第三十二話 リュカ様の本性
「別にいいんじゃない?」
リュカ様が帰って来たのは翌日の朝だった。
子爵家の前であれこれ説明したらそんな答えが来る。
外套を従者さんに預けると、彼は私の頭をぽんぽんと撫でてくる。
「ライラは目立ちたくないんでしょ? 隠れ蓑になってちょうどいいじゃないか」
「それはそうですけど……もしバレたら」
「その時はその時だよ」
そもそも、とリュカ様は私の顎を持ち上げて来た。
空色の瞳が嗜虐の色を帯びて私を見つめる。
「ライラを『平凡』なんて呼ぶ女なんて君が気にする価値もないさ」
「いや私は平凡ですけど」
「謙遜も過ぎれば毒だよ」
「謙遜じゃないんですけどね」
「そっか。じゃあ婚約する?」
「何がそっかですか脈絡なさすぎでしょ!」
「じゃあキスする?」
「婚約よりすごいことをしようとしないでくれます!?」
──顔が、近い!!
慌ててリュカ様と距離を取る私である。
いやほんと、油断も隙もないな、この人は……。
顎をクイってされるのドキドキするからやめてほしい。
「まぁともあれ」
リュカ様が明後日の方向を見て口元に手を当てた。
空色の瞳が剣呑な光を帯びて、
「あまりに愚かだな。処理するか」
ぼそっと呟かれた言葉にゾッとした。
「い、いや! 何もしなくていいですから! ほんとに! ほんとーに!」
「そう?」
ぶんぶんと首を縦に振って頷く。
『処理』とかいう言葉を使われたら怖くてたまらない。
私のせいであの人がどうにかなってしまうと夢見が悪そうだし。
(根は悪い人じゃないと思うんだよね……ちょいちょい失礼……いや、たいぶ失礼だけど)
「スコールにでも遭ったと思っておきます」
「びしょ濡れだね。暖めてあげようか?」
「結構です」
両手を広げたリュカ様は楽しそうに手を下ろした。
「残念。じゃあランチに行く?」
「まぁそれなら……」
リュカ様は王都から帰ってきて何も食べていないらしい。
もう陽が中天にまで登りそうだし、私もそろそろお腹が空いて来た。
お父さんは仕事に出かけてるし、こういう時は美味しいものを食べてスッキリしよう。
◆◇◆◇
ルネさんの料理はもちろん美味しいし、不満なんて全くないのだけど、それはそれとしてやっぱり外食も美味しいと思ってしまう。とりわけジャンキーな料理なんて外で食べたほうが美味しいまである。何なんだろうね、あれ。胡椒が効いたジューシーなお肉にかぶりつく背徳感とか、たまらないよね。
そんなルネさんは厨房に入って給仕係と毒見役を兼ねている。
だから、私とリュカ様は二人きりで席に着くことになっていた。
まぁ、周りにお客さんがたくさんいるし、視線は刺さってくるけども。
なんだかもう慣れてしまった自分がいる。慣れって怖い。
「ねぇライラ」
「はい」
ちなみに外に出るということでちょっぴりおしゃれしてる私である。
だからか分からないけど、リュカ様は今日も絶好調だ。
「今日も可愛いね。花の妖精みたい」
「はぁ。妖精は大昔に絶滅しましたけど……見たことあるんですか?」
「それくらい可愛いってことさ。むしろ妖精より可愛いまである」
「はいはい、そうですか」
息をするように甘い言葉を吐くリュカ様。最初の頃こそうろたえていた私だけど……この軽さに慣れて来たこともあり、最近では適当にあしらえるようになってきた。
大体、リュカ様は王子様だからね。
私みたいなのにお世辞を言うの慣れてると思うんだよ。
(誰にでも言ってるんだろうしね。騙されないよ、私は)
お水を飲みながらリュカ様を恨めし気に見る。
リュカ様はころころと笑いながら楽しそうにしていた。
ほらやっぱり、私をからかって楽しんでるんだ……。
「……おい、あれ見ろ」
「すげー美人……あんな人ここに居たっけ?」
「ほら、昨日王都から来た……」
ん?
なんだかお店が騒がしくなって振り返る。
「いらっしゃいませー! 一名様ですか?」
「えぇ」
「こちらへどうぞー♪」
「失礼するわ」
愛すべき田舎に似つかわしくない凛とした声。
綺麗な赤紫色の髪をさらりと流し、美しさを振りまくのは……。
「ナディアさんだ……」
「ん?」
あ、やばい。声に出てた。
慌てて口を塞いだ私だけど、ばっちり目が合ってしまう。
その目がぱぁ、と輝いた。
「グランデ嬢……! 奇遇ね、また会えて嬉しいわ」
「あ、どうも。あはは……」
「あなたも食事に? もしかして魔法師アリル様も……あら?」
私が影になってリュカ様が見えていなかったらしい。
リュカ様を見つけたナディアさんはハッと目を見開いてカーテシー。
「王国の光。リュカ王……」
「あーーーーー! 待って! この人は査察官ですから!」
「え? でもどこからどう見てもリュカ様……」
「リュカ様だけどリュカ様じゃない同姓同名の別人ですよ! ね!?」
子爵領のみんなにはリュカ様が王子ということは内緒にしてるのだ。
色んな噂は流れてると思うけど、少なくとも明言はしていない。
もしも王子様ということが分かったら私の隣に住んでるあれこれで大騒ぎになってしまう。
「そ、そう。分かったわ。何か事情があるのね」
こくこく、と頷く。
分かってくれて良かった……。
やっぱり根は悪い人じゃない……と思うんだよね。
一度だけ参加したお茶会に居た貴婦人たちなら、ここぞとばかりに弱味を握ってマウントを取ってくるもん。
(子爵令嬢と男爵令嬢に差はない……か。もしかしたら、お友達になれたりするのかな……)
ナディアさんは気を取り直したように咳払いした。
リュカ様に敬意を込めた目礼をしてから水を向ける。
「失礼しました、リュカ査察官。よろしければ同席させてもらっても?」
まさかナディアさんが来るとは思わなかったけど、これでリュカ様が魔法師アリルの件を上手く説明してくれるかもしれない。こちとら、ナディアさんが言う立派な人物じゃないのだ。誤解を解いてほしいとはもう思わないけど、せめて魔法師アリルに対する尊敬の念を少しでも減らしてもらえたら……そう思っていたのだけど。
「断る」
ん?
別人かと思えるほど冷たい声が聞こえた。
ぱちぱち、と目を瞬く。
見れば、リュカ様は初めて見た時みたいな無関心の笑みを浮かべていた。
「悪いが愚か者は嫌いだ。ライラを貶める奴は特にね」
……リュカ様?




