第三十五話 消えたリュカの行方
ぽりぽりと。読書しながらクッキーを頬張る。
書見台に開いた本のページをぱらりとめくり、ぼんやりと文字を追う。
ただの線と線を組み合わせた記号の羅列は知識のない者からすると暗号みたいなものだ。私たち魔法師はその暗号の中から意図を汲み取り、知識という糸で陣を組み上げていく。だけど、今の私は初めて《力ある》言葉を書く子供みたいだった。真っ白な紙に何をどこから手をつけていいのか分からない。
──ダメだ、気分転換しないと。
水差しからコップに水を注ぎ、喉を潤す。
気持ちのいい風が中庭を通り過ぎる。
竜車の嘶き声が聞こえてハッと振り返ると「お届け物でーす」と声がした。
「なんだ……」
「何が「なんだ」なんですか?」
「ひゃ!?」
いきなり後ろから声をかけられてビックリした。
配送さんから荷物を受け取ったルネさんが呆れた顔をしている。
「そんなに気になりますか?」
「な、何のことかなっ?」
「もちろんリュカ様のことです。誤魔化したって無駄ですよ」
ルネさんは見透かしたように腰に手を当てた。
「さっきからちらちら外を見ているでしょう。気になさっているのでは?」
「それは……」
──リュカ様が帰ってこない。
ナディアさんと再会した翌日、リュカ様は慌ただしく領地を出て行った。
いつもみたいに一日経ったら帰ってくるかと思ったんだけど、いつまでも帰ってこない。本人は一日で戻るって言ってたにも関わらずだ。
「別に、気になるってほどじゃないんですけど」
「昨日から暇を見つけては窓の外を見てるのに?」
「……ルネのいじわる」
「寂しいんですか?」
「……」
……そうなのかな。
リュカ様が来る前は誰もいないことが普通だったし、こんなに余裕もなかった。
仕事や研究に追われて、執務室に書類が積み重なっていく日々。
こんなので生きている意味はあるんだろうかって何度も思った。
でも、リュカ様が来てからは……。
私が見えないところで色々動いて、それを悟らせないようにしてくれたり。
本を読んでいる私の横に何も言わず座って、お互い好きなことをしてたり。
「……ただ何かあったんじゃないかって心配なだけです」
たぶん魔法師アリルのことがらみだろうし。
私のせいで迷惑をかけている自覚はあるから……。
「そういうことにしておきましょう」
「むぅ」
ルネさんは見透かしたような顔でお茶を淹れてくれる。
私は顔を隠すようにお茶を飲んだ。熱さがちょうど良くて美味しい。
それにしても、本当にどうしたんだろ。
もう私に飽きちゃったとか? 他の女性のところに行ってるとか。
まぁそれはそれで、しょうがないかなって思うけど……
(私だけじゃなかったの……?)
もやもや。もやもや。
「青春ですねぇ」
「何がですか?」
「失礼。口が滑りました」
ルネさんは最近遠慮が無くなって来てるような気がする。
じと目で見ても澄ました顔で、その表情を崩すのは出来そうになかった。
「はぁ……なんだか集中できないし、別の本にしよっかな……」
地竜の嘶き声がその場に響いた。
玄関前に竜車が止まる気配がする。
椅子に膝を立ててそっと生垣の向こうを覗き込むと、王族の紋章入りの竜車が止まっていた。
……リュカ様だわ!
ぴょん、と席から降りた私は玄関に向かう。
お父さんが対応しているところに行くと、竜車から人が降りて来た。
あれ?
リュカ様じゃない。誰だろう、この人。
年若くて貴族っぽい使者さんは私を見て口元を緩めた。
「ライラ・グランデ嬢で間違いないか?」
「は、はぁ。ライラは私ですけど……」
「貴殿に女王様から召喚状が来ている」
「え」
女王様? 召喚状? どういうことっ?
使者の人は懐から取り出した金縁の紙を広げ出した。
慌てて膝をつき、「春の息吹が訪れんことを」と挨拶する。
「妖精の加護がありますように」
使者の人は挨拶を返して紙を広げた。
「ごほん。『ルドヴィナ王国第六代女王、アマンダ・フォルトゥナ・ウル・ルドヴィナはライラ・グランデ子爵令嬢を王宮へ招待するものとする。一週間以内に王都へ来られたし』……というわけで」
使者さんは言った。
「女王陛下が王都でお待ちだ。グランデ嬢」
「え……えぇええええええええええええええええええええ!」
◆◇◆◇
「なななな、なんで女王様が私なんかを王宮に呼ぶんですかっ?」
「さぁ。私もそこまでは知りません。重要なことだと仰っていましたが」
「重要……いや私の存在自体が重要じゃないというか」
「謙遜も度が過ぎると罪ですよ。女王陛下のお招きを毀損するおつもりですか」
「ひぃ! すいませんでしたぁ!」
使者さんに平謝りして帰ってもらい、ドッと疲れたリビングに戻った。
ゆりかご椅子に座り、ルネさんが入れてくれたお茶を飲んでひと息つく。
「……あれだからお貴族様は苦手なんだよなぁ」
些細な言葉が相手を毀損している受け取られてしまう。
こっちの意図を曲解して噂として流され、さも事実であるように受け取られる虚しさたるや。
社交界は言葉の戦場だと言うけれど、人と喋るの自体が得意じゃない私にはきつい場所だった。
「ねぇ、お父さん。なんで呼び出されたと思う?」
「そりゃあ、一つしかないだろ」
「一つって?」
「リュカ様が帰ってこないことと関係ないとは思えない」
「え」
そう、なの?
「王都で何かあったかもしれませんね」
ルネさんがぼそりと言った。
なんでそんな怖いこと言うの……
「何かって、なに?」
「リュカ様が何か事件に巻き込まれたとか」
私は飛び上がった。
「じ、事件!?」
「何かと恨みを買うことが多い方ですから」
「いやでも、あんなに優しいのに」
「あの方が優しいのはライラ様だけなんですよね……」
「何か言った?」
「いえ、何も」
そんなこと言われたら余計に気になるのだけど。
「とにかく、一度行ってみればいいのでは」
「王都に?」
「もちろん。どの道、女王陛下の御心には逆らえない訳ですし」
「それはそうだけど……」
「リュカ様に会えるかもしれませんよ」
「……別に、そっちはいいけど」
そっと息をついて、目を逸らす。
「ま、まぁ。女王様に呼ばれたから仕方ないし? どうせ行くなら途中で会うかもしれないし、行くしかないよね。うん」
「そうですね」
「……わ、わたし、準備してくる!」
◆◇◆◇
──ルドヴィナ王国王都サンドラ。
──王宮、貴賓室の一室。
「それで、これはどういうことかな……兄上」
じゃらり、と鎖で縛られたリュカは言った。
彼の前には彼とそっくりな顔立ちをした美青年が立っている。
金髪にサファイアの如き瞳、女神がこの世に作り出した彫刻細工のような整った顔立ちは『ルドヴィナの星』と名高い第一王子、キーラ・フォン・ウル・ラグナ。
「なにって、決まっているだろう?」
ニィ、とリュカの兄は嗤った。
「お前には、グランデ嬢をおびき寄せる餌になってもらう」




