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第二十六話 魔法師アリル(前編)

 


 ルネの実家であるアリステリス家は御三家に数えられる名家だ。血筋は古くルドヴィア王国発祥まで遡り、初代妖精女王に力を貸したと言われている。その財力、権勢は社交界でも大きく、王家すら彼らを無下に扱えない影響力を誇る。


 そんなアリステリス家が手掛ける事業は多岐にわたるが──

 その中の一つに、『風の箒』という魔導具商店がある。

 商品のラインナップは基本的にはアリステリス家の魔道具。


 御三家で実力を競い合って作られた魔道具は良質と名高く、その名は大陸の端にも届くほどに有名だ。御三家の名で品質が保証されているため、風の箒で魔道具を出すこと自体が魔法師、ひいては職人たちにとっての誉れとも言える。実力を認められていると同義だからだ。

 なかには、風の箒で商品を出すことが夢という魔法師もいる。


 客層は上級貴族から平民と幅広い。

 本店では貴族向けの高級品を、支店では平民向けの商品を売り、店の客層を分けることで幅広い顧客層を獲得している。

 国全体の魔道具の質をあげるというのがアリステリス家の狙いだ。


 そしてその施策の一つに『後援システム』がある。才能ある魔法師にアリステリス家が支援金を出し、まだ名もない魔法師の作品を売るシステムだ。

 アリステリス家の商品との違いは二つ。


 一つは既に魔法師として完成された者が作っているか否か。

 もう一つは、アリステリス家の派閥に所属しているか否か。


 後援システムで売る魔法師の作品は魔法師としても完成されておらず、また派閥にも所属していない。アリステリス家が可能性(さいのう)を認めた、いわば宝石の原石のような存在に支援し、魔法師としての真価を民衆に問う。もしもその魔法師が大成すれば初期作のファンとして自慢できるし、大成しなくてもアリステリス家が認めた実力は本物だから、お抱えにして囲い込むことが出来る。アリステリス家のファンや魔法師の間で密かに人気のシステムだ。


 一ヶ月前、風の箒が一つの作品を売り出した。

 職人の名を、魔法師アリルという。

 名字はない。性別も不明。出自も不明。


 自己顕示欲が強い魔法師界隈に、情報を出さず作品を出す者は珍しい。

 誰も彼もが自分の実力を認められたがっているのだ。

 よほど実力に自信があるのか、あるいはそれすら戦略なのか。


 作品は、一つだけ。

 しかも何の変哲もない花柄のティーポット。

 魔導具としての効果も、どんな商品かも書かれていない。


 ただ、値札が張られているだけだ。


 よほどの運がなければ埋もれて然るべき所業。

 物好きな収集家に渡って倉庫で埃をかぶるのがオチである。

 だが逆に、その異質さに目を引かれる品でもあった。


 ──あのアリステリス家がただのティーポットを作品として認めるわけがない。


 ある種の思い込み。

 逆張りとも言える心理が、運命を動かした。


「これを頂こう」

「ありがとうございます」


 シンと冷える冬の夕方。

 そのティーポットを買ったのは一人の老侯爵だった。

 幼い頃からアリステリス家と付き合いのある人物で、彼らの活動に資金を出し、自らも日の目を見ぬ才能が開花していく様を見て余生を楽しむ男である。社交界から遠のいて随分経ち、この世の贅沢を楽しみ尽くし、自分から店に足を運ぶほど暇を弄ぶ男は馬車の中で買ったティーポットを眺めながら不思議そうに首を傾げる。


「一体何の魔導具なんだ。魔法陣も書かれていないし」


 魔導具にはこれ見よがしとサインが付けられるのが習わしだ。

 しかしこの魔法師はずいぶん控えめな性格のようで、ひと目見て分からないようなティーポットの底に『Alil』と文字が刻まれていた。

 まぁ、外見はシンプルで、妻が好みそうな見た目をしているが。


「……」


 失敗したか、という疑念と、

 アリステリス家の作品という期待感が老侯爵の中に混ざり合う。


 今のところ、勝っているのは疑念だ。

 いかにアリステリス家といえど長く続けばその権勢に陰りも出てくる。

 こういう作品が売り出されてしまうこともあるだろう──と諦めにも似た気持ちがある。


「まぁいいさ。たまにはこういうのも一興だ」


 考え事をしている間に屋敷へ着き、老侯爵は御者に竜車を任せて玄関に入った。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「うん、ただいま」


 大勢の使用人に出迎えられた老侯爵はきょろきょろと周りを見渡す。


「妻はどこだ?」

「温室でございます」

「分かった」


 花や茶を嗜む妻のために温室を作ったのは何年前だろう。

 最近はひさしく足を運んでいない温室に行くと、花の香りが老侯爵を迎える。

 冬にも咲くよう魔力で調整されたこの場所は侯爵家の資金力を表しているようだ。


 温室の中心には机と椅子が置かれ、老婦人はそこで本を読んでいた。

 老侯爵が来たことに気付くと、彼女は本を閉じる。

 夫が持っているものを見て、呆れ顔になった。


「おかえりなさい、あなた。また変なもの買ったのね」

「変なものとはなんだ。アリステリス家の商品だぞ」

「使い道がないなら『変なもの』で十分です」


 つんとした様子の妻に老侯爵はばつが悪くなる。

 社交界や戦場に出ている時はいざ知らず……

 今、倉庫に眠っている魔道具の品々は使い道がないものばかり。


 さすがにこれでは不味い、と老侯爵は妻の機嫌を取り始める。


「ごほん。今回買って来たものは実用的なものだぞ」

「あら、どんな?」

「ティーポットだ」

「……あなたにしては何というか、素朴ね?」

「そうだな。わしもそう思う」


 もちろん正体不明という品に惹かれたこともあったが──

 妻に変なもの呼ばわりされないために選んだのだ、とは言わない。

 老侯爵にも男としての矜持があるのだ。妻には堂々としていたい。


 そんな夫を見透かしたように妻はくすりと笑う。


「それじゃ、その『変なもの』でお茶を淹れましょうか」

「なにおう。お前が好みそうなものだろうが」

「もちろんそうよ。あなたのセンスは信じてるもの」

「……ふん」


 褒め言葉を頂いたのでちょっと満足する老侯爵。

 椅子に深く座って目を閉じる。

 これだけでも買って来た甲斐があるというものだ──


「あら?」


 ティーポットを受け取った妻が疑問の声をあげる。

 目を開ければ、彼女はティーポットを手に自分を見ていた。


「あなた、お湯を入れて来てくれたの?」

「は? 入れてないが」

「でも……お湯が沸いてるわ。それもちょうどいい温度よ」

「!!」


 激震が老侯爵の身体を貫いた。

 慌てて立ち上がった侯爵はティーポットを受け取り中身を見る。

 確かにお湯だ。

 竜車の中で見た時は何も入っていなかったにも関わらず。


「……まさか」


 老侯爵はティーポットを逆さにしてお湯を捨てた。

 今度はしっかりと、持ち手を掴んで見る。


「な、なんだこれは!」


 確かに空にしたはずの中身が一瞬で水に満たされた。

 瞬時にティーポットの本体が熱を持ち、水はお湯に変わる。

 さらに本体部分が冷やされて、お茶を飲むのにちょうどいい温度になった。


「あなた?」


 老侯爵は妻を見る。


「お湯が……勝手に溜まったんだ。これはそういう魔導具なんだ!」

「まぁ」


 老婦人は口元に手を当てて驚き、微笑んだ。


「それはいいわね。いちいちお湯を沸かさなくて済むもの」

「しかも、水を淹れる必要すらないしな」


 画期的な発明品であるが、老侯爵は唸った。

 持ち手を持つだけで中身がお湯に変わる魔道具。

 なるほど、確かに素晴らしい。


 だが、どういった意図でこれを作ったのだろう。


 お湯を沸かすなら使用人にやらせればいい。確かに手間と時間はかかるが労力は使わずに済む。妻のように庭園で茶会を開き、自分で茶を振舞うようなもの好きでなければ使わない。そんな品を貴族向けの店で売る意味は? あるいは、自分のようなものを狙って売ったのか?


 疑問が次々に沸いてくる。

 まず仕組みは? なぜ空っぽの中身がお湯で満たされる?


 無から有を生み出しているわけではあるまい。

 ならば空気中の水分を分解してお湯に変えているのか。どうやって?

 老侯爵は少しでも仕組みを探ろうとティーポットを分解しようとするが、


「待ってあなた! せっかく便利な品なのに壊してしまうの?」

「だが妻よ。これは」

「仕組みなんてどうでもいいじゃない! 便利なんだから壊さないで。それとも代わりがあるの?」

「……うぅむ。いや、代わりはない」

「そうでしょう。それにこれは、一度わたしが受け取ったものです。ならばどうするかはわたしの意見を優先するのが筋ではなくて?」

「……そうだな。うん、その通りだ」


 妻に言い負かされた老侯爵は好奇心の塊を取られて消沈する。

 せっかく未知の魔道具。

 心躍るものに会えたというのに、こんなところでお別れとは。


(いや、まだだ)


 まだ、魔道具を作った者が残っている。

 暇を持て余した老侯爵は立ち上がり、急いで従者を呼んだ。


「風の箒に問い合わせを。魔法師アリルの正体を何としてでも聞きだすんだ」

「かしこまりました」


 この歳になってまだ出会ったことのない魔道具に出逢えるとは。

 これだからアリステリス家の品はやめられないのだと侯爵は思う。

 それにしても……


Alil(アリル)、か。一体何者なんだ?」





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