第十九話「アデルフィの処遇」
アストレイの丘での戦いが終わった。
ラントはグラント帝国軍の戦士たちが並ぶ中、敗軍の将、ウイリアム・アデルフィに会うため、丘を登っていく。
アデルフィは以前ラントを見たことがあるため、片膝を突いて頭を下げる。
「グラント帝国第九代魔帝のラントだ。貴殿がアデルフィ殿か?」
アデルフィは自分の名を知っていることに驚く。
しかし、すぐに気を取り直し、顔を上げて問いに答えていく。
「はっ! 初めて御意を得ます。私は神聖ロセス王国聖堂騎士団団長代理、ウイリアム・アデルフィです。我が身はいかようにしていただいても構いませんが、部下たちには寛大な処置をいただければ幸いです」
ラントは小さく頷いた。
「よかろう。我が軍に一歩も引かず勇敢に戦った王国軍兵士諸君に対し、敬意をもって対応するよう命じよう。但し、抵抗する者には容赦はしない。それでいいな?」
「ありがたき幸せ。部下たちにもその旨を徹底させます」
そう言って深々と頭を下げる。
「では、我が軍の情報官と細かな協議をしてもらう。だが、その前に貴殿に確認したいことがある」
真剣な表情のラントにアデルフィも表情を引き締める。
「今の聖王に仕える価値があると思っているのか?」
「……」
その問いにアデルフィは答えを窮する。
「君も既に知っていると思うが、聖王マグダレーンは国民を見捨てて聖都から逃げ出そうとしている。彼が言うように人族存続のために我がグラント帝国を滅ぼす必要があるなら、その先頭に立って戦うべきではないのか?」
「し、しかし……」とアデルフィは反論しかけるが、言葉が続かない。
「私はこの世界に来てからまだ半年も経っていないし、元の世界では戦争とは無縁だった。そんな私でも国民に戦いを強いるなら、その指導者は責任を全うすべきだと思う。だから私は戦士たちと共に戦場に立っている……」
アデルフィは同じことを考えていたため、黙って聞くしかなかった。
「……私が最も許せないのは神の名を使い、兵士でもない若者を集め、戦場に赴かせていることだ。もちろん、直接命を奪っているのは我々だが、ここにいる若者の中に聖王や聖職者たちの縁者がどれほどいるのだ? ほとんどいないのではないか?」
「そ、それは……」
アデルフィは答えることができなかった。
彼自身が義勇兵を使い捨てにしていることもあるが、ラントの言う通り、トファース教の関係者で義勇軍に志願した者が皆無であるも知っており、言葉がでなかったのだ。
「今一度問う。君にとって聖王は尊敬に値するのか? 君の忠誠心を捧げる価値がある人物なのか?」
アデルフィはその問いに絞り出すように答えていく。
「私たち騎士は幼い頃より、魔帝は打ち滅ぼすべき悪であると教えられています。過去のことですが、鮮血帝ブラッドは人族を根絶やしにするために町や村を焼き、生き残った者は僅かでした。また、嗜虐帝ブラックラは自らの享楽のため、無為に苦痛を与えて殺しています。このような存在を許せば、人族に未来はないと教えられて育ったのです」
「なるほど」とラントは頷き、先を促す。
「陛下のおっしゃる通り、今の大聖堂には不実な方が多くいます。ですが、鮮血帝や嗜虐帝のような存在に比べれば、人族の存続に対する影響は微々たるものです」
「では、魔帝である私はブラッド帝やブラックラ帝と同じ人族の敵であり、どのようなことがあっても殺さねばならないと貴殿は考えているわけだな」
ラントの言葉にアデルフィは小さく首を横に振る。
「正直なところ、私には分かりません。陛下の民や捕虜に対する扱いは温情に満ちております。それに治安の良さ、税や裁判の公正さは私のような者でも感じ入るほどでした。我が国の聖王陛下や大聖堂の枢機卿たちとは比較にならないとも……」
アデルフィの心は揺れていた。
今まで彼の忠誠心は上司であるシーバスに向けられていた。もちろん、王国に対しても忠誠心はあるが、中隊長という比較的低い地位にあったため、国という大きな単位ではなく、自分を認めてくれたシーバス個人への忠誠の方が勝っていたのだ。
そのシーバスが戦死し、更に自らの地位が上がったことから、王国や聖王に対して考えるようになった。
その結果、今の王国の体制が腐っており、忠誠を尽くすことに躊躇いを感じ始めている。
今回はなし崩し的に指揮を任されたが、ラントの正面からの問いに心が大きく揺れた。
しかし、その心の揺れはすぐに収まった。責任を取る必要があるなら迷うことはないと割り切ったのだ。
「聖王陛下や教団上層部がどうであれ、私が責任を取ることに変わりはありません」
晴れ晴れとした表情でそう言い切られ、ラントは苦笑する。
「確かに責任を取ってもらう必要があるな」
ラントがそう言うと、アデルフィは覚悟を決めたように表情を引き締め、次の言葉を待つ。
「君には捕虜たちの取りまとめを命じる。我々はこれから聖都攻略に向かうが、ここで捕虜にした兵は聖都への帰還を許すつもりだ。他にもテスジャーザで捕虜にした者たちもいる。彼らを円滑に帰還させることが、君の責務となる」
「わ、私がですか!」とアデルフィは驚く。
「君以外に適任者がいない。別動隊の騎士たちに生き残りがいれば、代わりが務まったのだろうが、全滅したらしい。それにここにいる兵士たちは皆若い。指揮を執れるような者は残っていないのではないか?」
後方から強襲を掛ける予定だった聖堂騎士団の騎士たちは、神龍王アルビン率いる天翔兵団に殲滅された。戦いが終わった後にその連絡があったのだ。
アデルフィは降伏が認められたら、その場で自決しようと考えていた。
責任を取ることが目的だが、暗黒魔法で情報を奪われることを恐れたことも大きな理由だ。
そのことをラントは感じ取った。
「傀儡になどしないから安心しろ。だが、逃げようとしたらその限りではないがな」
ラントはこの時、アデルフィを配下に加えようと考えていた。
逃げられれば厄介だが、装備を奪った上で監視を付けておけば逃げられる恐れはないし、今後の戦略を練る上で軍事の天才であるアデルフィがいてくれた方がよいと考えたのだ。
また、配下にしてしまえば忠誠度を見ることができ、どの程度信用していいのかも分かる。それに忠誠度を上げて裏切られないようにすることもできるため、何としてでも配下にしたいと考えていたのだ。
ただ、アデルフィ自身がすぐに認めるとは思わなかったし、アルビンら部下たちの感情もあるため、近くに置いておき、意見を聞くなどして徐々に懐柔しようと考えている。
ラントは困惑しているアデルフィに考える暇を与えないよう、話題を変えた。
「念話を使うことを覚えてくれ。そうすれば我が戦士たちとも話ができる」
「念話ですか?」
「そうだ。念話といっても我が戦士たちがほとんど対応してくれる。慣れは必要だが、それほど難しくない」
「そうですか……」
「まあ、相談にはいつでも乗る。何か困ったことがあれば、いつでも構わないからロセス語の分かる情報官に言ってくれ」
「ありがとうございます……」
アデルフィはそう言って頭を下げるものの、目まぐるしく変わる状況の変化に戸惑うしかなかった。
アデルフィとの会談を終えた後、ラントは戦後処理を命じ、天幕に戻った。
天幕で休んでいると、鬼神王ゴインが不服そうな顔で入ってきた。
「あいつを生かしておくのか?」と最近では珍しく、ぶっきらぼうな口調で問う。
「あいつ? ああ、アデルフィのことか。そのつもりだが?」
「なぜだ? なぜ生かしておく?」と更に不満そうな表情を見せる。
ラントは情報閲覧でゴインの忠誠度を確認した。
僅かだが、戦闘前に比べて低下しており、今回の処置への不満が原因だと考えた。
「彼が役に立つからだ。ダフも役に立ってくれるが、アデルフィは軍事の天才だ。更に役に立ってくれるだろう」
「ダフが役立っていることは認める。それに奴は俺たちの仲間を殺しちゃいない。だが、あのアデルフィという男は違う! 奴に多くの同胞を殺されているんだ!」
苛立ちを見せるゴインにラントは冷静さを保ったまま語り掛ける。
「確かに彼がいなければ多くの戦士が今も生きていたはずだ。私も彼がいなければよかったと思わないでもない」
「ならどうしてだ!」
「我が戦士たちは私の命令に従って死んでいったんだ。私がしっかりしていれば、アデルフィよりも上手く指揮できれば、死ぬことはなかった……」
「そ、それは……」
ゴインはそれまでの勢いが嘘のように口籠る。ラントがテスジャーザで涙を流して悔やんだことを思い出したからだ。
「だから私はこれから先、どんな敵よりも上手く戦えるようにならなければならない。そのためには宿敵であった者の力を借りることもためらわない。この先、彼よりも優秀な敵が現れないとも限らないからだ」
その言葉にゴインは驚きの表情を浮かべる。
「陛下はそこまで考えているのか……」
「当然だ。今回もそうだが、戦士たちが命を落としたと聞くと気が狂いそうになるほど悔しいんだ。そんな思いはしたくない。そのためにできることをやる」
「分かった……いや、納得はできないが、陛下の思いは理解した」
ゴインはそれだけ言うと、彼の前から立ち去った。
ラントは振り返り、後ろにいる天魔女王アギーに命令を出す。
「アデルフィに監視を付けてくれ。彼が逃げ出さないように見張ることはもちろん、彼を害する者が出ないように」
「承りましたわ。ですが、陛下のご命令に背いてあの者を殺そうという者は我が軍にはいないと思いますが?」
「確かにその通りだ。私も我が戦士たちがそんなことをするとは思っていない。だが、捕虜たちはどうだ? 散々戦わされたのに責任者がのうのうと生き残っている。兄弟や仲の良かった友人が戦死した者もいるだろう。そんな連中から守ってやってほしい」
「分かりましたわ。先ほどのお話を聞いておりますが、彼にそれほどの価値があるのでしょうか?」
「君たちほどの価値はないさ。だが、少しでも我が戦士たちを守ることに繋がるなら、手元に置いておく価値はある」
「理解できましたわ。手駒はできるだけ多い方がよいということですね」
「そういうことだ」
アギーとのやり取りでキースら側近たちも納得する。
ラントはアギーが下がってから、大きく溜息を吐いた。
(難しいものだな。だが、アデルフィは配下に加えておきたい。我が国の最大の弱点は参謀の不在なのだから。僕一人で作戦を立てて指揮するなんて、いつか必ず破綻する……)
ラントは気持ちを切り替えると、戦士たちに声を掛けるため、彼らの下に向かった。
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