第二十五話「勇者始動」
五月七日の夜。
午前中に行われた公開裁判に対し、日没になっても疑義申し立てはなく、ロセス神兵隊の捕虜に対する公開処刑は確定した。
ラントはその公開裁判のことを何度も思い出し、憂鬱な気分になっていた。
(被害者を出す必要はなかった……確かにこの辺りの被害者だったから知り合いも多い。だから見ていた人たちの同情は充分に買えた。でも、僕はあの人たちの苦痛を利用してしまった。これは許されることじゃない……)
その想いが表情や仕草に出ており、側近のフェンリルのキースやエンシェントドラゴンのローズは困惑していた。耐えきれなくなったローズがそのことを口にする。
「どうしたのよ。人族が王国と教会に反感を持ったんだから成功したんでしょ。なら、どうしてそんな顔をするのよ」
ラントはその真っ直ぐな問いに苦笑を浮かべる。
「心配を掛けたみたいだね」と言いながらもまだ表情に陰りはあった。
「私が聞いてあげるから言ってしまいなさい」
口調はいつも通りつっけんどんだが、ラントは温かい気遣いを感じ、胸に溜まっていたものを吐き出していく。
「今日の公開裁判のことなんだが……」
十分ほど話したところで、ラントは少し気が楽になった。
「ありがとう。君に聞いてもらえてよかったよ」
「そう? 私にはあんたが何で悩んでいるのか分からなかったけど」
「それでもいいんだ。聞いてもらえるだけで」と言って、ラントは微笑む。
ローズはその笑顔を見て同じように微笑んだ。
「何でもいいわ。あんたが元気になったのなら」
ラントはローズのことをかけがえのない者だと思い始めていた。
翌朝、スッキリと目覚め、頬をパンと叩いて気合を入れる。
(今日は公開処刑とその後は今回の論功行賞、そして祝宴だ。昨日の公開裁判でも敵に動きはなかった。だとすれば、処刑の時に救出に見せかけて混乱を起こすか、祝宴の終盤の緩んだタイミングを狙うはず……ただ、相手は思った以上に慎重だ……)
ラントはロセス神兵隊の襲撃からすぐに動きがあると思っていたが、二日経っても勇者は隠れ家から動いていない。
(これ以上動かないようなら、倒しにいってもいいかもしれない。もしかしたら、こちらが罠を張っているのを読んで誘っているのか? それなら下手に手を出すのは危険だが……)
ラントが気にしているのは、勇者の能力が不明な点だ。
過去には厳重な警備が敷かれている帝都の宮殿にまで入り込まれ、暗殺された魔帝もいる。その時の勇者は時空魔法に特化しており、百キロメートル以上離れた場所から直接転移したと記録に残っていた。
他にもアルビンらエンシェントドラゴンを凌駕する邪龍を従えた者や、レーザーのような特殊な兵器を召喚できた者がいたとされており、油断はできない。
午前九時頃、公開処刑が行われた。
前日の裁判でロセス神兵隊の兵士たちはヘイトを稼いだため、多くの市民が集まった。
処刑方法は斬首となった。これは身体能力が高く、確実に殺すために必要と言われたためで、ラントが望んだわけではない。
(ブレア峠で惨殺された死体はたくさん見たし、こっちでも遺体はたくさん見ている。それでも、人の首が飛ぶところは見たくないな……)
人の死に慣れたとはいえ、目の前で見て平然としていられる自信がなかった。
それでもラントは精神力を総動員して処刑に立ち会った。
十八人の兵士が後ろ手に縛られ、目隠しと猿ぐつわをされた状態で広場に引き出される。
跪かされた状態で後ろには鬼人族戦士たちが鋭い剣を持って立つ。
「処刑せよ!」と短く命じると、十八個の首が同時に落ち、激しく血を撒き散らす。
吐き気を催しながらもラントは平然とした表情を作り、民衆たちの前に立った。
「私は諸君ら市民を守ると約束した。彼らのような犯罪者を野放しにしてしまったことに対し謝罪したい」
そう言って大きく頭を下げる。その行為に民衆たちはどよめいた。
ラントはゆっくりと顔を上げると、再び演説を続けていく。
「神聖ロセス王国とトファース教は私の想像を超える組織だった。まさか同胞に対して牙を剥くとは予想もしなかったのだ。しかし、今回のことで彼らのことが分かった!」
そこで右腕を振り上げ、更に強い口調で話していく。
「これ以上、不幸な者を作らないために、私は神聖ロセス王国を打ち倒す! トファース教については現在の聖職者たちを一掃した後、共存が可能か模索するつもりだ」
それだけ言うと、ラントは館の中に戻っていった。
その後、今回の作戦で特に功績があったダニエルらを表彰した後、勝利の宴が始まろうとしていた。
宴は領主の館で行われ、多くの戦士が参加することになっている。もちろん、館の警備は厳重で、外から見て隙があるようには見えない。
(やはり周囲の警戒は厳重だな……だが、あの通路はまだ見つかっていないはずだ。外からの侵入は警戒しても、中は緩んでいる可能性は高い。この機会に掛けるしかないな……)
ロセス神兵隊の指揮官、ウイリアム・アデルフィはラントがいる館を遠目に見た後、隠れ家に戻っていく。
ロセス神兵隊の最後の生き残りに命じた。
「お前たちは魔帝のいる館に下水道を利用して潜入せよ。恐らく、魔族たちはそこに網を張っている。だから勇者と名乗ってからすぐに撤退するんだ。できるだけ逃げ回り、敵を引きずり回せ」
「了解です!」
ようやく回ってきた仕事に分隊長はやる気を見せて答える。
「逃げ際には計画通り、火を着けて回れ……」
既に計画はしっかりと説明してあり、簡単な命令だけで済ます。命令を出し終えると、アデルフィは気配遮断のマントを纏い、勇者ロイグの下に向かった。
その際、秘密通路の入口に立ち寄り、問題がないことを確認する。
(入口を動作させた形跡はない。それに足跡も……まだ、こちらにチャンスはある。あとは神兵隊がどれだけ敵を引っ掻き回せるかだ……)
アデルフィの姿は影に潜むシャドウアサシンに見られていた。気配遮断のマントの効果はあったものの、通路の入口を見張っていたため、姿を認識することができたのだ。
シャドウアサシンはアデルフィを尾行するとともに、上司である天魔女王アギーに報告を入れた。
アギーはすぐに宴で戦士たちと談笑するラントに耳打ちする。
「敵が動き始めたようですわ」
「では、作戦通りに頼む」とラントは小声で指示するが、宴を中座することなく、戦士たちと盃を交わしていく。
尾行されていることに気づいていないアデルフィは、そのまま勇者たちが潜む猟師小屋に入る。
彼の姿を見たロイグは「遅い! 何をしていた!」と怒りをぶつけるが、アデルフィはそれを無視して作戦の発動を伝えた。
「陽動部隊が動き始めております。魔帝を倒し、九人目の英雄として歴史に名をお刻みください」
ロイグは不機嫌そうな表情のままだったが、歴史に名を刻むという言葉で怒りを封じる。
「よかろう。貴様は足手まといだ。俺たちの突入のために陽動を行うんだ」
ロイグはアデルフィに功績を奪われることを嫌い、危険な任務を与えて殺そうと考えていた。
アデルフィはそのことに気づいていたが、素直に頷く。
「もちろんそのつもりでした。勇者様の偉業の一助となれば、これ以上の幸せはございません」
それだけ言うと、猟師小屋から出ていった。
アデルフィはそのままナイダハレルの町に戻るつもりだったが、一度だけ振り返った。
(成功してくれるなら、この命をくれてやってもいい。だから、確実に奴を、魔帝ラントを倒してくれ……)
アデルフィは再び早足で歩き始めた。
彼の後ろには三体のシャドウアサシンが尾行しているが、そのことに気づくことはなかった。
シャドウアサシンたちがアデルフィをすぐに捕らえなかったのは、ラントから他の生き残りと共に一網打尽にするよう命令されていたためだ。
ロイグも仲間四人と共に出発した。
彼らにも尾行が付いているが、そのことに気づくことなく、秘密通路の入口に向かっていた。
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