第十六話「アストレイの戦い:その四」
神聖ロセス王国の聖堂騎士団の団長代理、ウイリアム・アデルフィはアストレイの丘にある防御施設の中で指揮を執っていた。
平原にある塹壕横の隠しトンネルを使った伏兵により、帝国軍の主力に混乱を与えたものの、ラントが派遣した巨人族戦士約七百によって王国軍側は再び苦戦している。
アデルフィはトーチカの銃眼から外を見ながら、根源的な恐怖と戦っていた。
(数百体の巨人か……五百ヤード(約四百五十メートル)以上離れているここでも足音がこれほど響くとは。ここにいても恐怖を感じる。近くにいる兵は更に怯えているのだろうな……いや、どの兵も同じか……当然だな……)
彼は自分の近くにいる伝令に視線を向けた。
その伝令は巨人の足音が響く度にビクッと肩を震わせ、不安そうに視線をさまよわせている。
(作戦通り敵の主力を前線に引き付けた。あとは後方から騎士団が奇襲を仕掛けてくれればいいのだが、敵の龍たちが戻ってこないところをみると、見つかったのだろう。まあいい。龍たちを引き付けてくれるなら、それで充分だ……)
そして、鎧の腰部分にあるポーチから懐中時計を取り出す。
(そろそろ配置に付く頃だな。だとすれば、魔帝の周囲に兵が減ったこのタイミングで攻撃を仕掛けるはずだが……)
アデルフィは時計を片付けると、再び外に視線を向ける。
(テスジャーザでの教訓を生かしているのか。やはり魔帝ラントに同じ手は一度しか通じないな……)
巨人族戦士はラントの指示により、兵士を踏み潰すのではなく、蹴り飛ばすか、棍棒を使って攻撃していた。これはテスジャーザで毒剣ごと兵士を踏んだことで、足の裏から毒が回り大きな被害を被ったためだ。
また、巨人たちの足元では身長四メートル近いハイオーガが剣や棍棒などを使い、逃げ惑う兵士の命を確実に奪っていく。
更にその周囲ではハイオーガに負けない巨体の魔獣が、王国軍兵士の身体を鎧ごと食い千切っていた。
(どれだけの兵が死んだのだろうか……)
悲観的な思いが頭に浮かぶが、すぐにそれを打ち消す。
(ここで悔やんでも仕方がない。奴を、魔帝ラントを倒すしか、死んでいった者たちに報いる方法はないのだから……)
アデルフィは伝令に向けて命令を出した。
「巨人殺し隊に出撃を伝えよ」
そこで無理やり笑みを作る。
「敵は選びたい放題だ。最も狙いやすい敵を狙えと伝えてくれ」
伝令は復唱するとすぐにトーチカを出ていった。
巨人殺し隊とはテスジャーザでの戦訓を活かして作られた対巨人部隊で、武器に迷宮産の猛毒を塗り、巨人の足を狙って攻撃する。
敏捷性を重視するため、動きを阻害しない簡単な革鎧しか身に着けず、上方の視界を確保するため、ヘルメットを被っていない。そのため、他の部隊から攻撃を受ければ、ひとたまりもないという極端な装備の部隊だ。
急遽編成したため、僅か百名しかおらず、訓練も碌に行われていない。そのため、アデルフィもそれほど期待していなかった。
彼らには死の恐怖を紛らわせるため、神聖魔法の“大胆不敵”が掛けられ、更に一種の向精神薬も与えられていた。
“巨人殺し”たちは次々と塹壕から飛び出し、巨人の巨大な足をものともせず、果敢に挑んでいく。
巨人族戦士も危険を感じたのか、足は使わず、手に持つ巨大な棍棒のみで対処し始めた。しかし、スピードに優る巨人殺したちは、その巨大な棍棒を掻い潜り、巨人の足に武器を突き立てていく。
そして、一体の巨人が毒に侵されたのか、ゆっくりと傾き始め、ドシンという轟音と共に仰向けに倒れる。
その様子を見た兵士たちが歓声を上げ、士気を上げる。
更に二体の巨人が膝を突く。その巨人に一般兵たちが群がっていった。
しかし、快進撃はそこまでだった。巨人殺しの攻撃は成功率が低く、その多くが近づく前に殺されている。
その様子をアデルフィは冷徹な目で見つめていた。
(やはり付け焼き刃では戦局を変えるほどの力はないか。だがこれでこちらに注意が向く。勇者殿、頼んだぞ……)
アデルフィは祈るような気持ちで南の海岸に視線を向けた。
■■■
ラントは勝利を確信し、降伏勧告を行おうとしていた。
しかし、前線からドスンという大きな音が聞こえ、そこに視線を向ける。
(巨人族が倒されただと……毒か! 治癒師を前線に回しているが間に合うのか……)
ラントもテスジャーザ攻略戦の教訓を生かすべく、巨人族に対抗手段を与えていた。その一つが踏みつぶすのではなく、蹴るという攻撃法と長い棍棒を使うことだが、他にも毒消しポーションを持たせ、更に支援部隊の治癒師も近くに送り込んでいる。
本当なら足を守る防具か、最低でも靴を与えたかったが、さすがに巨人に合う靴をすぐに作ることができなかったため、対処療法的な方法に頼るしかなかった。
更に二体の巨人が倒れ、王国軍兵士たちが歓声を上げる。
逆にラントの周りでは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている者が多かった。
「負傷者を直ちに後送しろ! 近くの魔獣族、鬼人族は負傷者と治癒師を守れ!」
ラントが矢継ぎ早に命令を発すると、それを前線に伝えていく。
そのため、全員の意識が前線に向いた。時間的にはごく短く、隙と言えるほどのものではなかったが、その僅かな隙を王国軍は突いた。
最初に気づいたのは側近であるフェンリルのキースだった。
「敵が現れたぞ! 迎え撃て!」
その直後、周囲に魔法が着弾し、爆発音と熱風が渦巻く。それによって、後方にいた支援部隊の兵士数人が倒れていた。
キースの叫びに護衛であるエンシェントドラゴンのローズやハイオーガのラディ、アークグリフォンのロバートたちが反応する。彼らはラントを守るように壁を作った。
ラントは何が起きたのかと一瞬呆けるが、すぐに奇襲だと気づき、振り返った。
僅か五十メートルほどの場所に数十人の人族の戦士がおり、魔法や矢を放ちながら走りこんでくる姿が目に入る。
戦士たちの装備はバラバラだが、素人のラントが見ても手練れと分かるほど鋭い動きで、ラントは恐怖にブルっと震えた。
「リッチたちよ! 陛下をお守りせよ!」
普段感情を表さない魔導王オードが珍しく大きな声で命令を発している。
「デーモンたちは壁を作り、陛下をお守りするのです!」
天魔女王アギーも配下である妖魔族に命令を出している。
「焦る必要はない! 落ち着いて対処せよ!」
ラントは落ち着いた口調で命じた。
彼が落ち着いているのは、これで予想された敵の策が出尽くしたと思ったためだ。
指揮官である魔帝の落ち着いた声に、帝国軍戦士たちは冷静さを取り戻す。
リッチたちは防御結界を展開しつつ、魔法による攻撃を開始した。デーモンたちはラントの前に壁を作ると、剣を構えている。
ローズは人化を解き、ラントを庇うように翼を広げた。
(リッチとデーモンが三百に、オードとアギー、ローズがいれば、この程度の冒険者に後れを取るようなことはないな。でも危ないところだった。キースが気づかなかったら、もっと酷いことになっていた……)
ラントの予想通り、冒険者の放つ魔法や矢はすべてリッチの作った結界に阻まれた。
身体能力を上げて急速に接近してくる敵に対し、リッチとデーモンが容赦ない魔法攻撃を加え、冒険者たちは次々と倒れていった。
それでも冒険者たちは攻撃を掻い潜り、デーモンたちと斬り結び始めた。
冒険者たちの攻撃は鋭く、デーモンたちに被害が出始める。
ラントはそれを打開しようと、護衛たちを前線に回すことにした。
「ラディ、ロブ、カティ、ピート! ここはローズとキース、エレンだけで充分だ。奴らを食い止めてくれ!」
その命令を受け、一瞬躊躇するものの、キースたち三人の他に八神王のオードとアギーもいることから、四人は前線に向かった。
ラディたちが加わったことで均衡は破れ、数に優る帝国側が押し始める。
「私たちの出番はなさそうですわね」
アギーがオードに笑顔を向けた。
「そのようだな」とオードが答える。
「敵の策は出切ったはずだ! ここを凌ぎ切れば、我々の勝利だ! 確実に敵を倒していけ!」
ラントは命令しながらも安堵していた。
(冒険者たちが敵の切り札だったんだろうが、奇襲を防いだ以上、敵に勝ち目はない。あとはどれくらいこちらの損害を抑えるかだな……)
そう考えた直後、ぞわっとするような強い悪寒を感じ、驚きの声を上げる。
「な、なんだ!」
その悪寒の元は冒険者とは別の方向、南から一気に迫ってくる。
「陛下!」というアギーの悲鳴が響いた。
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