176. ルリフィーネの旅 ~傷だらけの瑠璃~
サラマンドラは両手を広げ、爪を突き立てながらルリフィーネへと襲い掛かってくる。
もう彼には、過去に彼女と組み手をしてきた時のような人間味は、感じられない。
「やあっ!」
ルリフィーネもフィレ同様に、サラマンドラを止めるべく幾度も拳や蹴りを繰り出した。
それに対して獰猛な獣と成り果てた彼は、一切防御をせず全て体で受けた。
しかし、それら決死の攻撃もまるで通じていなかった。
この時ルリフィーネは極度の興奮状態によって筋肉が硬直し、かつ痛みの感覚を麻痺させていると理解すると、生半可な攻撃では彼を倒せないと思い、一旦間合いを離した後に高く飛び上がり……。
「必殺! 落渦龍水!」
足を突き出して勢いよく落下すると、サラマンドラの首の付け根へとかかとを叩き込む。
攻撃が当たった瞬間、巨石を投げ入れた時の水面のように周囲の空気が激しく震えだすと同時に、サラマンドラの立っていた場所の石畳に大きくひびが入る。
それは紛れもなくルリフィーネの全力の攻撃だった。
「足らん……、足らんぞッ!」
だが、サラマンドラには一切通じておらず、彼はすかさずルリフィーネの足を掴もうとしてくる。
渾身の一撃を受けてもまるで堪えていない彼に戸惑いながらも、ルリフィーネは高く飛んでどうにかその攻撃から逃れると……。
「奥義、火懲風月!」
ルリフィーネは空中で、真っ赤に燃える炎をその身に纏う。
その様子は、まるで神話に出てくる不死鳥のように美しくも力強い。
「……」
頭上で赤く輝く弟子をサラマンドラは追わなかった。
この時彼の姿勢を前傾に保ったままで、息づかいは荒く、口からは唾液が漏れだし、全身の毛を逆立てながら赤黒い波動を放出し続けている。
「いきます!」
ルリフィーネは、もう人間に戻らないであろうサラマンドラを見下ろすと、彼めがけて落下した。
そして二人がぶつかると、ルリフィーネを纏っていた火炎はドーム状に膨張していき、サラマンドラを熱と衝撃の圧倒的な破壊空間へと飲み込んでいく。
「始末完了。潔く、燃えてくださいませ」
その後、ルリフィーネだけ火炎の中から脱出すると、スカートをかるくたくし上げてポーズを決めた瞬間にドーム状の火炎は爆裂して、コロシアムが崩れ落ちそうになる程の風圧と轟音を周囲にばらまいた。
かつて変身し化け物へ変身した審問官も、この攻撃を受けて倒れた。
手ごたえはあった。
たとえサラマンドラであったとしても、ただではすまないはず。
そうルリフィーネは思いながら、一つだけ深く息を吐くと同時に、スカートを持っていた手を放して爆発した後方を振り返る。
「グラァァァッッ!!!!」
なんとそこから、悪魔のような形相をしたサラマンドラが襲い掛かってきた!
しかも、彼の体は一切傷ついていない!
「あああっ!」
ルリフィーネは避けるのが一瞬遅れたせいか、ついに彼の爪の餌食となってしまう!
「どうしたァッ! お前の力はそんなものかァッ!!」
「ううっ……」
ルリフィーネはなんとか距離を開け、再び体勢を整える事に成功した。
だが、彼女の白く美しい腕にはサラマンドラの爪痕が残っており、そこから真っ赤な血が流れ落ちる。
「はぁっ、はぁっ……」
ルリフィーネは肉体的にも、精神的にも疲労していた。
それは、自身のとっておきの奥義が、彼にはまるで通じなかったからだ。
「落ち着いて、あの力を使えば……」
ルリフィーネは呼吸を整え、気持ちを落ち着かせ、意識を集中させた。
この状況を乗り越えるには、機械の世界で自身の母親を打ち負かした時に使った力を、目覚めさせるしかないと思ったからだった。
そして、この圧倒的に不利な状況から逆転して主人の下へ帰るという、明るい未来を想像した。
しかし、サラマンドラは待ってはくれず、容赦ない暴力は間髪無く繰り出される。
「くっ!」
今までどうにか避けていたルリフィーネであったが、疲労により体の動きは重く鈍くなっていき……。
「ウオアァァァッッ!!!!」
彼の豪腕から繰り出される鉄拳が、急所である胸のやや下にめりこむ。
遂にサラマンドラの拳が、ルリフィーネに致命傷を負わせてしまったのだ。
「あぐっ!」
ルリフィーネは大きく吹き飛ばされ、後方にあるコロシアムの壁へと激突してしまうと、そのまま力なく落ちていき地面を舐めた。
「げほっ、げほっ……」
それでも彼女はどうにか立ち上がろうとする。
だが下腹部の強打によって呼吸が出来なくなる苦痛と、体の中の物が逆流してきそうな不快感、そして激痛によって視界は霞み、足は震えてしまう。
「いかん! 後は任せたぞ!」
今まで観客の避難誘導をしていたシウバがこの状況を見ると、最早ルリフィーネでは止められないと悟り、側に居たアルパへそう言うと一目散にコロシアム中央へと向かおうとした。
「来ないで下さい!」
ここでシウバが来れば、暴走したサラマンドラを止められるかもしれない。
しかし、ルリフィーネは目を強く瞑りながら叫び、シウバの動きを止めた。
「はぁ……、はぁっ……、はぁっ……」
主人に仕える為に身に着けた、まるで大切な人に自身の全てを捧げる花嫁の衣装のように純白なメイド服は、彼女自身の血で所々が赤く滲み、かつての主人によって引き裂かれ解れてしまっている。
もう立っているのがやっとであり、彼女の痛々しくも健気な抵抗は、逃げている途中の観客の足すら止めてしまう。
誰もが終わりを予見していた。
最強の使用人ルリフィーネの壮絶な最後を、彼女の命の落日をコロシアム内の人々は疑わなかった。




