第十三話「アストレイの戦い:その一」
ラント率いるグラント帝国軍は五月二十八日にカイラングロースを出発し、アストレイの丘から五マイル(約八キロメートル)ほど離れた場所で野営した。
翌二十九日の朝、航空戦力である天翔兵団約九百、地上軍の主力である駆逐兵団約六千、遠距離攻撃部隊である轟雷兵団約一千、支援部隊約一千の計約八千九百名の戦士が整列していた。
ラントは漆黒の軍装に身に纏うと、用意された演台に上り、全軍に向けて演説を行った。
「勇敢なる帝国軍戦士たちよ! これより敵を粉砕し、そのまま神聖ロセス王国の聖都、ストウロセスに向かう! 早朝の偵察でも敵の数は変わらず、およそ三万! 数は多いが、我らの敵ではない! 各指揮官に伝えてある通り、アストレイの丘に入り敵を殲滅せよ!」
その言葉に全軍の戦士が歓声をもって応える。
士気が高いことにラントは満足し、歓声に負けない声で「出陣!」と命じた。
街道は王国の東西を貫く大動脈であり、充分な幅はあったが、それでも八千人近い戦士が行軍するため、全軍が動き出すには時間が掛かる。
ラントは最後に天翔兵団と共に移動するため、歩き始めた帝国軍を見送っている。
「今回も我らの出番はなさそうだな」とラントと同じく見送っていた神龍王アルビンが愚痴を零す。
「何事もなければ出番はないが、敵も無策ではないだろう。轟雷兵団の攻撃で埒が明かなければ、君たちにも上空から攻撃してもらうつもりでいる」
ラントは丘に作られた塹壕の効果について、判断できずにいた。
彼にとって塹壕は二十世紀初頭から半ば頃の戦争のイメージしかなく、遠距離攻撃に対しては効果を発揮するだろうという程度の認識だ。
一時間後、鬼神王ゴイン率いる駆逐兵団がアストレイの丘の東に到着し、陣形を整えつつあるという連絡が入った。その連絡を受け、ラントたちも出発する。
僅か八キロメートルということで、飛翔する彼らは五分と掛からずに到着した。
上空から見ると、丘を囲むように幅一・五メートル、深さ二メートルほどの塹壕が十メートル間隔で十本、更に丘の東側の草原には長さ五百メートルほどの長い塹壕が五本掘られていることが分かる。
それぞれの塹壕は短い塹壕で何箇所も接続されており、塹壕間の移動が可能なように作られていた。
また、退避場所としてトンネル状になったところがいくつもあり、頂上にはトーチカのような防御施設を備え、簡易の要塞といっていいほどの完成度だった。
その頂上部から細い煙が上がっている。
王国の兵士たちも既に帝国軍に気づいており、塹壕から帝国軍を覗き込むように見ている。
王国軍の防御陣地と帝国軍の最前列の間の距離はおよそ一キロメートル。
丘までの間には青々とした草原が広がっているが、一メートルほどの高さの草で覆われており、伏兵や罠の可能性が否定できない。
ラントは着陸すると、巨神王タレットを呼ぶ。
タレットは人化を解いておらず、その場で片膝を突く。
「草刈りを頼む。魔術師たちには退屈な仕事だろうが、罠があっては厄介だからな」
「御意」とタレットは重々しく答えると、リッチやデーモンで構成される魔術師隊に命じた。
「魔術師隊前へ! 草原の草を焼き払え!」
魔術師たちはきれいに並ぶ駆逐兵団の戦士たちを飛び越え、最前列に出る。
その数は約三百。
リッチたちは人族なら宮廷魔術師長以上の実力を持つ高位の魔術師だ。
その彼らが一斉に炎の玉の魔法を放った。ファイアボールと言っても直径一メートルを超える巨大なもので、それが青々とした草を焼き払っていく。
辺りは濃い灰色の煙で包まれるが、リッチたちは煙が自分たちの方に来ないよう、風を送って吹き飛ばした。
煙が消えると、そこには幅三百メートル、奥行き百メートルほど焼け野原が広がっていた。
「罠があったようだな」と望遠鏡を覗き込みながらラントが呟く。
彼の視線の先には焼け焦げた杭とロープの燃えカスがあった。
「杭にロープを張ってそれで転ばせようというのか……いや、その先にも何かあるな。尖らせた鉄の棒か。敵もいろいろと考えているようだな……」
ラントの横にいるアルビンが天魔女王アギーに話している。
「この繰り返しでゆっくり前進だ。だが、罠はこれだけじゃないかもしれない。十分に気を付けて前進するんだ!」
ラントの命令にゴインが「御意!」と太い声で答える。
「駆逐兵団前進せよ! 但し、足元には充分注意するのだ!」
駆逐兵団の鬼人族戦士たちがゆっくりと前進する。その後ろに魔獣族戦士たちが続く。
この作業の繰り返しで、五百メートルほど進み、そこから左右にも同じように安全な広場を作っていく。
一時間ほどで王国軍陣地から五百メートルの位置に、幅一キロメートル、奥行き三百メートルのスペースが作られた。
ラントはそこまで前進すると、演説に使う演台を設置し、王国軍に降伏を呼びかけた。
「グラント帝国の第九代魔帝、ラントである! 神聖ロセス王国軍に告ぐ! 直ちに武器を捨て降伏せよ! 降伏すれば諸君らの生命は保証する!」
その呼びかけに反応はなかった。
ラントは意外だった。
(罵声くらいは上がると思っていたんだが、思った以上に統率が取れているようだな。だとすると、最後まで抵抗されて面倒だな……)
ラントは自軍の勝利を疑っていなかった。しかし、徹底抗戦された場合、一つ一つ塹壕を潰していく必要があり、面倒さを感じた。
「諸君らが籠っている陣地では我々の攻撃は防げない! 私は無駄な殺生は好まない! 王国軍の司令官よ! 前途ある若者の命を無為に散らさないでほしい。三十分の猶予を与える。貴殿が賢明な選択を行うことを切に願う!」
ラントは降伏勧告を終えると、各兵団長、アルビン、ゴイン、タレットに命令を与えた。
「恐らく降伏はしないだろう。轟雷兵団の魔術師隊は先ほどと同じように突入ルートの確保、巨人族部隊は投石による攻撃準備を行ってほしい。駆逐兵団はその場で待機しつつ、周囲の警戒だ。天翔兵団は空に上がり、敵の別動隊を警戒してくれ」
三人は同時に「「「御意」」」と答えるが、アルビンは疑問を口にする。
「別動隊がいるのか? 昨日の話では北の森で罠を張っているという話だったが」
「あれはあくまで私の予想に過ぎない。さすがに湿原に兵は隠せないだろうが、森を移動してくることはあり得る。相手は一筋縄ではいかないんだ。何があってもいいように準備をしておきたい」
「なるほど。了解した。で、敵を見つけたら、こちらで処分してもよいのだな?」
「それで構わない。だが、連絡は入れてくれ。そちらが陽動の可能性もあるからな」
「面倒だが了解だ」
それだけ言うと、アルビンは部下たちの下に向かい、すぐに空に舞い上がっていった。
その様子をラントは苦笑しながら見ていた。そして、側近であるフェンリルのキースに零す。
「相当うっぷんが溜まっているようだな。まあ、遠方の町の制圧なんていう彼らにとってはやりがいのない仕事ばかりだったからな」
キースもラントの言葉に苦笑する。
「陛下のおっしゃる通りですね。ですが、アルビン様が大人しく従っていることの方が驚きです。先代のブラックラ陛下にすら、苦情を言っていた方ですから」
その言葉に騎龍であるローズも頷く。
「確かに昔のお父様なら陛下の命令であっても、面倒なだけの仕事は断っていたわね」
暢気にそんな話をしながらも二人を含め、ラントの護衛たちは警戒を緩めてはいなかった。
ナイダハレル近郊の森の中で、ラントが魔法に晒されたことを屈辱に感じ、戦場では絶対に油断しないと心に誓っているためだ。
ラントはそんな彼らに気を張り詰めすぎるなよと思うものの、やる気を削ぐようなことは言わずに王国軍の方を見つめていた。
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