120. うたかたの夢
空に映し出された光景。
それはスノーフィリアが悪夢に飲み込まれ、欲望の虜となってネーヴェへ墜ちていく様子だった。
「なあ、あれって……」
「スノーフィリア様が、あの姫と同じ……?」
広場に不穏な空気が流れる。
それは彼女の手で国が激変してしまった事を、民衆は知っていたからだ。
新世界の人々もまさかスノーフィリアがこんな目にあわされ、その結果ネーヴェになった事が想像もつかなかったらしく、ただ呆然と空を見つめるだけしか出来ずにいた。
「大変だ! この場に居たらまた雪に変えられてしまうぞ!」
広場のどこからか聞こえる一声が決定的だった。
民衆があげていた歓喜の声は、瞬く間に悲鳴へと変わっていく。
その場に居た全員が、広場から逃げ出そうと入り口へと殺到し、鎧を来た騎士や兵士を押し倒して我先に出て行ってしまう。
「あ、待って!」
もうスノーフィリアがどんなに呼び止めても、誰一人答える者はいない。
民衆の形をした混乱は、ただ無秩序に宮殿から遠くへ散り行くだけだった。
「そ、そんな……」
そして大した間もおかずに、今まで人で埋め尽くされていた広場は、ほぼ誰も居なくなってしまった。
「やっぱり私じゃ無理なのかな……」
女王になり損ねた姫は、その場で座り込んで大粒の涙を流す。
「スノーフィリア様……」
この絶妙なタイミングでスノーフィリアが墜ちていく様を公開したのは、紛れも無く組織の連中である。
全員がそう即座に思い、周りに組織の関係者が居ないか探していき、そして犯人の正体を見た瞬間絶句してしまう。
「その通りです、あなたには出来ませんよ。さあ大人しく組織に戻ってきなさい」
失意と困惑の中、この状況を作り上げた犯人は凛とした表情のまま、泣き続けるスノーフィリアへ話しかける。
「あなたは!」
その声に呼ばれ、姫は目をこすって涙を拭い広間を見ると……。
「サクヤ!」
そこには、ミズカが倒したはずのサクヤが立っていた。
そしてサクヤの手の中には、スノーフィリアが墜ちていく様を記録した水晶玉があった。
「どうして!? ミズカがやっつけたんじゃ?」
話に聞いていた事と大きく異なる様子のサクヤを見たマリネは、大声で問いかける。
「ちゃんと当たった!」
「もしかして、影武者……?」
当然マリネは、ミズカの魔術の効果と威力を知っていた。
それが並みの人間が受けたらどうなるか、容易に想像はついた。
そしてこの謎の原因を考え、最も可能性が高いと思われる手法をミズカへ伝えたが、少女は頭に被っている帽子が落ちそうなくらい顔を横に振る。
「ううん、それは無い。目の前で変身もしてたし、武器を出す力だって使ってた!」
「そうですね。確かにあなたが私に向けて魔術を放ったのを見ましたよ」
「ならどうして!」
敵であるサクヤですら、ミズカの行動を認めている。
マリネはどうにか意識を集中し、今までの出来事を頭の中で整理して熟考すると、険しい表情をしながらサクヤの方を見つめ……。
「ミズカの攻撃を避ける道具を呼び出して使った……わけね」
ある一つの結論を述べた。
それは途方も無く、確率で言えば非常に小さいものだった。
「まさかそれって……」
「光の屈折を利用して背景と擬態させた、あるいはミズカの攻撃は光だから反射させた……、まあ原理なんて今はどうでもいいわ。どう考えたってサクヤが無事だって事実には変わりない」
マリネの考察した二つの現象は、魔術によって引き起こせす事が可能ではあった。
しかし、それを行使するには余程の使い手で無ければ不可能なのも解っていた。
「そんな! それってもう何でもありじゃない!」
サクヤは、そんな高等な術を実現出来る道具を瞬時に呼び出して使う。
そんな非日常かつ非現実的な状況を間にあたりにしたマリネはばつの悪い顔をし、ミズカは理不尽すぎる相手を甲高い声で非難した。
「それで組織の総帥様が何か用事でもあるの? まさか自慢したい為にここへ来たのかしら? このまま民衆を混乱させたままじゃ大変な事になるわよ?」
圧倒的な力の前に、半ば思考停止状態を余儀なくされていたマリネは、険しい表情のまま口角だけ上にあげながらサクヤへそう言う。
「それなら心配はおよびません。組織の力で印象なんていくらでも操作出来ますから」
「随分な自信ね」
「そうですね」
マリネの言うとおり、このままでは広場から逃げた民衆が触れ回り、国内は大暴動に発展してしまう。
それでも民衆の混乱を沈められる何かがあるらしく、サクヤはいつもの静かな表情を崩さない。
そんな涼しい顔に対してマリネは、酷く悪態をついた。
「ですが、今は別の用事があって来ました」
新世界と組織の人しか居なくなった広間で、サクヤはテラスの見上げる。
「ユキ、あなたがどうして欲望の淵から戻ったのかは、私にも解りません。ですがあなたは組織と共に在らなければならないのです。だからもう一度言います。組織に戻って来てください、そしてこの大地に氷の封印を施すのです」
そして無力感に苛まれ、女王になり損ねた少女へ向かって手を差し伸べた。
新世界の人達は、サクヤのそんな態度に様々な感情を抱いた。
しかし、それと同時に彼女らに消化不良な考えが一つよぎる。
氷の封印。
スノーフィリアを懐柔し、洗脳してまで組織に取り込みしようとした行為。
それに何の意味があるのか?
それをしなければ何が起こるのか?
誰も明確な答えを言わず、また情報が少ないせいで導き出す事も出来ずにいたその言葉の意味を、一同は再び考えさせられてしまう。
「……嫌」
そんな中、スノーフィリアは注意深く聞かなければ解らない程小さな声でそう言うと、ゆっくりと立ち上がっていく。
「ユキ……」
「私はネーヴェじゃない! 私はスノーフィリア・アクアクラウンだ! あなた達の仲間になんてならない!」
スノーフィリアは目をかっと開きながら、強い口調でサクヤの誘いを断る。
それはまるで、無力で何も出来ない小さな子供が、だだをこねているかのようだった。
「そうですか……」
今まで冷静な微笑みを崩さなかったサクヤが、スノーフィリアの拒絶の言葉を聞いた瞬間、酷く表情を曇らせる。
「では仕方ありませんね」
サクヤは失意の面持ちのまま、はき捨てる様にそう言うと広場周辺の木陰から次々と人が現れてくる。
「えっ……。そんな!」
そしてルリフィーネやセーラを無視し、非戦闘員であるマリネや近接戦に弱いくろ、ミズカが捕らわれてしまった。
「この者達の命が惜しければ、大人しく投降しなさい」
「ごめん……、ユキ」
「……うかつだったわ」
「サクヤ! あなたどうしてそこまで!」
「まずいですね……、人質を取られてたら手が出せません」
流石のルリフィーネやセーラも手が出せず、武器を捨てて両手を上げて降参の意思を見せる。
スノーフィリアは呆然としながら、この絶望的な状況を見る事しか出来ずにおり、当然姫の腕にも拘束具が取り付けられていく。
「三日後、彼女らを民衆の前で処刑します。それまで逃げないように拘束しておきなさい」
こうして新世界の人々とスノーフィリア達は、組織の手によって捕われてしまう。
そこには万策尽き、失意を抱いたまま死の宣告をされ、暗く重苦しい表情をした者達が居た……。




