第三十四話 追い詰められた獲物
時は少し遡る。
未だ魔法師アリルの名が広まり始めたばかりの頃。
──グランデ子爵領辺境。
──領界線上のアトランテ関門。
鬱蒼と生い茂る森の中に伸びる一本道がある。
グランデ子爵領へ向かう唯一の道であるそこには、かつて廃墟と呼ばれる門があった。古代文明の遺跡の一つである門は行商人に野営地としても知られるところではあったが、数週間前、第二王子リュカの指示によって改修され、今や堅牢な城塞に様変わりしている。
「だから、僕はヴィルヘルム伯爵家の令息。グランデ嬢と縁のあるものだ。通してくれ!」
「申し訳ありませんが、出来かねます」
エドワードはアトランテ関門にいる兵士に詰め寄る。
家門の名を盾にする貴族に対し、平民の兵士はうんざりした顔で返した。
「ヴィルヘルム家所縁の者は何人たりとも通すなと言われております」
「な……っ。お、俺は貴族だ。貴様ら平民如きが逆らっていいと思ってるのか!」
「貴族だろうと平民であろうと、あなたは通しません」
エドワードは絶句した。
伯爵家の名に怯まない鉄壁ぶりに狼狽えてしまう。
(何なんだ……こんな場所に関門なんてなかったはずなのに!)
グランデ子爵領は元々、ヴィルヘルム伯爵領に属していた土地だ。
ほとんど管理せず自治のままに任せていたが、ほとんど収入もないのに固定資産として税金を取られるのが嫌で子爵家に押し付けた。当然、碌な世話もしていない、これといった特産品もない子爵領に関門など作れるはずがなく、整備されていない山道は竜車で通るのも一苦労なほどだった……はずなのに。
(あの廃墟が堅牢な関門に様変わりし、さらには兵士たちまで……何がどうなっている!?)
グランデ子爵領となってから、その運営利益はエドワードの懐に入るように操作していた。だからこそ分かるが、子爵領には決して兵士を雇うような金はなかったはずだ。そもそも各領地の兵数は法律で定められており、魔獣対策の要員しか配置できないはず。
それを、領境の関門に兵士を置くなんて……。
(いや、そんなことはどうでもいい。俺はライラを連れ戻さなければ)
あのブスさえ手元に置いておけば後はどうとでもなる。
認めるのは業腹だが、今の自分ではあの魔法陣を再現できそうにない。自分が習得するまで監禁しておいて、あとは然るべき時に発表すればいい。結局、アリステリス家当主の会談は散々な結果に終わってしまったし……体調不良を言い訳にして先延ばしにしている審査会も、ライラさえいればどうにかなるはずだ。
(俺が成り上がるには、それしかない……!!)
エドワードは割り切って別の手段を取ることにした。
懐から硬貨の詰まった袋を取り出し、兵士にそっと手渡す。
「俺は急いでここを通さなければならないんだ。なぁ、分かるだろ?」
「……そうですか。なら仕方ありませんね」
にやり、とエドワードは口元を吊り上げる。
やはり金だ。
平民だろうが貴族だろうが、手付金を貰って動かせない人間は居ないのだ。
そう思ったのに──
「では、武力行使しかありません」
「は?」
──ザッ!!
エドワードの前に十人以上の兵士たちが集まる。
一様に槍を持つ彼らはエドワードに敵意を向けていた。
たとえ魔法を使っても強行突破できない、それは精鋭たちが纏う覇気だ。
「なんで……ちゃんと渡すものは渡しただろう!?」
「なぁオイ、聞いたか? これっぽっちの金で俺たちを買収しようってよ」
賄賂を渡した兵士が袋を逆さにして硬貨を落とした。
カランカラン、と無造作に落ちた金貨に、兵士たちは目もくれようとしない。
それどころかエドワードに嘲笑うような目を向けて来るではないか。
「貴様ら……」
「私たちがどれほど給料を貰ってるとお思いで?」
兵士長らしき男が言った。
「こんなはした金で我らの忠誠心を買えると思わないことです」
「ぐ……! 貴様ら……平民如きが! 何様のつもりだ!? 俺は貴族だぞ!!」
「貴族だからと、第二王子の私兵に逆らっていいとお思いですか?」
「──……は?」
だいに、おうじ?
「『氷焔の微笑』の……」
「あなたがここへ来たら伝えるように言われた言葉があります」
ごほん、と咳払いして兵士長は続ける。
「『来ると思っていたよ。血筋だけが取り柄の馬鹿は扱いやすい。お前は絶対に通さないから、諦めて大好きなパパに泣きついたらどうだ?』」
「~~~~~~~~~~~~っ!」
エドワードは顔を真っ赤にした。
「貴様ぁ……!」
「あぁ、それとこうも仰っていました」
兵士長はにやりと笑う。
「『兵士長へ。たぶん『貴様ぁ』しか言わないと思うから笑っていいよ』
どっ、と兵士たちが哄笑をあげた。
エドワードは愕然とする。
ここに居ないにも関わらず、エドワードの発言をすべて読んでいる。
これが、武力を持たず知恵のみで敵対する者を滅ぼす『氷焔の微笑』。
人間関係に難ありと言われつつも、その知略はまぎれもなく女王の資質を受け継いだ王子。
またの名を、盤上の騎士──!
「…………っ」
エドワードの目には嘲笑を浮かべた第二王子が見えていた。
チェスの駒を持ったリュカが周りを削ぎ落して自分を追い詰めて来るのだ。
一つ、また一つ駒を進めるたび、こちらの盤上に味方がいなくなっていく。
(なぜ……第二王子がグランデ子爵領を)
エドワードはライラとリュカの関係をまったく知らない。
自分と彼は挨拶を交わしたことがあるだけの仲だ。
だから、何故リュカが自分を追い詰めようとしているのか分からなかった。
(まさか、ライラに言い寄ってるとか? ……ふ。馬鹿な)
相手はあの第二王子だ。
周りの者すべてに興味を持たない冷血漢がライラ如きに言い寄るはずがない。
「さぁ、どうぞお帰り下さい」
そのまさかとも知らないエドワードは兵士に声で我に返った。
「それとも、強行突破しますか?」
「……っ」
エドワードは視線を走らせる。
周囲は凶暴な魔獣がひしめく森の中。
関門を迂回しようとすればそこを突っ切らなければならない。
「くそ……お前ら、おぼえとけうぼっ!?」
仕方なく踵を返したエドワードだったが、雨上がりのぬかるんだ地面に足を取られて尻もちをついてしまう。慌てて起き上がろうとすると、今度は手を滑らせて仰向けに転がってしまった。
「ぶふッ」
兵士たちの誰かが噴き出す。
ギロ、と睨みつけるエドワードだが、兵士たちはどこ吹く風だ。
(この俺を、誰だと思って……!)
思わず魔力を発露させ、足元に魔法陣を展開したエドワード。
得意の炎魔法で一気にこの場を突破しようとすると、兵士たちが殺気立った。
これ以上は全面戦争になる──彼らの決死の顔がそれを物語らせる。
「……クソっ」
いくらエドワードでも第二王子の私兵と戦うほど愚かではない。
仕方なくその場を後にすると、兵士たちの囁き声が耳に障った。
聞こえるはずのない距離なのに、自分の悪口を言っていることは耳に届く。
ぎり、とエドワードは血が出るほど唇を噛みしめた。
◆◇◆◇
ヴィルヘルム伯爵家に帰ったエドワードは私室へ向かった。
乱暴に廊下を歩く彼に使用人たちは目を合わせまいと頭を下げている。
(まだ……まだだッ、まだ僕にはライラから奪ったアレが残ってる……!)
そう、ライラに描かせた自分だけの魔法陣。
あの螺旋魔法陣さえあれば、自分の栄光は約束されたようなものだ。
厳重に封じた書棚から論文を取ったエドワードの口元は弧を描く。
模倣書ではない原本。ナディアにこれを見せたのは失敗だったが……
「これさえあれば……俺はまだ」
「──坊ちゃまっ! 大変です!」
「何の騒ぎだ?」
私室に飛び込んできた執事に苛立ち混じりの目を向ける。
いくら子供の頃から知っている仲とはいえ、ノックも無しに入るのは使用人としていかがなものか。そう咎めようとしたエドワードだが、次の瞬間、そんなことは頭から消し飛んだ。
「これ、この記事を見てください!」
「……? だから一体なんだと……………………は?」
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【衝撃! 魔法界の秀才に盗作疑惑!?】
日々魔法界の新情報を追う我々の下にとんでもないニュースが飛び込んできた。
先日、魔法界を一変させる画期的な魔法陣が発表されたのは読者諸氏もご存じだろう。そう、かのエドワード・ヴィルヘルム伯爵令息が作り上げた螺旋魔法陣である。従来の魔法陣の三倍以上の魔力効率を誇る、永久機関に片足を突っ込んだこの魔法陣だが……
なんと、渦中で話題の魔法師アリルの魔法陣と酷似していることが分かった。
じゃあヴィルヘルム伯爵令息が魔法師アリルなのでは?
そう思った方もいるだろうが、少し待ってほしい。
当然我々もそう考えたため、アリステリス公爵家に確認を取ったのだ。
すると驚くべきことが分かった。
かの伯爵令息は魔法師アリルの魔法陣を盗み、先に世に発表したというのだ。
許されざる所業である。
これが、これこそが魔法界の秀才と呼ばれたヴィルヘルム伯爵令息の真実。
もちろん魔法騎士団に通報は済んでいるが、それでも許しがたい。
我々は強く非難する。
理不尽に他者を虐げ、おのれの利益を貪るのは貴族の在り方にあらず。
一時はあのような犯罪者を賞賛してしまった我が社の不明を恥じる想いだ。
どうか読者諸氏は声を大にして叫んでほしい。
身分を笠に着た愚か者に、裁きの鉄槌あれと!
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ばさり、と新聞を取り落とした。
へなへなと椅子に座り込み、エドワードは頭を抱える。
「坊ちゃま。既に抗議文が山のように届いています。使用人たちも退職願を出す者が相次いでおり、魔法騎士団がここに押し寄せるのも時間の問題です」
「父上は……」
「隣国に居ますが、おそらく国境で……」
ぐしゃり、とエドワードは髪を掴んだ。
「どうして……どうしてこうなった」
すべてが完璧だったはずなのに、どこから間違っていたんだろう。
父上が連れて来た子爵令嬢を利用して自分の力を高めた。
壁に行き詰っていた自分にとってあの令嬢はほどよい潤滑剤になってくれた。
だけど婚約なんてまっぴらごめんだから、捨てた。
父上がどうこう言おうと、あんなブスと婚姻などお断りだ。
もう盗めるものは盗めたのだから、用済みのゴミは捨てるべきだ。
そう思っていたのに──
【だから言っただろう。我らが手を貸してやると】
ぬう、と影が輪郭を象ってエドワードの前に立った。
影の口元が三日月に歪み、エドワードを覆い尽くす。
全智教団の尖兵、ライラを捕らえるために遣わされた使者──
【さぁ、今こそ我らに従え。灰狼の末裔よ】
「……っ」
もう、自分には手段がない──
エドワードはその手を取るのだった。




