうか。自分が止めなければと、誰よりも強く願っているのではないかと、そんな風に思うのです」


 誰も戦いに巻き込みたくない。傷つくのは己だけで十分だという自己犠牲の精神は、しかし此れ全て、電七郎自身の心からの願い。そう言われてしまったら、もう彩姫は、何をどうしてよいか分からなかった。


 ふと、姫の脳裏にそれは浮かんだ。果てなき闇の中を脇目も振らずに、ただ一人で駆け抜けていく電七郎の姿。闇はやがて、溶けるようにして徐々に広がりを見せ、電七郎の全身を隈なく包み込んでいく。


 闇に包まれた電七郎が、呻き声を上げているように思えた。身を焦がす苦しみに打ちのめされているのか。奈落よりも深い恨みの慟哭か。あるいは、そのどちらもなのか。


 闇を抱え、一人で強大な敵へ立ち向かわんとする恩人を、ただ自分はこうして黙って見守ることしかできないのだろうか。それを自覚した途端、彩姫の胸を鋭い感覚が貫いた。痛烈な、例え難い痛みだった。


「人が眠っているのを良いことに、喋りすぎだぞ、軒猿」


 重苦しい空気を破る、弱弱しい声。何時から目を覚ましていたのか。熱がまだ下がっていないにも関わらず、電七郎が布団から半身を上げた。まだ熱が引かないのか。頬は紅潮し、吐息も荒い。


「電七郎様! 無理をなさらないでください!」


 慌てて電七郎の肩に手をやる軒猿。しかし、電七郎は視線を宙に向けたまま、軒猿にだけ聞こえる声でつぶやいた。


「軒猿。直ぐに彩姫を連れてこの場を離れろ」


 体調が優れなくとも、電磁を操る電七郎は常に網を張り続けていた。体中を流れる生体電流を微弱ながらも飛ばし続け、ぼんやりとする意識の中にありながらも、周囲の様子を探り続けていたのだ。


 そしてついに、電磁の網が不穏なる気配に触れた瞬間。


「敵だ。慚魔の忍が追ってきた」


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