第十一話「新たな勇者」
五月十六日、聖王マグダレーン十八世が聖者と呼ばれるクラガン司教を拘束した翌日に遡る。
神聖ロセス王国の聖都ストウロセスではロセス神兵隊のナイダハレル市民虐殺の情報を受け、聖都の市民たちは聖王に対する不信が燻っていた。守るべき民を軍が殺したため、魔族が迫る中、自分たちも同じような目に合うのではないかという思いがあったためだ。
更に清貧を貫き、民のことを常に考えるクラガン司教が大聖堂の前で、聖王と教団上層部を強く批判した。
それに対し、聖都の市民たちも同調し、暴動が起きる兆候すら見えた。
そのため、聖王はクラガンを拘束し、市民たちを強制的に解散させる。
ラントが送り込んだ諜報員たちの活躍もあり、市民たちはそのことによって更に不信感を募らせていく。
聖王はそのことに頭を悩ませていた。
(クラガン如きを投獄しただけで民たちがこれほど怒りを見せるとは……見誤ったか……だが、奴が主張を曲げぬうちは釈放することはできぬ。どうしたらよいものか……)
腹心であるフェルディ枢機卿がおずおずという感じで意見を述べた。
「クラガンを釈放するしかありますまい。これ以上騒動が大きくなれば、騎士団による鎮圧が必要となります。魔族軍が迫る中、聖都の中で混乱が起きることは避けるべきかと」
フェルディの意見にレダイグ大司教も賛意を示しつつも、更なる提案を行う。
「私も枢機卿猊下のご意見に賛成です。ですが、このまま何事もなかったかのように釈放することは陛下及び大聖堂への不信につながります。ですので、ロセス神兵隊が市民殺害に関与した事実はなく、魔族が流した悪辣な情報であったとするのです。その上でクラガンは魔族に利用されただけであり、釈放したとしてはいかがでしょうか」
聖王はレダイグの提案を吟味する。
「うむ……我らも間違っていないし、クラガンも騙されただけだと……すべては魔族が仕掛けてきた謀略であり、一致団結して当たらねばならんと誘導するわけだな。よろしい。その方向でクラガンを釈放するように」
聖王の命令を受け、クラガンは釈放された。その上で聖都にある教会でレダイグのシナリオ通りの話が市民に伝えられる。
当初怒りを見せていた市民たちだったが、その説明を聞き、怒りの矛先が魔族に向き始める。
そのことに危機感を持ったのが、グラント帝国の諜報員アードナムとルッカーンだった。
「トファース教もなかなかやってくれる。吾輩たちの策を逆手に取り、団結を図るとは」
アードナムの言葉にルッカーンが頷く。
「確かにその通りだが、何か手を打たねばならん」
「その通りである。新たな情報を適宜流していくしかあるまい」
「うむ。次の段階に移行する時ということだな」とルッカーンが再び頷く。
「聖王が都を捨てようとしているという噂を流そう。まさか逃げるとは思わぬが、この噂を否定することは難しいからな」
アードナムは聖王が堕落していると思っているが、それでも王として都を捨てるようなことはないと考えていた。
帝国の頂点に立つ魔帝は人格に問題あったり、部下を軽んじたりすることはあっても、帝国自体を捨てるようなことはあり得なかった。
翌日から魔族が攻め込む前に聖王と教団上層部が、聖都を捨てて逃げ出すという噂が流れ始める。
聖王たちはその対応に追われることになる。
■■■
勇者候補のユーリは聖堂騎士団本部で燻っていた。
(ロイグの野郎が失敗したらしいが、どこに逃げやがったんだ。潔く死ねば、俺が勇者になれたかもしれんのに……)
当代の勇者が命を落とすと、自動的に次代の勇者が現れる。勇者になるためには条件があり、その条件を満たしている者はすべて聖都に集められていた。
その一人がユーリであり、実力的には現勇者ロイグに次ぐため、最有力候補と言われている。
(いや、それよりもロイグの野郎のことだ、魔族がここに来るまで帰ってくる気がないんじゃないか? 勇者の能力があれば、この国が魔族に占領されても、別の国に行けば遊んで暮らせる。もしかしたら、それを狙っているんじゃないか?)
ユーリはそのことを聖王の側近たちに訴えた。
「このままでは聖都での戦いに勇者は間に合いません。あのロイグのことです。今頃、カダム連合か、ギリー連合王国に逃げ込もうとしているのかもしれません」
対応したレダイグ大司教もあり得ないことではないと、苦笑するしかなかった。
「その可能性はあるが、まだ十日ほどしか経っていない。ナイダハレルからの距離を考えれば、あと数日は掛かるはずだ。特に街道を使えないという状況なのだからな」
勇者がいたナイダハレルからストウロセスまでは街道を行けば約二百マイル(約三百二十キロメートル)、直線でも約百七十五マイル(約二百八十キロメートル)あり、身体能力が高い勇者たちでも監視の目を気にしながらでは十日以上掛かると考えられていた。
ユーリもレダイグの説明に頷くしかなく、その場を後にした。
五月二十三日。
ユーリは再び大聖堂を訪れた。
今回も大司教のレダイグが対応する。
「勇者ロイグが行方不明になってから十五日が経ちました。ですが、未だに消息は不明のままです。アデルフィ卿が魔族迎撃の準備を始めたと聞きました。ここ聖都を魔族から守るために勇者が必要なのです。すぐにでも対応をお願いします」
ユーリに言われるまでもなく、レダイグも焦りを覚えていた。
アデルフィがアストレイの丘で魔族軍を迎え撃つが、切り札がなく、時間稼ぎにしかならない。危機感を持った聖王は、聖都脱出の準備を本格化させているほどだ。
ユーリが言う対応とは勇者の処分を意味する。
勇者は神によって選ばれるが、死亡するか、自ら称号を返上するかしなければ、その者が勇者であり続ける。
勇者は神によって能力が引き上げられているが、不老不死ではなく、加齢により能力は低下していく。また、勇者が治癒魔法やポーションで回復できないほどの大怪我、例えば四肢の欠損などがあると、能力は大きく損なわれる。
自らの能力が勇者に相応しくないと感じた場合、通常なら称号を返上するのだが、中には称号にしがみつく者もいた。他にも勇者が魔族側に寝返ることもあり、それに対抗する手段が求められ、神は聖王に勇者の称号を剥奪し、新たな勇者を誕生させる力を与えた。
勇者の称号を剥奪する場合、その場に勇者がいれば称号が奪われるだけだが、遠方にいる場合は勇者の命自体が奪われ、新たな勇者が生まれることになる。
なお、聖王が気に入らない勇者を恣意的に変えることができないよう、聖王の在任中に一回しか使えないという制限があった。
これらのことは一般には知られていないが、勇者候補には知らされている。
「確かに君の言う通りだが……分かった。聖王陛下のご判断を仰ごう」
それだけ言うと、ユーリを残し、聖王の下に向かった。
聖王は国外に運び出す物の整理をしていたが、レダイグの訪問を受け、手を止めた。
「勇者ロイグを処分し、新たな勇者をアストレイの丘に向かわせるべきと愚考いたします」
「勇者を処分か……まだ半月しか経っておらんが?」
「その通りですが、これ以上遅れる場合、アストレイの丘での戦いに間に合いません。魔帝を倒すためには是非とも必要です」
「確かにそうだが……」
聖王は伝家の宝刀を抜くか迷っていた。
称号剥奪は勇者を制御するために必要なものと考えており、それを手放すことと聖都防衛を天秤にかけていたのだ。
「確かにロイグには能力がありますが、今回失敗しています。それに彼は非常に気まぐれです。役立たずを生かしておくより、新たな勇者に賭けた方がよいのではありませんか?」
その言葉で聖王も決断した。
「よかろう。では、明日儀式を行う」
翌二十四日。
聖王は大聖堂の地下にある特別な礼拝堂に入っていった。
そして、三十分ほど祈りを捧げた後、特別な呪文を唱えた。
聖堂騎士団本部にいた勇者候補たちには何も知らされていなかったが、大広間に集められた。その場には誰が勇者になるか見届けるため、レダイグの姿があった。
突然ユーリの身体が光り始めた。そして、唐突にその光が消えると、レダイグが拍手をしながら祝福する。
「新たな勇者ユーリ殿、貴殿の今後の活躍に期待する」
ユーリはロイグのような横柄さは見せず、真摯な表情で頭を下げた。
「神のため、聖王陛下のため、そして人々のために尽くすことを誓います」
こうして新たな勇者が誕生した。
■■■
勇者ロイグはラントが作らせた亜空間にいた。
と言っても、彼の体感時間では転移してから二分ほどしか経っていない。
突然、彼は胸を押さえて苦しみ、「せ、聖王め……」と言いながら、地面に倒れ込んだ。
何が起きているのか分からず、パーティメンバーの女たちは慌てるが、聖職者であるエルフが慌てて治癒魔法を掛けようと彼の傍らで膝を突く。
「し、死んでいるわ。どういうことなの?」
エルフの女は茫然とするものの、蘇生魔法を発動させた。しかし、全く効果はなかった。
「何が起きたの?」と仲間が聞くが、彼女にも分からず、首を横に振るだけだった。
その後、彼女たちを見た者はなかった。
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