15. アレフィの過去 ~色欲の根源~
――ユキと出会う数年前、コンフィ公爵の別邸にて。
「父上、この格好でおかしくないでしょうか?」
「ああ、とても似合っているよ」
館で働く使用人や執事たちが夜が更けても忙しく働いている。
ある者は飾り花を運び、ある者は当日用意する食材を調達、またある者は館の掃除に専念……。
何故ならば、明日はコンフィ公爵主催のパーティが開かれるのだ。
国家の重鎮であるコンフィの誘いとなれば、多くの貴族や王族、一流の芸術家が招かれるのは間違いない。
故にコンフィ公爵の息子であるアレフィも、着慣れないながらも正装に袖を通して、本当にこの格好で大丈夫なのか?と自身の父親に確認と同意を求めていた。
「本当に僕なんかが出てもよろしいのでしょうか?」
「何を遠慮する必要がある? むしろ、この家を継ぐ者として今回のパーティは是非出席するべきなのだ」
アレフィは今まで水神の国の箱庭と呼ばれている最高教育機関で魔術や考古学に打ち込んできた。
勉学をして自身を磨くのも大事だが、やがては家を継ぐ者として祭事にも慣れておかないといけない。
そうコンフィが息子を憂いで、今回のパーティ参加に至ったのである。
アレフィもいつかはこういう場面がある事は自覚していたが、今は勉学の方に夢中であり、社交界に関する事は頭の隅っこにとどめておく程度でしかなかった。
「アレフィ、お前は明日の為にダンスを練習し、テーブルマナーを学びなおし、淑女の対応も必死で勉強していたのを知っている」
パーティが催される事が決まったアレフィは、持ち前の頑張りで必死に”祭事対策”をした。
粗相がないように他の使用人にマナーを確認し、しどろもどろになりながら不慣れなダンスを練習し、あらゆる本を読んで勉強してきた事を知っていたのである。
「お前は努力する才能がある、箱庭の神童と呼ばれたのも天賦の才ではなく、その頑張りがあったからこそなのだ」
持ち前の妥協無き努力のおかげか、通っていた箱庭での成績は優秀で、神童と持て囃されてた事もあるくらいのアレフィは、当然パーティに対してもベストを尽くす事は必然であったのだ。
「だから、自信を持つのだアレフィ」
「は、はい! 父上!」
コンフィは多忙の身でありながらも、使用人からは息子の成長をこまめに聞いてきた。
執務の合間にこっそりアレフィの様子を見て、息子の頑張りを見届けた事もあるくらいだ。
だからこそ、アレフィにはもっと自信を持って欲しい。
もっと外の世界へと羽ばたき、活躍して欲しいと願っているのである。
それは現当主として、そして父親としての純粋な思いなのは、息子のアレフィにも十分伝わっていた。
そしてパーティ当日。
コンフィ主催のパーティは無事に何のトラブルもなく開催され、会場である館は数多くの名士達が集い、酒や食事、他の貴族とのダンスを何のストレスも無く楽しんでいた。
ただ一人を除いて……。
アレフィは場慣れしていないせいか、完全に孤立してしまう。
やがては当主になり、家を継ぐ者であり、本来ならば軽んじられるはずではない。
現に父親であり主催者であるコンフィは常に誰かと会話をしているが、まるで自分の存在が無いくらいに誰も相手をしない。
努力ではどうにもならない経験の差を思い知り、打ちひしがれていた中。
「あの、ご一緒に踊ってくださいませんか?」
「えっ、えっ……、ぼ、ぼぼぼくですか?」
編みこまれた髪型がとても愛らしい柑橘色のロングドレスを身に纏った少女が、孤独と共にしていたアレフィに笑顔でダンスを申し込んでくる。
「はい」
「よろここここんで!」
まさかこんな自分に、しかも女性から声がかかるなんて!
そう瞬時に思ったアレフィは、胸の鼓動を強くしながら上手く回らない口で彼女の申し込みを快諾した。
こうしてアレフィと少女は煌びやかな社交場へと溶けていく。
話しかけられた時に挙動不審にはなってしまったが、練習の甲斐あってかダンスはスムーズにこなす事ができた。
少女のマッチ棒のようにしなやかなでさわり心地の良い手袋をつけた細い手を、アレフィは宝物を取り扱うかのように丁寧にとりエスコートする。
そんな行為に、にこやかな表情のまま何ら不自由なく身を委ねる。
髪がなびくたびに優しい花の香りが仄かに香り、時折二人の目が合うと少女ははにかむ。
アレフィは無事に、絢爛豪華でロマンチックな世界の一部となる事が出来た。
「アレフィ見てたよ。実に見事だった、今後は社交場でお前に対して何の心配もしなくてすみそうだ」
「ありがとうございます! 使用人や母上以外の女の人と初めてお話したのですが、何だか良いものですね」
不安で仕方が無かったパーティもそつなくこなし、十分にダンスを楽しんだアレフィは少女と別れて、たまたま空いていた父親に今回の事を報告する。
コンフィも息子の様子を遠目で見ており、女性の扱いを上手く出来ていた事を関心していた。
「いい人を見つけなさい」
「そ、そんなっ! 僕はまだそそそんなの!?」
半ば茶化しながらも息子へそう言うと、全然そんな事を考えていなかったアレフィの顔は真っ赤になってしまい、全力で否定しながらその場から逃げるように去っていく。
コンフィはそんな様子を笑顔で見守っていた。
――父親との会話もひと段落つき、会場から少し離れた屋敷内の廊下にて。
「緊張が解けたらトイレへ行きたくなってしまった……」
コンフィと離れたアレフィは、無事エスコートを終えたことに安堵したせいで急にもよおし、慌ててお手洗いへと向かう。
「ん? あの時ダンスを一緒に踊った女の人……。こっちの方は女性来客用の休憩室だったような……」
その道中、アレフィと一緒に踊った少女を廊下の先で見かける。
少女は気づいていないのか、周囲を一切見ずに手前の部屋へと入っていった。
見間違いか気のせいか、上質な手袋をしていないのがふと気になったが、あれだけすべすべしていたら他の事がしづらいのかもしれないと思いつつ、頭の片隅において少女の後を何気なくついていく。
「でねー、それでねー」
「あはは、なにそれ!」
女の子達の楽しそうな会話が聞えてくる。
こっちは確か女性用の休憩室だから、会話くらいは聞えて当然か。
それにしても……、女の子とは普段どういう話をするのだろうか?
ドレスの事か、料理の事か、花の飾りつけの事か。
先程の少女はとても清楚だったから、とても素敵な話をしているのだろうな。
そう思いつつ、未知への探究心を抱きながら、アレフィは部屋の扉の前で彼女らの会話を聞こうとする。
「あんた! あんなキモイ男と一緒に踊ってよく我慢出来たわね」
「えー、だって一応コンフィ公爵の息子みたいだし? 恩売っておけばいい事あるかなって」
「でもさ、ずっと汗かいてたじゃんあいつ」
「そうそうっ! 近くに行くとさ、何か酸っぱい臭いがして吐きそうだった。握られた手はヌルヌルしてたからダンス終わった後すぐに手袋捨てたし、折角お気に入りの手袋だったのに本当最低!」
「キャハハ、何それ最悪ー!」
アレフィは自身の耳を疑った。
あんな清楚な少女がこんな汚い言葉使いで自分を貶しているなんて!
手袋は……、僕と手を繋いだから捨てただと!?
い、いや何かの間違いだ。
聞き間違いだ絶対にありえない!
「てかさ、恩売るのはいいけども”お付き合いしませんか”とか言われたらどうする気? まさかあんなキモイ男と……?」
「ないない、既に婚約者が居るとか適当に誤魔化すに決まってるじゃん。いくら家柄が良くったってあんなキモくてくっさい男となんてもう二度とごめんよ」
「だよねー! キャハハハッ!」
下唇はふるえ、この時の為だけに用意された正装にシミが出来る程の脂汗をかきながら、アレフィは自分でも意識せずにその場から数歩程下がってしまう。
「ああ……、あああ……」
自分の中で作り上げた、綺麗な何かが大音をたてて砕けていくようなショックを受けた。
今まで女性に抱いていた感情やイメージが間違いだった、幻想だった。
異性とは綺麗で尊いものだと思っていたそれなのに!?
アレフィはその場から全力で走って逃げ出し、自室へと戻った。
そして、二度とパーティに顔を出すことは無かった。
――それから数日後。
「やあ、よく来てくれたね。僕の事を覚えているかな?」
「パーティの時、一緒に踊って下さいました。覚えていて当然ですわ」
「それはよかった。忘れていると思っててちょっと不安だったんだ」
アレフィは、パーティで一緒に踊ってくれた少女を自身の館へ来るよう呼びかけた。
最初は断られると懸念していたが、少女側は”貴族の中でも王室に太い繋がりのある愚息に恩を売りたい”のか拒絶される事なく今回の招待を受け入れ、今は目の前に居る。
パーティの時とは違い、控えめな飾り付けと淡い色のボレロがセットになったロングドレスを身につけている。
あの出来事が無ければ、真に清楚で可憐な少女であるとアレフィへ印象付け出来ただろう。
「立ち話もなんだから、こちらへ」
「はい」
しかし、アレフィの心中には既に別の感情が巣食っていた。
それを表に出さないよう、パーティの時と同様に紳士的な態度で振る舞い、少女を館の中へと招き入れる。
「あ、あの」
「どうしたのかい?」
「異性の方と二人きりはどうも緊張してしまいまして、故に執事を連れてきたいと……」
館の中へ入り、奥にあるアレフィの自室へ二人っきりで通された少女は、多少困惑しながら引き連れてきた従者も同席させようとする。
勿論、少女は”こんな不気味でクサイ奴と二人っきりなんてごめんだ。何されるか解らない”という考えで、館の主人の息子を不愉快にさせないよう体のいい理由をつけてこの空間を脱出しようと試みたわけだが……。
「あ、開かない……?」
「魔術でその扉は施錠したし、この部屋自体も封印した。もう外に声が漏れる事もない、君が自分の意志でここを出る事もない」
既に少女の心持ちを知っていたアレフィは、少女がどう行動に出るか容易に想像出来ており、それ故に部屋の扉に魔術で鍵をかけて閉じ込めたのだ。
「な、なにを……。きゃあっ!」
アレフィは少女と二人きりになり、邪魔が一切入らなくなった事を確信すると、少女のか細い腕を乱雑に強く握り、顔と顔を近づける。
少女は腕を強く握られた事と、不快と思っている男の顔が間近に来ている事の両方から、今まで自らに施していた友愛の化粧は落ちてしまい、恐れと苦痛と嫌悪の素顔をアレフィに見せてしまう。
「こ、こんな事してただで済むと思っていますの!?」
「君の付き人は全員殺して山に捨てた、君が乗ってきた馬車は道中に捨てておいた。あたかも山賊か野生動物に襲われたように見せかけてね」
ようやくこの少女の本当の顔を見る事が出来た。
ようやくこの少女が僕を嫌っている事が明らかに出来た。
それら屈辱と歪んだ喜びは、アレフィを打ち震えさせる。
「勿論この館に入ってすぐに、君のお気に入りであろう美顔の執事も始末したよ。君は警戒心が本当に無いんだね、こんなキモち悪い男の所へ来ると言うのにね? フヒヒヒッ」
最早、勝利宣言ともいうべきだろうか。
今回の少女を嵌める為の作戦を、アレフィは彼女の目の前で嬉々揚々と話し始める。
「そ、そんな……」
「僕はね。ずっと勉学に打ち込んできて、今まで異性の事なんて興味が無かった。だけど君と少し話して女性とはどういう存在で、そういった下賎なメス豚をどう対処すれば良いかがよーく解ったつもりだよ」
少女の顔が青ざめひきつる。
背中は恐怖で凍り付き、体は震えて涙を流す。
そんな少女とは逆にアレフィの顔は赤く体温が上がり、興奮しているせいか息づかいは荒く、開きっぱなしの口からは唾液が滴れる。
「い、いやあ……」
「ヒヒッ。ねぇ、君が今の君であるうちに一つ聞いてもいいかい? キモくて臭くてヌルヌルした最低男に、これから犯される気分をね!」
「いやああああ! 助けてええええええ!」
この時から、アレフィと少女は”普通の人間”では無くなった。




