第四十一話 彼女が求める者は
「なんで……」
咄嗟に逃げ道を探して、身体が縛られていることに気付いた。
じゃらりと鎖が揺れる。手首に鎖が食い込んですごく痛かった。
周りを見ると、薄暗い部屋の中にろうそくの火が浮かんでいて、暗闇の中、エドワードの顔だけを不気味に照らし出していた。
「わ、私を……どうするつもりですか?」
「さぁ?」
椅子を逆に座って背もたれに腕を置いたエドワード。
彼の言葉は胸の縁をなぞられるみたいにぞわぞわした。
すごく他人事で、自分には興味ないみたいな。
「あ、あなたが連れて来たんじゃないんですかっ」
「だから?」
エドワードは昔と同じように冷たく言った。
「お前みたいな平民のブスをどうこうしようが俺の勝手だろ?」
「……っ」
本当にこの人は変わっていない。
世界が自分中心に回ると思っていて、誰かの奉仕を当然のものだと思っている。
無理やり私を連れてきて何をするつもりか分からないけど……
それがロクでもなさそうなことは、考えなくても分かる。
(……脱出は無理だよね)
自慢じゃないけど非力には自信がある。
私は本より重たい物は持てないことで定評がある女なのだ。
ただの役立たずでは?
(あぅ……こんな事になるなら運動しておけば良かった……)
魔法陣用のペンも持っていないし、魔法で脱出することも無理。
つまり、私が生き残るためにやるべきは。
(エドワードの機嫌を取りつつ助けを待つこと……だよね)
よし、と意気込む私に、
「助けなら来ないぞ?」
「え」
水を差すようにエドワードは言った。
「ここは全智教団の隠れ家だからな」
「ぜんちきょうだん……?」
それってあれじゃなかった?
古代魔法こそ崇高で今の魔法は唾棄すべき神への反抗云々……
とか言って魔法を使う人たちを排斥する危ない集団じゃなかった?
な、なんで私そんな人たちに攫われないといけないの……?
ていうかエドワードも信徒? 嘘でしょっ?
「僕は信徒じゃない」
「……心が読めるんですか」
「お前が分かりやすすぎるんだ」
エドワードはうんざりしたようにため息をついた。
「俺もあいつらの言うことに従うのは癪なんだが、父上が教団の幹部である上に借りもあるから逃げられない。あいつらが言うには、お前が《空の鍵》とやらを持っているから必ず確保しなければならないらしいが……だからと言って、俺みたいな高貴な男がお前みたいなブサイクと結婚しなければならないなんて」
「空の、鍵……?」
エドワードが何を言ってるのかまったく理解できなかった。
全智教団とやらと関わったこともはないし、《空の鍵》とやらも聞いたことがないのだ。私みたいな平凡な女の子を攫って何を言っているのだろう、この人は。
「お前に残された選択肢は二つだ。ブス」
エドワードは指を二本立てる。
「ここで儀式の生贄になるか。俺の妻になるかだ」
「……妻? 妻って言いましたか?」
「そうだ。光栄なことだろう」
どこが?
「元平民の女が次期伯爵の妻になるんだ。社交界で大きな顔だって出来るし、伯爵家の権力を使って好きなだけ研究が出来る。良い事尽くしだと思わないか?」
だからどこがっ?
そもそも私をフッたのあなたでしょっ?
──なんか、変だ。
本当に私を妻に迎えてくれるっていうなら別れる必要はなかったし、私に絶縁を叩きつける時にあんなことを言う必要はなかった。大体、攫って来て置いて今さら妻になれって何? 全智教団に逆らえないって言ってたよね……私を攫ったのはその人たちで、エドワードは私を利用したいだけじゃない?
「仮にも婚約者だ。今後俺に服従を誓うなら儀式の前に助けてやる」
「……」
「喜べ。お前みたいなブサイクを妻に迎えてくれるのは俺だけだぞ」
「……」
確かに私は顔立ちがいいほうとは言えないし、自分に自信もない。
元平民だし、子爵令嬢とはいえ社交界でも上手く立ち回れないし……。
ほんと、良い所ってなんだろう。
リュカ様は私のどこを気に入ってくれたんだろうって思うけど。
「……いや、です」
「は?」
でも、嫌だ。
私は弱気で馬鹿で、どうしようもない女だけど。
(こんな奴と結ばれるのだけは、絶対に嫌!)
「嫌だと言ったんです。あなたのお嫁さんになるなんて!」
「なんだと?」
エドワードが凄んだ。
それだけで私は腰が引けそうになってしまう。
(ひいいいいい! 怖い……! で、でも、)
目を閉じて視界から追い出し、やけくそ交じりに叫ぶ。
「嫌なものは嫌なんです! だ、大体、さっきから自分のことを高貴な存在とか選ばれし者とか、言ってて恥ずかしくないんですか? 思春期を抜け出せない十五歳の子供ですか? ナルシストな上に子供っぽくて見ていられません! この勘違い男!」
「貴様……!」
「私だって!」
ぎゅっと唇を噛む。
「私だって……結婚するなら好きな人が良いし、私を愛してくれる人が良いし、優しい人が良い。誰が好き好んであなたなんかと婚約するんですか! ずっと苦痛で仕方なかった!」
ヴィルヘルム伯爵家なんて大嫌い。
お父さんを虐めるし、私を虐めるし、権力に物を言わせて人を従わせようとするし!
「あ、あなたみたいな痛い人と結ばれるくらいなら、死んだほうがマシですから──!!」
「……っ!」
薄暗い室内に私の声が反響し、その場が静まり返った。
ハッと我に返った私は内心でダラダラと汗を流す。
(あぁ、言っちゃった、言っちゃったよぉ……!)
従順な態度を取って彼の手を取ってたら助かったかもしれないのに。
逆に怒らせるようなことを言うなんて、何してるんだろう私。
怖いのに。死にたくないのに。もう痛いのは嫌なのに。
「……あぁ、そうか。それなら遠慮なく殺せるな」
「へ?」
エドワードは感情が抜けた瞳で立ち上がった。
「お前みたいなブスがどうなろうが知ったことじゃないが、さすがに死なれるのは寝覚めが悪かったんだ。けど、お前がそのつもりなら……もういいな?」
ぼっ!と蝋燭の火が燃え上がった。
続けて火事の火が燃え広がるみたいに蝋燭に火がついていく。
いつの間にか私を囲っていた円状の火は、地面に刻まれていた魔法陣を照らし出す。
「なにこれ!?」
「言っただろう、儀式だと」
エドワードは椅子を持ち上げながらこともなげに言う。
「全智教団はお前を儀式の生贄にして何かをするつもりだ。空の鍵とかなんとか……お前が持っている物が欲しいらしい。最悪死ぬんだとよ」
「は……? わ、私、そんな鍵なんて持ってません!」
「うるさいな。だから俺は知らないって言ってるだろ」
エドワードが扉を開けて去って行く。
振り返って嗤った。
「俺は最期に手を差し伸べたんだ。不意にしたのはお前だぞ?」
「ま──」
「俺のものになってたら助かったのにな」
短い言葉も最後まで言えなかった。
【時は来たれり】
「うぐ……っ!?」
心臓が、ドクンと跳ねた。
無理やり動かされてるみたいにみたいにドクンドクンと鼓動が早くなる。
きぃんと耳鳴りがした。
身体から力が抜けて口の中がカラカラに渇いていく。
【空の玉座より御業を乞う。我ら神の僕】
魔力の風が私の身体を浮かせ始めた。
鎖が外れてじゃらりと地面に落ちる。
自由になったはずなのに、逃げることも出来ない。
──これ、詠唱だ。
どんな魔法かは分からない。
けれど私が対象となっていることはハッキリわかる。
──身体が熱い。なにこれ、息が……
【開け空の門。空の血を以て祝福を賜らん】
(身体が、熱い……!)
私の胸の中から何かが飛び出してくる。
それは小さな光る鍵だった。
なんで私の中からこんなものが……
【今こそ千年の時を超え、真なる鍵の覚醒を!】
ダメ……。
何が何だか分からないけど、あれを渡したらダメな気がする。
私は必死に手を伸ばした。伸ばしたけど、届かない。
痛い。
苦しい。
やだ。寒い。
(たす、けて……)
涙が、零れた。
「助けて……リュカ様ぁ……」
ドゴォンっ!!!
爆音が轟いた。
パ、と魔法陣が消える。
私を浮かせていた力が消えて浮遊感に襲われた。
「きゃ!?」
「おっと」
誰かに受け止められる。
ううん、誰かじゃない。
それが誰かなんて、声を聞くだけで分かった。
「……」
薄眼を開けると、予想通りの顔があった。
端正な顔に汗をにじませた王子様は微笑んだ。
「ライラ、無事かい?」
「……」
あぁ、もう。
胸をぎゅっと掴む。頼もしくて涙が出そう。
涙で視界を滲ませながら、私はリュカ様をみあげた。
「助けに、来てくれたんですか?」
「もちろん」
震えていた手が包まれて、ぎゅっと抱きしめられた。
ルネさんとも違う。エドワードなんかとはもっと違う。
リュカ様は心から安心したように言った。
「無事でよかった」
──温かい……。
震えはもう、止まっていた。




