第六話「聖都の混乱」
時は五月十二日に遡る。
聖都ストウロセスの大聖堂にナイダハレルでの情報が届けられた。
情報を運んできたのはテスジャーザに駐屯していた天馬騎士で、聖王を前にして緊張しながら報告していく。
「シーバス卿はロセス神兵隊をナイダハレルに潜入させ、住民を犠牲にすることで魔帝ラントの周囲から護衛を減らし、勇者ロイグ殿に奇襲させる作戦を開始されました。しかしながら、奇襲は失敗に終わりました。そのため、シーバス卿はテスジャーザで迎え撃つことを決められ、住民たちを避難させた上で、大規模な罠を設置するとのことです」
聖王マグダレーン十八世は報告を聞くと、怒りを抑えながら天馬騎士に確認する。
「勇者ロイグはどうなったのだ?」
「無事脱出されたようです。奇襲の後に魔族が大規模な捜索を行ったようですが、勇者殿を見つけることができず、捜索を諦めました。ただ、私がテスジャーザを発つ時点では勇者殿の行方は不明のままでした」
「勇者については分かった」と聖王は低い声で言った後、目の前の執務用の豪華な机をバン!と平手で叩く。
その音に天馬騎士はビクッと肩を揺らすが、声を上げることは耐えた。
「シーバスは何をしておるのだ! 勇者を投入したにもかかわらず、魔帝を討ち取り損ねるとは! テスジャーザを防衛しろと命じたが、罠に使ってよいとは言っておらん!」
天馬騎士はその怒りに答えようがなく、嵐が過ぎるのを待つしかなかった。
「シーバスに作戦の撤回を命じよ! テスジャーザは何としてでも死守するのだ!」
天馬騎士は頭を下げると、その場から立ち去った。
残ったのは聖王の他に腹心である枢機卿のフェルディ、大司教のレダイグ、聖女のクーリーだ。
「シーバスは思ったより使えませんでしたな」とフェルディが言うと、レダイグも同調するように頷く。
「それにしても勇者ロイグは何をしているのだ! 奴のためにお膳立てしたのにしくじるとは!」
聖王が勇者に対する怒りを爆発させる。
「生き延びたことだけは確かなようですわ。新たな勇者が生まれておりませんから」
聖都には勇者候補が揃っており、勇者が死亡すれば新たな勇者が生まれるため、すぐに分かる。
「恐らくここに戻ろうとしているところでしょうな。ただ、街道は魔族に抑えられているでしょうから、時間が掛かっているのでしょう」
レダイグがそう言うと、フェルディがフンと鼻を鳴らす。
「奴のことだ。我々の苦労など考えもせず、女どもと道草を食っているのだろう」
「勇者のことはともかく、防衛計画を見直さねばなりませんわ」とクーリーが話題を変える。
「確かにそうだな。先ほどの命令は取り消さねばならん。今更作戦を取りやめても防衛は不可能だ」
聖王は冷静さを取り戻し、シーバスへの命令を撤回した。
「だが、義勇兵の一部とカダム連合の援軍が戻ってくるとは言え、圧倒的な力を誇る魔族をどうやって迎え撃つべきか。誰かよい考えはないか?」
聖王の問いにレダイグが発言する。
「冒険者たちを招集してはいかがでしょうか。戻ってきた勇者と共に魔族軍に奇襲を掛けさせれば、魔帝を倒すことも可能ではないかと」
冒険者とは迷宮に潜る者たちのことで、上級冒険者と呼ばれる者たちは勇者に匹敵するほどの戦闘力を持つ。
「冒険者か……悪くはないが、奴らが素直に余の命令に従うのか疑問がある。それに奴らは集団での戦いに慣れておらぬ。使い物になるのか甚だ疑問だ」
聖王の言葉にレダイグは答えていく。
「召集に関して言えば、褒賞と栄誉を餌にすれば、必ずや乗ってくるでしょう」
「褒賞と栄誉か……具体的には何を与えるのだ?」
「成功報酬として聖剣などの武器と名誉男爵程度の爵位、現金一万ポンド程度で充分かと」
一万ロセスポンドは日本円で一億六千万円ほどの価値となる。
「一万ポンドだと! 冒険者がどの程度召集に応じるか分からんのだ。どれほどの金が必要になることか……」
フェルディがそう言って嘆息する。
「あくまで成功報酬です。生き残らなければ渡す必要はありません」とレダイグは酷薄な笑みを浮かべる。
聖王は即座に決断した。
「なるほど。確かに魔帝を狙うのであれば、冒険者が生き残れる可能性は著しく低いな。レダイグ大司教の案を採用しよう」
その後、各迷宮に教会の使者が派遣されることが決まった。
翌日の五月十三日。
聖都では不穏な噂が広がっていた。
ある酒場では商人らしい男が隣に座った職人らしい男に話をしている。
「聖堂騎士団がナイダハレルの住民を殺しているらしいな」
「住民を殺している? 何で聖堂騎士団がそんなことをしなきゃならんのだ?」
「聞いた話じゃ、魔族に降伏した者は背教者として扱われるそうだ……」
しかし、そこで商人は声を潜めて付け加える。
「だから背教者を処分したという話なんだが、それだけじゃないとも聞いたな」
職人はその話に興味を持った。
「他に理由だと?」
「ああ、何でも魔帝って奴は降伏してきた者は自分の国の民と同じに扱うと公言しているらしい。だから、魔帝は住民を守るために兵士を派遣しなくちゃならない。いろんなところで無差別に殺せば、魔族軍は分散せざるを得ない。それを狙っているらしいな」
「背教者を殺して魔族軍を分散させるか……凄いことを考える奴がいるんだな」
職人は素直に感心するが、商人は憤りを見せる。
「だが、背教者と言ったって逃げるに逃げられなかった奴が多いんだ。それに聞いた話じゃ、乳飲み子まで殺されたそうだ」
「乳飲み子まで!」と職人は思わず声を高める。
「お、おい。声を抑えろ」と商人は慌てて職人の口を押える。
「だが、驚くのも無理はないな。俺も初めて聞いた時には同じように声を上げちまったからな。今でもそこまでしなくちゃならんのかって思っているし」
「確かに。勝つためとはいえ酷すぎるな……」
この話はラントの命令により、諜報官である天魔女王アギーの配下の諜報員たちが広めたものだ。この商人もごく弱いものだが、暗示を掛けられて強い憤りを感じていた。
この話は瞬く間に聖都に広がった。
五月十四日には大聖堂に勤める司教クラガンの耳に入った。
彼はトファース教の聖職者にしては珍しく、清貧と相互扶助を掲げる教義に忠実な人物だ。そのため、自身は粗末な法衣を身に纏い、貧しい者や弱者に施しを行っている。
その事実により、聖都では“聖者クラガン”と呼ばれるほどで、司教という比較的低い地位にありながらも、聖都の市民たちから尊敬される存在だった。
また、硬骨漢でもあり、出世争いに興じ、弱者救済に興味を示さない同僚たちを常に批判しており、教団の上位者からは煙たがられていた。しかし、市民の圧倒的な支持により、嫌がらせを受ける程度で済んでいる。
「ロセス神兵隊なる組織が罪のない民たちを殺していると……それも聖王陛下がお命じになったことだと……何と言うことだ! 民を愛することは経典にも明確に記されている……魔帝を倒すためとはいえ、そのような非道が許されるはずがない!」
クラガンは街頭に立ち、聖王とその側近たちを声高に批判した。
「聖王陛下は魔族を討伐するという大義名分の下、ロセス神兵隊なる組織を作り、罪のない者たちの命を奪っております! 確かに魔族は脅威です! ですが、そのために幼い子供の命を奪うことが許されるのでしょうか!……」
クラガンの批判を聞き、聖王は彼を拘束した。
クラガン拘束の情報は瞬く間に聖都に広がった。これは諜報員が意図的に広めたこともあるが、いかにクラガンが市民たちに愛されているかの証でもあった。
市民たちは大聖堂に詰めかけ、クラガンの釈放を訴えた。
聖王とその側近たちはここまで大ごとになるとは思わず、困惑するしかなかった。
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