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第二十五話 ライラの未来

 

「ねぇ、ライラ。君はこれからどうしたい?」


 夜。晩ご飯を終えてまったりした時間。

 ソファで魔導書を読んでいると、リュカ様が唐突にそんなことを言い出した。

 隣に座って髪を持ち上げるリュカ様に、私はちょっと引き気味に答える。


「なんですか。また結婚とかそんな話ですか」

「え、僕のことが好きって?」

「言ってませんけど!?」

「自分から結婚のことを言い出すからそうなのかと思って」


 そんなところに罠があったなんて思わなかった。

 これからは自分から言わないようにしよう。

 ちょっと距離を取る私にリュカ様は「ごほん」と咳払いし、すまし顔で言った。


「まぁそれは後日話し合うとして」

「しれっと話し合いのテーブルに着こうとしないでください」

「僕が言いたいのは、君の魔法師としてのこれからだよ」

「……………………まほうし」


 あ、そういう話?

 リュカ様にしては珍しく真面目というか、なんというか。

 てっきり「僕とのこれから」という意味だとばかり思ってたけど。


 この前のお父さんもそうだったけど、なんかそういう話多いね。


「君が自覚しているかは分からないけど、僕たちから見ると君の魔法陣は……なんというか。特別だ。君がその気になれば魔法師として名をあげることも出来る。間違いなくルドヴィア一の魔法師になれるよ」

「いやぁ、そんな。えへへ……」


 口説き文句だと分かっているけど、真正面から褒められると照れる。

 私だって人間だし、自分の力を認められたら嬉しいもん。

 リュカ様の場合「というわけで結婚」という話に繋がりかねないから軽く流すけど。お世辞だろうしね。本気にするほど馬鹿じゃないですよ、私は。


「すべては君次第だ」


 リュカ様は続けた。


「君にその気があるなら僕とルネは全力でバックアップする。ヴィルヘルム伯爵家みたいに君の論文を盗んだりしないし、君専用の研究室もあげるし、好きなだけで研究させてあげる」

「いやいや、子爵令嬢にそんなこと」

「出来る、出来ないじゃない。君がどうしたいかだよ、ライラ」


 ──君にはその力があるんだ。


 リュカ様の声音が思ったよりも真剣だったので思わず背筋を伸ばす。

 隣から私の顔を覗き込むリュカ様の瞳は王族として育った貴人の目だ。

 その場にいるだけで不思議と緊張してしまうような空気を纏っている。


 ごくり。と唾を飲んだ。


「私が、本当に……?」

「少なくとも僕はそう思っている。良くも悪くもね」

「……? どういうことですか」

「権威を手にするのが良いこととは限らない」


 リュカ様は実感のこもった声で言った。


「だから、君が望まないならすべてを隠すこともできる」

「隠す?」

「これまで通りさ。この小さな子爵領で暮らし、実力を隠して生きるのもいいだろう。僕はそれでもライラが好きだし、君が穏やかに暮らせるように応援する」

「……」


 たぶん、それはそれで幸せだろうな、と思う。

 私は今の生活に満足しているし、お腹いっぱい食べられるだけで嬉しい。

 権威とか名誉に興味はないし、静かに暮らせるなら暮らしたい。


(でも……)


 正直、迷う。

 私は膝の上で拳を作って、リュカ様を見上げた。


「あの、リュカ様は……」

「ダメだよ」

「え」


 リュカ様は私の胸に指を向けた。

 海より深い蒼の瞳は、私に逃げることを許さない。


「君の人生は君が決めるんだ。ライラ」

「……」

「これまで君はグランデ子爵やヴィルヘルム伯爵家に従って生きて来た。それは君の家族愛によるもので、それはそれで素晴らしいけど、君自身がやりたいことじゃないだろう」


 確かにそうかもしれない。

 伯爵家と婚約したのはお父さんの生活が楽になるかもしれないと思ったからだし。ヴィルヘルム伯爵家に従っていたのはお父さんを人質に取られたからだし。


「だからさ。今度は君が決めようよ」


 リュカ様は明るい声で微笑んだ。


「君が、君のためにやりたいこと。それが僕の願いだよ」

「やりたいこと……」

「うん」

「……」


 リュカ様は苦笑した。


「分からないかい?」


 恥ずかしいけど、頷く。

 私はこれまで誰かの言いなりになって生きて来た。

 言ってみればその場の勢いに流されたようなもので、私が私の意思で行動したことなんて今まであっただろうかと思う。ふと思い返してみれば、これまでの自分の人生がひどく空虚なような気がして、ちょっと怖かった。


「じゃあ、こう考えよう」

「……?」


 リュカ様は私の頭に手を置いた。


「君がこれからやるのは、これまで頑張った君へのご褒美だ」

「ご褒美」

「そう。楽しくて嬉しいことが無限に溢れてる。さぁ、何がしたい?」


 魔法師として名をあげてヴィルヘルム伯爵家に復讐するのか。

 世界中を回って好きなだけ美味しい料理を食べるか。

 この子爵領で穏やかに暮らして本を読むのがいいのか。


 やりたいこと、やれることに限界はないとリュカ様は言ってくれる。

 未来は絶対に明るくて、もう報われることは決まっているのだと。

 それなら、私は──


「あの……私、自分が優れているとは思えないんです」

「うん」

「私はただ、小さい頃から魔法陣に触れて、お母さんやお父さんに教わって……誰にでも出来ることだと思うんです」

「……」

「だから私、有名になりたくない」

「うん」


 リュカ様は優しく頷いた。

 頭の上に置いた手をゆっくりと動かしてくれる。


「それが君の望みかい?」


 首を横に振る。


「違うの?」

「……有名になりたくはないけど、誰かの役には立ちたいんです」

「へ?」

「あと、お腹いっぱい食べられるお金も欲しいんです」


 お金は大事だ。お金が愛情や友情に代えられないなんて言うけれど、お金があったら繋ぎ止められるものもあると思う。そもそも、貧乏で忙しくてお腹いっぱい食べられない時に誰かを愛したり友情を感じたりする余裕があるのかと、私個人としては身に染みて思うのだった。そもそも今の私はお父さんに金銭面で依存している身だし。そう告げると、リュカ様は十回ほど目を瞬かせた。


「…………へ?」

「や、やっぱり無理ですか? お金を稼げないですか?」

「いやいや! それは、もちろん稼げるけど……」


 リュカ様は食い気味に否定したけど、戸惑っているようだった。


「本当に? そんなことが……いや、それが君の望みなのかい?」

「はい。私、有名になりたくありません。でもお腹いっぱいご飯は食べたいし、研究はしたいです。私の研究がお金になって、誰かの役に立てるなら……嬉しいし。お金を稼いだらお父さんの老後も楽になるだろうし……」

「────」


 リュカ様は唖然としていた。


(うぅ。やっぱり我儘かな?)


 私が言ってるのは、つまり良いとこどりだ。

 権力と名誉とかは要らないけど美味しいところだけが欲しいって言ってる。

 自分の好きなことだけして、嫌なことはせず、ほどほどに認められたいってことだ。


 なんという俗っぽさ。

 本音を隠すことなんて出来ない私にやっぱり貴族令嬢は向いていないと実感する。


「さすがにこんな我儘、ダメですよね……?」

「ぷっ」


 リュカ様は噴き出した。


「あははははは!」

「え? りゅ、リュカ様なんで笑うんですか」

「あははは! はぁ、いや、ごめん。馬鹿にしてるわけじゃないんだ」

「じゃあなんですか?」

「いやぁ、僕もまだまだだなぁと思って……何かを得るには何かを捨てなければならない。それが社交界の原則だ。欲張った者は身を滅ぼす……けどそうだよね。美味しい所だけ欲しいよね。うん、分かるよ。ふふ……」


 よく分からないんだけど……褒められてるのかな?

 なんか笑い涙まで浮かべてるし。

 指で涙を拭う仕草がこんなに絵になる人だな……。


「君にはいつも学ばされるなぁ」

「え」


 リュカ様は私の手を取り、上目遣いでキスをした。


「だから君が好きだよ。ライラ」

「!?!?!?」


 ぼんっ!と顔から火が出るかと思った。

 いつもの軽い言葉のはずなのに、その熱は比べ物にならない。

 ポロっと本心から零れたような言葉に顔の熱が限界を越えていた。


(お、おおおお、落ち着け私! これはいつものあれだから! あれだから! リュカ様も本気で言ってるわけじゃ……なくもないかもしれないけど……いやでも私は子爵令嬢だし元平民だし王子様とは釣り合わないし何よりこんな見た目であの人の奥さんとかあばばばばば)


 目をぐるぐる回す私にくすりと微笑んで、リュカ様は立ち上がった。


「そうと決まれば話は早い」

「は、はや!?」

「ライラ。研究用に作った魔導具とかある?」

「え、あ、はい。倉庫に……」

「明日ルネと一緒に行っていい?」

「はい……え、待って、え、ほんとに?」

「ありがと。じゃあまた明日ね」

「ちょ」


 呆然とした私に手を振ってリュカ様が帰っていく。

 目を回すほどの熱が一気に冷めて、急に不安がこみ上げて来た。


「……な、何をするつもりだろう」


 リュカ様のことだから悪いようにはしないと思うけど。

 さすがに目立つようなことはしないよね……?


「だ、大丈夫……だよね?」


 その答えは、一か月後に知ることとなった。



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