第三十三話 リュカの本心
リュカ様の声は初めて会った時と同じくらい冷たい。
ううん、それ以上かもしれない。
声だけ聞いたら別人だと間違える自信が私にはある。
「えっと」
ナディアさんは焦ったように視線を彷徨わせた。
「申し訳ありません。何のことだか……論文の件なら既に謝罪を」
「魔法師アリルの研究をヴィルヘルム伯爵令息と一緒に盗んでしまったと?」
「はい……」
「ライラが魔法師アリルの弟子と言っていたそうだな」
「は、はい」
ひいい。リュカ様の目がさらに冷たくなった……。
「ならお前は、ライラが師匠の研究を横取りしてると考えてるのか?」
「よ、横取りとは。ただ弟子に華を与えようと魔法師アリルが気を遣ったのかと」
「あ、そう」
さすがにナディアさんもちょっと震えていて可哀そうになってくる。
リュカ様はすごく塩対応だ。塩を振りすぎてナディアさんから汗が止まらない。
塩対応の王子様は「ハッ」と鼻で笑って塩を振らし続ける。
「思い込みが激しくて一つの考えに固執する愚か者。君が秀才止まりなのも納得だな。結局、自分の考えが正しければいいんだろう」
「そんなことは……っ」
「ないと? じゃあ何故ライラが魔法師アリルだと考えなかった?」
「それは……」
ナディアさんが申し訳なさそうにこちらを見た。
「グランデ家は、その。アカデミーも出ていられないようでしたので……」
「つまり家柄と見た目だけで決めつけたわけだ」
「……申し訳ありません」
しゅんとするナディアさん。
王子様にここまで言われるのはかなり応えたようで、力なく肩を落としている。
リュカ様はまだまだ物言いたげだけど、そろそろいいんじゃないだろうか。
「あの、リュカ様。そろそろ……」
「君も君だよ、ライラ」
なんか飛び火した!?
じと目なリュカ様が私を見るけどナディアさんみたいに冷たくはない。
けれど彼にしては珍しく、なんだか咎めるような色があった。
「謙遜は君の美徳ではあるけど、謙遜と自分を下げることは違う」
「はひ」
リュカ様はナディアさんをちらりと流し見た。
「君自身が君の価値を落とすとこういう愚か者が出てくる。君の身を守るためにも、ライラにはもう少し自信を持ってほしいものだね」
「は、はいい。すみませんん……」
「謝ってほしいわけじゃないよ」
「じゃあどうすれば……」
「そうだね。じゃあ此処で魔法陣を描いてみたら?」
「えぇ、ここで?」
「そうすればこの女も君のことを信じるだろう」
「お言葉ですがリュカ様。魔法陣はそう簡単に書けるわけではありません」
店員さんに紙とペンを用意してもらいながらナディアさんが言った。
「まず術式を構築するために魔力文字を丹念に書き上げ、《力ある言葉》の組み合わせを考えないといけません。いくら魔法師アリルの弟子だからといってそんな簡単には書けないでしょう」
「あ、出来ました」
「そう。だから最低でも一時間くらい」
ナディアさんは目をかっぴらいた。
「は?」
私は紙に書いた魔法陣を差し出して見せる。
ナディアさんはそれをひったくるように受け取って顔を近づけた。
「ら、螺旋魔法陣……!?」
「はぁ、そうですけど」
ナディアさんは魔法陣をなぞって感嘆の息を吐く。
「なんて美しい……芸術的だわ……二重螺旋の中にくまなく配列された魔法文字……計算し尽くされた美と調和の証……しかもこの筆跡……」
ナディアさんは天啓を受けたように私を見た。
「そう、だったのね。あなたが……いいえ、あなた様が……」
力が抜けたように膝をつき、涙を流す。
「申し訳ありませんでした。魔法師アリル様……」
「え、えーっと」
ちょっとーーー! みんな、見てるから!!
ナディアさんみたいな綺麗な人に膝を突かせたらなんだと思うでしょーー!
おろおろと周りを見る。けれど意外にも、騒いでる人は居なかった。
それどころか、なぜかみんな誇らしげに私を見ている。
「なんだ、ライラ様の魔法陣に魅入られて来た人だったのか」
「ま、当然だよな。ライラ様の魔法は最高だからな」
「こんなド田舎で埋もれていい人材じゃないわよね。ありがたいけど」
なんか思ったのと違う反応だ。
……みんなそんな風に思ってたの?
「ちょっとは自信ついた?」
リュカ様が楽しそうに言った。
「これは、君が今まで積み重ねた努力の結果だよ」
「……そう、なんでしょうか」
ちょっとは自信持ってもいいのかな?
頑張ったよって、思ってもいいのかな。
「あの、魔法師アリル様」
ナディアさんが遠慮がちに声をかけて来た。
私は苦笑を返す。
「それやめてほしいです。偽名の意味なくなるので」
「申し訳ありません。ですが……」
「敬語もナシでいいです。その代わり秘密にしてくださいね」
「こんなあたしに、まだ寛大な慈悲を……」
ナディアさんは目を潤ませて前のめりになった。
「で、では。お姉様と呼ばせていただいてよろしいでしょうか?」
「え、嫌ですけど」
「そんな!?」
いや同年代にお姉様呼ばわりされるとか普通に嫌でしょ……。
「ではお師匠様と」
「弟子にした覚えはないんですけども」
「……そうですよね……あたし酷いことしたし……」
さっきと同一人物とは思えない豹変ぶりである。
魔法陣を描いてみせた効果は抜群だったみたいだ。
(謙遜と自分を下げることは違う、か。気を付けよう)
なんとなく身に染みた私であった。
ちょっと気まずい空気が流れて、ナディアさんが捨てられた子猫みたいな目で私を見て来た。
「あの、グランデ嬢。よろしければこれから……その、お茶会とか、仲良くさせてもらえないかしら。その、あたし友達いなくて……」
「あ、はい。もちろん」
ナディアさんに勘違いされた時も、別に怒ってたわけじゃないし。
ちょいちょい失礼なのはどうかと思ったけど、謝ってくれたから良しとする。
「ていうか一緒にご飯食べますか?」
「それはダメ」
リュカ様が目が笑っていない笑みを浮かべる。
ナディアさんが「やっぱりそうですよね」と頷いている。
さっきのこともあるんだろうけど、その潔さがちょっと気になった。
「あの、やっぱりって?」
気になった私が訊くと、ナディアさんが意外そうに眉根を上げた。
「知らないの? この方は女性と食事をすることがないの」
「へ?」
「誰に、どんな状況で誘われても、すげなく断るの。今みたいな顔で」
冷たすぎて火傷しちゃいそうなほどの笑み。
だから『氷焔の微笑』と呼ばれているのだとナディアさんは語る。
「だから驚いちゃった。お姉様、大切にされてるのね」
「お姉様じゃありませんけどね」
「えっと……」
「安心して。お二人の関係は秘密にするわ」
「いやいやいや、そういう関係じゃないですってば!」
「……そうなの?」
「そうですよ。ね、リュカ様?」
にこり、とリュカ様は微笑む。
その甘い笑みを見て嫌な予感が脳裏をよぎった。
……もしかしてリュカ様、これを機に既成事実にしようと?
私の逃げ場を塞いで婚約しようかって言いだすつもりかも。
そんなことになったら私に逃げ場はないし……。
身構えた私だけど、またしても肩透かしを食らうことになった。
「そうだよ。僕たちはまだそんな関係じゃない」
「え」
驚いた私は気付いてしまう。
──静かだ。
賑わっていた店内は静かになって、リュカ様の声はよく響いた。
店員さんたちまでも動きを止め、誰もが耳を大きくしてリュカ様の言葉を待ってる。
「僕が今、口説いてる最中さ」
「~~~~~~~っ!」
きゃぁぁああああ!と女性陣から黄色い悲鳴が上がる。
男性陣からは微笑ましいものを見る目で見られた。
何やら地面に崩れ落ちている人もいるけど、あれは何なんだろう。
益体もないことを考えていないと顔が真っ赤になりそうで、私は拳を握って俯いていた。
「そういうわけだから。二人にしてくれる?」
「は、はい! あたしったらなんて野暮なことを」
ナディアさんは顔を真っ赤にして目を逸らした。
「そ、それではお姉様。あたしはこれで失礼するわね。ごきげんようっ」
「え、あの、呼び方……」
お姉様じゃないって言ってるんだけどっ?
なんだかその辺が定まらないまま、ナディアさんはお店を出て行った。
料理を食べに来たんじゃないのかな……お腹空いてないのかな……。
「お待たせしました~。サラサール海老のグラタン仕立てです~」
「わぁ」
料理が運ばれてきて私の思考は一気に持っていかれる。
ほかほかの湯気を立てたグラタンには大きな海老が乗っていて、チーズと胡椒の香りがもう美味しい。
「美味しそう……絶対美味しい……」
ぐつぐつと音を立てる料理を食い気味に見ていると、
「さ、ライラ。あんな女は忘れて一緒に食べよう」
リュカ様が手を叩いて言った。
さっきの冷たい空気は消え失せて、いつものリュカ様だ。
いつもぐいぐい来るけど、踏み込み過ぎない程度に引いてくれる優しい人。
「ライラ?」
「あ、いえ。はい。食べましょう」
「うん」
リュカ様が頬張る姿を見つめながら、私は視線を落とした。
『だから驚いちゃった。あなた、大切にされてるのね』
ナディアさんの言葉が頭をよぎる。
そっか……。
私だけ、なんだ。




