83. 強者
その頃、部屋の奥へ行ったユキらは、さらに館の中へと進んでいく。
単調な景色が続いているせいで、二人は同じ場所を延々と回っているような錯覚に陥りながらも、どうにか開いている扉を見つけてココが居たような大きく開けている場所へ入っていくと、そこには別の人が待っていた。
「さあ、奥へ進め」
その人は女性で、恐らくは異国のデザインなのだろうか、体の線がはっきりと見えるほど肌と密着していて、ロングスカートには深々とスリットが入っている純白の衣装を纏っている。
見慣れない意匠だが彼女の褐色の肌、黄金色の瞳、灰色の髪ととても似合っていて、ユキはサクヤと初めて出会った時と同じ気持ちになっていた。
「ルリ!」
「大丈夫ですよ」
ココのように、私達の前に立ちふさがるわけではない?
意外な彼女の言葉に戸惑いながら、ユキとルリフィーネは先へ進もうとするが……。
「進めと言ったのはそこの姫君だけだ、付き人は先へは進ませない」
ユキにはまるで見えなかった。
気がついた瞬間にルリフィーネは吹き飛ばされてしまい、足を踏ん張ってどうにか壁との衝突は免れたが、壁際まで後退してしまう。
白い衣装の女性が足を大きく開けたままの状態を維持している事から、ルリがこの人に蹴り飛ばされたという事だけは理解したけれど……。
ルリはここに入ってからずっと警戒していた。
それなのに、そんなルリに対してあれだけの攻撃する事が出来るなんて。
そう思った瞬間、ユキは言いようの無い不安と恐怖に苛まれる。
「ユキ様、先に行ってて下さい。後から追います」
「そんな! 駄目だよルリ! 一緒に行かないと!」
「ですが、彼女がそうはさせてくれなさそうです」
ルリフィーネは多少ふらつきながらも体勢を整えながら、ユキの方を見てそう言う。
白い衣装の女性は、私の方を一切見ていない。
さっき言ったとおり、館の奥へ行っても見逃してくれるのだろう。
けれど、ルリに対しては違う。
そしてさっきの攻撃でなんとなく予感した。
ここでルリを連れて行かないと、後に酷く後悔する事になる……。
「ねえルリ、一緒に来てお願いだから」
「私はこの戦いに勝って、……そして必ず戻ってきます。もうユキ様を一人にはしません」
ユキは必死に訴えかけた、ルリフィーネが一緒に来てくれる事を酷く願った。
しかしユキの願いは叶わず、ルリフィーネは白い衣装の女性と戦う事を決める。
その時のルリフィーネの眼差しは、かつてブカレスの下へ行くと誓った時と同じだった。
「でも!」
「このルリフィーネ、ユキ様を悲しませるような事は絶対に致しません」
私はルリと、また離ればなれになっちゃうの?
どうしても、別れないといけないの?
そんなの嫌だよ、二人で立ち向かって切り抜けないと!
「使用人として、最初で最後のわがままをお許し下さい。お願いします」
ルリフィーネはユキとの視線を逸らし、多少うつむきながらユキへ懇願する。
こうなれば、たとえ私であってもルリは素直に言う事を聞いてくれない。
どんなに私が言っても、絶対に聞いてくれない。
そうだ、ルリなら必ず来てくれる。
今までだってそうだった。
婚約の儀での騒動の時も、私がシスターとして過ごしていた時もちゃんと来てくれた。
だから今回もきっと来てくれる、ルリは私との約束を絶対に守ってくれる。
「……解ったよ。必ず来て、お願いだから」
ユキはそう自分に言い聞かせた。
どうにか納得させようと、ルリフィーネの願いを無理矢理にでも租借し飲み込み、最後に一言だけ言い残して部屋の奥へと進んでいく。
「……あなたのお名前、教えてくれませんか?」
「フィレ。フィレ・テンダーロイン」
ユキの姿がルリフィーネから完全に見えなくなった時、ルリフィーネは酷く悲しい表情をしながら対峙する相手の名前を聞く。
この時ルリフィーネは酷く悔やんでいた。
サクヤの裏切りが発覚した時に、ハーベスタの作戦を断るべきだった。
ルリフィーネ自身にも真相を知りたいという心の甘え、危険な好奇心があり、それを抑えられなかったという心の弱さを痛感せざるをえなかった。
「私からも……、いいか?」
「どうぞ」
「強さとは何か? お前は知っているか?」
「……私には、それに答えるだけの力量はございません」
「そうか」
そしてルリフィーネは解っていた。
このフィレと言う女性は桁外れの力を持っており、自身には万に一つの勝ち目も無い。
しかしルリフィーネは誰かに負かされる事よりも、心から愛している人に対して嘘をついてしまったという事に身を引き裂かれるような苦痛を感じていた。
「謙遜はするな。直接目を見て、前に立っただけで解った。お前は強い、認めてやろう」
「ありがとうございます」
たとえ勝つ可能性が皆無であっても、ルリフィーネは最後の最後まで諦めはしなかった。
フィレがどのように動いても対応出来るようにすり足で、相手から視線を逸らさずに極限まで集中しながらゆっくりと、そして確実に間合いを詰めていく。
虎視眈々と獲物を狙う獣のように、普段の穏やかな表情からはまるで想像もつかないくらいな、鋭い眼差しでフィレの一挙手一投足を見守る。
そんな慎重すぎるルリフィーネに対してフィレは、構えを作らず、一見無防備ともいえるほど隙だらけのままルリフィーネを誉め称えた。
「どうだ? 私の部下にならないか? お前ほどの実力を朽ちさせるのは惜しい」
「お誘い感謝致します。ですが私の主君はユキ様ただ一人と決めておりますので」
フィレもルリフィーネの強さを対峙しただけで察知したのだろう。
自身の配下へ誘おうとするが、ルリフィーネは腰を落とし構えたままフィレの誘いを丁重に断った。
「そうか、残念だ」
ルリフィーネを勧誘していたフィレの気持ちは本当であり、彼女はとても残念そうに視線を落とす。
この間もフィレは一切構えていない。
「ならばせめて、あの大トカゲを始末する為の仕上げといこうか!」
だがそう言った瞬間だった。
ルリフィーネは思わず後ろへ下がり、フィレがどう出るかを予測しそして……。
「やあっ!」
次の一手を読んだルリフィーネは、彼女が来るである場所に足蹴りをした。
その予想は当たり、フィレは無表情のまま拳を突き出してまっすぐ突いて来る。
このままいけば、ルリフィーネの攻撃が先に当たる。
そう思った瞬間。
「フェイント!?」
間違いなく、フィレは拳を突き出してまっすぐルリフィーネを突いたはずだった。
それに対して寸分の狂いも無く、場所もタイミングも全て完璧に合わせた。
普通ならば、フィレはルリフィーネのカウンターを受けて自身が繰り出した攻撃の威力をそっくりそのまま自分の身に受けるはずだった。
「次は本当に突くぞ。覚悟しておけ」
「くっ……!」
しかし、実際に窮地に追いやられていたのはフィレではなく、ルリフィーネだった。
ルリフィーネはフィレの居るであろう場所を蹴ったが、そこには誰も居らず、何故かルリフィーネの背後に現れたのだ。
「はぁっ!」
フィレの言うとおり、彼女がその気だったならばルリフィーネは不意をつかれ、急所への攻撃は免れなかっただろう。
それらを瞬時に理解し、そして恐れたルリフィーネはすかさず振り返りつつ、背後に居るフィレへ拳を繰り出す。
「見事だ。見よう見真似で”あの闘法”をここまで使いこなすとは」
しかし、フィレはそれを片手で難なく受け止めながらルリフィーネを称賛するが、褒められたルリフィーネはそれが余りにも不気味に感じてしまい、慌てて跳躍して間合いを離して……。
「必殺、護離霧充!」
そして自らの両手を広げ、そこから大量の霧を発生させる。
霧はたちまち部屋中に充満し、全ては真っ白に包まれてゆく。
根本的な解決はしないにしろ、とりあえず目を暗ませて体勢を整える事が出来る……はずだった。
「なんてつまらん技なのだ。失望したぞ」
「ああっ!?」
しかし、フィレはルリフィーネの腹部を的確に拳で突く。
殴られた衝撃でルリフィーネは後方へ大きく吹き飛び、部屋の壁へ全身を打ちつける。
「言うまでもなかろう? 私はお前の姿だけを見ているのではない」
霧が立ち込める中、攻撃を受け苦悶の表情を見せる。
姿がまるで見えているかのような口調で、フィレはルリフィーネへ話しかける。
「人間は生きているというだけで、ありとあらゆるサインを発し続ける。呼吸、発汗、心拍、脈拍、体温、僅かな動作から発せられる空気の流れ……。それらは生きている限り絶対に止める事が出来ない。今更言うまでもないだろう?」
よろめきながらも乱れる呼吸を整え、どうにか立ち上がった。
ユキと交わした約束を守る為、大切な人を裏切らない為……。
石よりも固い強い意志を以って、ルリフィーネは立ち上がり目の前の絶望的な状況に立ち向かおうとした。
「もっと戦いを楽しもうじゃないか」
しかし、現実は余りにも無情だった。
フィレは堂々とかつ余裕を持ったまま、ルリフィーネへ再び攻撃を繰り出す。
「ぐうっ……」
「強者と拳を交わす。実に素晴らしい、お前もそうは思わないか?」
フィレの攻撃は、ルリフィーネの気力と生命活動をするための力を確実に削り落としてゆく。
ここで怯んでは、相手に攻める隙を作るだけだと感じたルリフィーネもどうにか反撃を試みるが、ルリフィーネの攻撃は避けられるか防がれるかしてしまい、まるで相手に通じない。
二人の実力の差はあまりにも大きかった。
ルリフィーネが決して弱いわけではない、フィレが強すぎるのだ。
どうしたらここまで強くなれるのか、どうやったらここまで肉体を鍛えられるのか。
ルリフィーネは混濁する意識の中、相手の強さについて考える。
「全てに失望した私が追い求め続ける物、それが純粋な力、強さだ。私に迷いは無い、ただ突き進むのみ」
そんなルリフィーネの思いに気がついたのか、フィレは攻撃の手を緩めないまま一言だけ告げる。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
「どうした? 疲れたのか?」
度重なる攻撃を受け続けたルリフィーネは、限界だった。
ルリフィーネには反撃するだけの気力と体力は限りなく少ない。
今まで人ならざるものと戦い続け、必ず生還してきた最強のメイドは、目の前の真の強者によって打ち負かされようとしていた。
「では、そろそろ仕舞いにしようか。奥義、合掌連攻!」
そしてフィレは、ルリフィーネに引導を渡すべく最後の攻撃を繰り出す。
それは、ルリフィーネですら知覚出来ない程の物量と威力を持った拳打だった。
「私は約束を必ず守ってみせます! 奥義、聖連潔白!」
この攻撃をまともに受ければ、確実にやられてしまう。
そう確信したルリフィーネは最後の力を振り絞って、自らの持つ全ての力を拳へ集約しフィレの怒涛の攻撃に合わせて拳を繰り出した。
二人の拳はぶつかり合い、奥義と奥義の衝突はまるで雷が落ちたかのように周囲を轟かせる。
霧は衝撃によって、まるで海原のように波立ちながら弾けてゆく。
圧倒的な力と力、それらが極限まで高められたスピードで衝突する。
周囲に他の誰かが居たら、巻き添えを食らうのは必然な程に壮絶な戦いが一瞬の間に繰り広げられていきそして……。
「あぐっ……」
遂に体力が尽きたルリフィーネは、フィレの最終攻撃をその身に受けてしまう。
それ以降、繰り出される連打は一切防がれたり避けられたりする事も無く、ルリフィーネへと次々と直撃する。
息が切れてしまったぼろぼろのルリフィーネをただ一方的にめったうちにし続け、ルリフィーネの体は、風に舞う木の葉のように空中に力なく舞い続ける。
やがて部屋に充満していた霧は晴れ、室内を一望できるようになってゆく。
そこには無数の攻撃を受けてぼろぼろになってしまったルリフィーネと、そんな強者を下して満足げに立つフィレが居た。
「感謝するぞ。強き者よ」
自らの力の証明を終えたフィレは、ゆっくりとその場から去っていく。
生気と活力を失い、意思は砕かれて気力を無くしたユキの最大の理解者を部屋に残して……。




