第九話「王国軍の内情」
アデルフィは騎士団長である儂、ダン・ファイフが親しげに話し掛けていることに違和感を持っているようだ。
実際、ロセス神兵隊なる兵士を使い、ナイダハレルの民を殺したことについては聖王陛下を始め、多くの聖職者が腹を立てている。儂もとばっちりを受けており、そのことで不快感はあった。
だが、それ以上にこの者は役に立つと思い、昨日は陛下にそのことを言上し、聖都の防衛を全うすることで処罰に変えてほしいと頼んでいる。
その目的だが、王国のためではない。儂自身のためだ。
魔帝を倒し、魔族を撃退できるなどとは、これっぽっちも思っていない。当然、ここ聖都ストウロセスも攻め落とされると思っておる。
そうなれば、聖堂騎士団長である儂は真っ先に処刑される。だから、一刻も早くこの都から逃げ出したい。
逃げ出すと言っても、すべてを投げ出して逃げるわけにはいかない。
既に家族と幾ばくかの財産を隣国であるカダム連合に送っているが、儂が敵前逃亡すれば、トファース教を裏切ったとして、この大陸に居場所がなくなってしまうからだ。
そうならないようにするためには、儂以上の適任者がおり、その者に代わることが最も適切であるという説明が必要だ。
正直なところ、儂に対する評価は低い。だから、少しでも優秀な者がおるのならば、交代することは王国だけでなく、人族すべてにとって有益だ。
だから、目の前にいるこの男にすべてを押し付けようと思った。
「ゴホゴホ……私はこの一ヶ月ほど体の調子が悪いのだ」と病気であるように演技をする。
自分でもわざとらしいと思ったが、今は押し切った方がいいと強引に話を進めていく。
「よって聖王陛下には騎士団長を辞したいとお伝えしていたのだが、この国難にあっては辞めるに辞められぬ。王国軍の指揮を執る者が必要だからな」
「はぁ」とアデルフィは気の抜けた返事する。
彼にとっては何のことか分からないのだろう。だが、次の言葉で理解するはずだ。
「名将と名高いシーバス卿を推挙したのだが、テスジャーザからまだ戻っておらぬ。それどころか、生存すら危ぶまれておる。仕方なく連隊長連中に頼んだのだが、誰一人手を上げぬ。そこにシーバス卿が最も期待する君が戻ってきた。儂は君を聖堂騎士団の団長代理に任命し、王国軍の指揮権を渡そうと考えておるのだ」
「じ、自分がですか!」とアデルフィは上ずった声を上げる。
当然だろう。儂が彼であっても同じように驚くはずだ。これほど脈絡のない話を聞かされれば。
聖堂騎士団は騎士団長をトップに、二人の副団長と四人の連隊長、連隊長と同格の天馬騎士団長がいる。
このうち、シーバスではない副団長と二人の連隊長は一月の侵攻作戦で戦死し、後任が決まっていなかった。それでも三人の連隊長級が残っている。
連隊長の下には数十人の大隊長がおり、中隊長に過ぎない自分が団長代理になることなどあり得ないと思い、困惑しているのだろう。
その困惑に付け込み、既成事実化してしまおうと考え、強引に編成のことを話していく。
「天馬騎士団と聖騎士隊は陛下と聖職者の方々の護衛として引き抜かれた。よって残っているのは騎士と従士となる。それでも三千名もの精鋭が君の指揮下に入るのだ……」
早口でまくしたてていくと、アデルフィの困惑は更に大きくなったのか、表情が曇り始める。
「……この他にもシーバス卿が率いていた聖トマーティン兵団三万、ナイダハレルなどの守備隊一万、カダム連合からの援軍一万、そして、現在召集している上級冒険者百名以上を君が指揮することになる。これほどの名誉が与えられるのだ」
アデルフィは驚きのあまり声が出ない。
その隙に二通の公文書を手渡す。
「聖都防衛の命令書と君が団長代理に正式に就任したことを示す任命書だ。シーバス卿が帰還すれば、騎士団長となり全軍の指揮を引き継ぐことも明記されておる。それまでの間、よろしく頼んだぞ」
それだけ言うと、茫然としているアデルフィを残してその場から立ち去った。
団長室を出た後、安堵の息を吐き出す。
それにしても良いタイミングで帰ってきてくれた。
連隊長連中が断ってきた時には焦ったが、さすがに大隊長たちにこれだけの任を押し付けるには理由が弱い。
シーバスの報告書が本当に役に立ってくれた。あれがなければ、聖王陛下を説得することは困難だっただろう。
実際、シーバスが指揮を執ったとはいえ、アデルフィが立てた策によって巨人を倒したことは賞賛に値する。
巨人は古龍と並び、恐怖の対象だ。
今回以前に巨人を倒したのは、嗜虐帝ブラックラを暗殺した時、つまり三百年以上前にまで遡る必要がある。つまり歴史的な快挙なのだ。
この事実を前にすれば、ナイダハレルで市民を殺したことなど些細なことで、聖王陛下も即座に認めてくださったほどだ。
儂は屋敷に戻ると、ファイフ家の家臣たちを引き連れ、聖都を出た。その際、北方の町の防衛体制を視察すると言っている。既に騎士団長を辞していたが、逃げ出したと見られないためだ。
城門から出た後、儂は振り返った。
この町に再び戻ってくる日が来るのかという想いが湧き上がり、目頭が熱くなったのだ。
「では、カダム連合に向かうぞ」と家臣たちに言い、馬を歩ませた。
■■■
アデルフィは訳が分からない間に王国軍の指揮権を得ていた。そのことに未だに頭が付いていかない。
ファイフから手渡された任命書を眺め、大きく溜息を吐く。
(どういうことなんだ? 団長が無責任なのは昔からだが、これは酷すぎる。この公文書は正式なものだが……)
そして命令書を確認する。
(確かに天馬騎士と聖騎士以外の王国軍に対する指揮権が明記されている。命令は魔族軍の撃退か……それができるなら苦労はしないんだが……恐らく陛下も民たちを見捨て、聖都から逃げ出すおつもりなのだろう。団長と同じように……そうでなければ天馬騎士団と聖騎士隊を手元には置くまい……)
アデルフィは聖王の考えを見抜いていた。そして、敬愛するシーバスが命を賭して守ろうとした国を捨てようとしていることに暗澹たる気持ちになる。
それでも彼は気持ちを切り替えた。
(この任命書と命令書は聖王陛下より発したものだ。どのような思惑であれ、私が王国軍の指揮官だということだ。私にどこまでできるかは分からないが、やれるだけやってみよう……)
アデルフィは聖王に謁見を求めた。
聖堂騎士団団長代理という肩書が功を奏し、すぐに謁見が叶う。
聖王は三十代半ばの彼の姿を見て不安を感じた。
(このような若い者に全軍の指揮を任せられるのか? 責任を取りたくないファイフに騙されたようだ……)
アデルフィは聖王を見ることなく、跪いたまま口上を述べていく。
「この度は私のような者に大権をお与えくださり感謝の念に堪えません。陛下のご恩に報いるべく、全力をもって……」
アデルフィが殊勝な態度を見せると、聖王の機嫌はよくなった。
「卿の策によって魔族を苦しめたと聞く。今後は卿が直接指揮を執り、この聖都を守ってくれ。頼んだぞ」
「はっ! 必ずやご期待に応えます!」
「うむ」と聖王が頷いたところで、アデルフィはゆっくりと顔を上げた。
「陛下に一つだけお願いがございます」
「願い? それは何か」
「小職は若輩にて騎士団の掌握に時間が掛かる可能性がございます。ですので、今回の聖都防衛作戦に限り、軍規によらない賞罰の権限を小職にお与えいただけないでしょうか」
聖王は軍規によらないと聞き驚くが、すぐに今回の作戦に限定していることから了承する。
「騎士団を含む、王国軍の士官、兵士に対し、卿に全権を与える。これも公文書として発行しておこう」
「ありがたき幸せ」と言って、アデルフィは再び頭を下げた。
聖王との謁見を終えたアデルフィの下に、シーバスが個人的に送った手紙が届く。
そこにはテスジャーザでの戦いで有効であった策や魔族側の情報が記載されていたが、他にも彼に対する謝罪や感謝の言葉が書かれていた。
その手紙を読み終えたアデルフィの頬には涙の跡があった。
(閣下にはご迷惑を掛けてばかりだったが、このような言葉をいただけるとは……勝てる相手ではないが、閣下の期待に応えるしかない!)
アデルフィは決意を新たに、聖都防衛作戦を練っていった。
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