第二十三話「精神操作」
五月六日。
グラント帝国軍はロセス神兵隊を殲滅した。
最後にラントが魔法を受けるというアクシデントはあったものの、帝国軍に戦死者はなく、圧倒的な勝利であった。
「敵の戦死者の持ち物を確認し、身元を探れ! この辺りの建物も徹底的に調べるんだ! 念のため、捕虜には暗黒魔法を使い、魔法を封じる暗示を掛けろ!」
ラントの命令を受け、戦士たちは一斉に動き出す。
更にラントは通信士であるデーモンロードに勇者の動きを確認させる。
「アギーに勇者に動きがないか確認してくれ」
すぐに念話の魔道具で通信を行い、勇者に動きがないことが報告された。
「陽動作戦だと思ったのだが違うのか? まあいい。引き続き、勇者の監視を怠るなと伝えてくれ」
それだけ言うと、負傷者を見舞うため、廃屋の一つに入っていく。
残されたハイオーガのダニエルは未だに顔色が悪かった。
(陛下を危険に晒してしまった……あれは明らかに俺の失態だ。陛下は許してくださったが、自分自身が許せん……)
その思いは他の戦士たちも同じだったようで、ラントから大勝利と褒められたものの、いつもなら泣いて喜ぶはずが、誰一人笑みを浮かべていない。
彼らは今回の大失態を挽回しようと、ラントに命じられた調査に注力する。
ロセス神兵隊の隊長、ウイリアム・アデルフィが隠れて見ていた場所を発見した。そこには僅かな匂いと足跡が残されていただけで、降りしきる雨で追跡は不可能だった。
くまなく調査したが、戦いの最中に何者かが近くにいたという事実だけしか分からなかった。
ダニエルは大した事実ではないと思いながらも、ラントに報告する。
「少し離れた場所に何者かが潜んでいたようです。ですが、雨のため追跡は難しく、どこに向かったのかは全く分かりません」
ラントはその報告に「それはどこだ!」と鋭く言った。ダニエルはそれまでとは異なるラントの声音に驚く。
「二百ヤード(約百八十メートル)ほど離れた場所です」
「すぐに案内してくれ」
ラントの真剣な表情に「ハッ!」と答えるが、森の中にラントを連れていっていいのか迷い、側近であるフェンリルのキースに視線を向けた。
「陛下。しばらくお待ちください。私が確認してきます」
そこでラントもキースとダニエルが何を気にしているのか気づく。
「そうだな。私の代わりにキースとロブが確認してくれ。私が今一番気にしていることは指揮官がいなかったことだ。その場所からこの廃村がはっきり見えるなら、いたのは指揮官だった可能性が高い」
キースとアークグリフォンのロバートに命じると、ラントは静かに考え始めた。
(おかしいと思っていたんだ。あの兵士たちは一番年上でも二十歳を過ぎたくらいだ。五百人の部隊を指揮するには若すぎる。それにジムの隊が襲われた時には指揮官らしい人物がいたと報告にあった……)
しかし、そこで疑問が湧いた。
(自分で直接指揮した方が戦果は上がったはずだ。それなのにどうして自ら指揮しなかったんだろう……勇者のところに行っているのかと思ったけど、戦いを見ていた理由がよく分からないな……)
そんなことを考えていると、キースたちが戻ってきた。
「陛下のおっしゃる通り、こちらがよく見えました」
「そうか……ダニエル、よく見つけてくれたぞ! 敵の指揮官が生きていることと、戦いを見ていたという情報は今後の戦略に非常に重要だ。戦いでも活躍してくれたし、君たちにふさわしい恩賞を用意する」
「お、畏れ多いことです。我らは……」とダニエルが言いかけるが、ラントはそれを制して話を続ける。
「先ほども言ったが、あれは防ぎようがなかった。デーモンロードやリッチに調べさせたが、不審な点はなかったそうだ。だとすれば、八神王たちがいたとしても同じ結果だった。それよりも今回のように小さな情報を見逃すことなく、報告してくれたことは皆の手本となる。今後も期待しているぞ」
ダニエルは感極まり、「ハッ!」とだけしか答えられなかった。
ラントはダニエルに笑みを浮かべて頷くと、そのまま新たな命令を与えた。
「捕虜の尋問を早急に行いたい。疲れているところ悪いが、捕虜たちを町まで運んでくれ」
既に遺体や所持品は時空魔法が得意なデーモンロードたちによって回収されているが、生きた人間を運ぶことができない。
「巨人族が運べば、一時間も掛かりません。大至急輸送いたします」
「では頼んだぞ」とラントはいい、ローズに乗って町に戻っていった。
領主の館に戻ったラントは鎧を脱ぎ、濡れた身体を拭いた後、鬼人王ゴイン、天魔女王アギーらを集めた。
「捕虜はダニエル隊が運んでくるが、とりあえず分かったことを共有しておきたい。デーモンロードからの報告の通り、戦死者はなく、負傷者も既に治療済みだ。敵は総数四百七十ほど。そのうち、二十一人を捕虜とした……」
ラントの言葉に全員が静かに耳を傾けている。
「……敵は皆若い人族だった。その中に指揮官らしき人物はおらず、落とし穴を使ってきたが、戦い方はジムの隊を襲った時より稚拙だった可能性が高い。その指揮官だが、戦いを観察していたのではないかと考えている。捕虜の尋問を行えば、指揮官がどこに行ったのか分かるだろう……」
ラントの簡単な説明が終わると、アギーが発言を求めた。
「その指揮官というのはそれほど重要なのでしょうか?」
「そこは私にもよく分かっていない。しかし、五十名の部隊を的確に指揮した人物が、五百名弱の部隊の指揮を二十歳そこそこの若者に任せたことが腑に落ちない。勇者が動かなかったことと合わせて、何を考えているのか気になるんだ」
ラントは何か罠に掛かっていくような感覚に陥っていた。
「勇者のいる場所は分かっているんだ。陛下がそこまで気にする必要はないと思うのだが」
ゴインが理解できないという感じで発言する。
「言いたいことは分かるが、何かが起きてから後悔するより、できる限りその場で解消した方がいい。特に今回は敵に主導権を握られている気がするんだ。こういう時は些細なことで流れが変わることがある」
「陛下が言うならそうなんだろうが、俺にはよく分からんな」
ゴインはそう言って頭を掻く。ラントはそれに笑顔で答えた。
「私にもよく分かっていないんだ。気にする必要はない。ただ、気になると思ったら、私のようにためらわずに言ってほしい」
「捕虜の尋問は誰がやるのだろうか?」
魔導王オードが珍しく発言する。
「諜報官であるアギーが担当だが、君にも協力してもらいたい。暗黒魔法の優秀な使い手だし、ヴァンパイアたちの使う傀儡のスキルについては、君の方が詳しいからな」
「天魔女王はそれでよいのか?」とオードがアギーに視線を向ける。
「陛下がお決めになったことですし、私としてもぜひともあなたに手伝っていただきたいですわ。何といってもヴァンパイアロードたちはあなたの眷属でもあるのですから」
「では、二人に頼みたい。傀儡にすることは構わないが、精神を壊すような尋問はやめてほしい」
「それはなぜなのでしょうか? 最終的には処刑すると思っているのですが」
「理由は二つだ。まず処刑前にその兵士たちに発言を許すつもりでいる。これは住民たちにトファース教がいかに危険かを認識させるためだ。その時、精神が壊れていては住民たちも信用しないだろう」
「確かにその通りですわ。では二つ目の理由は何なのでしょうか?」
「兵士たちに悔いて死んでほしいからだ。何の罪もない幼い子供まで殺しているんだ。家族を失った者から糾弾させようと思っている。その時に精神が壊れていては意味がない」
アギーには二つ目の意味がよく分からなかった。
「狂信者がそのようなことで悔いるのでしょうか?」
「どうだろうな。それならそれで、住民たちがトファース教を見限る手に使える。いずれにしても理性を保った状態でなければ、証言自体の信憑性も失われるから、その辺りはよく考えてほしい」
その後、ラントたちは捕虜が収容された駐屯地の地下牢に向かい、アギーとオードが主体となって捕虜たちの尋問を行っていく。
通常の尋問では全く口を割らなかったため、暗黒魔法で精神を操り尋問を開始した。しかし、質問直後に兵士が苦しみ始め、三十秒も経たないうちに泡を吹いて死んでしまう。
治癒師を待機させ、治癒魔法を掛けても結果は同じで、ヴァンパイアロードによる傀儡化でもそれは変わらなかった。
「呪いの一種のようですな。実に興味深い」とオードが呟く。
「呪いの一種? 解呪は可能か?」とラントが聞くと、オードが小さく首を横に振る。
「恐らくだが人族の神の力を使っている。十年ほど研究させてもらえれば別だが、今の私では解呪は不可能だ。天魔女王、君なら可能か?」
オードはあっさりと不可能と言い切り、アギーに話を振る。
「私も魔導王殿の見解に同意いたします。どのような仕組みなのかは全く分かりませんが、情報を漏らそうとした場合、即座に神罰が下るようなものではないかと」
「厄介な……それでは拷問でも結果は同じか……」
ラントは説得したり、言葉巧みに誘導したりしたが、頑なに口を開かず、情報が全く手に入らない。
結局、鑑定によって彼らの所属が聖堂騎士団に属する“ロセス神兵隊”という名であることと、廃村や遺留品の状況から五百名前後の部隊であったことだけが分かった。
ラントが最も気にしている今回の作戦の目的はおろか、指揮官の名前すら不明のままだ。
「残りの捕虜には尋問は行わない。公開処刑の際に住民にトファース教の非道さを見せつけるのに利用するしかないな」
生き残った捕虜は縛り上げられた上で猿ぐつわをされ、地下牢に戻された。
ラントは指揮官を始め、他の生存者がいないかを徹底的に調べるよう命じた。
神兵隊に施された処置だが、これは非常に特殊なものだ。
彼らは聖都で司教たちに狂信者となるよう洗脳されたが、その際、洗脳だけではなく、トファース教の高位の聖職者だけが使える秘術によって、強い精神操作が行われていた。
この秘術は聖堂騎士団の指揮官など、機密情報を扱う者に対して施されている。
ロセス神兵隊は指揮官ではないが、勇者と共に魔帝に戦いを挑むため、情報管理が徹底されたのだ。
指揮官であるアデルフィも当然そのことを知っていた。彼は更に万全を期すため、兵士たちに手紙や日記など記録に残るようなものは一切残さないよう徹底させている。
そのため、ラントたちにほとんど有効な情報は入らなかった。
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